第四十八話 窮地

(遠隔符術……! つくづく当てになんない情報だったわね!)


 愛瀬は痛みに顔を歪めながら、燃え上がってくる火を水行符で消した。


 遠隔符術とは土地に流れる地脈を利用して、離れた場所で術を発動させる符術の高等技能である。

 符術が得意なものならばそれほど苦もなく習得できる技なのだが、大黒は結界術以外は平凡の域を出ない術者だ。

 協会からの報告にもそう書かれており、だからこそ愛瀬はそこを警戒していなかった。


 だが、この山に限っては話は別だった。 

 どんな相手とも戦えるように準備してきたこの戦場のことなら、大黒は全て理解している。

 本来ならば使えない遠隔符術も、地脈の流れを完璧に理解しており同じ場所で何度も術を流す練習をしたここでなら使うことが出来るようになった。


 しかしそこまでしてやっと発動した術も、愛瀬に決定的な隙を作らせることは出来なかった。


 鵺の出現時と同じ失敗は繰り返さないように、愛瀬は燃える足を一瞥もせず大黒の挙動を見張っていた。足に重度の火傷を負ったにも関わらず、庇う素振りすら見せなかった。

 遠隔符術を起点に愛瀬を倒そうと思っていた大黒にとってそれは誤算だったが、代わりに愛瀬以上に動揺している人物がいた。


「粧! 足……! そんな……嘘……!」

「馬鹿っ……! こっち来ちゃ駄目……」


 七草は愛瀬の傷を見て酷く狼狽し、形振り構わず愛瀬に駆け寄った。

 愛瀬は手を広げて七草を静止しようとするが、愛瀬の足にしか目が行っていない七草には効果がなかった。


(しめたっ!)


 七草と同様に愛瀬に近付いていた大黒にとって、七草の行動は幸運という他なかった。

 

「しっ……!」

「!!」


 大黒は左足を軸にして七草の後頭部に向けて後ろ回し蹴りを放つ。

 愛瀬のことしか頭になかった七草は、大黒の蹴りをまともに食らってしまいその場に音を立てて倒れ込んだ。

 

(完全に入った……! 少なくとも意識は飛んでるはず! これで後は二人だけ……っ!?)


 起き上がる気配のない七草から意識を外し、次の攻撃に移ろうとした大黒の腹部に刺すような痛みが走った。

 何事かと思い視線を下に向けると、いつの間に投げられていたのか黒塗りのナイフが刺さっていた。


「つぁっ……!」

「さっきまであんなに夢中だったのにいきなり無視するなんて酷いじゃない。そんな浮気症な男は刺されてもしょうがないわよねぇ」


 愛瀬はナイフを数本手に持ちながら大黒をめつける。


「はっ! 心配してくれる味方を放ってこっちに攻撃してくる女なんてこっちから願い下げだよっ」

「ふぅん……、お腹に穴開いてるのに随分と余裕があるのね。でも、そろそろ後ろくらい見た方がいいんじゃない?」

「!」


 愛瀬の言葉に促されるように大黒はバッと後ろを振り向く。

 そしてすぐ後ろにいたのは、今度こそ霊力を込めた拳で殴りかかってきていた三鬼と何故か未だに動いている数体の式紙達だった。


(なんで……!? 術者はあの黒服のはずじゃ……!)


 想定していなかった多数からの攻撃に大黒は結界で防御することも出来ず、三鬼の拳で殴り飛ばされた。


「がははは! やっと攻撃が届いたな!」

「ちょっと、あんたちゃんと手加減した? 生け捕りにするって話だったでしょ」

「大丈夫であろうよ。頭に当たれば危うかったが、口惜しいことにギリギリの所で腕を入れられた」

「それでも人を殺しかねないのがあんたでしょ。ま、九尾と手を組んであれこれやろうって奴だし、ある程度以上に頑丈なことを祈りましょ」


 二人は既に戦いが終わったかのように気を抜いて立ち話をする。

 

 それも今の大黒の姿を見れば無理からぬ事だった。

 三鬼の拳を受けた大黒は数十メートルは地面を転がり、転がった先にあった木にぶつかってそのまま沈黙した。

 気絶こそしていないものの腕の骨が粉砕され、体中打撲と擦り傷だらけとなった大黒は立ち上がることすら出来ず横たわったままだった。


(馬鹿げた威力……、下手したら酒天童子と同レベルか? それにあの式紙、術者が気絶しても動いてるってことは操作じゃなくて自動か……。あんな数の式紙を自動操縦なんて聞いたこと無いけど、目の前でやられたら受け入れるしかない。全く……、こんな奴らがいるんなら案外陰陽師の未来も明るいだろ)


 大黒は木を支えにして何とか体を起こす。


「はっ……、は、ぁ……っ」


 だが、息も絶え絶えで目も虚ろになっている大黒は誰が見ても戦える体では無い。

 その上、大黒に近付いてくる愛瀬と三鬼の所にさらに二つの影が合流した。


「おーっす。そっちは終わったか?」

「あら? そっちこそもう終わったの? そろそろ手伝いに行こうかと思ってたのに」

「あー、案外見かけ倒しっつーか伝説倒しっつーか。俺一人でも倒せる相手だったな」

「嘘つくなよ。俺の助けがなかったら死んでただろ? 鵺を倒したのは一重にこの俺のおかげだって。どうだい粧、ご褒美にこの後ホテルでも」

「はー……、二人ともボロボロなくせに何言ってんだか。そっちだけで片付けてくれたのはありがたいけどね」


 二つの影、淵瀬と網倉の二人は所々深い傷を負っていながらも談笑できるくらいには余裕があり、そのどちらか一人でも今の大黒が敵う相手ではなかった。


(鵺もやられたか……。まさか二人相手にやられるなんて思ってもみなかった。…………もう、切り札はない。でもまだ死ぬわけにもいかない。どうにかあいつらから逃げ切らないと……)


 大黒はなんとかここから脱出できないか、と靄のかかった頭で考える。

 しかし、妙案が思いつく前に四人と七草が残した式紙達(内の一体は気絶した七草を抱き抱えている)が大黒の前にたどり着いてしまった。

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