チャプター2

「────俺と姐さんの出会いはこんな感じでな。その時の姐さんったら超絶カッコよくて……」

「ハイハイ。そこから先は沼になりそうな気がしマス。これ以上は結構デス」


 気持ち良く昔語りをしていたところで、隣の金髪碧眼少女が話を止めた。これからが良いところだっていうのに……。


「んだよー。出会った時の話が聞きたいって言ったのはマリーの方じゃんか。それなのにあんまりじゃないかー」

「口を開けば姐さん姐さん、とまるで犬のようにじゃれていマス。それがなんだか無性に腹が立って……」

「前から思ってたけど、マリーってかなり毒舌だよな……」


 毒舌を言われたお返しに、マリーの艶やかな金髪をワシャワシャと撫で回す。マリーは「ヤメロ、ドーテーが移る〜」とやはり毒舌家だった。

 そうやって戯れること数分。事務所の扉が開く音が聞こえた。


「ただいまー」


 と間の抜けたような挨拶とともに、事務所の家主である黒髪ロングの女性が部屋へ入ってきた。


「まーた相も変わらずイチャコラしやがって。青少年健全育成条例違反で訴えるぞコラ」

「そんないかがわしいことはしちゃいませんよ。なぁ、マリー?」

「ドーテー、ウツサレタ。モウ、オヨメニイケナイ」

「マリー⁉︎ マリーの目がなんだか虚ろになってるぞ! ちょっ、待ってください姐さん! 俺は本当に何もしてませんから! 単に頭を撫で回してただけですから! だからそんなドスの効いた目で見ないでください!」


 そんな弁明が功を奏することはなく、俺は見事なヘッドロックを決められて意識を落としました、とさ。



 俺の名前は結羽竜司ゆわりゅうじ奏内そうない高校に通って勉強に魔法を学習している高校二年生だ。

 ある日、狼男の輩に絡まれていた猫耳ちゃんを助けるために体を張って(ここ重要)止めに入った俺だったがかえってコテンパンにやられた。そんな情けない姿を見せたところで現れたのが、姐さんこと日向綾音ひなたあやねだった。

 この出会いがきっかけとなって、俺は姐さんが営む何でも屋「請負屋」でバイトをすることになった。猫探しからテロリストの捕獲まで様々な依頼をこなしていく中で、とある事件をきっかけに妖精使いの貴族令嬢、メアリー=アコールネイス(通称マリー)が請負屋へ居候することになった。

 そんな訳で、今日も今日とて請負屋のてんやわんやとした一日が始まるのだった……。



「────ハッ! 意識を失ってるうちにこれまでのあらすじを説明していた! なんて便利なんだ!」

「手抜きとも言えるけどな。それはともかく、おはようさん。悪かったな、意識が飛ぶまで締めちまって」


 目覚めた俺はソファーに横たわっていた。姐さんは頭の上から俺を覗き込んでいる。視線を移すと、向かいのソファーでマリーが座っていた。


「まぁ、なんとか生きてるんで大丈夫っす」


 俺は上体を起こす。それから一息つくためにお茶を淹れようと台所へ向かう。あったかい緑茶が良いな。ついでに二人の分も用意しよう。

 部屋へ戻ると、姐さんはいつもの所長席(ワークデスクと肘掛け椅子)に鎮座していた。そこへお茶を一つ置く。「ありがとさん」と気の抜けたお礼を聞いて、それからソファーへ行ってマリーと俺の分のお茶をテーブルへ置く。「アリガトウ」と、こちらはややか細いお礼。

 まったりのんびりとティータイム。お茶を啜る音がはっきりと聞こえる。


「こうやってゆっくりしてるのは良いんですけど、今日の仕事は無さそうですか?」

「ああ、今日はなぁーんも依頼が来なさそうだ。定時になったらアガっていいぞ」


 それはありがたい。最近撮り溜めしてた『メグミちゃん』が観たくて仕方がなかったところだった。今夜は楽しい夜になりそうだぜ!


「ところで竜司さぁ。お前の強化魔法の特訓は順調か?」

「まぁまぁですね。拳に魔力を込めることは簡単にできるようになりましたけど、さらに硬度を高めるところに関してはイマイチの成功率です」

「そうか。硬さについてはより感覚的に操作しないといけないからなぁ。口だけじゃどうにも教えられん」


 前に異端狩りの悪魔を吹っ飛ばした(らしい)時はかなり精度の高い強化魔法ができていたみたいだけど、それ以来同程度の魔法は成功した試しがない。あの時のことを思い出せれば、もう少し上手くできるんだろうか。


「まぁ、次の休みの日にまた特訓を付けてやるから。それまで自主練を怠るなよ」

「大丈夫ですよ。毎日三十分のトレーニングは欠かしてませんから」


 姐さんにガッツポーズを見せる。姐さんは「そうか」と口角を上げる。マリーの方を見ると、ツンと澄ました顔でお茶を飲んでいる。


「マリー。俺、頑張るからな」

「何の宣言ヨ……ま、殊勝なことネ。精々頑張ッテ」

「嬢ちゃんよぉ。まーたそんなツレない態度を取っちゃってさぁ」


 いきなり現れた低い声。声の主はマリーの頭上から突如姿を現した。抱っこ人形ぐらいの大きさで、全身に火を纏ったトカゲみたいなソレは、マリーの使い魔である火の妖精イフリートだ。


「ウルサイ。お前には関係ないでショウ。あと勝手に出てくるナ」

「嬢ちゃんってばツンデレだからなぁ。本心じゃ竜司の兄ちゃんの成長を楽しみにしてるくせに」

「訳の分からないことをゴチャゴチャと……」


 マリーはスッと手を挙げて、力強く拳を作る。すると光の輪がイフリートを囲い、やがて体を締め付けた。


「イタタタタタタ! いきなり暴力かよ! ツンデレの次はボコデレか! よりどりみどりだな!」

「人をいちいち萌えキャラに、するナ!」


 そうして言い合いが続き、光の輪が解放された頃にはイフリートはグッタリとしていた。そんな小競り合いはお構いなしとお茶を啜る姐さん。いつもの日常風景だ。

 気づけば十九時になっていた。何も依頼が来ない時は、この時間で勤務終了となる。仕事は基本的に受け身な姿勢なので、こういう日が度々ある。


「それじゃ、今日は終わりですね。お疲れさまでしたー」

「ほい、お疲れさん」

「別に疲れてないけどネ」


 三者三様に挨拶を交わし、俺は請負屋を後にする。残った姐さんとマリーはこれから夕飯の支度をするだろう。俺も帰ったらさっそく夕飯だ。今日のおかずは何だろう。

 夜空の下を歩く。とはいえ、この時間でも街灯やら電光掲示板やらのおかげでそれほど暗さを感じない。でも、都会に住んでると肉眼で星が見えないからそこは少し残念ではある。満点の星を眺めて、野原に寝そべる。いささかロマンチックに過ぎるかもしれないけど、案外そういうのが好きだったりする。

 なんて、物思いに更けていると。


「ねぇ。そこの少年」


 それはねっとりと絡みつくような、淫靡な女の声だった。

 前方の曲がり角の辺りに、その女は立っていた。黒いブーツに黒いスキニー、白のセーターに白いシャギーショート。コントラストの整った見た目に、人並み以上に綺麗な顔立ち。とても美しい女性だ。


「ちょっとアタシに付き合ってくれない?」


 ただ一点。口元を真っ赤に濡らしている点を除けば。


 その場で翻して、一目散に駆け出した。


 一目見て分かった。アレは間違いなく異常だ。あんな奴が平和な日常の中にいてたまるか。おぞましい、ただおぞましかった。ほんの数秒見ただけで、たった一言声をかけられただけで。アレが異形の者だということを否応なく感じ取った。

 とにかく逃げろ。アレが追ってこられない所まで、早く、速く!


「ちょっとぉ。そんなに怯えなくていいのに」


 思わずつんのめりそうになるのを、どうにかして踏み止まった。肩にとてつもない圧力が加わったからだ。顔だけ動かして後方を確かめる。

 煌々と燃え盛る炎のような瞳。二つの炎がこちらを見つめていた。ニヤリと笑うソレはあまりにも不気味で恐ろしかった。

 ここから逃げたい。けど逃げられない。女の手が俺の肩を強く掴んでいるからだ。それも常人のそれとは思えないほどの握力で。

 逃げたくても逃げられないこの状況。だったら、ここでやるしかないだろう。右の拳に意識を集中させる。相手に悟られないよう慎重に。静かに握り締めて。一、二、三!


 素早く振り向いて相手の手を強引に払う。それとともに、魔力を込めた拳を女の顔めがけて放つ。威力の有無はどうでもいい。相手を牽制して、怯んだ隙を狙ってここから逃げればいいのだから。

 感触はあった。ただし、それは女が俺の拳を掴んだものだった。


「あらあら、ずいぶんと荒っぽいのね。でも、そういうバイオレンスな人も好きよ」


 女は真っ赤に濡れた口を歪めて嗤う。

 それから俺の手を離し、すかさず前蹴りが俺の腹部を襲う。自動車にはねられたかのような衝撃に、後方へ吹き飛ばされる。瞬間の浮遊感を味わった後に地面へ落下する。ただ喘ぐばかりで、一歩も動けない。

 女が優雅な足取りで俺の元へ近寄る。やがて俺の前でしゃがみ込む。


「もう動けないの? なぁんだ、残念。お姉さんはまだまだ物足りないんだけどねぇ」


 女はケタケタと嗤う。そのわらい声がひどく不愉快だった。

 女が両手を差し伸べたかと思えば、俺の顔を掴んで上体を起こす。頰に冷たい感触。それから女はおもむろに自らの唇と俺の唇を重ねてきた。女の舌が俺の口内へ侵食し、徹底的に乱れ、犯す。意識が少しずつ薄れていく。長いようで一瞬のような時間が過ぎて。女は強引な接吻を止める。口元に糸が引かれる。


「とりあえず魔力は頂いておくわ。あなたの魔力ってとっても美味しい。きっと今以上に強くなると思うわ。楽しみね」


 女は俺をそっと地面に寝かせる。立ち上がったと思えば、「スパシーバ」と告げてそそくさと去って行った。そして、その場には俺だけが取り残された。

 たった一発の蹴りでこのザマ。あの女の異常さが知れたとともに、己の無力さも痛感した。

 せめて、連絡だけでもしないと。

 ポケットから携帯を取り出し、電話帳を開く。目当ての名前を見つけて、コールする。

 上手く喋れたかは分からない。どうにか伝わってくれることを祈って、俺は静かに目を閉じた。

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