第14話
それから昼休みを迎えるまでの短い時間にもかかわらず、女子の怒りのボルテージは更に上がる羽目になる。
その原因である姫華は授業中、教科書を見せてもらうという口実を駆使して、尊にどんどん近づこうとしていた。
「うわあ。この学校の授業、進みが早いね。私ついていけるか心配だなあ。あのね尊君、分からない所があったら教えてもらっていい?」
「僕に分かる範囲で良ければ構わないよ。勉強についていけなかったら、テストが大変だと思うし」
あざとい女子の典型な行動。さりげないボディタッチ。
肩に手を置いて、一つの教科書を覗き込む。
そこまで近づく必要は、絶対に無いはずなのに。
そして、ここでポイントなのが、彼女が首筋につけている香水の香り。
先生にバレないようにほのかにつけているのだが、あと少しで顔が触れ合う距離で近づけばさすがに気が付く。
尊も香りには気が付いていて、あえては触れなかった。
それでも嫌がらずに近づいたままだったので、作戦は成功しているのだろうと姫華は内心でほくそ笑んだ。
彼女は転校してくる前の学校でも、色々な男子を手玉にとり、弄んで捨てていた。
本人に悪気は一切なく、ただ本能のままに行動をしていただけ。
しかし周りがそれを許す訳もなく、彼女の行動は学校全体で問題になり、それを知らされた親により転校を余儀なくさせられた。
今までちやほやしてくれた人達から無理やり離れることになって、初め彼女は拗ねていた。
しかし転校先の学校に尊という存在がいると知り、すぐにその考えは変わった。
これまでで一番の、特上の男。
彼女の隣に置くことが出来れば、世間の注目を一身に浴びられる。
そんなふうにアクセサリーとしての価値はもちろんのこと、噂に聞いた彼は性格も完璧だという話だった。
そんなに外見も中身も完璧ならば、一時だけでなく人生の大半を一緒に過ごした方がいい。
伴侶にするのも、いいかもしれない。
彼女は尊のことを調べてから、すぐにそこまでの結論を導き出した。
だから彼を手に入れるために、彼女はどんな労力も惜しまないつもりである。
その前段階として、彼に関する情報は色々なツテをたよって、できる限り手に入れた。
身長体重、好きな食べ物、そして家族構成、情報は彼のだけではなく家族のことも一応手に入れていた。
何がどんな風に役立つのか、分からないからだ。
だから家族の奇妙なところも知っているのだが、欲しいのは尊だけなので特に気にしていなかった。
そんな風にやれる限りの準備をしておき、満を持して今日、彼女は彼の前に現れた。
もちろん前日の突然の席替えも、彼女が一枚かんでいる。
どんな労力も惜しまないと決めたのだ。
その中には、金銭も入っている。
彼女は親が持っている潤沢な金銭を利用して、学校に圧力をかけた。何だかんだ問題を起こしても、彼女に対して親は甘かった。
だからこそ、何となく娘がおかしなことをし始めているとは察していても、犯罪を起こさなければそれで良いと見て見ぬふりをしていた。
そんなわけで今の所、彼女には尊を手に入れるために外堀も埋めつつあった。
人一人を手に入れようとしているにしては、いささかやりすぎな気もするが、それぐらいやって極上の獲物に敬意を払うという彼女なりのこだわりだった。
彼女は、なりふり構わずに尊を攻略しようとしていた。
ボディタッチで手ごたえを感じたので、更に攻める方法を増やしていく。
「あれ? 尊君って左利きなの。珍しい。何か特別な感じがして、憧れるな。凄い」
「そんなこと無いよ。西園寺さん、大げさに言いすぎだって」
「西園寺じゃなくて、姫華って呼んで。何か名字で呼ばれると、距離を感じちゃうから。ね? お願い」
「分かった。それじゃあ、姫華さんで良いかな」
「本当は呼び捨てでも良いけど、あまり贅沢言っていたら駄目だよね。名前を呼んでくれただけでも、……嬉しいや。ありがとう」
授業を受ける気があるのか、先生の話には全く耳を傾けず尊に話しかける。
そして上手いこと、名前で呼んでもらうように仕向けた。
これには近くで聞いていた女子も、驚きから目を見開く。
尊は、どんな人にも優しい。しかしそれは、特別を作らなかったとも言い換えられる。
彼は誰に対しても、当たり障りなく一定の距離を保っていた。
それなのに、初めて人を下の名前で呼んだのだ。
それは、学校全体を揺るがしかねない事件だった。これはただ注意するだけでは、駄目だ。
先生に気が付かれないように、代表者の一人が女子の間で交わされているトークアプリに、参加している全員に行くようにとあるメッセージを送った。
『尊様と一緒のクラスになれた、名も無き幸運な生徒:緊急事態発生!』
たったそれだけなのだが、この文字が送られた生徒は文字を見て顔を青ざめさせた。
緊急事態発生。
それは尊の身に何かがあったか、彼の周囲で何か大変な事が起こったという意味だった。
その言葉は作られていても、今まで使われたことは無かったので、人によっては忘れかけていた。
それが、授業中に送られたのだ。
勘のいい生徒の中には、今日転校生が来ることを知っていたので、すぐにそれと関係があるのではないかと考えた。
だからこそ、授業中であることがもどかしくなっていた。
一体、何が起こっているのか。
その緊急事態が、どの程度のものなのか。
トークアプリに参加している生徒は、クラスどころか学年を問わずのため、現在の状況を理解していない人の方が多かった。
事情を知っている生徒も、先生の目があるから詳しく知らせないでいた。
そんな風に色々な人がもどかしさを感じている中でも、姫華は自分の欲を優先させている。
「尊君。尊君には、兄妹とかいるの?」
「ん? いるよ。妹が一人。同じ学校に通っているから、機会があれば見られると思う」
「妹さんがいるの? 良いなあ。私、一人っ子だから、兄妹がいるのは羨ましいなあ」
全く本心では思っていないけど、とりあえず羨ましいふりをする。
本当は一人っ子であれば好き放題できるし、兄妹なんていた方が面倒だと思っていた。
それに尊に妹がいることなんて、すでに調べ済みである。
それなのに、わざわざ回りくどい真似をしてまで話を続ける理由は一つしかない。
「私、妹が欲しかったの。でもお父さんとお母さんに頼んでも、今からじゃ無理だって言われちゃって。まあ、わがままを言いすぎなのは分かっているけどね。だから代わりにするのも失礼かもしれないけど、尊君の妹さんと仲良くしたいな。今日、家に遊びに行ったら駄目?」
ここまであからさまだと、いっそ清々しい。
最初に姫華に見とれていた男子も、彼女の腹黒さを感じていて、女子はやっぱり怖いと顔を引きつらせていた。
外見の可愛さに騙されていた男子に距離をとられていても、彼女は全く構わない。
尊を間近で見てしまった今では、他の男子なんてじゃがいも以下の存在にしか感じ取れなかった。
尊を手に入れられれば、この学校に他に価値などない。
そういうわけで、尊に対してだけあからさまに態度を変えて接していた。
先生は先生で、授業を真面目に聞いていない二人に気づいていたが、姫華からもたらされる金銭に目がくらんでいて使えそうもない。
女子は傍観しているだけの男子に呆れ、注意をしない先生に見切りをつけ、自分達の力で何とかしないと駄目だと考えた。
どう考えても、姫華の行動は目に余るものがあった。
席をくっつけて近づいたり、名前呼びをさせたり、それだって到底許されるものではない。
しかも彼女は、最大のタブーにも何も考えずに触れた。
当たり前だが、尊が丘の上のお屋敷に住んでいることはみんな知っている。
しかし知ってはいても、そこに行ったことがある人は一人もいなかった。
他の家族が怖くて、行けないわけではない。
誰が一番にその権利を得られるのか、牽制し合うだけで何もしてこなかったからだ。
だから尊という存在が現れてから数年の月日が経っているのに、彼と距離を全く縮められないままでいた。
それを数時間の短さで、どんどん近づいている姫華を羨ましい気持ちもあって妬んでいるのだ。
「美朝は人見知りだから……家は無理だけど、一緒に帰るぐらいだったらいいと思う」
そして何故か、彼女を拒否しない尊に対しても、嫌悪まではいかないが戸惑いの感情を抱いていた。
どうして、そんな子と楽しそうに話をしているのか。
別に誰とでも仲良くなれるのであれば、それは自分でも良かったのではないか。
ますます仲良くなっている二人の様子は、その周りの人達をどんどん落ち込ませていく。
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