第7話 噂への疑惑

 隙間から無事救出された肖子豪だったが、子猫を井戸の底から引き上げるが如くの感動の救出劇……ではなく大きなかぶを引っこ抜くにも似た珍格闘劇には、凛風も加わっていたりした。

 男前な彼女に助力を乞いに近所のおばさんが駆け込んできたからだ。


「子豪兄さん、さっきは知らない人で通したかったよ……」

「ハハハ悪い悪い」


 凛風の姿を見るや肖子豪は涙ぐんで呼び掛けてきたので、他人のふりはできなかった。


「なあところで小風、お前ってさっき見送ってた男と仲良いのか?」


 目と鼻の先の店まで戻るほんの短い道中、凛風の横を歩く肖子豪が肩の凝りでも解すように腕を回しながら訊ねてきた。


「さっき? ああ若様のこと。うちの常連さんだよ。皇都に住むお金持ちの」

「常連……へー」

「何さ子豪兄さん、そのテキトーな返事。そっちから訊いておいて」

「いや、イケメンだったなーって思ってな、ハハハ!」

「だったら子豪兄さんもそうだよね」

「ふっそうか。俺は涙が出るほどカッコイイか」

「カッコイイよ」

「……どうも」


 さらりと肯定すると、彼は呆れ目になった。


「爽やかに即答ってなー……天然め。こりゃご婦人方がキャーキャー言うわけだ。俺が純情な乙女じゃなくて良かったと思え」

「何の話?」


 ちょうど店に着いてしまったので、その疑問はよく考える前にどこかに消えた。

 肖子豪は多量に注文した料理の品々を平らげて、奢りの包子もぺろりと呑み込んだ。

 洗い場に下げるために空になった皿を重ねながら、その食べっぷりに内心苦笑した凛風へと、満腹になった肖子豪は「何だよ?」と怪訝そうに眉を持ち上げる。


「そう言えば暴漢は反省してた?」

「あー、どうだろうな」


 歯切れの悪い物言いに、凛風は察するものがあった。


「もしかしてそいつも第二皇子の名前を出したの?」

「……当たりだ」


 捕まえる悪漢の中には、肖子偉の噂に便乗してなのか彼の名を騙る者がいた。


 ――おそらくは、他者のした事まで肖子偉のせいになっている。


 本人を知るまでは薄らとそう思ってはいても、自分も日々の生活に追われていたしどうこう考える必要性を感じなかった。

 しかし今はその考えもやや変化している。


「はあ、全く救いようのない……」

「はは、小風もそう思うか? 少なくとも今日の奴に関しては言い逃れなんざさせないから安心しろ」

「それは重畳」

「なあお前やっぱり俺の団に入れよ?」


 重畳と言いつつ渋い顔を崩さない凛風を見つめ、肖子豪はお決まりの勧誘文句を口にする。


「入りません」


 こちらもお決まりの断り文句を口にした凛風へ残念そうな顔をする彼は、その後少し腹休めをしてから、部下への手土産を手に「またな」と言って帰っていった。





「あの布だるま殿下はどこまでどう関わってるんだろう」


 雪露宮へと向かう金兎雲の上、岡持ちの取っ手を握る指に力が入る。

 肖子偉の噂と本人の姿との齟齬そごを感じれば感じる程に、心のモヤモヤが大きくなる。

 しかしまさか皇子相手に部外者の自分が問い質すわけにもいかない。

 暗い景色の向こうにそろそろ皇都金安の光が見えてきて、凛風は彼の前で小難しい顔をしないようにここらで思索をやめ、自分でも意外なほどトゲトゲした気持ちを和らげるためにも、頬を揉んで強張りをほぐした。


 今夜もまた池に灯る提灯ちょうちんが、密やかな小花のように眼下に映る。

 瀟洒しょうしゃな趣を感じさせる雪露宮の六角形の東屋に到着すると、いつものようにもう肖子偉が来て座っていた。


「お待たせしました、子偉殿下」


 凛風が金兎雲から降りて中央の円卓に近付くと、ぼんやりと頬杖をついて何か物思いに耽っていたのか、彼はハッとして秀麗な顔を上げた。


「待ちくたびれました?」


 卓上に岡持ちを置いて軽く拱手をしてからちょっとした軽口を叩けば、彼は緩く首を振った。

 いつだったか畏まった挨拶は不要と言われたものの、一応簡単にはするようにしていた。彼もそこはもう個人の領分でいちいち咎める部分ではないと理解しているのか何も言わない。


「いや、待っている時間も、楽しみの一つだから」


 彼らしい答えに口元が弛む。

 そんな彼は凛風が岡持ちから注文の品を取り出すより先に動いて、持参していた持ち手の付いた木箱の蓋を開け陶器の茶器や茶葉入れを卓に出した。


「そなたの分もある」


 そう照れ臭そうな顔をして手際よく準備をすると、まだ温かい茶を手ずから注いでくれる。


(良妻賢母……!)


 内心非常に感動する凛風の目の前で、湯呑みが仄かな色に満たされていく。

 二回目か三回目の出前の時から、彼は自ら茶を用意してくるようになっていた。初日に咽に詰まらせたからかもしれない。

 それだけではなく、毎回違うお茶を準備してくる辺り、如何に彼がこの機会を楽しみにしているのかがわかるというものだ。


「いつもありがとうございます。殿下にお茶を淹れてもらえるなんて光栄の極みです」

「わ、私こそ光栄だ。まさか包子の作り手とこうしてここで茶を嗜むなど、予想もしていなかった」


 光栄光栄と、互いの同じような主張が何だか可笑しく感じる凛風が手際よく天板の上に蒸籠を広げると、これも毎度の事だが彼は小さな子供のように目を爛々らんらんとさせ歓喜を表した。


(いつも思うけど、こういう所が特に可愛い!)


 凛風の精神が「彼の髪にやっぱり花挿そういややっぱかんざしを贈ろうあああ~」とか錯綜していると、ある意味で不穏を感じる視線に居心地が悪くなったのか、包子に手も伸ばさず肖子偉はちびりと茶を飲んだ。

 俯けられた眼差しと、長い睫毛まつげが目元に影を作っている様が、どこか透明な色気を醸し出す。


「……そ、そんなに見ないでほしい」

「乙女か!」


 凛風は自分でも何だかよくわからないまま叫んでしまってから、慌てて咳払いした。


「ああいえその、子偉殿下ってホント綺麗な顔してますよね。普段布に包まって折角の美顔を隠すなんて勿体ないですよ?」


 すると彼は自分の頬に指先を這わせた。


「この顔は実の母によく似ているらしいから、褒められると母を褒められているようで嬉しい。しかしやはり見られているのは恥ずかしいから、隠したくなる」


(役者みたいに世の中には見られる事を最上とする人たちもいるのに、本当に人って色々)


「私、綺麗な男の人って好きですよ?」


 凛風が思った事をそのまま口にすれば、やや長い沈黙が続いた。

 その間彼はやっぱり恥ずかしそうにした。


「…………ありがとう」


 凛風がタラシの自覚なくにこにこしているとややあってようやく、はにかみに添えるような小さな声が返った。


(何て眼福……! お肌もスベスベだし、美姫もかくや!)


「殿下、一度女装してみたくありません?」

「…………」


 誰にもそんな提案を受けた事のなかった彼は、直前までのほのぼのさも吹き飛んで、衝撃の面持ちになった。


「……とりあえず、ゆっくりしていってほしい」


 何とか気持ちを立て直した肖子偉が促して、凛風は応じた。

 池の上だからか、今日の夏の夜風は案外涼しく、卓に広げた包子やお茶の熱さも気にならない。

 席に着いて茶を啜りながら、凛風はさりげなく青年を見やった。

 はふはふと美味しそうに包子を食べている姿には、心を和ませられる。


(こんなに幸せそうに包子を食べる人があの噂の数々の犯人? そもそも、この極度の恥ずかしがりで布を手放さない絶滅危惧種が、頻繁にこの離宮から出る? いや、出たとしてもわざわざ人前に姿をさらす? 目立つような事をする?)


「うーん、何か……」


 思わず声に出していた呟きを聞き取ったのか、蕩けそうな顔で包子を頬張っていた肖子偉が顔を上げる。

 菓子の一つでもあげたくなった凛風だが、ぐっと堪えた。

 綺麗、可愛いと言っても彼は一国の皇子で、自分より二つも歳上で、尚且つ歴とした男性だ。とは言え貴公子として典雅な山憂炎ほど完成された男を感じない、彼独特の優美さを有している。

 見ているとやっぱり愛でたくなる凛風だった。


「ああいえ、何でもないですよ」


 邪魔をしてしまったかと微苦笑すれば、彼は頷いて手元に視線を戻す。

 凛風は池の方へと視線を転じ、真剣な眼差しに戻った。


(この不自然な頻度と広範囲での噂の発生。……何か意図的な裏があるのかも)


 何しろ彼は皇子だ。

 皇宮という場所は華々しい一方で血生臭い側面もある。

 歴史を紐解けば王朝の交代劇は幾度もあったし、皇帝や太子の座を巡る争いやいざこざは枚挙に暇がない。

 今は一つの仕組みの下での治世が続く良い時代と言えるが、どこかが綻べば戦乱の世にすぐに傾いていくに違いない。


(彼の噂の周辺をいくつか、少しこっちで探ってみようか)


 もしも何者かが彼を陥れようと故意に悪評を流したのなら、この異常さだ、そのうち命までを害そうと実力行使に走る可能性だってある。

 一人で三人前を平らげている肖子偉は、そんな真剣な少女の思案顔をじっと見つめていた。





 岡持ちを手に帰路に就いていた凛風は、皇都の貴族屋敷の立ち並ぶ界隈の上空を飛んでいた。

 夜という事もあって日中よりも音が遠くまでよく響くせいか、はたまた然程高度がなかったせいか、地上の音が耳に届いた。

 どうも怒鳴り声のようだ。


「何? 喧嘩?」


 こんな時間だ、追い剥ぎやらカツアゲなら見過ごせない。


「兎兎、ちょっと行ってみよう」


 声を頼りに地上に近付けば、大きな屋敷が並ぶ大路の一角に、灯りを手にした貴族の私兵らしき一団が集まっている。

 彼らは一様に傍の塀の上を睨み付けていた。

 無駄に高い塀の上には、一人の人物が佇んでいる。

 体格から見て男性だ。

 私兵たちを見下ろしているその表情は上からでは見えないが、腰に片手を当て楽な姿勢を取るくらいの余裕がある事から、別に塀の上に追い詰められているというわけではないらしい。

 そんな男のもう片方の手には膨れた大きな袋が提げられている。


(え、もしかして……)


 浮かんだ可能性は一つだ。


「このコソ泥め! 盗んだ物を置いていけば命までは勘弁してやる!」


(うわー、こんな周りが貴族の屋敷ばかりの場所で堂々と盗みを働くなんて、度胸据わってる。まあ懐に貯め込んでいる貴族が多いだろうし、一度で実入りは確実だからそういう輩が後を絶たないって話は聞くけど)


 故に私兵なり金庫番を有している屋敷が多いのだとか。

 泥棒は全体的に動きやすい形状の黒装束姿で顔にも覆面をしていた。


「おい、誰か弓矢持って来い! あと梯子も持って来い! そこで大人しく待ってろよ盗賊野郎!」


 私兵たちの中の纏め役が指示出しをすると、何人かの配下が走った。


「なあ、今夜ここに来たのが俺だけだと思うか?」

「何っ?」


 声からして若い男のようだ。

 彼が笑い含んだような声で言った直後、やや離れた位置の上空に合図用の花火が咲いた。


「何の合図だ!?」

「完了の合図だよ。仲間が今頃は玉一つ残さずガッポリ頂戴してるはずだ」

「な、何だって!?」

「俺は囮だよ。そもそも盗みに入った奴がわざわざこーんな目立つ真似するか? おかしいって気付けよな、間抜け。そんじゃ俺もそろそろ消えるぜ」

「まっ待て!」


 唖然としていた私兵たちはハッと我に返ったがもう遅い。男はひらりと身を翻し身軽に塀の上を逃走しようとして……――しかし、できなかった。


「――待て!」


 逃走を察した凛風が男の前に着地して進路を阻んだからだ。


「はあ!? あんた今上から降って来なかったか!?」

「さあね」


 全くの予期せぬ方向からの妨害にはさしもの泥棒も驚いたようで、余裕を剥がし黒い覆面の中で唯一見えている目を大きく見開いた。

 宝石のような明るい緑の虹彩が、下方からの私兵たちの松明に照らされて凛風の目に鮮やかに映る。


(異国人!?)


 彼女はしかし優先順位を間違わない。

 瞳の色にも相手の驚きにも目もくれず、間髪入れずに荷を狙って岡持ちを薙いだ。

 重い手応えと共に男の手から袋が離れ、それはそのまま暗い塀の中へと見えなくなる。


「アーーーーッ俺のお宝が! くそっ何すんだ!」

「あなたのじゃないでしょ」


 広くもない塀の上で凛風は男と対峙した。

 相手はうねるような黒髪を後ろで一つに縛った、肖子豪並みに背の高い男だった。

 地上からは「せ、仙人様なのか?」「変な雲に乗ってらっしゃったしそうだろ」「ありがとうございます!」と私兵たちの歓喜が上がった。

 変な雲呼ばわりされた金兎雲が多少のショックに耳を垂れた。

 一方、泥棒はチッと舌打ちすると忌々しそうに凛風を睨む。


「あんた仙人なのか?」

「違うけど、こんな悪事を見過ごせない者だ」

「ああそうかよ。悪事っちゃそうかもな。折角苦労して盗み出したってのに、あ~あ、とんだ邪魔が入ったもんだぜ。まあ俺の方はついでだし、目的は果たしたからいいけどな。じゃあな美少年」

「あ……!」


 男は煙幕を焚くとそのまま煙に紛れて闇に消えた。

 卓越した感覚と高い身体能力のなせるあっと言う間の動作で、凛風は金兎雲を呼び寄せてすぐに上空から見下ろしたが、既に暗がりの中に紛れてしまっては男の行方を探る事は出来なかった。引き際をよく心得ている。


「あの男は一体何者なんですか? 手慣れている印象を受けましたけど……」

「彼は黒蛇と言って、盗賊の首領です。ま、奴らは自らを義賊と名乗っていますがね、こっちからすれば義賊も盗賊も同じだろって話ですよ全く」


 私兵たちに問えば、男の正体は明らかになった。


「あれが黒蛇……」


 店の客たちが話していたのを思い出す。庶民からは支持されているようだが、貴族たちからは毛嫌いされているようだ。


(まあ当然と言えば当然か。でも、義賊……か)


 凛風は脳裏に今一度覆面男の姿を思い起こし、よりにもよって国の中心都市に義賊が生まれる経緯を思えば、小さく眉根を寄せてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る