第16話 仙人たちの上空劇

「皇子という点が気に食わぬが、あの兄弟とならばまあ何事もなかろう。護られるまでもなく阿風も何だかんだで強いしの」


 やや時は戻るが、当初は孫娘の予期せぬ同行者に頭に血が上ってしまった楊叡も、接してみれば肖兄弟への印象は悪くなかった。

 だから先に退席する事に不安を覚えなかったとも言える。とはいえ心配してやって来たものの結局言ってしまえば人任せにして孫娘を置いてきた事へ、僅かながら後ろめたさを感じてはいた。

 現在彼は夜の皇都上空を飛翔している。

 ほぼ半分が欠けた歪な月の下、彼の耳に何かが風を切って近付いて来る音が届いた。


「やはり来おった……!」


 毒づいた刹那、


「おーひーさーしーぶーりーでーすー!」


 声が、飛んできた。

 振り返らなくとも誰だかわかる。この声は……あいつだ、と楊叡はじわりと全身に冷や汗を滲ませた。

 妓楼に気配が現れたから逃げたのに、わざわざ自分を追いかけてきたに違いなかった。

 声だけを聞くと昔のままだが、その口調や語尾の上下には別人感しかない。仮に振り返ればダイレクトに視覚が姿を捉え、誰コレ感が半端ないはずだ。仙人の目は時に暗視も出来る。故に見てしまうと精神が無駄に疲れるので、楊叡は全力で無視をこいた。

 しかし、相手は彼の飛翔速度よりも断然速かった。


「お待ち下さい! 何故どうしていつも逃げるんですかー!? この愚臣めに何か至らない点があるからですかー!?」

「そなたは元来わしの臣下ではない。父の臣下だ!」

「いいえ、本当なら代を跨いでお仕えする所存でありましたので、そこは譲れません!」

「面倒な所存だの。ならハッキリと言う、関わりたくないからさっさとね!」

「えーッ嫌ですよ!」

「ではそんなに主従ごっこをしたいのならさせてやろう。即刻帰れ、これは主命だ――山憂炎!」


 楊叡の後ろを追って来たのは一振りの剣と、それに乗り長髪を靡かせる青年だ。

 稀に仙人専用の剣――仙剣に乗って飛ぶ者がいる。

 その技は剣の扱いに長けていて且つ破格なバランス感覚が必要で、余程才能がなければ仙人と言えども行使はできない。

 今は朝廷で文官の真似事をしているが元は武官だからなのか、楊叡同様仙人になった男、山憂炎にはそれが出来た。


「その言い方は酷くないですか、そもそもこの扱いって何でですかーーーーっ!」

「そなたが怖いくらいに変わり過ぎてて受け入れられぬからだーーーーっ!!」

「そんなーーーーっ!」


 楊叡は、武人として数々の戦功を立てていた無情で苛烈なまでの猛将山憂炎しか知らない。

 だから再会した時は本気で誰だかわからなかった。

 確か見知らぬ優男と思っていた相手から、いきなり泣かれ抱き付かれて仰天し蹴飛ばした気がする。

 そして名乗られて愕然としたものだった。

 もさもさしていた口回りの髭が一本もなく、鋭い三白眼でもなし、加えて隆々していた筋肉どこ行ったと叫びたくなるほどに体の線も細くなっていた。若い頃の姿も取れる仙人だが、彼の場合別人の体を乗っ取ったに違いないと本気で思った楊叡だ。

 山憂炎は風圧の中器用に扇子を広げた。


 日替わりで違う扇子を手にしているのは彼のスタイルだが、今は達筆に「太子愛」と書かれた物を手にしている。


 結局はちらっと振り返った楊叡は、気付いて実に嫌そうにそのでかでかと書かれた三文字を見た。


「僕はこんなに大好きなのに酷いですよおーっ、――太子殿下~っ!」

「そう呼ぶでないっ」


 山憂炎は難なく楊叡の横に並ぶと片手で横髪を押さえ流し目を送ってきた。

 巷の女性たちならいざ知らず、妻一筋の男にはもちろんちっとも効果はない。

 そんな事は本人も全く気にしていないのか、彼は楊叡の顔を見やって嬉しそうに扇子を口元に当てた。


「お変わりなきようで何よりです」


 楊叡は飛翔続行のままうんざりした吐息を漏らす。


「もうわしは仙人の身、人間だった頃の諸々とは無縁なのだ。つまりそなたとも、な」

「ふふふ気の迷いですよ、太子殿下」

「ならばそなたは血迷っているのか? 仮にも現在の朝廷に仕える者が分別もなく、現王朝以外の者を太子だなんだと呼ぶでない」


 再会時は仮にも人間時代自分の倍は歳上で父からの信頼も厚かった男を足蹴にしたのだ。

 自分の方こそ礼節も分別もへったくれもなかったのはなかった事にした楊叡が厳しく言えば、山憂炎は破顔一笑した。


「誰が何と言おうと、僕は永遠に太子殿下の一番の臣下です!」


 山憂炎は扇子の面をこれ見よがしに楊叡に見せつけた。


 太子愛……。


(ここまでされると怖いッ!)


 楊叡の慄きも知らない相手はどこかドヤ顔だ。

 山憂炎は戦場で鬼神とまで言われた厳めしい姿が嘘のように、平時は自分を猫可愛がる男だった。

 だから甘やかされるようで余計に苦手なのだ。


「はあ、もう執拗に追いかけてくるでない。わしに会いたい時は山の上まで来い。そなたは白家の包子を贔屓ひいきにしてくれているようなので、そこだけは感謝している」


 それまで得意げにしていた山憂炎はぎくりとした。

 以前肖子偉に包子をあげ、それがきっかけで出前に繋がった事がバレたら「これ絶対にまずい!」と思ったが故に。

 もしかしたらいつか肖子偉から雷浩然、雷浩然から白家そして果ては楊叡に繋がったらいいな~……という、アホみたいな楽観的打算があった。しかしそれがまさか実現すると彼も本気で思っていたわけではない。故にこの事は墓まで持っていこうと決めた。


「わ、わかりました。ありがとうございます!」


 ともかく最高の言質は得られた。今夜はもう彼は心の主君を追いかけなかった。





 所は戻って、皇都金安のとある妓楼内。

 凛風は大きな鏡の前で右に左に体を捻りつつ、自分の全身を眺めて感心の唸りを上げていた。


「おー、馬子にも衣装ですねこれ」

「うふふ何を言ってるのよ。あぁ~ん女の子だったってわかっても揺るぎなくいいわあなたって!」


 今度は鏡面に近付いたり離れたりする凛風は、最早曹依依の涎塗れの称賛を半分も聞いていない。

 曹依依には頼み事をするに当たって性別を告げていた。

 そう誠実に向き合わなければ、頼みを聞き入れてもらえないと思ったからだ。

 とある客たちの足止めと、更には凛風自らで彼らの相手をしたいという無理なお願いをしていたのだ。

 理由は半分だけ正直に打ち開けた。


 ――その客の同席者がどこかの妓女へと狼藉ろうぜきを働き、それを他者になすりつけている。偶然廊下で立ち聞いてしまったのだが自分は放置できない質で、その真相をもっと詳しく知りたい。


 そう訴えたのだ。

 同じ妓女の事件だったからか曹依依には一考の余地を与えたようだが、まあ最終的に協力してくれたのは、常連客肖子豪の知り合いだからというのが大きいだろう。

 慣れないひらひらの多い装束への着替えを手伝ってくれながら、曹依依は肖子豪の本来の身分を知っているとこっそりと明かしてくれたのだ。


「雷様、二人には本当に内緒で良かったの?」

「はい」

「でも、潜入捜査みたいな真似は危険じゃない? 相手は男なんだし」

「多少の荒事には心得もありますから心配無用ですよ」

「そう?」

「正直巧く会話を誘導できるかはわからないですけど、犯人の素性だけでもわかれば大きな一歩なんです。最低でも顔は拝みたいと思っています」


 仕上げに鏡の中の美しい少女の髪にかんざしを挿してやりながら、曹依依は心配そうに顔を曇らせた。


「私も同席するけど、変な事されそうになったら本当に迷わず逃げるのよ?」

「そこは大丈夫ですって。自分、鍛えてますから!」

「……あのね、慣れない服だと冗談抜きで動きづらいわよ。特に露出やひらひらの多いこの手の服は」

「あはは大丈夫ですって」


 お気楽にそう言って笑う少女に曹依依は余計に不安そうにする。彼女を頂くなら自分が!とか思って先を越される心配をしているわけではない。……いや一割くらいは思っていた。


「そろそろ行きましょうか、雷様……いいえ凛凛」

「はい、依依姉さん」


 敵の部屋へと依依の妹分、新人妓女凛凛として赴くのだ。

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