第1章:第1節【獣と影は星と出会う】


 夕暮れ時。森の中の少し開けた場所。オレンジ色に世界が染まる中、そこからは真っ赤な煙が高くたなびいていた。赤い煙は広場の中心にある焚き火から昇っており、それを三人の男たちが思い思いの形で囲むように座っていた。彼らは無言のまま持っている武器を整備しており、着ている服も武器もそれぞれ違った。その全員がいかにも裏社会に所属しているような雰囲気を醸しだしていたが、彼らは皆、獰猛な表情というより何か不安げな表情を浮かべていた。


 そんな彼らをひっそりと監視するものたちがいた。

 赤い焚き火から少し離れた茂み。

 そこに一匹の獣と小さな人影が息を潜ませていた。


 「ねえ、ウィルム。どうする? 」

 「ルーチェ、とりあえずは様子見だ」


 ウィルムと呼ばれた獣は人ほどの大きさのある四足獣で、全身を銀色の毛に覆われていた。ふさふさとした尻尾とピンと尖った耳、そしてその青色の目には深い知性が宿っているように見えた。首元には蒼い綺麗な宝石のついた小さなペンダントが揺れている。その雄々しい姿はまさに狼に他ならなかった。

 

 ウィルムの横にいるルーチェと呼ばれたその人影は、まだ十歳にも満たない幼い子供だった。しかしその背中には透き通った黒く薄い昆虫のような翅が生えていた。

 白い肌にふわふわとした肩まで伸びた金髪、翡翠のような緑眼と愛らしく整った顔立ち。黒を基調とした白い刺繍の入ったドレスを着ており、その姿はまるでおとぎ話の妖精のようだった。


 「本当にあれが聖女なの? 」


 ルーチェの怪しむ声にウィルムは答えられなかった。二人の視線の先。焚き火を囲む男達の奥に一人の妙齢の女性が手足を鎖で繋がれた状態で座っていた。背が高く、縛られている為かその長い手足を窮屈そうにしており、時々もぞもぞと動いていた。

 その女性は夜の闇より深い黒色の修道服を身に纏っていた。サイズがあっていないのかそれとも元々そういう趣向の物なのかは分からないが、身体のラインを強調するようなデザインの修道服。

 扇情的である点を除けばいわゆるシスターのような格好だったが、縛られた手足と女性特有の起伏、被ったフードからこぼれている赤い髪――そして何よりフードから時折覗くその現実離れした美しい顔によって、その女性は禁忌にも似た色気を醸し出していた。


 「あの女性が聖女なのかは分からない……だが、修道服を着て一人で彷徨っている女がそう何人もいるとは思えない」

 「でもウィルムが追っている聖女が修道服を着ているかどうか分からないのでしょ? 」

 「それは、そうだが……」


 ウィルムは、自らの存在意義の為に、アヴィオールの娘エステルを探していた。そして、そのエステルが人間達の間で聖女と呼ばれる存在になっており、世界救済の旅に出ていると知った。

 必然的にウィルムはその聖女エステルを追い、旅に出た。ルーチェはその道中でたまたま出会い助けた結果、なぜかその聖女探しの旅に同行するようになった。


 しかし、ウィルムにはその聖女エステルがどういった人物で、どういった風貌なのかを、全く知らなかった。ただ、ウィルムの首に巻かれた蒼い小さなペンダントだけが手がかりだった。これが彼女との唯一の繋がりだと信じて。


 ウィルムは人語を理解していた為、聖女探しの手掛かりを得られるように旅先で出会った人間に声を掛けた。しかし人間は皆恐怖し、ウィルムを恐れて逃げるか、武器を振り上げるかの二択だった。

 

 そんなウィルムの苦労も、ルーチェのおかげでかなり減っていた。ルーチェは影妖精と呼ばれる種族で、光や影を操るという、他にない力を持っていた。彼女のおかげで影に潜み聞き耳を立てて、聖女の噂や目撃情報と言ったものを集められるようになった。


 「確かに、聖女っぽい見た目だけど…なんかもうちょっとこう、美少女? みたいなの想像してたけど普通に大人だね……」


 ルーチェは想像と違う、となぜかがっかりしていた。ウィルムもあの囚われの女が目的の聖女である確信は持てなかった。しかし地下から出て、ルーチェと出会い、数ヶ月旅をしてようやく見つけた聖女候補だ。このまま通り過ぎるわけにはいかなかったし、もしあれがエステルであれば、助けなければならない。それが、アヴィオールが願いだと、ウィルムは信じていた。


 「とりあえず、このまま様子を見て動きがあれば、助けよう」

 「まあ本人かどうかはその後確認すればいいしね。でもそのペンダントだけで分かるの? 」

 「分かる、はずだ」

 「それは不安だなあ」


 ウィルムとルーチェは、男達とその囚われの女性を静かに見つめていた。どうみても無理やり攫われてきた女性に乱暴者のような男達。いつ何が起きてもおかしくはなかった。

 何か起きればすぐに助けにいけるようにウィルムは慎重に機を伺っていた。




 

 焚き火から上がる赤い煙が揺れる。


 「おい……どうすんだよこれから」


 焚き火を囲む男のうち、斧を握っている男が小声で隣に座る男に声をかけた。それに対し、剣を研ぎながら隣の男は億劫そうに答えた。


 「どうするって言ってもな。依頼人から連絡があるはずだからそれを待たない事には」

 「いつ連絡はあるんだ?」

 「さてな。とにかく今日この場所で依頼者から貰った【ハツエントウ】とやらを使ったら、連絡か使いが来る手はずだ」

 「もう二時間以上経っているぞ? ……しかし気持ち悪いなこの赤い煙は。こんな物見たことねえ。なんでこんなもん持ってんだ依頼者は」

 

 斧を持つ男は焚き火に放り込んである、細長い円筒状の物を見つめていた。その円筒から赤い煙が噴出されており、焚き火の火の勢いで空高くへと舞い上がっている。


 「知るかよ。この【ハツエントウ】、多分【遺産】ではないにしてもかなりの高級品だぜ? そんな物を目印代わりにくれるような依頼主だ、あまり詮索しないほうが良い」

 「まあそれも含め、報酬が良いから受けた仕事だけどよ、なんか妙に嫌な予感がするのは俺だけか?」


 会話を無言で聞いていたもうひとりの男が眉をひそめ、手入れをしていたボーガンから目線を上げた。


 「捕まえる時もあの女全く抵抗もしなかったし…普通もっと嫌がるもんだろ? それに一瞬だけだが、縛っていた時笑っていたぜあの女」 


 斧を持った男が訝しげに鎖に囚われている女に視線をやった。剣を持った男もようやく砥石を手放し、心配する二人の男達の目線を苛立つような口調で遮った。


 「そんなに心配なら、手でも足でもぶった切ってこいよ。ただのシスターにビビりすぎだ。きっともうすぐ依頼人の方から接触してくるだろうから、あの女を引き渡して終いだ。それでしばらくは遊んで暮らせる金が手に入る」

 「でもよお……俺は根っからの女好きであの女はめちゃくちゃ美人だけどよ、なんかこう、違うんだよ……なんというかこう……薄皮一枚下に何か気味の悪い物が蠢いてそうで」

 「俺も同意する。この仕事は危うい」


 剣を持った男はこの三人の中でリーダー格だった。もう何度も合法な仕事も非合法な仕事もこの三人でやってきたが、確かに今回の仕事には何か裏を感じた。その多大な報酬に目を眩まされた事は否めない。

 しかし、一番危険な、女を攫うという仕事は終わったのだ。確かに薄気味悪い女だが、あとは引き渡すだけだ。

 

 だが、どれだけ待っても来るはずの連絡も使いも一向にこなかった。


 「これが終われば、人らしい生活ができる。もう少しの我慢だ」

 

 このご時世、良い生活をしたければ世界を牛耳る【十二氏族】の恩恵に預かるしかない。そうでなければ、野蛮人と同じような暮らしが待っているのだ。

 依頼人からは、女は生きて引き渡せと言われた。つまり生きていれば多少傷があろうとも構わないのだろう。男は研ぎ終わった剣を掴み、立ち上がった。それはただの、憂さ晴らしに過ぎない行為だった。


 「あの女の足の腱を切れば、お前らも安心だろ」

 「おい、やめとけ! 」


 男は二人の静止を聞かず、剣を片手に女へと向かった。

 なぜか、女に近づくたびに動悸が激しくなっていく。くそ、なんでこんな女に俺は動揺している? 男は気付いていないが、無意識のうちにその背中にかかる強烈な圧力を感じていた。女は座って俯いたままだったが近づけば近づくほど、嫌な汗が全身から吹き出ていた。男は額から落ちる汗を拭い、不安を、恐怖を圧し殺すようにぐっと表情を固めた


 「万が一お前が逃げる事がないように足の腱を切る。暴れたら殺す! 分かったな! 」


 男は囚われの女にそう告げると、その剣を女の足に当てた。

 一瞬、女が顔を上げたが、フードで顔が隠れている為女の表情は見えなかった。

 しかしそれ以降、女に抵抗する素振りはなかった。

 


 ☆



 男達の様子が変わった事に気付いたウィルムは、男達に気付かれないように茂みから出た。

 その時、囚われの女から一瞬視線を感じた。どうやら女はこちらに気付いたようだった。

 しまった、と思うもここで騒がれては男達に気付かれてしまう。


 「ルーチェ、耳を塞ぐんだ。少しうるさいかもしれないが我慢してくれ」

 「分かった! 」


 ウィルムは横目でルーチェがしゃがみ込み、しっかりと両手で耳を塞いだのを確認する。

 ウィルムは口を開き、腹に力を入れ、息を大きく吸い込んだ。

 そして、喉を震わせ一気に息と共に咆哮。

 

 指向性を持たせ前方へと放たれた咆哮は、高周波となり衝撃波と共に三人の男を襲った。前方一帯の木が軋み、震えるほどの音の波に男達は耳から血を流しながら倒れ、ウィルムの予定通り全員が気絶した。

 ウィルムは男達に特に思う事はなく、別に殺しても構わないとまで思っていた。しかし、無駄な殺生は無駄なトラブルを生む事も知っていた。殺さずに済むならそれに越したことはない。それに、ルーチェが嫌がるだろうし、と取って付けたような理由もあった。


 「もう大丈夫だルーチェ。さあ彼女を助け出してここから離れよう」


 ウィルムとルーチェが囚われの女へと向かった。男達は気絶しているものの、命に別状はなさそうだった。


 「ウィルム……殺したの? 」

 「気絶させただけだ」 


 ウィルムは不安そうなルーチェを安心させるように言うと、視線を目の前の女へと向けた。

 女は倒れていたが、気絶しておらずこちらの様子を伺っているのが分かった。

 ウィルムが少しだけ警戒心を強めた。

 おかしい。なぜ咆哮を受けて気絶していない? 耳を塞いでいたように見えないし、被っているフードにそこまでの遮音性があるとは思えなかった。


 「なぜ気絶していない? 」


 ウィルムはそう気絶しているフリをしている女に声をかけた。びくりと動いた女は器用に手足を鎖で繋がれたままむくりと起き上がると数秒ほど考えたのち、フードを外し、耳に手を当てた。


 「実は、耳が遠くてね……」

 「聞こえてるよね、それ」


 あからさまな嘘だったが、流石にルーチェも気付いたのかすぐに反論。

 バレたか、と顔に浮かべたその女は再び考え込んだあと、なんともわざとらしい物乞いのような姿勢になり、詐欺師のような笑みを浮かべた。

 

 「いやあ助かりました!危うく腱を切られるところでした!お礼になんでもしましょう! 」

 「……」

 「……」


 呆れて何も言えないとはまさにこの事だった。ウィルムとルーチェは同時にため息をついた。どうみても、これは聖女ではない。しかし、一応。そう一応、念の為ウィルムは聞いておく事にした。


 「貴女が、聖女エステルか? 」

 「……へ?聖女?あたしが? 」


 女の頭上をしばらく疑問符が飛び回り、改めて自らの格好を見直した。そして、


 「あははははははははははははは! あーお腹痛い! いや、そりゃあそういう格好だけど、あたしが聖女て! あははははははははは」


 腹を抱えて笑ったのだった。

 その様子を見てウィルムとルーチェはお互いを見つめあって、徒労感を共有したのだった。間違ってもこの女は聖女ではないという確信を得ながら。


 「いやあ……良い土産話ができそうだよ……ああひさしぶりにこんなに笑った……感謝するよ」


 女は涙を拭きながら、鎖で繋がれている両手を差し出した。どうやら握手のつもりのようだが、ウィルムもルーチェも怪しむような目線でその手を見つめるだけだった。女はひょいと肩をすくめると手を引っ込めた。


 「ああお腹痛い。とりあえずあれだね、詳しい話については場所を変えようか。この三馬鹿はしばらくは起きなさそうだけど、このままこの辺りにいて面倒だ」


 ウィルムはさてどうしようかと考えていた。この女がエステルで無い以上、用はない。


 「どうやら人違いのようだった。助けた事への感謝なら必要ない。それでは達者で」


 そうウィルムが告げると、踵を返した。ルーチェが良いの? と聞くもウィルムは答えず、女を置いて森の中へと歩き出す。


 「いやいやいやちょい待ってよ、待ってくださいよ! こんなか弱い縛られた女性をこんな森の中に放っていく普通!? 」


 ウィルムとルーチェの後方から女の声と、金属が千切れるような音が聞こえた。すぐさま追いついた女の手足には既に鎖はなく、その顔には焦りや恐怖ではなく好奇心が浮かんでいた。


 「このまま南西に行けば小さな村がある。正気を保った人間の村だ。そこまで行けば安全だろう」


 ウィルムがにべもなく答えた


 「知ってるよそっから来たんだから。まあそこが今安全かどうかは微妙だけど。君達二人はどこいくの? あたしの名推理によると、ずばり聖女を探しているんでしょ? 」

 「さっきのやりとりすれば分かるでしょそんな事。でも当てが外れた以上これからどうする?この怪しい女の人もこんな暗い森の中一人じゃあ危ないよ? 」

 「うわ、ルーチェちゃん優しい……天使か? 天使なのか? ほら、ウィルムも見習ってもう少しあたしを心配しろ。あと全然怪しくないから」

 「ルーチェちゃん言うな! なんで名前知ってるのよ? 」

 「おそらく、私との会話を聞いていたんだろ。男達に捕まり、足を切られそうになってもそんな事をする余裕があるのだ、こんな森も平気だろう。それに鎖が取れている。どうやったかは知らないがどうせいつでも逃げられたのだろうさ」

 「おお、その冷静でクールな指摘、良いねえ。ウィルムは純粋な狼? 絶滅したって聞いたけどまだいたんだね。他に仲間は? 一人だけ? いや一匹? 」

 「ルーチェ、乗れ」


 女を無視して進もうとするウィルムとルーチェだったが女はしつこく、付いてきた。業を煮やしたウィルムがルーチェを背に乗せ、歩きから疾走へと変えようとした。

 女は諦めて立ち止まり、口を開いた。


 「じゃあ最後に一つだけ。、どこで手に入れた? 」


 女の問いかけに対し、ウィルムは何も答えなかったが、疾走しようと踏み出したその足をピタリと止めていた。


 「ウィルム? 」


 ルーチェへと答えず、ウィルムは無言で女へと振り返った。女の表情にはこれまでになかった表情が浮かんでいた。


 「貴女は、これの何を知っている? 」

 「色々とね。さて、話を戻そうか。この辺りにいたら色々と面倒に巻き込まれる。あたしはまあ平気だし、君達二人もまあ大丈夫かもしれないが、ゆっくりと話ができないことには変わらない。場所を移そう。なに、あたしはこの辺りは詳しいし、何より聖女の行き先にちょいとアテがある」


 女はすぐにおどけた調子に戻ったが、ウィルムには確信があった。この女、エステルについて何か知っていると。


 「分かった。案内してくれ。そして聖女について知っている事を話して欲しい」

 「その代わり、そっちの事情も教えてね。勘だけど、君達、とても面白い事の中心に近付いている気がするよ。今はまだ凪だけど、もうすぐ激流になる」

 「私達は、ただ、聖女を追っているだけだ」

 「そう。追っているだけ。それだけならこの星で何万人もいるだろうねえ。でも君達は違う。あたしにはそれが分かる」

 「貴女が何を知っているか分からないが、こちらから教えられる事はあまりない」

 「聞ける事聞けたらそれでいいさ。あたしにはそれで十分だ」

 「……私はウィルムだ。こっちがルーチェ。名があるなら名乗ってほしい」

 「あたしは、そうだね、んー、エイルとでも呼んでくれ」

 「分かった。エイル。道案内を頼めるか? 」

 「ウィルム……本当に大丈夫なの? 」


 ルーチェの心配をよそに、ウィルムはエイルに付いていくようだった。どう見ても怪しい女だし、言ってる事も胡散臭い。ルーチェはとりあえず警戒心を最大限に持っておこうと決意した。


 「大丈夫だ。それにこの辺り、だんだん嫌な臭いが漂いはじめている。長居はしないほうが良さそうだ」

 「その通り。急いだ方が良いよ」


 そう言うと、エイルと名乗った女ははくるりと背を向けた。エイルの胸まで届く、くせっ毛の強い朱髪がなびく。ウィルムはルーチェを乗せたまま、その横を無言で歩いた。会話はなかったが、三者がそれぞれ今までの事、今起こった事、そしてこれから起きる事に思いを馳せていた。

 


 この出会いが、この星の八度目の滅びへと続く事は、この時まだ誰も知らなかった。

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