第8話 深まる疑問

 善は急げとばかりに早速翌日、凛風は昼時を過ぎての店の休憩時間を利用して、肖子偉の噂の中でも比較的話を聞き出し易そうなものを選び、その出所と思しき地に赴いていた。

 幸い地元緑安にある装具店が噂の舞台の一つだった。

 いつもよりは着飾ったどこかの公子風に男装した凛風が店内に入って掛け軸の台紙を眺めていると、先客の相手を終えた店主が近寄ってきた。


「いらっしゃいませ、本日はどのような物をお探しで?」


 頭に白いものが見え始めた年の功か接客に手馴れた様子の男性へと、店に飾る書画の台紙をついでに買って行こうと思い付き見繕ってもらった。


「ところで店主、第二皇子との噂を聞きましたが、代金踏み倒しだなんて大変でしたね」


 店主が品物を包んでくれている間、傍の棚を何気なく眺めながら話を切り出せば、人の好さそうな店主は困ったようにしながらどこか曖昧な苦笑を浮かべた。被害者が浮かべるのに、その笑みを少し怪訝に思う。


「ああこれはどうも、お気遣いありがとうございます。まあ、あの時は運が悪かったと思ってなるべく気にしないようにはしております」

「それが良いと思いますよ。しかし一つだけ話を聞かせてくれませんか?」

「構いません、何でしょう?」


 凛風は内緒話でもするように店主の方に身を寄せた。


「第二皇子はどんな方でした? 何しろ皇上は皇子方の肖像を宮中から出さないでしょう。ですからちょっとした好奇心が湧きまして」


 意図したわけではなかったが少し質の良い品を購入したおかげか、気前よく金を落としていく客を悪くは捉えなかったようで、店主は納得したように頷いた。気ままで噂好きなどこぞの若様とでも思ってくれていれば都合もいい。


「……それがですね、実を言いますと、手前は殿下のお姿を実際に目にしたわけではないのです。店に買い付けに来た方は彼の代理だと言う中年の男性でした。雰囲気からして、雑用をこなす下男なのかもしれません」

「代理……」


 店主は徐に話を始めたが、その表情は困惑を思い出すかのようだった。小さく何かが引っ掛かっていた凛風の心の中で益々疑問が膨れ上がったが、口を挟まず聞いていくと彼は作業の手を止めどこか憂うような面持ちになる。

 そこには罪悪感のようなものが滲んでいたが、店主はややあって口ごもるように逡巡するも結局は口を開いた。


「それに実を言いますと、踏み倒されたと思っていた代金は、後日きちんと支払われました」

「え……?」

「その間は確かに踏み倒しではあったんですよ。けれども慰謝料まで上乗せされていましてね。こっちもびっくりしましたよ。ですが……既に噂は広まり不動のもののようになってしまって、今更私一人がその都度訂正した所で最早どうなるでもなく……。まるで濡れ衣を着せたようで心苦しい思いでおります」


 嘆息を落とす店主の男性を前に、その結末には凛風もさすがに驚いていた。

 同時に、微かに引っ掛かっていた違和感の正体もわかった。彼は彼の言い分を信じるならば完全な被害者ではなくなった。故にこそ皆から同情されて後ろめたく感じているのだろう。


 そんなある意味気の毒な店主を労い商品を受け取って店を出た凛風は、不可解さを感じずにはいられなかった。


 ここで話を聞くまでは、もう少し日を開けて余裕を持って調査しようと思っていたのだが、気が変わった。


「明日また別の所に話を聞きに行ってみるしかないか」


 この店だけ特例なのか他にも似たようなケースがあるのか。

 どちらにせよ、今回は踏み倒した後日に罪悪感を覚えて支払った線も消せないが、第二皇子を救いたい誰かが陰ながらフォローを入れたという可能性もある。

 それとも或いは、もっと別の意図があったのか……。


「って、今ここでどんなに考え込んでも答えなんてわからないよね」


 かぶりを振って無駄な思索は追い出して、すれ違う街娘からの熱い視線をいつもの如く素で受け流しながら、凛風は賑わう通りを帰るのだった。

 それから連日調べてみてわかったのは、踏み倒しを含めた事件では単に噂に便乗しただけの件と、わざわざ第二皇子の名前が印象に残るようにしていた件とに分かれた。

 とある喧嘩の件では、怪我を負わされた当事者が喧嘩相手に別の者を挙げたのでその相手に話を聞きに行けば、何故か逆ギレされいきなり殴りかかって来られたのだが、反撃してフルボッコにしたらあっさり自分が犯人だと白状した。

 どうして嘘をついたのか問い質せば、軽微な罪であれば第二皇子の名を出せば捕まらないと、妓楼ぎろうで金持ちらしき酔客に教えてもらったからだという。


 ――どこの妓楼で?


 悪党相手にいつもの如く容赦ない凛風が凄めば、その男は声を震わせた。


 ――こここ皇都のだ。そこの妓楼だ! だが酒に酔ってたし色々と回ったんでどこかまでははっきり覚えてねえ。


 男の様子は演技ではなさそうだったので、喋った内容にも偽りはなさそうだった。


「皇都の妓楼、か……」


 どんな場所かはわかる。

 出入りする客はほとんどが男性だ。

 凛風も男装しているとよく客引きされる。

 美しい女性たちを侍らせ接待にも使われる場所、妓楼。


「色々と聞き込みしてわかったけど、案の定、子偉殿下が単独で全部やらかしたわけじゃなかったんだよね」


 そこを踏まえて、凛風の中ではある疑問が大きくなっている。


 ――第二皇子肖子偉は果たして、巷に流れる彼の噂の一つでも本当にやらかしていたのか?


「だって本当に悪人には見えないんだよね」


 全てが冤罪だったなら只事ではないだろう。


「彼は大事なお客さん……いやもう勝手に友人だと思ってるけど、そんな彼に降りかかる火の粉は何とか振り払ってあげたい。お節介かもしれないけど」


 しかしながら自分には、地道に一つ一つの噂が誰によるものなのかを探るくらいしか出来ない。店もあるので時間だって限られている。長時間の遠出は無理そうだ。


「――もどかしいな」

「凛風ったらなぁに? さっきからぶつくさ独り言言って」

「あ、ええと何でもない」

「そう?」


 その日もできる範囲での噂の調査を済ませ店に戻った凛風は、厨房で夜の仕込みをしている間も考え続けていたので、うっかり声に出してしまったらしい。


「ああそうそう凛風、お祖父ちゃんが明日いつもの出前をよろしくだって。まったくまた獣系の使い魔を寄越したのよ。いくら神聖だっていう白虎でも、虎は虎でしょう? 店の前に降り立たれるとお客が怖がるからせめて鳥系にしてくれないと」

「あー……それは怖がられるよねー」


 やや憤慨して業務伝達をくれた母親だが、神獣だろうと瑞獣だろうと彼女にしてみれば見世物小屋の珍獣と大差ない。お行儀の良い祖父の使役獣を思い浮かべ、不在の間に起きた騒ぎを想像して、どちらかと言えば祖父に同情を覚えた凛風だった。


「まあ明日行ったら私からも一言言っておくよ」

「そう? お願いね?」


 了解する凛風は、明日は雪露宮の方もあるので昼に夜にと忙しい一日になると思えば、今夜は早く寝ようと決めた。





「ほらほら殿下、いつもこんな湿気った部屋で読書をしているとカビが生えますよ」

「じゃあ書物を天日干しすればいいと思う……明日にでも」

「いいえ、カビが生えるのは殿下にです」

「私に……。カビで姿が隠せるだろうか」

「布以外を身に纏うような事はやめて下さいね。頼みますから。それにカビだなんて凛風には禁忌にも等しいですよ。包子の出前に来てくれなくなっても知りませんからね」

「……絶対に生やさないようにする」

「まあとにかくほらほら出た出た。掃除が出来ないでしょう」


 雪露宮の埃臭い部屋の中から世話役の雷浩然に叩き出された肖子偉と入れ替わるように、今日だけここに派遣された下働きたちが部屋に入って早速掃除を開始する。皇子の暮らす宮ともなれば雑用をこなす側仕えが大勢いてもおかしくないのだが、肖子偉自身が人を置くのを嫌ったので、外の厨房から料理が運ばれてくる時以外いつもここは雷浩然と二人だけだ。

 宮の中にも厨房はあったが、使うのは雷浩然が湯を沸かすくらいだった。

 定期清掃で久々に多数の人の気配で賑わって、この離宮もかつての華やぎを思い出しただろうか。

 箒で掃き出される埃のように陽の当たる回廊に出されてしまった肖子偉は、通った鼻筋の頭にしわを寄せてぎゅっと目を瞑った。


「うう、眩しい……」

「すぐに慣れますよ。ほらほら止まらないで下さい」


 布を被ろうとすれば雷浩然からひょいっと取り上げられた。慣れもあるのか最近の彼の自分に対する態度がどこか少しぞんざいな気がする肖子偉だ。


「そのように不満そうな顔をなさらないで下さい。今夜また出前を頼んであるのでしょう? 楽しい事が待っていますよ」


 出前、その言葉は肖子偉に効果覿面てきめんで、彼は恥ずかしがっている時とは違う意味合いで頬を上気させると目を輝かせた。


「そうだった」


 味を思い出しているのか、たちどころに機嫌を持ち直す様を見て、布を返した雷浩然は苦笑した。


「本当に、そんなにも気に入って頂いて、身内としては嬉しい限りですよ」

「雷凛風の作った包子は、毎日でも食べたい……」

「それは是非とも……と言いたいところですが、場所が遠いですからね。食堂がもっと近ければそれも可能だったのですけれど」

「――! わ、私を認めてくれるのか……?」

「はい? どういう意味です?」


 パッと期待に顔を輝かせた肖子偉が何を言いたいのかピンとこず、雷浩然は自身の訝りに首を捻った。


「い、いや……今はまだいい」


 上機嫌に輪を掛けた様子だった肖子偉がハッとして気恥ずかしそうに布を被ってしまったので、結局はよくわからないままだった。


「……以前から思っていたが、そなたは私に最低限の皇子の義務を説くが、私の噂を知っているのにそこには触れないのだな。大半の他の官吏たちは私を見る目に明らかな失望や侮蔑の色が見える。隠そうとしても言葉や所作の端端にそれらは隠し切れないものだ。なのにそなたにはその欠片すら感じられない」


 布だるまからぼそぼそと籠った声が聞こえて、雷浩然は少し考えて返した。


「噂は噂です。あなたにはあなたの考えや事情がおありになるようなので、無用な口出しは不要かと」

「そなた……」

「ええ、率直に言いましょう。その件は私の出る幕ではないのです」


 ある意味冷淡にもそう言い切った彼はしかし、ちゃっかり自分の娘が首を突っ込んでいるとは思いもしない。


「ですがまあ、私の経験から言いますと、一度気の済むまで突っ走ってみるのも手です」

「え……そなたが? 突っ走る……?」

「ええ。夜中に盗んだ駿馬を走らせました」

「……そ、そうか」


 半ば信じられない気持ちでからりとした笑みを浮かべる雷浩然を見やる肖子偉だが、このところ勉強も兼ねて史料漁りをしている賜か、人生色々だと思い直して頷いた。


「さてさて東屋で日向ぼっこでもしていて下さい。殿下が居ると掃除人たちも気が散りますから」

「……わかった」


 下働きたちだって当然噂を知っている。

 気が散る、などと歯に衣着せぬ物言いだが、雷浩然が言う分にはそれは嫌味ではなく単なる事実に過ぎないのだと悟る肖子偉布だるまは、聞き分け良くいそいそと歩き出した。

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