【04】機械の人形に歌う女

 魔法石と呼ばれる白磁色の石で作り上げられた二階建ての豪邸。ルイスたちが門をくぐってそこへ駆け込むと、邸宅は主人の帰りを感知したかのように結界に覆われ、入り口を閉ざした。

 持ち主たるリリスを確認した邸宅の扉が開き、中へ入る。魔女の邸宅には人が住めるだけの一通りの家具が揃い、魔力が供給されていて明かりがついた。アデムウォールの他の場所にあるような高度な魔術文明の影を感じることは出来なかったが、その代わり夥しい数の古代魔法書エンシェント・マジカル・ブックが所狭しと書棚に並べられていた。

 キッチンや寝室、大きな浴場も完備されており、さながらブライス帝国で言えば貴族がお忍びで来る別荘といえる佇まいであった。少女は家に着くと、どこに服があるのか分かったかのように駆けていって黒いタートルネックの服とプリーツスカートを履いて戻っていた。

 居間には世界各地から集められた花束が置かれており、その中央の八人掛けのテーブルにはアデムウォールよりと書かれた封筒と、邸宅のどこがどうなっているという簡単な覚書が置かれていた。封筒の中身は少女に宛てたものであろうと思い、ルイスがリリスに手渡してやった。彼女はそれを丁寧に開いて中から一枚の手紙を出してくる。すると手紙は独りでに飛行し、市長ジュツシマ・エライオの声で

「これはこれは世紀の大魔女さま。アデムウォールからの贈り物には満足していただけたでしょうか。ここはあなたの好きに使っていただいて構いません。魔王を倒すという重い使命を終えたら、こちらで余生をお楽しみになるとよろしいでしょう。ご健闘を祈ります」

と手短に内容を音読して口を閉じた。ルイスはそれを聞きながら席に着き

「なんで私を助けたんだ」

と問うた。リリスは手紙を封筒にしまって机に置き、息を漏らしながら

「だって、あなた悪い人じゃないもん」

「お前は私の何を知っていると言うんだ」

「あなたのすべてを知ってるといえばいいかなー」

「すべて?生まれて間もない大魔女が――」

「そうだよ。すべて知ってるの。私に捧げられた生贄の魂を通じてぜーんぶあなたのこと知ってる」

と微笑みながら話した。ルイスはあどけない少女の反応にそうかと答えて深く背をもたれた。

「これからあなたはどうするの?」

「私か?私は王子を守り切れなかった。王室戦士ロイヤル・ナイトとして失格だよ。王が言ったように、オラスを含め帝国での私の信頼は失墜した。もう、誰も私を必要とはしていない」

「そんなことないと思う。あなたを求めている人はいるはずだよ」

 隣に羽ばたくチューチェも「そうだよ、ルイスは必要とされてるよ」と口ずさむ。ルイスは改まった顔になって言った。

「お前こそこんな風に私を匿っていていいのか?サミットを魔族が襲撃して、外は大パニックに陥いってるはずだ。勇者が傷つけられた今、ブライス帝国が黙っているわけがない。魔族と人間の戦いが始まろうとしている。きっとリリス、神託を受けたお前の力が必要なはずだ」

「それじゃあ、手伝ってよ。私たちが魔王を倒すのっ」

「なんだと。私が手伝うというのか?」

「そう、手伝って。だって勇者はまだ魔王を滅ぼす伝説の武器さえ手にしてないんだもん」

「私がその伝説の武器について知ってるとでも思うのか」

「――知ってる、でしょ?」

 ルイスは見つめてくる少女の質問にたじろいで他所を眺めた。そしてしばらく黙った後、アマタギの言葉を反芻しながら重い口を開いて話した。

「聖剣ヴァイス・シャイトと霊剣オプフェルノ、今は亡きカラクリ王国に聖女が封印した宝剣……か」

「それそれ、それだよ。私たちが探しにいかなくちゃ!」

「そんなものどうやって探すと言うんだ。カラクリ王国は廃墟な上に、私ではそこには――」

「生まれ変わったんですもの。きっと入れるよ」

「――リリス、お前は一体私の何を知っているんだ?」

「すべてって言ってるでしょ!」

 リリスはまた笑顔で答えた。ルイスはため息をついて、自信ありげな少女を試そうと思った。

「お前は私の母親が誰か知っているのか」

「知ってるよ」

「絡繰に親がいるなんておかしいと思わないのか」

「おかしくなんてないよ。もともと人間だったんだから。お母さん、聖女ミナエルでしょ?」

 ルイス・カラクリ、カラクリ王国の王族にして蘇生の魔術を使えた数少ない少年。それはこの絡繰戦士の名前であるとともに、もう百年近く昔に生きた少年の名前でもある。彼は聖女ミナエルと呼ばれる神に選ばれし者の息子としてこの世に生を受けた。だが、聖女は彼の父親と共に国を去る。子供を置いて。

「そうか。では父親が誰か知っているか」

「知ってるよ」

「……そんなはずはない。私は自分の父親が誰かは知らないんだ。私さえ知らないことをなぜお前が知っている?」

「だって、私の中にはニック・カラクリの魂があるから」

 ルイスは目を剥いた。ニック・カラクリの魂だと。

 ニック・カラクリは魔族に滅ぼされたカラクリ王国の最期の王。童話や伝承ではニコラスの名で呼ばれている。時の魔王ハデスに唆されて過去の大魔女エリスの蘇生の儀式を行ったが、裏切られて死去した。それからカラクリ王国は滅ぼされ、生き残ったルイスは魔族の中で人間を蘇生できる貴重な御霊として生かされることになったのだ。

「ニック・カラクリはとうの昔にハデスに殺された。お前の生贄の中に彼の魂があったはずはない」

「あったんだよ。だから私はあなたのことがすべて分かった」

「大魔女っていうのは不思議な奴なんだな。――私のすべてを知っているのだとしても、そんなこととても聞きたくはないが」

 少女は居間に飾られた前の銀白の大魔女エリスの肖像画をちらりと見てから

「明日の朝出発しよ。どこに行けばいい?」

と尋ねた。ルイスは顎を手で触りながら少々考えて答えた。助けねばならない者たちがいる。

「まずはメッカ・カラクリの工房へ向かう。オラスが反逆した今、帝国も向かっているはずだ」


   ◆


 翌朝、太陽がアデムウォールに顔を出した頃、彼らは出発した。ブライス帝国の者も他国では自由に動けないのか追手が来る様子はなく、ルイスたちは静かな朝を迎えることができた。ルイスは邸宅に保管されていた巨大な金塊を持ってきて、魔法都市でキックボードに似た二人乗りの飛行装置と交換した。店主は十分な価値があるはずだと無造作に差し出された重たいそれを見て、実に驚きの表情をしていた。

 それからアデムウォールの世界位置を確認し、直線ルートでどう方角に向かえばいいのか検討した。アデムウォールはブライス帝国の中心地から少し西を航行していたので、その逆に舵を取ればいいことが分かった。都市を歩いているとサミットが最初の夕食会を前に打ち切られたという報道が魔法都市内の各地で流されていた。

 リリスは自分の魔法のためにと二冊の本を邸宅から持ってきていた。一冊はティエルメンシュの贈った『アニマルモデ』、もう一つは『四神の書:朱雀』。もっと本は多く持てるから持てる分だけ持っていくべきだとルイスは薦めた。だが、少女は自分が戦闘することになったら数冊を庇って戦うのが限界だからいいのだと断った。

 空路での旅路は休憩を挟みながら半日とせずに終わりを迎える。魔力を供給するだけで行きたい方角へ向かっていく安物のキックボードでの旅は、とある山のふもとにある異質なブリキ屋根の巨大工房が終着駅である。そこへ到着すると、もう夕焼けが工房を朱く照らしていた。

 鉄門の入り口は全開になっていて、誰かすでに先客がいるようだった。

「はなせーっ!」

 立派な青年となったエンジの姿がそこにある。ブライス帝国の兵士が彼の両脇をがっちりと抑えて工房から連れ出していた。あとからニーアが女性の兵士に続いてとぼとぼ歩いてくるのも窺える。

 兵士たちは目の前にいる者を認めて瞠目した。それは昨日の晩、帝国から連絡が入り廃棄処分を言い渡された絡繰戦士。もう一人は違う文明からやってきたかのような少女と使い魔。

「ルイス・カラクリではないか。お前もこいつら同様、帝国に反逆する者として手配されている。大人しくしていれば安らかな廃棄が約束される。投降を願おう」

 兵士の一人が帝国に尽くしてきた絡繰戦士に無情に言い放つ。ルイスを見つけたエンジは彼の名を叫び、必死に訴えた。

「ルイス。ルイスじゃないか!メッカさんが連行されたんだ。サミットのオラス暴走の罪を問われて」

 ルイスは何も言わずエンジの言葉を聞いていた。兵士たちが小僧は黙れと口に手をして押さえつけてしまう。エンジは離せとじたばたを繰り返した。

 そのとき、ルイスは音もなく動いた。エンジを押さえつける兵士に頭突き。そして彼を抑えているもう一人の兵士の首へ手刀のみねうちを食らわせる。直後、ニーアの前の兵は腰の得物に手をかけるが、ルイスはそれを蹴り飛ばしてニーアを保護。女兵士に気絶の一撃を放った。

 ルイスは向き直って連行されようとしていた二人に話しかける。

「帝国ならば、こうすると思っていた。だから来たんだ。メッカはもう連れ去られた後か」

「うん、メッカさんはもう帝国に連れていかれてしまった。ルイス、助けてくれてありがとう」

「礼には及ばない。私こそずっと世話になっているからな」

 近づいてきたニーアが厳しい表情で口を開く。

「なんか嫌な予感がして逃げるための用意はしていたの。近くの兵団が来ただけだから、もう工房内に兵士はいないわ。でもここはもう安全じゃない。絡繰ジェットで遠くに逃れましょう。もしかしたら道中、お爺さんも助けられるかもしれない」

 それにエンジが付け加えるように続けて

「メッカさん、僕らの絡繰義体を使って時間を稼いでくれたんだ。でも、結局見つかっちゃって……。もうかなり遠くに行ってしまったに違いない」

「メッカを探すのは後にするべきだ。帝国もあのカラクリ大王を直ちに殺してしまうようなことはない。王子のことがあるから、きっと理由があって連行しているんだ。ニーア、アデムウォールへ迎えるか?そこに隣の魔女さんのセーフハウスがあるんだ」

「大丈夫よ。魔法都市国家だろうがどこだろうが一飛び。私の作った絡繰の根性見せてあげるわ」

 ニーアの案内を受けて一行は工房奥の倉庫へと足を運ぶ。シャッターががらりと開くと、そこには蝶の形をした絡繰ジェットがあった。

「そういえばルイス。僕、完成させたんだよ。昔ルイスがくれた立体モデルの絡繰、僕だけの技術で!それにそこの女の子……。王子やウッドさんを見ていて気付いたんだ。きっと役に立つ、持っていこう!」

とエンジ。彼は駆け足で工房へ戻り、大きな木箱をごろごろ引いてきて蝶のジェット機に積み込んだ。そこへルイスたちの乗ってきたキックボードも積み込まれる。四名の急ぎ乗り込んだバタフライ機は、きれいに輝く四枚の羽根を羽ばたかせて大空へと舞ったのであった。


   ◆


 かれこれルイスは十日ほど作戦を練っていた。魔族にいる誰かが裏で手を引いているのは明らかだ。それがサミットに参加していたものかどうかは分からないし、もしかしたら首謀者は本当にオラスだったのかも分からない。だが魔王自身がエルクの襲撃を企んだわけではないとルイスは知っている。黒幕を仮に影の魔王と呼ぶならば、影の魔王を討つということが本当の勇者の戦いなのかもしれない。熟考の末、ルイスはそのように考え始めていた。

 聖剣と霊剣は聖女によって亡きカラクリ王国に封印された。しかし、カラクリ王国はもう存在していない。その昔、王国のあった土地は廃墟と化しており、もう跡形もなく消えているのだ。魔族とて昔のカラクリ王国の場所に蘇生に纏わる伝説の宝剣があるのならば、真っ先に襲撃している。では、アマタギが口走ったあれは何を指していたのだろうか。

「メッカさん、今頃どうしてるのかな。帝国の牢獄に捕まっているだけならいいけど、まさか処刑されちゃってなんかは……。メッカさんが整備していた絡繰博覧会の会場もメンテナンスできないし」

 リリス宅でエンジが言ったその呟きがルイスの気に留まった。夕飯時でニーアと大魔女が楽しく二人で料理しているところ、自分は食べる役だと決めつけていたエンジが足を机に投げ出している。向かい合って座っていたルイスが訊き返す。

「メッカが整備していた絡繰博覧会の会場だと?」

「そうだよ。ずっと前から一万体以上の絡繰人形を置いている人形の町なんだ。メッカさん、そこで昔から自分の作った絡繰たちのお医者さんをしていて。三十年前には一度一般公開もされて多くの人が訪れたんだよ」

「メッカは物好きな展示を行ったんだな」

「そうそう、聖女とかいう人も一般公開で歌の披露をして人気を博したんだとか」

 聖女。その言葉にルイスが再び引き付けられた。彼は前のめりになって尋ねる。

「聖女と言ったな。そんな奴がなんで博覧会に呼ばれたんだ」

「メッカさんと親しい仲なんだって。それで会場の舞台で歌ったそうだよ」

「その博覧会の会場は今、ただ絡繰が住んでいるだけの街なのか?」

「そうだよ。でも、メッカさんしかそこには入れないんだけどね。なんでもとっても大事な絡繰たちだから、もうこれ以上他所の人には会わせたくないんだって」

「その入れないっていうのは、物理的に入れないのか。それともエンジたちが立ち入ったことがないというだけか」

「僕は行ったことないから知らないなぁ。でも博覧会の跡地は一般公開の後に忽然と消えたらしい。だから、あの博覧会は幻の博覧会とも呼ばれているんだよ」

 ルイスはそれを耳にして自分がどこへ急がなくてはならないかを悟った。聖女の行方へ通じる糸口がこれほどに見知った仲にいたとは。

 ニーアが山盛りのトマトとパスタを持ってきて

「今日のは新鮮なトマトよ。リリスちゃんが庭であっという間に育てて取ってきたの。今日収穫されたやつなんだから」

とにこやかに話すと、ルイスはすでに席を立っていて「明日、バタフライを出してくれ」と彼女に大声で頼んでいた。ニーアは不愛想な絡繰戦士に向かってそんな素気無かったらリリスが泣くと言って怪訝な顔をする。

「急ぎの要件なんだ。捕らえられたメッカに訊きたいことがある。ブライス城に乗り込むぞ」


   ◆


 薄暗い廊下を大柄の男が歩いている。ブライス城の第三層と呼ばれる地下深く。第一級の犯罪を犯したにも関わらず、帝国の役に立つと判断された者たちが捕らえられた牢獄があった。この獄中の囚人たちは特別の待遇を受けている代わりに、帝国の出す指示に従わなければ即刻死を宣告される運命にある。明るい照明の付いた小部屋。内側は機械室から持ってきた備品であふれかえり、絡繰の王と呼べる老父が不機嫌そうに鎮座していた。

 扉を開いて現れたのは鎧に身を包んだ戦士。それに無反応のメッカ。彼は老人に声をかける。

「王子の足の代わりを作ってくれたそうだな、カラクリ卿。感謝を言いに来た」

 その出で立ちはウッディンジャー・ロメス。床に腰をおろして嘆息する老父は、改めて命令を聞いたくらいでこの男が感謝しに来るような輩でないことを知っている。

「オラスが暴走したという理由でワシを拘束しているのに、エルク王子様の義足にはワシの技術を頼るんじゃな」

「帝国は実益を最優先する。カラクリ卿の持つ技術であれば知能を持った絡繰人形だけでなく、最高精度の生身の代わりさえも容易に作れる。私たちの目論見は正しかったようだ」

「ワシは信頼されているんじゃか、信頼されていないんじゃか、いまいち分らんのぉ」

 鎧の戦士はメッカ・カラクリを見つめている。老父は大きくまたため息をつくと、手元のライターで線香に火をつけ、手を伸ばしたところの鉄の仏壇に供える。その傍らには帝国を裏切って機能停止したオラスがエルク王子と笑顔で映る写真があった。

「ルイスには合わせてもらえんな。あの娘は無事かの」

「どうだろうな。魔法都市で私たちから行方をくらませてから一向に足取りがつかめない。もしかしたら他国に亡命しているのかもしれないな」

「だとしたらいいんじゃが。ここへワシを助けにふっと現われでもしたら困るでの」

と物憂げに語る老父。戦士が今度は調子を変え、牢獄中に響き渡る大声で話し始めた。

「そういえばだ、カラクリ卿。尋ねたいことがある。聖女ミナエルという人物を知っているか?」

「聖女ミナエルか……。知っておるぞ。旧知の仲じゃ」

「旧知という程度の仲なのかな」

「――どういう意味じゃ」

 老父は釈然としない様子で聞き返した。なじるような目つきで男は矢継ぎ早に質問をする。

「エルク王子に危害が与えられた今、私たちは魔族と徹底抗戦を敷くつもりだ。すでに魔族の城への急襲作戦を練り、魔王デス・ルイスを早急にこの世から抹殺する。だが、そのためには亡国となったカラクリ王国に聖女が封印した聖剣が必要なのだ。私たちは聖女の行方と聖剣のありかを求めている。カラクリ卿の知るすべてをここで教えてもらおう」

「はて、なんの話をすればいいというんじゃな」

「聖女ミナエルは今どこにいるか知っているか」

「……もちろんじゃ。彼女なら亡きカラクリ王国でずっと墓守をしておるわい」

「では聖剣はどこに封印された」

「それはお前さんも知っておるんのではないか?聖女と同じくカラクリ王国じゃよ」

「どちらの解答もカラクリ王国か……。ご老人、俺をたぶらかすつもりか?カラクリ王国はとうの昔に滅亡し、その跡は廃墟と化している。すでに亡国には使者を派遣し、人っ子一人いないことを確認しているぞ。カラクリ卿の言うカラクリ王国とはどこだっ!」

 ウッドが語気を強める。メッカはその威勢に押され、しばらく口を閉ざした。そして息を漏らしながら答えた。

「――仕方ない、口を割らないと殺されてしまうからのぉ。……ワシが昔開いた博覧会の会場じゃ。もう三十年も前になる。普通の者では会場に通じる迷宮結界を超えられんがな。神に選ばれたお前さんたちならあそこを行き来できるじゃろう」

「お前はカラクリ王国の出身なんだな」

「そうじゃ。生い立ちを知る者はもう少なくなったがの。国を去った後にブライス帝国で貴族の位を与えられたのはそれが理由じゃからな」

「会場はどこだ」

「調べれば分かることじゃ。ワシの工房から小さな海を隔てて反対側、夕焼けの美しい盆地じゃ。亡きカラクリ王国も同じ立地じゃった」

 老父が言い終えると、どこからともなく重い足音が近づいてくる。その足音はずしずしと自分の存在を主張するかのように彼らへ近づき

「おい、あんまりいい趣味とは言えないな。俺の姿形をして現れるっていうのは。似てねえぞ、俺の真似……」

ともう一人のウッドが暗がりから顔を見せる。いや、もう一人ではない。この彼こそが本物の戦神ウッドである。右手には時間経過でダミーの効果が解かれた発条鍵ゼンマイ・ロックが携えられている。現れた本物と偽ウッドが顔を合わせた。

「話は聞いていただろう、ウッド。私は博覧会『カラクリ大王国』の跡地に向かう。そこに魔王を討つ聖女と宝剣が眠っているのだ。聖剣と霊剣、二刀の剣が揃えば王子の足を蘇生することができる。そのまま魔王を討ちに行くくらい万全の準備をして来るんだ。……現地で会おう」

 ウッドの姿形をしたルイスが声色を自分のものに戻して唆す。ウッドは「逃がすつもりはないぞ」と口にし、直後発条鍵ゼンマイ・ロックによって絡繰を緊急停止させる。だが、そのロックが効かない!

 ウッドの義体は軽い身のこなしで鎧を脱ぎ捨て、屈強なその肉月を見せつける。そして身軽になった身体でさっそうと逃げ去ろうとした。

「おい、待て。ルイス!」

 戦神が追いかけようとするが、またも重い身体が義体の逃亡を許す。去り際、ルイスは後ろをちらっと振り返りながら「お前は身軽なほうが強いんだよ」と忠告を放った。

 城の窓を割って戦神の義体が逃亡する。外で待ち構えていたエンジとリリスはもぬけの殻になった人形を受け止め、ニーアの乗った馬車に担ぎ込んだ。そしてブライス城をあとにして颯爽と城下町を駆け抜けていく。

「本当にこれでよかったの、ルイス?」

 座ったまま意識を取り戻したルイスをシャルロットが心配そうに見つめて言った。

「ああ、本当に助かったよシャル。ウッドには以前義体の遠隔操作をアドバイスしてくれてありがとうと伝えておいてくれ。ついでに私のアドバイスも聞くように言ってくれると助かる」

「もうあなたったら、こんなときまで意地の張り合いして――」

 ルイスの本体が居たのはエルクの王室。シャルロットの助けで彼はここに忍び込んだのである。そしてウッドに侵入者がいると伝え、地下のメッカの下へ行かせる。ルイスが説得したのでは動かなそうな堅物戦士に、メッカの口から真実を聞かせることで行動を改めさせるのだ。

 隣には二人を微笑ましく眺める王子エルク。彼の生贄と消えた足首にはメッカの作った移動用のターボ義足が取り付けられている。メッカの作った義足をすれば歩行だけではなく、人でありながら宙を飛ぶことさえ可能だ。ルイスは新生したエルクに笑顔で「先に行って待っているぞ」と伝えた。

「ウッドと必ず合流するよ。ルイス、気を付けて」

 ルイスは親指をぐいと上げて応じると、部屋の窓から飛び去って城から消えた。


   ◆


 ニーアの操縦するジェット機に乗って、ルイスたちは人里離れた地へやってきた。周囲の山々の中に少しだけ平らな地形が見て取れる。

『Oh Cheerio, Oh Cheerily Cheerio.

 Oh Cheerily, Oh Cheerily, Oh Cheerio.

 Oh Cheerio, Oh Cheerily Cheerio.

 Oh Cheerily, Oh Cheerily, Oh Cheerio』

 どこかで聞いたことのあるような音色。バタフライから飛び降りるルイス、リリスにチューチェ。ルイスの肩には必要な品だけを収めた布袋。そこにはリリスのための本を数冊と、いくらかの日用品が入っている。パイロット席にいるニーアが着地した彼らにグッドラックと指で合図を送る。ルイスが仁王立ちして盆地を見渡すなか、リリスとチューチェはパイロットにバイバイと手を振り返していた。

 ルイスはすぐにでもメッカの開いた博覧会の会場を探さなくてはいけないと焦っていた。牢で彼と話してから急ぎで飛んできたが、もう太陽はだいぶ傾いてしまっている。タイムリミットは再びバタフライが訪れる翌々日の早朝。それまでになんとしても亡国を探し出し、そこから蘇生を司る宝剣を手に入れてこなくてはならない。だが、どこからともなく聞こえるその歌声は何か懐かしく、ルイスがここへやってきた目的を忘れさせるかのような魅力があった。

「リリス、歌が聞こえないか……」

 ルイスはかすかに聞こえるその歌声に耳をすませながらリリスに尋ねた。

「歌?そんなもの聞こえないよ」

 リリスはあっけらかんと答える。一方、チューチェ曰く

「なんか優しい感じの歌?小さい音だけど、僕には聞こえてまちゅ」

 ルイスの聴覚が優れているからといって、人が聞き取れないほどの声量ではなかった。ましてや若い少女が聞き取れないはずがない。ルイスはもう一度「歌が聞こえないか」と念押しに訊いたが、少女は彼がなぜそんなことを言い出すのか分からないという様子で「聞こえない」と返答した。

「盆地って言っても広いねーー。博覧会の跡地なんて空から見ても見当たる気配なかったし」

「確かにこの土地は広い。無暗に探したところで見えもしない絡繰の町を見つけることはできないだろう。日が落ち切る前に足がかりを得たいところだが、この歌声……どこかで……」

 ルイスの聞き覚えのある歌声。その主、きっと彼女に違いなかった。ルイスはその歌声のする方角に目を向ける。

「ルイス、どうかしたの?」

 到着早々に妙な反応をする絡繰戦士。リリスは不思議そうに彼を見ている。

「直観なんだが、博覧会の場所が分かった気がするんだ」

「本当に?」

「ああ、耳にしたことのある歌声だ。リリス、お前には聞こえないようだが……。あの方角から聞こえている」

 絡繰戦士はそう話すと何もない平地の広がるとある方向を指した。リリスは彼の直感を信頼すると応じる。チューチェもルイスの考えに賛同を示した。ルイスはこっちだと歌声のする方へ歩みを進め、リリスたちもそれに続いた。

 小さな川を渡って、そこからほんの半里ほど行ったところ。道中突然に獣道がぐにゃりと変形し鬱蒼と木々の生えた森が現れる。リリスは即座に迷宮結界だと注意を促した。しかし、ルイスは迷うことなくその結界を突き進んでいく。歌声のするほうへぐいぐい進んでいくと徐々にその声は大きくなり、とうとうささやき程度に聞こえるまでなった。そしてそのときぱっと樹海が開け、亡き王国が姿を現す。遊園地にも似た大きな入場門はその昔メッカが博覧会を開いた時の門の造りそのままなのであろう。立て看板には『カラクリ大王国』の文字。それはその展覧会の名前でもあり、亡き王国の新たな名でもあった。

「本当にルイスについてきたら辿りついちゃったね」

「チューチェ、途中森が出てきたときはびっくりしちゃったけど、到着でちゅ」

 リリスと契約絡繰が驚きの顔で呟く。門を見上げて絡繰戦士も独り言ちた。

「私も驚いているよ。こんなに簡単に見つけることができるとは。……それにしても、かすかに聞こえた歌が唯一の頼みだった。この歌、どういうわけか懐かしい心地がする」

 エルクやウッドに先を越された雰囲気は無かった。絡繰戦士と大魔女は博覧会の跡地へ足を踏み入れていく。そこは展示場であった頃の古びた建物をそのまま転用して、一つの町を作り上げていた。カラクリ大王国の敷地内には数階の背丈の低い建物が犇めき合い、道々にはたくさんの人の姿がある。彼らは皆、客人が訪れたことに気づいて目をくれる素振りもなく、ただ忙しい夕前の支度に明け暮れていた。

 歌声はこの町に着いてからめっきりその聞こえてくる方向が発散してしまって、聞こえる方角が分からなくなってしまった。まるで町の至る所にスピーカーが置かれていて、それを通じて町中に仄かな音色が流されているかのようだ。ルイスはチューチェに歌の聞こえる方向が分かるかと尋ねてみるが、契約絡繰にもそれは同じであるようだった。

「よぅ、そこの奥さん!お嬢ちゃんに魚を買っていかないかい?新鮮で大きな魚が市場から入ってるんだよ!」

 道端の魚屋の店主に声をかけられる。中年の男は手にぴちぴちと跳ねる濃い色をした魚を手に取り、ルイスたちにこれがいいんだと見せてくる。一目見ただけではその商人、生身の人間としか見えない。だが、とルイスは思う。この人里から遠く離れた地に魚を運んでくる者がいるとは到底思えない。跳ねている魚の目は生き生きと輝いているが、何か彼らの様子には悲しげな風がある。絡繰戦士は呼び止められた店主に平然を装って答える。

「今日は家で夕飯にするわけではないんだ。悪いね」

「そうなんかい、ご婦人。それじゃあ、干物なんかだったらどうだろうか。帝国から仕入れた品だから長持ちするぞ!」

「いや、それもいいんだ。……ところでご主人、変なことを聞くようで済まないのだけれど、聖女ミナエルという女性を御存じではないか?」

「聖女ミナエル?はて、誰かお探しなのかな――」

 店主はルイスたちの質問に仕事の話でなくとも気さくに応じた。ルイスは日の陰り具合を見定めて、休む場所が必要だと悟る。そこで、店主にもう一度顔を向けて話しかけた。

「いやいや、知らないならいいんだ。あともう一つ尋ねたいことがある。私たちはここのことをよく知らないのだが、町で一晩過ごせる宿みたいなところはないかな?」

「ありゃ、なーんだ、旅の方かね!道理で見たことない顔だと思ったよー。旅人には悪くはできないねぇ。この通りをずっと行ったところにユーディニアという女が一人で経営しているホテルがあるよ。あまり大きいところじゃないんだが、親子で一泊するには豪華すぎるくらいだ」

「そうか。教えてくれてありがとう。助かるよ」

「いやいや、ここに旅人が来るなんてもう何十年ぶりだからね。お探しの人が見つかることを祈っているよ。ほれ、そんな珍しいお客さんにはこの干物をあげよう!!」

 ルイスは受け取るわけにはいかないとまた断るつもりだったが、リリスがただで貰えるならと「わーいっ」と燥ぎ、厚かましく品を頂戴してしまった。ルイスはすまないと店主に言うと、彼はそんなことはないと満面の笑みをして「チェリオ!」と別れの言葉を口にした。

 ルイスにとってはカラクリ王国が滅びたのは本当に昔のことである。そこはこの博覧会の会場よりもずっと広い王国として栄えていたことを覚えているが、なにせ年端もいかない少年のころに王国は消滅した。もはやその土地で人々がどんな言葉を話していたかというのはどうにも思い出せない。挨拶の言葉も「チェリオ」なんていうものであったという保証はない。だが、ルイスにとってそれはなぜだか懐かしい響きのする言葉であった。

「あったよー、ホテル!泊まろう!」

 少女リリスが貰った干物をぶんぶん振り回しながら一軒の宿の前に立ってルイスを呼ぶ。チューチェも薄く焼けたホテルの看板で飛び回っている。もう黄昏時であった。ルイスは少し微笑みながら彼女の下へ行き、宿屋の大きな二枚扉を引いて中に入った。

「いらっしゃい。お客さん?」

 元気のいい声で赤髪の番頭娘がルイスたちに訊いた。

「ああそうだ。数日泊めて欲しんだが、部屋は開いているかな」

「もちろんですよ。うちにお客さんなんて滅多にいらっしゃらないですからね。どうぞ、一番上の階に案内いたしますわ。きっと気に入りますよ」

 この番頭娘が魚屋の主人の言っていたユーディニアであろうとルイスは思った。絡繰戦士たちはどうもよそよそしさを感じながらユーディニアに四階の大きな部屋へ案内をされた。四人は泊まれると思われるその部屋に入るや否や、ここからの景色が良いのだと言って番頭娘は部屋の窓を開け開く。案内された客室の南北に一対ずつある窓からは、この町を一通り眺めることができた。南の窓からはルイスたちの通ったゆらゆら揺らめく迷宮結界が見える。一方、北側には城とも思える大きな建物が聳えていた。

「とても気に入ったよ。この部屋に泊めてもらいたい。宿泊代は帰るときに渡すが、客室に入れるだけの人数分と日数、金品を払おうと思っている」

「あら、そんなことなさらなくて結構ですわ。うちはボランティアでやってるんです。お客さんに泊まってもらうことが私の最大の喜びですもの。代金なんていただきませんわ」

 めっそうもないと首を振りながら番頭娘は話した。好意に甘えてしまって構わないかルイスは迷ったが、屈託のない笑顔でいるその女と押し問答をするのも憚られて、結局はありがとうと感謝の意を伝えるに留めた。彼女がねじ巻きのようなルームキーを置いて出ていくとき、ルイスは一応と思い、聖女ミナエルのことを知っているか尋ねる。しかし、ユーディニアは魚屋と同じように全く見当もつかないと答えるのであった。

 そのあとに残されたのはルイスたち三名。リリスはこんなに大きな部屋に泊まれるなんて嬉しいと子供らしく騒いで、ダブルベッドのところで跳ねていた。チューチェも大きな部屋だと感激しながら部屋中を飛んで回った。それを微笑ましく見たルイスは彼女らに向かって

「今日は結界を抜けてきて少々草臥れた。聖女と宝剣を探すのは一先ず休んでからにしよう。明日は日が昇る前からこの町を捜索するぞ。リリス、チューチェ」

と声をかけて、少女も契約絡繰もそうしようと頷いた。それから

「その干物は本物か?」

とルイスはふとリリスが魚屋からもらった品が気になって少女に訊いた。

「うーん、それがね。すっごく本物っぽいんだけど、これおもちゃだよ」

 少女は持っていた干物はからからりと音を鳴らす。ルイスはやはりそうかとため息をついた。住んでいるすべてが絡繰人形である町。そこに暮らす人々は何事もないかのように日々を過ごしている。しかし、この町は産業も流通も人々の交流も、生活のあらゆることが止まってしまっているのだ。ある時から時間が進まなくなってしまったかのように。だから、町を歩いていてもどこか閉塞した空気を感じてならない。

 絡繰の町で食料を調達できないと諦めたルイスは、持っていた袋の中からアデムウォールの缶詰を出してきて、非常食としてリリスに投げた。そして三名は銘々に時間を過ごし、寝床に着く。ルイスは鳴りやむことのない歌声を耳に王国を探し当て、かなりの披露に襲われていた。チューチェも同じ様子で、部屋についてからしばらくするとぐったり寝込んでしまっていた。彼らの中で唯一元気なのはリリスだけ。ルイスは少女より早めに眠りにつくことにした。絡繰戦士も忙しい一日を終えれば、それまでの活動を記録し、微小に破損した身体を自動修復する時間が必要だ。

 部屋の明かりは不測の事態があった時すぐ対応できるよう、一部付けたままにした。

 その夜、眠りについていたルイスは夢で長い金色の髪をした女性と邂逅していた。上下も左右もないケーブル上の通信みたいな世界でルイスは彼女に尋ねる。

「……聖女ミナエル、この町にいるんだな」

 彼女は口を結んだままこくりと頷き、ルイスに答える。

「あなたに大事なことを伝えに来たの。あまり他の人がいるところでは話せないから」

 白い靄のかかったような幻想的な空間を漂うルイスと聖女ミナエル。ルイスは己の母との再会の場であの歌が奏でられていることに気づく。

「ある物語を伝えに来たの。これは魔王ハデスと大魔女エリス、それからカラクリ王国の物語」

「ハデスとエリスとカラクリ王国……。伝承にもなっているカラクリ王国の滅亡の物語か」

「そうとも言えるし、そうでないとも言えるわ」

 ミナエルはどっちつかずの解答をしてから、口を閉じたまま続けた。

「ハデスの妻である大魔女エリスは人間だった。長い長い時をハデスとエリスは共に過ごしたわ。でも人間であったエリスの寿命はハデスよりずっと早く訪れた。エリスが亡くなるときのことよ。死に際の大魔女エリスを見かねたハデスは、彼女をなんとか現世に繋ぎ止めるため、エリスを生贄にかけて自らに吸収したわ。それでカラクリ王国での蘇生の儀式に臨み、その場にいたニック・カラクリも吸収した」

 ルイスはそこまで聞いて首を傾げた。伝承にはハデスがエリスを吸収したという記載はない。それに自分の記憶とも違っている。聖女は誰にも語り継がれることのない物語を淡々と語った。

「でも、蘇生魔法は失敗に終わったの。だって、ハデスの蘇生したかったエリスはもう魔王の魂と同化してしまっていたし、蘇生に必要な魔力も全然足らなかった。ニック・カラクリから得た蘇生魔法も魔族の魂が主体の彼では機能しなかったわ。取り返しのつかないことをしたと知ったハデスは魂を切る聖剣ヴァイス・シャイトで自らを突き、どうにかエリスの魂だけでも切除しようとした。でもどう身体を抉ってみてもエリスを分離することは出来なかった。最後には自ら八つ裂きになったハデスが残ったそうよ」

「――それでは私が知る事実とは異なる。伝承ではハデスは蘇生の儀式でニック・カラクリを殺し、自身をも生贄にしてデス・ニコラスとして復活する。自らを聖剣で貫くことはおろか、エリスの吸収もしていない」

「そうよ。今話したのは最初のハデスのお話。あなたが知っているのは第二のハデスのお話」

「最初のハデス、第二のハデス?どういう意味だ……」

 ルイスは眉根を寄せて尋ねる。

「ハデスはね、生贄の象徴と蘇生の象徴、つまり大魔女エリスとニック・カラクリを吸収したことで死を凌駕する存在となっていたの。そんな彼が儀式の後どうなったか分かる?」

 今度は聖女ミナエルがルイスに向かって厳しい顔つきになって尋ねる番であった。絡繰戦士は唾をごくりと飲み込む。ルイス自身にも大魔女リリスと聖女ミナエルを吸収した覚えがある。

「実はね、エリスとハデスの間には子供こそ設けられなかったけど、二人の思い出の機械人形があったのよ。エルデスっていうんだけど」

「エルデスだと」

「エルデスはね、エリスが死んだ後に宿ることのできる魂の入れ物として作られたのよ。でもエリスは自分が死んでも機械人形にはなりたくないと拒んだの」

「それは初耳だが、今の話とどうつながってくるんだ――」

「自殺ともいえる形で死んだ最初のハデスは過去で蘇ったのよ。エルデスの肉体に宿ってね。それで未来を変えたの。最初はエリスが吸収されるのを阻止して魔王に顛末を語ったわ。それで悲しんだ第二のハデスは、自分とニック・カラクリの両方の魂を等しく持った存在となるために儀式で自ら生贄になった。どっちにしてもハデスが消える結末は同じだったわけね。エルデスの肉体に宿った最初のハデスはそのあとカラクリ王国の人々を次々に殺し、蘇生の糧にしたわ。そして最後には必要な魔力を抑えるため、魂の等価交換に自らも……」

「私の知るデス・ニコラスはお前の言う第二のハデスと国王ニック・カラクリから生まれたと言いたいのか。その、魂の等価交換とやらで」

「そういうことになるわね。蘇生するものと同じ魂を生贄にすれば、蘇生レザレクションにおける消費魔力は大幅に減らすことができる。デス・ニコラスの場合、ニックの分はカラクリ王国の人間で補ったみたいだけれど」

 ルイスは蘇生魔法の深淵を耳にしたように感じた。言い終えると、聖女は夢という曖昧な世界に溶け込むようにして消えていく。最後、彼女は伝えようとしていた忠告を口にした。

「大事なことは結末が同じだったということよ。儀式の後、再び空っぽになったエルデスと死んだハデス。最初も二度目もニコラスは死ぬ運命にあった。あなたも運命に抗おうとする一人だけど、時に受け入れて進まないといけないこともあるのよ。よく考えて行動しなさい――」

 ルイスは去っていく聖女ミナエルに向かって「待て」と手を伸ばしていた。ばさっ!ルイスはそこで飛び起きた。客室時計の小さな扉が開いて、出てきた鳥の絡繰が鳴いて時刻を伝える。もう夜の二時になっていた。

「Oh Cheerio, Oh Cheerily Cheerio.

 Oh Cheerily, Oh Cheerily, Oh Cheerio」

 ルイスには今度こそ歌がはっきり音として聞こえていた。ルイスはベッドから起きだしてきて北向きの窓を引き開ける。その先にあるのはカラクリ大王国の王城。透き通った歌声は確実にそこから放たれていた。

 もう一つ、ルイスは気づいたことがある。それは目を疑う光景であった。街灯が灯っていない暗いカラクリ大王国は歌声の他はしんと静まり返り、地上はルイスたちの部屋の明かりで仄かに照らされていた。そこにいるのは地面にばたばた倒れ伏している絡繰人形たち身体。すべてこの町の住人である。

 絡繰戦士は気が動転した。リリスたちにこのことを告げたら驚かしてしまうと思い、ルイスは独り客室を出て下の番頭娘の様子を確認しに行った。一階について魔力の明かりをつける。すると、やはりそこでも番頭娘は魂が抜けてしまったように両目を虚ろに開いたまま、受付で突っ伏してしまっているのだ。

 ルイスは自分に異常がないことを確かめてから部屋に戻る。リリスの枕元であおむけに寝転がっているチューチェを見てみるが、やはり異常が起きているようではない。すやすやと寝息をたてる絡繰おもちゃの寝相にルイスは安堵した。

 それから夜が明けてしまった。絡繰戦士は夢に聖女ミナエルが現れてからというもの、何か自分の中でつっかえてしまったものがあって眠れずに過ごした。リリスとチューチェがやっと目覚めると、もう朝日が差し込んでいて、昨晩の捜索計画は早くも遅れをきたしてしまっていた。座っていたルイスにリリスは寝坊してごめんなさいと謝るが、疲れていた少女と死んだ絡繰の町へ繰り出すわけにいかなかった。ルイスは大丈夫だと返事して、出る支度をするように伝えた。もう外では住人たちが活発に動き回っている。城から聞こえた歌は止み、どこからともなく聞こえる囁きに戻っていた。

 ほどなくして彼らはホテルを出発する。向かう先はルイスが決めた。カラクリ大王国のキャッスルである。


   ◆


 大理石の床でこつこつ足下を鳴らして辛抱ならない男が一人いる。彼は眠気眼にここへ到達して数時間待ち続けているのだ。最速の飛竜を使っても盆地に着くのは夜更けであった。それからさらに厳しい森の迷路を抜けてやってきてみたら人形がばたばた倒れてほんのり歌が聞こえる町。気味が悪くて仕方がなかった。それを歌っていた主は今彼の目の前にいる。

「おい、まだルイスたちは来ないのか」

 戦神は王座の前で立つ女に語気を強めて言い立てる。大柄に鋼鉄の鎧を着こんだウッドの隣には同じく鎧を着こんだ戦士姿のエルクが居た。彼の装備は帝国が所有する最強の防具。銀と蒼を基調にした鎧に身を包んだ勇者の姿がそこにあった。機動性を重視してか鉄仮面はなく、その代わり聖なる守り齎す装飾された金の首輪とカチューシャ状の兜をしている。

 彼らがいるこの部屋も博覧会をやっていたころは王室のように飾り立てられて、王に王妃、それから召使の絡繰人形が多数展示されていた。しかし、今となっては荒廃し切ってしまって煌びやかな王室は見る影もない。割れた天井の窓ガラスからは冷たい風が流れ込んできて、ヒューヒューと音を立てている。

「もうすぐ来るわ」

 頭には神聖な金のティアラ、袖まで長く伸びる銀白色の服。背はすらりと高く、女性らしい艶やかな身体つき。靴には高めのヒールを履いており、一目見ればどこかの国の王女か王妃であるかにみえるその風貌。色白で鼻は高く、どこまでも透き通った緑の瞳が輝いて彼方を見つめる。聖女ミナエルである。

 王座への階段を一歩ずつ上ってくる足音がする。重たい身体の持ち主の鈍い響きとスキップするような軽妙な歩調。開け放たれた扉に絡繰戦士、選ばれし大魔女、契約の絡繰が現れた。

「もうご到着とは、ずいぶん帝国も足が速くなったものだ」

 ルイスは自分を二度も捕えようとした仲間に嫌味を垂れて、彼らに近づいた。

「悪く言うな。ここにはお前を緊急停止させるものは持ってきていない」

 ウッドはつまらなそうな顔をして現れた絡繰戦士にそう宣言する。役者は揃った。

「皆さん、選ばれし者たちが集まったようですね。まずはカラクリ大王国へようこそ。ここは解放されたカラクリ王国の魂が余生を送る第二のカラクリ王国よ。そしてこのキャッスル・パビリオンの地下。そこにあなたたちの求める蘇りの宝剣、聖剣ヴァイス・シャイトと霊剣オプフェルノが眠っているわ」

 聖女は長い木の杖を片手に静かに語った。そして杖を天にかざして

「我は聖女ミナエル、この王国に眠りし悪の根源を求めるものなり。今、我の言葉に応えてその道を示せ」

 彼女が唱えると突如として城に光の矢が降り注ぎ、轟々と音を立て始める。そして王座の周りの石が独りでに集まってゲートの形を成す。それはまるでブライス城のフレディが形成されるかのようだ。人が一人通れるかというくらいの門が王座の前に聳え、そこに白い膜が張られる。聖女はそれを祠だと言った。

「さあ、この門から地下へ向かいましょう。奥の祭壇に宝剣が眠っているわ」

 ミナエルは合計六名の人と絡繰を手招きしてゲートから入場する。祠の内部はひんやりと冷たかった。そこは城と同じ銀に輝く石で囲まれていて中は暗い。聖女は一つ呪文を唱えて手元に明かりを灯し、ずっと続く道の奥へと導いていく。十分ほど地下に向かって傾斜を降りていくと、とうとう宝剣を封印した祭壇の間が眼前に広がる。

 ミナエルはそこに到着すると周囲に設けられたくぼみに明かりを付け、祭壇の全容を彼らに示した。

 そこにいたのは巨大な歯車の上に聳える羽の生えた像。左半身は羽毛の羽をはやした天使の形をしていて、右半身は龍に似た翼を持つ悪魔。それらが互いに背中合わせに繋がれている。天使の側は背丈を超えるほどの巨大な大剣を握り、悪魔の側は装飾された鋭い長剣を手にしている。そのちぐはぐな見た目の像は、それぞれ手にした剣先を二刀を封印した石室へ向けている。

 ミナエスは改まって像の前に立ち、連れてきた者たちに告げた。

「聖剣と霊剣の眠る封印の地よ。私の作ったこの像が二刀の宝剣を蘇らないように封じている」

 そして聖女は一息ついてから続けて

「だけど、ここで残念なお知らせがあるの」

と神妙な面持ちで語る。

「どういうことですか」

 勇者エルクが前に進み出て尋ねる。その顔をちらりと見たミナエルは少し申し訳なさそうな表情をした。彼女は勇者たちが宝剣の奇跡を求めていることを知っていた。重い口を開く。

「前の大魔女降臨グランド・マジシャンズ・アドヴェントの儀式ではデス・ルイスが魔王デス・ニコラスを倒したことで宝剣が人間の手に戻ってきた。でもね、もう蘇生の儀式を宝剣で行うことは出来ないの」

 聖女は彼女の施した封印の正体を打ち明け始める。一行は固唾を呑んだ。

「この宝剣はね、亡き王国、カラクリ王国に伝わりし蘇生の宝剣。一方は魂を切り裂く剣、もう一方は魂を吸い取る剣。二つの剣が揃ってそれらが交わりし時、奇跡の蘇生を起こすことができる。でも、蘇生の秘術は莫大な魔力を必要とするわ。それでここに封じられた宝剣は幾度とない凄惨な過去を経験してきた」

 エルクはミナエルの言葉に顔を歪める。二刀の宝剣が一番最近使われようとしたとき、エリスの蘇生は失敗し、人間にして魔王に身を堕としたものが現れた。その前に使われたとき、宝剣は罪なきカラクリ王国の人々を殺し、国を滅ぼした。その過去を思った勇者は心を痛める。

「だから私は世界と犠牲となった者の声を聞き入れ、幾度となく悲劇を起こしてきた蘇生の宝剣が二度と共に蘇ることがないように封印したわ。多大な犠牲を払って魔族から取り戻した宝剣は今ではどちらか一方しか手に入らない。ここがその宝剣の封印の間であり、選択の間よ」

 ルイスは黙ってただ彼女の話を聞いていた。二つの宝剣が揃わないのであればエルクの足を蘇生することは叶わない。少しの沈黙を経て、勇者は聖女の言葉を繰り返してそれに続けた。

「一方の剣しか手に入らない――。その選択というのはどうすればいいのですか」

「石像には起動の術式が込められている。ここにあなたたちの中から一人を生贄にしてもらうことでその魂に込められた魔力で歯車が回転するわ。そして動き出した石像は一方の宝剣の封印を破り、反動に他方を粉砕する」

 ミナエルは厳しい選択の現実を勇者に突きつける。

「生贄となれるのは強い運命に導かれた二人。一人は私たちの希望である勇者エルク。もう一人は私たちの絶望であるそこの絡繰戦士さんよ」

「……えっ」

 エルクの口から声が漏れる。刹那、その場にいた全員の視線がルイスへ集まった。ウッドは顔を強張らせた。リリスは絡繰戦士を心配そうに見上げる。チューチェは空中で目を丸くした。ミナエルはどこか遠くを見るような眼差しをしている。ルイスはもう嘘をつくことはできないと腹をくくり、振り返ったエルクに微笑みを返した。

「勇者が生贄になれば魔族を勝利に導く剣、霊剣オプフェルノが解放されて聖剣は地獄に落ちる。逆に絡繰戦士さんを生贄にすれば私たちを勝利に導く剣、聖剣ヴァイス・シャイトが解放されて霊剣は地獄に落ちる。どちらを選ぶもあなたたちの自由だわ」

 ミナエルが瞳の先はエルクでもルイスでもない。祭壇にいる誰もが選択を迫られていた。ウッドが絡繰戦士に一歩近づいて困惑と焦りの表情で問い質す。

「おい、ルイス。俺には聖女が何を言っているのか分からないぞ」

 絡繰戦士はこれまでだと思って自分のすべてを曝け出すことを決めた。自分の中に固く蓋したはずの不敵の笑みが絡繰の顔をして戻る。直後、ルイスの不気味な笑い声が轟いた。

「はっはっは。そうだ、私はデス・ルイス、魔族の王だ。この絡繰人形は仮の姿に過ぎない」

 ルイスの口からおもむろに飛び出た発言に、周囲の者は閉口せざるを得なかった。もう包み隠さないと決めたルイスはそれがバグであると思われようが、ふざけていると思われようがどうでもよかった。彼ができるのは真実を話すことのみ。

「前の大魔女の儀式、デス・ニコラスが私を生贄にかけようとしたとき奇跡が起こった。当時はなんでそんなことになったのか理由は分からなかった。私は知らなかったのだよ。自分がこの聖女ミナエルの息子であることを」

 エルク、ウッドの目がいっそう引きつり、飛んでいたおもちゃ絡繰は唖然とくちばしを半開きで絶句している。ルイスは構わずに話を続けた。

「前の魔王、デス・ニコラスの生贄サクリファイスは、私にかかっていた聖女の加護によって反射した。そして反射した生贄サクリファイスで息絶えたデス・ニコラスから私に魔王のローブの所有が移った。その礼装は魔族に絶対服従を強いるもの。あとはお前たちが知っている事実の通りだ。カラクリ王国の生き残りの男の子、ルイスはデス・ルイスとなり、魔族を従えた。それが私だ」

 ウッドが背中の大剣に手を伸ばす。彼は一番にこの状況を飲み込んでいた。さすがは戦神、戦況判断となれば随一の才を誇る。彼は祭壇が次の瞬間どうなるか予感した。殺し合い。宝剣を得るための生贄にエルクかルイスかを選ぶ戦い。その死闘がここで始まろうとしている。

 ルイスも一瞬の選択の間違いがこの場を火の海に変えることを理解していた。自分を殺そうとするもの、守ろうとするもの。戦いになれば誰が味方に、そして敵になるか分からないが、そんな誤解による争いは避けねばならなかった。ルイスは冷静に言葉を選ぶ。

「しかし、私には考えがある。私とエルクどちらかを犠牲にして一方の宝剣を得ると言うのはあまりに惨過ぎる。できることならば、エルクの足を蘇生するためにも両方を手に入れたい。そうだろ?」

 ウッドの緊張の糸が僅かに解れる。自分が魔王だと主張し始めた絡繰戦士の声には、共に苦難を乗り越えてきた仲間の暖かみが戻っていた。ルイスは皆を諭すように打開策を明かす。

「この封印に込められた術式は、生贄によって一方の剣を封印から解き、他方を永遠に葬る。そんな二者択一を強いられるならば、封印自体を破壊してしまえばいい。破壊された術式では宝剣を葬ることなんて出来はしないし、二口の剣もその封印から解かれる。そして私でもエルクでもない、封印を破るのに最適な生贄がここには居る」

 ルイスはそこまで言うと全員が自分に傾聴していることを確認し、生贄とすべき人物を指さす。指された者は暗黙の裡に彼がそういう選択をするのだろうと予見していた。だから自分が生贄になることに迷いはなかった。絡繰戦士は試練を与えし者に答えを突き付けて叫んだ。

「宝剣を手に入れるのに生贄となるのはお前だ、聖女ミナエル!!」

 戦神が息を呑む。エルクは少しの間理解が追いつかなかったが、はっとなって聖女の方に目を向ける。そこにはすべてを受け入れて優しい顔をしたルイスの母が立っている。

「ルールが理不尽を強制するならば、そのルールを壊すまでっていうことね……。いいでしょう、私が生贄になります」

 ミナエルは落ち着きを払ってそう返事を返した。

「生贄になれるのは王子とルイスだけなんだろ!なんで聖女が生贄になれるんだ!」

 聖女の提示した生贄となれる候補はエルクかルイスの二人だ。腑に落ちない解答に声を上げるウッド。このままでは選ばれし聖女ミナエルが無駄死にしてしまう。そこへエルクが制止をかけた。

「――聖女の加護だ。聖女の息子であったルイスには彼女の加護があって生贄魔法を反射した。そうなら、その母親である聖女ミナエルにも同じ加護があるはず。ルイスはこの石像に込められた生贄サクリファイスを反射して二刀の封印を根本から破るつもりなんだ」

 ミナエルは独りルイスの指名に応じて生贄の歯車へ登った。ルイスは彼女が変な気を起こさないかを観察していたが、反抗する様子はない。ミナエルは仄かに照らされた祭壇で掌を合わせて天を仰ぎ、小さく呟いた。

「あなたの息子は可能性に未来を委ねたわよ、メクルニス」

 石像の二つの顔がガラガラ音を立てて動き出す。二体の瞳が祭壇に供えられた生贄を一瞥し、儀式が始まった。天使と悪魔が代わる代わるミナエルを見る。そして、頭部を回転させながらおぞましい呻き声をあげ、聖女へ生贄サクリファイスの黒き闇を一気に注いだ。


ドヴァヴァヴァヴァアァァァ―――


 石像から放たれた漆黒。しかし、加護の効果が発現する。ミナエルの頭上に光のバリアが展開し、生贄サクリファイスは阻まれた。

キーン!!直後、放出された邪気は封印の像へ逆戻りし、天使と悪魔の顔を浸す。

「ショーェアーーー」

「ギギギゴアーーー」

 二体の面から悲痛の断末魔が聞こえる。それと同時に彼らの剣が手元を離れ、封印の石室へ落下。ゴツンと音を鳴らして石室に当たると、棺と共に大きな光を放って消え去った。一つの石室からは白の光が、もう一つからは黒の光が輝いて祭壇を朝日のごとく照らす。

 ガガガガガ、ゴゴゴゴゴ、ズズズズズッ!!厳かで力強い地響き。それはいかに強力な封印が二刀の宝剣にかかっていたかを物語っている。今、封印はそれをかけた聖女自身の加護によって崩壊していく。後に残ったのは祭壇の左右に置かれた蘇生の宝剣。

 一つは胴ほどの刃をもつ黄金の長剣で、剣のフラーには生者の魂を切り裂く印字が刻まれている。鍔にはユリの文様にもにた金の飾りがつき、持ち手は龍の首の形をしている。周囲の光を反射するばかりではなく、自ら輝く希望の剣。聖剣ヴァイス・シャイトだ。

 もう一方の剣は聖剣の二倍ほどの刀身を持った大剣である。まがまがしい気配を放つ黒い刀身はいかなるものも薙ぎ倒す分厚いものであり、巨大な刃にはぎろぎろ睨む七つの目玉が取り付いている。ガードは死者の頭蓋骨と節のある肋骨様の形状。柄は何かを恨み、助けを求めるかのような人間の手を模している。本物の霊剣オプフェルノで間違いない。

 目の前に現れた聖剣にエルクが近づく。すると聖剣ヴァイス・シャイトは己の主を見つけたかのように彼に呼応し、放つ輝きを強くする。彼は初めて目にする魂をも切り裂く刃に感嘆の声を漏らした。一方、ルイスが向かった先は邪悪な霊剣のもとである。大剣は落ち着きなく周囲を見渡していたが、彼がそれを手にするときっとルイスのことを見定め、主と認めるとまた忙しく周囲をぐるりぐるりと眺め始めた。

 石像は反射された魔法によって破壊され、しまりのない顔を晒していた。生贄の祭壇に立たされていた聖女ミナエルは流石に少し緊張をしていたのか、ふうと大きく息をついてから歯車を降りてくる。そして自らを生贄とかけたルイスの方に視線をやって

「でもルイス、あなたは今の決断でやっぱり運命に負けたのではないかしら」

と呟いた。ルイスは手にした大剣をずしりと地面に刺しながら反論した。

「私が運命に負けただと?聖剣と霊剣を両方手に入れたというのにか」

「それを手に入れるのに私の聖女の加護を犠牲にしてしまったわ。一度きりの加護を失った私には、もう生贄サクリファイスへの絶対耐性はない。それが何を意味しているかはあなたが一番分かっているはずよ」

 ルイスははっとなって思い出す。自分が勇者との最終決戦に臨んだあの日、ルイスは聖女ミナエルを生贄に自分へ吸収したのだ。しかし、彼女の加護が残っていれば史実は違ったかもしれない。生贄サクリファイスは無防備なデス・ルイスに反射し、最期を迎えたのかもしれないと。焦燥する。もしやルイスは己の知る運命を自ら受け入れる方向に選択をしてしまったのではないか。同じ結末を迎えるために。

 ルイスは運命の綾糸をかみ切らんばかりに歯を食いしばった。思い返す。この程度の逆境、魔王でありし頃から幾度となく乗り越えてきた。そして自分に誓った。己で道を切り開くと。

「この霊剣があれば未来は変えられる。いや変えてみせる」

 ルイスが言い終わらんというとき、大柄の戦士が近づいてくるのが分かった。

「ルイス、その霊剣を俺に渡せ」

 ウッドが太い腕を差し出して絡繰戦士に迫る。戦神はルイスに霊剣を持たせておくことはリスクだと見なした。絡繰戦士はオプフェルノに両手を添えて泰然とした態度で答える。

「渡す必要はない。この霊剣は私を主として認めた」

「ルイス……お前は本当に魔王デス・ルイスなのか?」

「過去は魔王デス・ルイスであった。しかし今は違う」

 ルイスは息を吸い込んで大げさなくらい自信に満ちた笑みを浮かべる。

「私は絡繰大王メッカに作られしブライス帝国最強の王室戦士ロイヤル・ナイト、ルイスだ」

 封印の祠から選ばれし者たちが帰ってくる。祠での時間の進みは外の世界よりもずっと遅い。なにせ伝説の剣を錆びさせず保存する必要があったのだ。ミナエルは祠に時渡りの刻印を施していた。祠での一分は外の三〇分にもなる。彼らがキャッスル・パビリオンに戻ってくるともうとっくに日が暮れてしまっているのであった。絡繰の住人はすでに深い眠りについている。

 戦神ウッドが手を首元にあて、戦慄く星空を見上げて語った。

「しかし、その二刀の宝剣が手に入っても蘇生の秘術には莫大な魔力が必要になる。伝承を信じるならば、大魔女や聖女を生贄にしない限り、蘇生レザレクションを使うのは到底不可能な話だ」

 疑念するウッドに、絡繰戦士は考えていた作戦を嗾ける。

「魔力の心配をする必要はない。手っ取り早く莫大な魔力を手に入れる方法がある」

 ルイスは摩天城に攻め入る機会を探っていた。次の夜、満月が訪れる。その日、魔族の王デス・ルイスは最期の戦いに挑んだのだ。ミナエルはキャッスルに明かりを灯しながら廻る。

「明朝に魔族の城、魔天城へ攻め込む。そして膨大な魔力を持った魔王をこの霊剣に吸収し、エルクの足を蘇生する源とするのだ」

 ルイスはカラクリ大王国の玉座の前に立って皆に説いた。

「少々突然な奇襲になるけれど、私は彼に賛成するわ。世界の空気が一段と張りつめている。サミットで人間と魔族の関係がこれまでになく悪化した今、各地で戦いが起きようとしているわ。それを抑えるためにも早々に玉を叩くのが一番」

 王座の間を照らし終えた聖女ミナエルが凛として意見を述べる。

「私もチューチェも準備は万端だよ。いつでも力を解放して戦いに挑めるもん。ねー、チューチェ?」

「そうでちゅ。リリスと僕のサイキョーコンビなら誰にも負けないでちゅよ!」

 リリスは可愛げにガッツポーズをして、チューチェはその隣で羽をばたつかせながら同じポーズをとろうと頑張る。

「俺は無謀な戰には打って出ない質だ。なにせ冷静な軍師なものでな」

 すかした顔をしたウッド。その背にはルイスに「万全の準備で」と言われて持ってきた帝国最強の大剣バスターブレードがある。エルクは戦神の顔をちらりと見て呟いた。

「ウッドはそういうけど、結構とっさの判断は感情任せなところがあるよね。僕も魔族の城に無策に攻め込むのはよくないと思う。でもルイスには勝算があるんでしょ」

 それから勇者はルイスの方を向いて聖剣ヴァイス・シャイトを掲げ

「僕だってこの聖剣があればどんな敵にも負ける気はしない。魔王を必ず倒す」

と意気込みを見せる。ところが、ふと思ってみるとまだ摩天場への行き方が判明していない。

「ところでルイス、その摩天城にはどうやって行くつもりなの?」

 勇者の装備をしたエルクが首を傾げて尋ねる。

「摩天というのは天にも届くという意味だ。天に届くほどのものとは何だと思う?」

 絡繰戦士は人差し指を立てて謎をかける。少しの間エルクは唸った。

「どこか摩天城にも届くような高い塔があるのかな――。それとも、空を飛んでいくとか」

 答えを知っているものは知っている。天にも届くもの。

「摩天城はそんな体力勝負で行けるような場所ではない。第一そんな方法で行ける場所ならば、帝国だって摩天城の場所を突き止めているさ。天に届くほどのものはもっと抽象的なものだよ」

 ルイスのヒントを受けて、もう少しだけエルクはうんうん考え、答えをひねり出す。

「天に届くほどのもの。そうすると――『思い』とか」

 ルイスはパチンと指を鳴らして正解者に種明かしをする。

「その通り!人間たちはこのことを聞くと誰しも驚く。だが、これは事実だ。魔族はとうの昔にお前たち、いや私たちの『思い』の中に真なる居城を構えたのだ」

 そこへ事情の分かっていないウッドが突っ込みを入れる。リリスとミナエルは沈黙を守った。

「そんな無茶な!俺たちの『思い』の中に魔族の城があるだって?そんな空想の産物にどうやって到達しろと言うんだっ」

「どうやって行くか?行きたいと思えば行くことはできる。誰でも、いつでもな。これまでも曖昧な決心で摩天城に来ようと願った多くのものが魔族になり果てた。ある者は修行の果てに無我の境地で人を超える力を望み、魔天城に思いを叶えられた。あるものは己の汚れた血を憎み、それを逃れんとする思いが摩天城に届いた。お前も何か望んでみるか?」

 絡繰戦士はウッドを翻弄するかのように問うた。ウッドは気に食わないような顔をして「するものか」と独り言ちると、ルイスは表情を緩める。。

「冗談だよ。摩天城には我々がそれぞれの方法で行く必要はない。すでに摩天城に入る境地にある者が手招きすれば、誰でもそこへ至ることができる。此度は魔王である私が、世界の半分を支配する魔族の城へ神に選ばれし者たちをお連れしよう」

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