第20話



 そして家に帰った尊を待っていたのは、美夜と帝の二人だけだった。


「あれ? 美朝は?」


 それだけでなく夕飯の時間になっても、食卓に姿を現さないので、さすがに尊は尋ねた。


「それがね。気分が悪いからって、部屋で休んでいるの。ご飯も食べたくないって。どうしちゃったのかしらね」


「きっと思春期というものだよ。あまり干渉するのも、野暮だろう。今はそっとしておくべきだよ」


「そうね。私にもそういう時期があったわ。その時は、確かに話しかけようとしてきた親に一服を盛ろうとしたから、ただ見守るだけなのが一番ね」


 彼の心配をよそに、帝達は美朝の普段とは違う行動について、思春期のせいだと結論づけたみたいだ。

 そしてほのぼのと会話して、心配をしている気配がなかった。


 それに焦れたのは、尊で。

 両親じゃ駄目だと、直接本人に尋ねることにした。


「美朝……まだ起きているだろう? 少し話をしたいんだけど」


 夕食を食べ終えた尊は、早速美朝の部屋に行き扉をノックする。

 しかし中からは、返事がない。

 何度も何度もノックをし、何度も何度も話しかけても無視された。


「……ごめん、きっと僕が知らないうちに何かをしたんだよね。それは謝るから、だから無視だけはしないで。お願いだ」


 それでも諦めずに、彼は声をかけ続ける。

 それから、どのぐらいの時間が経ったのだろうか。

 ノックをしている手が赤く染まり、彼の心の中に諦めるという文字が見えそうになった時、ようやく部屋の扉が小さく開いた。


「……お兄様、しつこいです」


 見えるか見えないかギリギリの隙間から、顔を覗かせた美朝は疲れた表情をしている。

 そして全く、尊と目を合わせようとしない。


 普通だったら気をつかって、そっとしておくべきなのだが、彼はその隙間に手を差し込んで扉を大きく開けた。


「美朝」


 ずっと話しかけていた彼は、彼女をとても冷めた目で見る。

 それに気づいてしまった彼女は、喉から変な音を出してしまう。


「……お兄様、お母様から聞いていますよね。私は少し気分が悪いから、休んでいます。だから、そっとしておいてはくれませんか」


 彼に恐怖を抱いてしまったが、彼女は気丈に振る舞った。

 しかし、それでも目は合わせられない。


「聞いたよ。でもご飯を食べないと、治るものも治らないよ。僕がおにぎりを作ったから、一緒に食べよう? だから部屋の中に入れてよ」


 彼の言い方は、断られるとは微塵も思っていないようだ。

 目も据わっていて、瞳孔も開いている。


 あきらかにキレているのだが、美朝はそれに対しては恐怖を感じなかったみたいだ。


「そこまでしてもらっているのに、申し訳ないけど本当に食欲がないの。おにぎりを作ってくれたのは嬉しいわ。明日食べるから、だから今日は勘弁して。お願い」


 彼女は眉を下げて、開かれた扉をまた閉めようとする。

 その声は弱々しくて、さすがの尊も落ち着きを取り戻した。


「そんなに体調が悪かったんだね。ごめん。僕がもっと早く、気が付いていれば良かったのに。おにぎりは、明日の朝にでも食べてくれたら嬉しい。それじゃあ、ごめん。ゆっくり休んで」


 彼も同じように眉を下げて、扉を掴んでいた手を離す。

 そして彼女に対して謝り、部屋の扉を閉めようと動いた。


「あっ、待って」


 しかしその前に、美朝が声を上げる。


「どうしたの? 美朝」


 閉めようとしていた尊は、首を傾げて聞く。

 そうすれば視線をうろうろとさまよわせて、とても言いづらそうに小さな声で彼女は言った。


「お兄様……あの人に、あれを渡したんですね」


「え? あ、ああ。そうだね。初めて見た時に、彼女しかいないって思ったんだ」


「そうですか……それなら、しばらく私は一緒に行動しない方が良いですね。明日からは別々に、登下校しましょう。お兄様も、異論はないですよね」


 話していく内に、更に声は小さくなっていった。

 彼女も自分が、恥ずかしいことを言っているのを分かっている。

 だからこそ、尊がどんな反応をするのか見ていられなかったのだ。


 しばらくの間、彼は何も言わなかった。

 その時間は彼女にとって苦痛で、どんどん視線は下にいってしまう。


 何を言われるのか。

 それだけが怖かった。


「そうだね。しばらく、一緒にいるのは止めようか」


 そして上からかけられた言葉は、彼女が予想をしていて一番あり得ないと思っていたものだった。

 きっと別々に行動するのは、嫌だというはず。

 だからどうなだめるか、その方法を考えていたのに。


 彼女は一瞬驚き、しかしそれを顔に出さずに薄く笑った。


「お兄様は頑張ってください。私、応援していますから」


「ありがとう。最後まで頑張ろうと思う。成就する前には、必ず美朝に報告するよ」


「……はい、楽しみに待っています」


 今度こそ部屋の扉は閉められて、尊は自分の部屋へと戻っていく音がその場に響いた。

 それを聞きながら、美朝は扉を背に床に座り込む。

 そして大きなため息を吐いた。


「お兄様……」


 ため息と共に呟いた名前は、切実な響きを持っていた。

 彼女はそのまま、膝の上に顔をうずめて動かなくなる。

 そして数十分後、静かな寝息が聞こえて来た。


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