チャプター4

「よぉ、竜司りゅうじ。怪我の具合はどうだ?」


 学校に着いて早々、さとしが声をかけてきた。というか、


「なんで俺が怪我してることを知ってんだよ。言ってなかったのに」

一華いちかさんから聞いた。竜司が通り魔にヤラれたって」


 あのヒトか……確かに情報屋としては一流なんだろうけど、それを一般人にバラすなよ……こっちだって色々と気を遣ってんだからさ……。


「ねぇ、竜司。アンタ、怪我したんだって。学校に来て大丈夫なの?」


 すると、かおるも同様に声をかけてきた。


「ああ、今は平気だけど……っていうか、なんで知ってんの?」

「一華さんから聞いた」

「あのアマァ……」


 それからが忙しなかった。クラスに入るや否や、みんな揃って俺の安否を心配して話しかけてきた。中にはリンゴをくれる奴まで現れた。大事には至らなかったことなのに、ここまで心配してもらうと申し訳なさがハンパない。おまけに、いつもは軽口しか叩かない担任の不二ふじT(Teacherの略)まで、


「なんだったら、今日は早退してもいいんだぞ」


 と言ってきた。ていうか情報広まるの早すぎないか。もしかして、俺の個人情報ってダダ漏れ?

 俺は「平気だから」の一辺倒で押し通して、その日の授業を終えた。

 帰りのホームルームにて。不二Tはいつものように気だるげに事務連絡を告げる。そして終わりがけに。


「最近、この辺りで通り魔が出没してるらしい。みんなも知ってるように、ウチのクラスの竜司が襲われた。幸い大事には至らなかったが、それはたまたま運が良かったからだ。というか主人公補正がかかってるからだ。だからそれ以外の脇役たる俺たちが万が一にも襲われてしまったらひとたまりもないだろう。だから、もし白い女を見かけたら即刻逃げろ。間違っても対峙しようとは思わないこと。いいなー」


 いや、主人公補正とかメタネタはやめんかい。

 クラスメイトは「はーい」と素直に答える。みんなは脇役という言葉に少しの疑いも持っていないのか。だとすれば、本当に申し訳ない。こんな主人公で……。

 ホームルームが終わって身支度を済ませていると、哲と薫がやってきた。


「竜司、一緒に帰ろうぜ」

「おお、なんか珍しいな」

「そうだな。通り魔が現れて、どの部活もしばらく活動休止になったからな。この時間に帰るのは久しぶりだ」

「それに、竜司が危ない目に遭ったところなんだから一人で行かせらんないでしょ」

「二人とも……ありがとうな」

「よせよ、照れ臭い」


 やっぱり持つべきものは友だな。あと酒と泪と男と女。

 今日はバイトが休みなので、自宅まで直行。それまでの間、哲や薫と帰路を共にすることにした。道中の他愛ない話がなんだか嬉しかった。

 その時だった。


 ドン、と正面から来た人とぶつかってしまった。


「すいません、大丈夫ですか?」


 俺はぶつかった相手の顔を見る。その途端、全身が凍りついた。

 まるでそこの景色だけ真っ白い絵の具で塗りつぶしたかのようだ。ただ、その中でも二つの赤い瞳がルビーのように煌めいている。


「白い、女……」

「嫌だ、そんな物騒な呼び方。アタシにはアニーゼ=ハンニバルっていう名前があるんだから。今度からはアニーゼって呼んでね。あ、もしくはお姉さんでも構わないわ」


 呆然として動けなかった俺の体が、後ろへ引っ張られる。俺を守るように哲と薫が先頭へ立つ。


「コイツが例の白い女か。竜司、お前は逃げろ。ここは俺と薫でなんとかする」

「何言ってんだよ! お前らが危ない目に遭うだけじゃねぇか!」

「それでも、アンタが二度も危険に晒される必要もないでしょ! いいからアンタは私らに守られてなさい!」

「チッ、なんて強引なんだよお前らは……!」


 哲は掌から火の玉を、薫は風を召喚する。二人それぞれの得意な魔法だ。魔法を使うということは臨戦態勢に入ったということ。しかし、それが通用するかは分からない。戦いは避けないといけない。

 俺たちのやり取りを聞いて、白い女、アニーゼは高らかに嗤い出す。鼓膜に張り付くほど不快な声だ。


「なんて友達想いなんでしょう。良い友達がいて良かったわね、リュージくん?」


 赤い目が俺を捉える。それだけで形容しがたい胸騒ぎが起こる。


「な、なんでここにいるんだよ。まさか、俺を探しに来たのか……」

「そのまさかよ。あなたから頂いた魔力があまりにも美味しかったから、また欲しくなっちゃって。家から学校まで洗いざらい追けてきちゃった♪」


 それはつまり、遭遇したあの晩からずっと監視されていたってことか。想像するだけで背筋がゾッとする。


「やい、そこの女。アニーゼ、て言ったっけ? 竜司には手出しさせないからな。どうしてもっていうんなら、俺が相手になる」

「私だっているからね。アニーゼさん、貴女の好きにはさせないから」


 アニーゼは哲と薫をそれぞれ吟味するように見つめる。それから苦笑する。


「血気盛んなのはいいけど、アナタ達の魔力じゃ相手にならないと思うわ。それにアタシは無駄な争いごとはヤラないことにしてるの。ごめんなさいね、アナタ達とは遊んであげるわけにはいかないの」

「んだと……つまり俺達がヘボいから眼中にないってことだろうが。舐めるんじゃねぇ!」


 哲が怒りに任せて火の玉をアニーゼへ投げつける。アニーゼは特に驚く様子もなく、向かってくる火の玉を手で払った。火はただ霧消するだけだった。


「な、なんで……」

「言ったでしょ。アタシとアナタ達とじゃ魔力の差が違いすぎるのよ。質の低い魔法はより高度な魔法に打ち消されてしまうの。学校で教わらなかった?」


 平然としたアニーゼを見て、哲は見るからに戦意を失っていた。薫も同様で、召喚した風を自ら消した。

 力の差は歴然。立ち向かうのは愚の骨頂。逃げようにも、あの晩のように追いつかれるのが明白。他に手はないか……。考えろ、考えろ……!

 俺はポケットに手を突っ込む。ちょうど哲と薫が壁になってくれているのが幸いだった。アニーゼに気づかれないように事を済ませる。そうして考えはまとまった。


「…………話をしよう。アニーゼ、さん」


 思考の末、俺は口を開く。考えついた策は時間稼ぎだった。今は膠着状態を維持すること。それが最善だと結論づけた。


「一体どういう風の吹き回しなのかしら? アタシとお茶がしたいってこと? それとも、アナタなりの降参宣言?」


 アニーゼが訝しむ。それも無理はないだろう。俺達の間に会話を交わす理由もメリットもない。ましてや友好的な関係が築けるはずもない。だけど、ここで攻撃するようなことはしたくない。なるべく穏便に時間を稼ぐことが必須。

 哲と薫が一様に振り返って俺を見つめる。俺は二人に向けて無言で頷く。俺の意図を汲んでくれたのか、二人とも何も言わないでくれる。それからアニーゼに答える。


「まぁ、降参ってのは合ってるかもな。俺達じゃアンタに敵わないことは身をもって知ってるから。だから発想を変えた。抵抗するのは諦めて、せめて有益な情報を得ようってな。アンタから情報を引き出しておけば、警察も操作しやすくなるだろうって思ったんだ」

「ああ、そう。でもアタシがそう簡単に話に乗ると思う? わざわざ自分が不利になるような情報を馬鹿正直にアナタ達に話すとでも?」

「そりゃそうだ。そんなことをするメリットはアンタにはないだろうから。別に俺もそこまで望んでるわけじゃない。なんなら世間話をしてもいい。亜人の生活とかそうそう聞けるもんじゃないしな」


 論理展開なんてハナから放棄してる。口が動くままにとにかく場を繋ぐ。ゴリ押し上等。なんならこの問答を繰り返して時間を稼ぐのも悪くない。

 アニーゼは口元に手をやって考え込む。こちらの意図を探ろうとしているのか。できれば真意に気づかれるのは勘弁してほしいが……。

 やがて、アニーゼが口を開く。


「分かったわ。アナタが何を企んでるのかは知らないけど、ここはあえて乗ってあげましょう。それに、ただ一方的に蹂躙するのも品がないからね。アタシの話で良ければ、話のネタにでも自由研究の材料にでも好きになさい」


 どうやら了承してくれたようだ。安堵して吐息が漏れ出る。


「ありがとうございます。それじゃ、手始めに。アニーゼさんはどうして人界へやってきたんですか? やっぱり人間を食べるため、ですか」

「そうね。それが最たる理由でしょうね。魔界にも人間の屍肉が運搬されたりしてて、そこまで食料には困らないの。でもね。死体を運ぶ以上は、新鮮さが無くなってしまうの。アタシはどちらかといえばレアで焼いて食べるのがいいんだけど、それだと衛生的に問題があるのよね。だからどうしても中まで火を通さなくちゃいけない。自然と食べ方に制限がかけられてしまうの。そんなのって不自由じゃない? そういうしがらみに縛られるのが性に合わないから、アタシは故郷を出てこっちにやってきたわけ」


 雄弁に食料事情を語るアニーゼ。すると、哲が怪訝そうに舌打ちする。


「分かってちゃいたけど、やっぱ抵抗あるわ。人が肉にされる話を聞いてたら、胸糞悪くて仕方がねぇ」

「そうね。好き好んで聞きたいとは思えないわ。早くこんな時間が過ぎてしまえばいいのに」


 薫も哲に同意する。それは俺も同じ気持ちだ。けれども、ここはどうしてもアニーゼに喋ってもらう必要がある。


「悪いな二人とも。でも、もうしばらく我慢してほしい。とにかく時間が必要なんだ」


 そう諭すと、二人は渋々了解の意を込めて頷く。


「ちょっと。話をしてくれって言ったのはそっちでしょ。ちゃんと聞いてるの?」


 アニーゼが咎めるようにこちらへ話しかけてきた。まずい。せっかく話に乗ってくれたというのに、ここで気分を害されてしまったら元も子もない。


「すみません。やっぱり人間を食べるっていう話が衝撃的で。こっちの二人が少々気分を悪くしてしまったようです」

「まぁ、それは仕方がないわね。でも、それがアタシ達、鬼の生態なんだから。覆しようのない事実なの。申し訳ないけれど、そこは我慢してね」

「分かりました。それじゃ、続いてなんですが。アニーゼさんの他にも食人鬼……仲間はいらっしゃるんですか?」


 俺からの質問を受けて、アニーゼは刹那、表情を無くした。怒ったのか、それとも悩ましいことでもあるのか。それから次の言葉を考えあぐねたかのように、口を閉ざす。その目はどことなく哀しげに見えた。


「……もしかして、触れられたくない話題でしたか?」

「いいえ、問題ないわ。ただ昔のことを思い出して感傷に浸ってしまったみたい。ええ、話しましょう。仲間のこと。そして、アタシの大事な親友のこと」


 それからアニーゼは、魔界に暮らす仲間のことを話し始めた。それは意外にも人間味のある話だった。

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