獣と聖女のルインスター
虎戸リア
序章
地下深くの遺跡。
旧文明の名残だろうか、今は深い深い地脈の底にあるとされている栄華極まりし時代の遺構。今では再現不可能な構造や製法によって作られた、巨大都市。滑らかな材質で出来た曲面のみで構成された建築物。道には精密な機構によって組み上がっていた金属の残骸がそこかしこに散らばっていた。
その巨大都市の最深に一つの祭壇があった。
祭壇の白い壁と床、そして天井には無数の回路が刻まれており、まるで水のような淡い光が走る。
その青白い光が規則正しく行き交う様はまるで星空のようだった。
そんな星空を私は飽きることなく見つめていた。
私に一人の女性が力無く寄りかかるように座っていた。
栗色の髪に、青い瞳。顔は傷だらけで、身体中が土と乾いた血で汚れていた。
彼女の名はアヴィオール。この遺跡から人がいなくなって千年と少し。無人となったこの遺跡に初めて現れたのが彼女だった。
彼女は衰弱しており、息も少しずつ小さくなっていた。
「ははは……最初お前さんを見た時は、気持ち悪い芋虫だな、なんて思ったが、座ってみると悪くない」
「私に座ろうと思ったのは多分貴女が初めてだろう」
「神に腰掛けるなんて不敬も良いとこだろうしな」
「神……か」
私は、気付けばこの遺跡の祭壇に祀られており、神として人間達に信仰されていた。
それ以前の記憶はなく、そもそもそんな物があったかどうかも定かではなかった。
私は永い時を過ごした。変化のない日々だったが、いつの間にか私に祈りを捧げる人間達がいなくなっていた。そして、また永い時が過ぎ、現れたのが血塗れで今にも死にそうな彼女だった。
彼女は最初私を見て警戒したが、やがて私が無害だと知ると私達は会話をするようになった。
そんな事は永い事生きていて初めてだった。
いや、その瞬間にこそ、私は産まれたのかもしれない。
「ある意味、幸せかもな。神と崇められ、何も知らず一生を過ごすってのは」
「私にはそれが幸せなのか分からない」
「だろうね」
アヴィオールの声が徐々に小さくなっていく。
「アヴィオール。死ぬのか」
「ああ、死ぬ。あたしにしちゃあ上等過ぎる人生だったが、最後に悔いが残った」
「悔い?」
「最後の最後で、自分の娘を救えなかった。挙げ句こんな終着点だ」
乾いた笑いが小さく響いた。
「娘は死んだのか?」
「生きている、多分ね。いやもう死んだも同然だろうが」
「助けられないのか?」
「流石にもう無理だ。もはや立つ事すら出来ない」
「……私に何か出来る事はあるのだろうか」
私に祈りを捧げた者はたくさんいた。私に様々な事を願う者もいた。
だが、私の話を聞いてくれたのは彼女が初めてだった。
「……そうだな、ははっ、もし、もしあたしが死んで生まれ変われるのなら、狼になりたい。そして娘を、エステルを、なんとかあの闇の淵から助けてやりたい」
「人に生まれ変わるのではなく?」
「そう。神を殺すには人では荷が重すぎる」
「それが、願いなのか」
「神に抗うんだ。それを叶えるのもまた神様だろ? 」
「私に、その願いを叶える力があるとは思えないが」
「いいんだよ。願掛けなんてのはそんなもんだ。ああ、そうだ、神様には捧げ物がいるな……この命だけじゃあ足らない願いだ。これも」
彼女は、ゆっくりとした動きで、自らの首に付けていたペンダントを外した。蒼い綺麗な宝石の埋まったペンダント。それを彼女は私の上に置いた。
「これは? 」
「これだけが、娘との繋がりなんだ。だから、お前さんに捧げよう」
私は、空っぽの卵だった。何を目的に生きているわけでもなく、何がしたいわけでもなく、産まれもせず、ただ存在するだけだった。
そんな私に染み入るようにアヴィオールの願いが少しずつ私の殻の中を満たしいく。
「…アヴィオール」
「何?」
「名前を付けて欲しい。私の名前を、決めて欲しい」
「それもまた捧げ物か……神を名付けるなんて恐れ多いな。なら……【ウィルム】。かつて平原を駆けた気高き狼王の名だ」
「【ウィルム】か……良い名だ。とても気に入った」
私の殻が満ちる。
「はは…お安い御用さ…」
「もう死ぬのか?」
「少しだけ…眠る…」
「そうか」
「おやすみウィルム」
「おやすみアヴィオール」
それが、私とアヴィオールの最後の会話だった。
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