第27話



 それから学校、下校までは平和に終わった。


 姫華の身を心配してか、いつもより尊が過保護に見える行動をする以外に変わったことは無かったように思う。

 姫華の存在に慣れた周囲が、騒ぎ立てるほどの出来事も無い。


 その為、特に何もないまま一日が終わるかと思われたのだが。



 そうは上手くいかないみたいだった。


 姫華と一緒に家に帰って来た尊は、カバンを自身の部屋に置く時間も惜しいと、真っ先にとある部屋に向かう。


「美朝、ちょっと話があるんだけど」


「何でしょう? ……お兄様」


 着いた先は、朝の出来事から容易に予想が出来るが、美朝の部屋だった。

 そこまで強くない力で扉をノックすれば、中からすぐに彼女の声が聞こえてくる。


「今も言ったけど、話したいことがあるんだ。そこまで時間をとらないからさ、中に入れてくれないかな」


 尊の声色は、普段と全く変わらなかった。


 今まで距離を置いていたとは、みじんも感じさせない。

 その声を、部屋の中にある椅子に座って聞いていた美朝は、目を数秒閉じてすぐに開けた。


 そして静かに椅子から立ち上がった。


「どうぞ……特に今日はやることがないから、時間がかかってもいいですよ」


 扉を開けて尊を招き入れた彼女は、入るのを確認する前にくるりと後ろをむく。

 そのまますたすたと迷いなく歩いて、今まで座っていた椅子にまた座り直した。


「それで? 話とは一体なんでしょうか」


 彼女の視線は、実の兄に対して向けるようなものではなかった。

 まるで害虫や、汚物を見ているかのようだ。


 そんな視線を受けながらも、尊はニコニコと笑っていた。


「いや、そんなに大したことじゃないんだけどね。もしもそうだったら、一応言っておかなきゃいけないと思って」


 しかしその目は、ずっと冷めたままだった。


「美朝。余計なことをしようとしていないよね?」


 回りくどい話をせずに、さっさと本題に入った尊。

 彼の考えが読めずに、美朝は答えを返すのに慎重になる。


「余計なこととは、例えば何ですか?」


「とぼけなくていいから。美朝なら分かっているだろ。僕の言いたいことをさ」


 慎重になって逃げたのだが、彼は許してくれなかった。

 もはや笑顔を取り繕うこともせずに、無感情に彼女を見据える。


「いえ、お兄様は何か勘違いをなさっていますよ。私には、何の心当たりもありません」


「へえ……そう」


 これまで向けられたことの無い顔で見られながらも、彼女はあくまで尊が部屋に来た理由は分からないと答える。

 それを聞いた尊は、口を歪ませる。


「とぼけ続けるつもりなんだ。それじゃ、『姫華さん』に関係していると言えば、心当たりはできるかな」


 その顔は、逃がす気は無いと物語っている。

 兄としての顔は、どこかに落としてしまったようだ。


「『姫華さん』ですか。……そうですねえ、全く無いですと言えば、話を終わらせてくれますか?」


 美朝は自身の言葉が彼をあおるものだと分かっていて、あえて挑発する。

 実際に、姫華とは関わろうとしていなかったのだから、心当たりがあるはずはないのに、何故そんなことをするのか。


「お兄様は姫華さんにべったりくっついていたんですから、私が何かをする隙なんて無いと思いませんか? まさか、そんなことも考えつかなかったわけではないでしょうからね。確実な証拠があるんですよね、お兄様?」


 それは、彼女なりのちょっとした意地悪だった。

 久しぶりに話しをしたのに、中身は別の女についてだなんて。

 彼女にとっては、あまり面白くなかった。


 だからこそ、わざと嫌な態度をとった。


「美朝……そういう態度ばかりとるつもりなら、僕も我慢するつもりは無いけど」


 しかし尊の全く隠そうとしない威圧に、ビリビリと居心地の悪さを感じる。

 それでも引く気はなかった。


「お兄様はおかしなことを言いますね。私が言ったことを信じてくれないのですか? 何も知らないです、だからお兄さまと話をすることもないです」


 引く気がないというか、やっていないのだから認めるも何も無い。

 美朝は堂々巡りになりそうな話に、面倒臭さを感じるようになる。

 早く話を終わらせてくれないか、その気持ちが表に出てしまい、ふと尊から視線をそらしてしまった。


「美朝、どこ見ているの。何を考えているの。僕と話をしているんだから、ちゃんとこっちを見るんだ」


 その瞬間、尊の手が彼女のあごを掴んだ。

 そして無理やり、自分の方に顔を向けさせる。

 顔の近さは、あと少しでも近づければ唇がくっつきそうな程だった。


 お互いの吐息を感じられる距離で、彼はじっと彼女の瞳をのぞき込む。


「僕から目をそらすな。別のことを考えるな。本当はずっとがいいけど、我慢しているんだから。話をしている時だけは、絶対に守って。そうじゃないと……」


 続く言葉は、彼の口から出ることは無かった。

 その途中で、部屋の外から尊の名前を呼ぶ声が聞こえてきたせいだ。

 遠くの方で言っているからか、誰の声かは分からない。


 それでも名前を呼ばれてしまった尊は、そちらに行かなければならなかった。


「……今日のところは、いいよ。また時間がある時に、もう少し話をしよう。お互いに、言いたいこともあるだろうからね」


 名残惜しそうにしながらも、彼は美朝から離れて部屋の扉の方に向かう。

 そして最後に、彼女の顔を見て言い残すと、静かに出ていった。


 残った彼女は尊の気配がいなくなるのを確認すると、椅子の背もたれに深く寄りかかる。


「疲れた……本当に疲れたわ」


 目に手を当てて天井を仰ぐ姿は、たった数分の出来事だったのにとても疲労していた。

 しばらくの間、その体勢のまま固まっていると、ふと姿勢を正して扉の方を見る。


「ありがとう。助かったわ」


 扉のところには、誰の姿もなかった。

 しかし何かしらの気配が、一礼をして部屋から出ていく。

 ひとりでに開閉したように見えたが、美朝には誰がいたのか分かっていた。


 彼女が元々、尊が来る前から呼んでいたのだから、当たり前のことなのだが。


 今の尊は、何をしでかすか彼女でも想像がつかなかった。

 だから万が一の保険として、ストッパー役を準備しておいた。

 そして、それは実際に役に立った。


 先程の正体不明の声は、美朝が危険だと判断したので、前に録音していたテープを再生してくれたのだ。

 そのおかげで、さすがの尊も話を中断してくれた。


 彼女は今度こそ誰もいなくなった部屋で、大きく息を吐く。


「これから、どうなるかしら」


 その言葉は切実な響きとなって、部屋の中に響いた。


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