【03】全世界魔法サミットの開幕
これは悲しい物語。
『昔々、聖なる国カラクリには死者を蘇生させる魔法がありました。それは術者の魂を魔力の共鳴体とし、冥界から死者の魂を呼び戻す魔法です。もちろん人を蘇らせるためにはそれはそれはたくさんの魔力が必要です。多くの魔法使いがこの蘇生の魔法を完成させようとしましたが、出来た者は指で数えるほどしかいませんでした。聖なる国カラクリでもごく限られた特別な人しか蘇生の魔法を完成させたものはいませんでした。
一方、魔族の王様ハデスは長年『ある人間』を蘇らせたいと願っていました。しかし魔族の者では人間を蘇生することはできません。人間が死んだ後に行く世界と、魔族が死んだ後に行く世界は違う世界だからです。人間を蘇らせるには人間の行く冥界に通じることのできる魂が必要なのです。つまり『ある人間』を蘇生するには、蘇生魔法を使える人間が必要だったのです。
聖なる国カラクリの国王ニコラスは人も魔族も共に暮らせる世界を望んでいました。そして彼は王国に伝わる蘇生の宝を持ち、『ある人間』を蘇らせる儀式を執り行える数少ない人間の一人でした。そこで、あるとき魔王ハデスはニコラスに持ち掛けます。人間と魔族とが半分ずつの世界を支配している今、人と魔族の争いをやめようと。『ある人間』を蘇らせてくれれば魔族は侵略の戦いから手を引くと。どうやらハデスは本心からそうするつもりだったようです。
国王ニコラスは言います。魔王様、蘇生の魔術の真実をあなたは知りませんと。蘇生を行う魔力を得るためにはとてつもなく沢山の命を生贄に捧げなくてはならなかったのです。魔王はそれを聞いて絶望に暮れます。もしもその『ある人間』――名をエリスといいます――彼女を蘇らせようと思えば、幾千万もの尊い命を生贄に捧げなくてはならなかったのです。もちろんそんな数の命を人間から差し出すわけにはいきません。
国王ニコラスは魔族からその生贄を捧げるように伝えます。魔王ハデスは自分の中の対立する考えに苦慮しました。人間であるエリスを蘇らせたいという思い、そして魔族を守らねばならないという思い。魔王は決意しました。両方を手に入れようと。
ハデスは自らを生贄に捧げることで犠牲となる多くの命を減らすことができると提案します。国王ニコラスはなんども説得をしましたがその決意は固いものでした。そしてカラクリ王国に伝わる宝を使い、とうとう魔王を生贄としてエリスを蘇生させる儀式が行われました。ハデスはエリスとの思い出の品を儀式に持ってきて、それを基にエリスを蘇らせようとします。
しかし、ハデスは裏切りました。彼はエリスとの再開を望んでいたのです。自分が死んでしまっては元も子もありません。儀式の最終段階、あと少しで蘇生が成功するというところでハデスはニコラスを殺害します。そして自らをも殺し、儀式の生贄としました。
そのあとは悲惨なものでした。エリスとの思い出の品は独りでに動き出し、聖なる国カラクリの人々を殺して回りました。殺された人々は次々と儀式の生贄になっていきます。そしてエリスとの思い出の品は孤独に儀式を完成に導きます。
祭壇には魔王ハデスと国王ニコラスの亡骸。そこから生まれた者は自らをデス・ニコラスと名乗りました。その者はハデスとニコラスの魂二つを等しく持ち、魔族でありながら人間の魂を持った存在となりました。デス・ニコラスは新たな魔族の王として君臨し、蘇生の儀式に使われたカラクリ王国の宝は奪われました』
「おしまい」
ある夜中ルイスは机の隣に膝をつき、本を片手に王子に童話を読み聞かせた。この話は人間の中で語り継がれた物語である。絡繰戦士が童話を読み終えると、エルクは「デス・ニコラスって今も生きているの?」と尋ねた。ルイスは「いや、そんなことはないです」と答えてから
「実はこの後、続きのお話があります」
と話を続けた。童話には書かれていないお話の続きを期待してエルクは耳を傾けた。ルイスは自分の記憶パッチに頼るでもなく、他の童話に書かれていることを思い出すわけでもなく、己の記憶を頼りに言葉を紡いだ。
「デス・ニコラスは人間界で一〇〇〇年に一度行われる
「デス・ニコラスが亡くなった後、魔族はどうなったの?」
「魔族は今も消えていません」
「誰か新しい魔王ができたの?」
「ええ、できました」
「どんな魔王?」
ルイスは少し言葉を選ばくてはならなかった。時計の振り子が何度も往復を繰り返す。時刻はもう十一時、これを話したら王子を寝かしつけなくてはならない。そして思いを決して言ったのだった。
「カラクリ王国を生き残った男の子です」
童話は終わりを告げる。これからの始まるお話は『終わりの始まり』。
エルクは眠りにつき、絡繰戦士はこの世にひっそりと隠れている魔族の城、摩天城のことを思い出していた。
それからかなりの年月が過ぎた。十歳だった王子エルクは十五歳の秀麗な勇者エルクへ成長した。そして肉体が衰えるということを知らない絡繰戦士の己との再会の日は刻一刻と近づいていた。
◆
魔法都市国家アデムウォール。魔法の力によって空中に浮かぶ島型の要塞。そこにある国アデムウォールは人にも魔族にも中立の立場を示す都市国家であった。かつて地上にあった孤島の魔術師たちが島に都市を発展させ、人からも魔族からも侵攻を逃れるため空に活路を求めて浮遊する都市国家となったのである。だから、世界のどこかにはぽっかりと海の抉られた場所があるのだそうだ。
世界のどことも違う文化と技術を発展させたその都市国家には、ガラス張りの高層ビルが立ち並び、あまたの自動機械装置がひしめく。都市の中は魔力の通信ネットワーク
十年に一度、このアデムウォールでは全世界魔法サミットが開催されている。サミットは世界を支配する二大帝国、ブライス帝国と魔族の帝国、そして開催国であるアデムウォールの他、それらの国が支配していない地域に権力を持つ二つの国が参加し、世界主要国家の計五つが話し合いの機会を持つ場である。全世界魔法サミットでは主に魔法の取り決めについて話し合われ、これまで幾度もの紛争を招いた魔術を禁止したり、各国の魔力運用状況の管理に努めたりしている。
今年はその全世界魔法サミットの開催される年。サミットに参加するため、ブライス帝国からはチャンドル7世、勇者エルク、ウッド、ルイス、オラス、シャルロットの他、複数の人間がこの都市を訪れていた。
歴史を紐解くと、このサミットはおよそ一〇〇〇年に一度の頻度でアデムウォールと魔族が行っていた
現在では一般の生贄術は『禁術』とされ第三アデムウォール条約によって世界的に使うことを禁じられているが、殊この儀式に限っては十年ごとのサミットの度に五か国から生贄を募り、続けられている。
「それで、今年がその
アデムウォール内の舗装された道を行くエルクはルイスに向かって確認した。
「そうです。ですが前の儀式からはまだ一〇〇〇年も経っていません」
「どのくらい経ってるの?」
「そうですね。だいたい半世紀といったところかでしょうか」
「五十年しか経ってないって、それじゃあ生贄がまだ十分集まり切ってないんじゃないの?」
現在、エルク、ルイス、シャルロットそしてオラスの四名はサミット開催前の僅かな時間を使ってこのアデムウォールを観光しているのだった。チャンドル7世とウッドは先に中央会議場で待機している。シャルロットが首を突っ込んできて
「前回の儀式は失敗に終わって、まだそのときの生贄の魔力が残っているそうですわ」
と揚々と話す。エルクはそうなのかと独りで納得しているが、ルイスは過去エルクに魔王の童話を語ったのを思い出して「前に話したことがあります」と口を開いた。
「前回の儀式では魔族側が儀式への贈り物としてある人間を生贄に差し出したのです」
「それって昔ルイスが語ってくれたお話?カラクリ王国の男の子が生贄になったとかいう――」
「そうです。当時の魔王デス・ニコラスは自らその男の子に生贄術をかけましたが、それが失敗してサミットは大騒ぎ。混乱の中会議は閉幕しました」
シャルロットは「初耳です」と驚いていたが、それも無理のないことだ。若い人々の多くは魔王デス・ルイス誕生の真実を知らない。
「オラスはよく存じ上げております。なにせその場に立ち会っておりましたものですから」
と後ろで話を聞いていたオラスが割って入る。オラスは製造されてからすでに半世紀以上を帝国で生きている絡繰だ。サミットにも毎回、時の王に付き添って参加していたという。彼は記憶が無くなることがないから昔のことをよく覚えている。絡繰執事はちょっと得意げに昔話をし始める。
「デス・ニコラスは大魔女への献上物に今の魔王デス・ルイスを差し出しました。ところがどういわけか、デス・ルイスを生贄にすると術が反射してしまって代わりにデス・ニコラスが亡くなってしまったのです。その直後、魔王のお召し物がデス・ルイスの物となって、サミットは期せずして魔王の交代によって閉幕を迎えてしまいました。それにしてもルイス様はお名前に彼の魔王の名が入っていることもあってかお詳しい」
絡繰戦士はそれほどでもないと謙遜する。エルクは話を聞いていてその降臨の儀式で魔族は何かを献上することになっているのかと尋ねるとオラスは
「そういう訳ではございません。サミットの参加国すべてが銘々に大魔女の降臨をお祝いして献上物をお持ちになるのです」
と答えた。エルクは続けてブライス帝国は今年の儀式に何を献上するのかと尋ねると
「それはもちろん、前の大魔女エリスが作った
と絡繰執事は話した。シャルロットはオラスの話に終始感心していた。
ルイスたちは都市の中の様々な場所を訪れた。巨大な商業施設、整備の行き届いた自然公園、魔法の術式が記載された
そして日も暮れて、サミットの会場に向かって中央道路を一行が歩いていた。すると、ビルとビルの間から何やらもめ事をする声が聞こえて、一行は立ち止まった。
「はなちぇーーー!」
何やら子供のような声をした者が二体の魔族に襲われているようであった。エルクはとっさに腰の剣に手をかけるが、ルイスが「待て」と制して先行して小道に入っていく。
怪しい煙を吐き出す排気口があちこちから突き出した幅の狭い道。その先は途方もなく暗く、辺りには無造作に投げ捨てられた複数のゴミ袋があった。日も陰っていてよく見ないと確認することができないが、闇の装束を身に纏った
襲われているものの姿はその魔物たちに隠れて確認できない。しかし、二体の隙間からルイスを見つけたらしく
「そこの人助けチェー!」
とルイスは助けを求められた。魔物がルイスの方を振り向く。レイブン・ジャック二体、しかもその内一体は魔法も扱うことができるレイブン・ジャック・ネクロ。話し合いの通じる相手ではない。
この小道で分身することは出来ない。レイブン・ジャックはすぐさま闖入者へ直接攻撃を仕掛ける。右腕から絡繰の首を薙ぐ素早い一撃。しかし、戦士ルイスはそれを軽々と躱し、高くから振り落としたかかと落としが暗殺者に決まる。
ズダアアア!暗殺者は地面に首を打ち付けられて動きを止める。この何年かでルイスの絡繰は強さに磨きをかけていた。しかし、ルイスは気づかなかった。背後に回ったネクロの影に。レイブン・ジャック・ネクロはこの瞬間、狭い小道でどのように立ち回ったというのか。
「あぶないでちゅー」
幼い声が背後から聞こえる。もう遅い。ルイスに大きく振りかぶったネクロ。銀ナイフがその手に光る。
ズッサアアアア!!!
ルイスは振り向いた。自分は……切られていない。その代わり一刀を食らっていたのはネクロの方だった。レイブン・ジャック・ネクロのさらに背後に見えるのはたくましく剣技を放ったエルクの姿。ネクロは骨の身体を裂かれ、薄暗いコンクリの上に崩れ落ちる。
「ルイス、大丈夫か!」
「ああ、助けを求めたものがどこにいるか見極められず、隙を与えてしまった。ありがとう。そしてネクロの動きよく見切った。成長したなエルク」
誉め言葉に、はにかむエルク。ルイスは倒れたネクロの首元を見て、そこに
そこへ助けを求めた者は「あのー、ありがとうございまちゅ」と一声。声の主がどこにいるかあたりを見回すと、その主は彼らの上からもう一度「助けてくれてありがとうでちゅ」と言った。ルイスたちが見上げるとそこには真っ赤な鳥型の飛行模型とでも言うべき喋るおもちゃが一体、小さな羽を一生懸命に羽ばたかせて飛んでいた。一同が唖然としているなか真面目な顔のルイス。こいつの正体を彼は知っている。そのおもちゃは
「僕、チューチェ!
と自己紹介した。凄惨な現場へオラスが駆け寄ってきて
「これはこれは、物騒な小競り合いでしたな」
と倒れたレイブン・ジャック・ネクロに屈んでその死骸をまじまじとのぞき込んで手を触れる。そこへ誰かが駆けつけてくる。
「すみません、ここに赤いおもちゃが一体逃げ込みませんでしたかねえ」
走ってきたのか少し息を切らして和装の男が一人現れた。ルイスはこの子かと上にいるそれに指を指すと、チューチェと名乗ったおもちゃは「おもちゃって呼ぶな」と憤慨していた。和装の者は礼儀正しくお礼を言い始めて
「ありがとうございます。栄華の都市を観光していたら黒づくめの魔物に奪われてしまって。大事な子なんです。申し遅れました、わたくし
「アマタギさん、どうも。お察しの通り、ご存じならば仕方ありません。私はブライス帝国の
とルイスと通り一遍の挨拶を交わした。アマタギは少々へりくだった様子で訊く。
「左様でしたか。この度はチューチェを助けていただきありがとうございます。皆様も会場に向かわれるところでしょうか?」
ルイスがそうだと答えると「もしよろしければ所定の集合時刻も近づいていますし、ご一緒に向かいませんか」と男は誘った。ルイスたちは申し出を快く受け入れて、アマタギと共に会場に足を向ける。不自然に転がる
サミットの会場に向けて歩いていたところ、空を飛んでいたおもちゃが出しゃばりぎみに
「チューチェにね、あいつらよく分からない起動装置を埋め込もうとしたの」
と誘拐事件について話し出した。それを聞いたルイスが不可解な面持ちで訊き返す。
「起動装置?」
「そう、起動装置なの。サミットには魔族も参加するけど、僕ね僕ね、今年のサミットなんか不安な気がするの。魔族何か企んでる気がするの。絶対みんなも気を付けたほうがいいよ」
おもちゃはとにかく聞いて欲しいのだといわんばかりに早口に警告する。
「私も気を付けたほうがいいと思う」
ルイスはチューチェに答えてそう言った。だがその実、彼はそもそもこのサミットに細心の注意で挑むつもりであった。今日は不吉な新月の夜だ。これは急転直下の物語が始まる予兆に過ぎない。なぜなら次の満月が訪れる夜、摩天城は勇者たちに急襲され、ルイスは命を落としたのだから。
◆
サミットの首脳が集まるドーム型の中央会議場。その中心に設けられた荘厳な会議室には七つの飾られた扉があり、その一つ一つの扉が各国の入場扉となっている。アマタギとルイスの一行は会場に到着するとドームの中で別れを告げあう。そして会議に直接参加するエルクとオラスを連れ、ルイスは帝王の待つ入場門へ急いだ。
ブライス帝国の入場する扉の前には絡繰戦士の到着を待ちわびたウッドとチャンドル7世の姿があった。
「ルイス、遅いぞ」
戦神が文句を垂れると、絡繰戦士は少々申し訳なさげに遅れた言い訳をした。
「悪いな。途中でほかの国の大使とその連れに会ったもんで、一騒動巻き込まれてしまった」
「そうかぁ?アデムウォール観光を楽しみ切ったっていう顔してるが」
「言ってくれるな。私やエルクにすればここに来るのは初めてのことなんだから」
つまらない反応の絡繰戦士。ルイスの言い分をほどほどに聞き流したウッドは、同じく都市を廻ってきたエルクに向かって
「――そうだ王子様、アデムウォールはいかがでしたか?いい国だったでしょ」
と腰に手を当てて自慢そうに尋ねる。エルクが「楽しかった」と答えると、ウッドは鼻を鳴らして満足げにしていた。
「到着早々で済まないが、もう部屋に入場していい時間だ。エルク、オラス、入るぞ」
チャンドル7世が声をかけ、ほか数人の関係者と共に部屋に入場していった。会議の最中に無用の緊張が起こらぬよう、議場には軍人や戦士といった物騒な連中が入ることは許されていない。勇者であるエルクなどは王族ということがあって特例だった。会議室の外でルイスとウッドに付き添うシャルロットが、なんで自分がこの蛮人たちと一緒の扱いなのかと愚痴を言う。ウッドがあまりそういう風にぐれるなと宥めると、女の考えはすぐに移ろうようである。シャルロットは会議部屋の外に設けられた軽食置き場へ走って、甘いスイーツをほおばっていた。
周囲にはブライス帝国から連れてきた人間だけでなく、サミットへ出る他国の兵士や役人、王族が詰めかけていた。扉の前に残されたウッドとルイスはつまらなそうに壁に寄りかかる。
すると、どこからともなく二体の大きな影が彼らに近づいてくる。ウッドもルイスも少々警戒気味に彼らに目を向けた。
一体は濃い灰色の肉体に無数のツタが這ったような文様をあしらう、人の形をした無骨な鎧のゴーレム。大柄のウッドをさえ頭一つ背を抜かしていて、何も語らずルイスたちを上からのぞき込んだ。顔には細長い赤く輝く瞳が二つ付き、くるみ割り人形みたいに上下しか開かない口がついている。しかもこの口は言葉を話すことができない。そのおかげで表情と言える表情はなく、コミュニケーション手段も手話のみであるという輩。摩天城の執事長をしているエルデスである。その太い腕で箒を手にし、よく天守閣中を掃除して回っていた。城をほっぽり出してやってきたのはサミットに魔族が参加するのに、非戦闘員として適しているのは彼くらいしかいないからである。手にしたきれいな布で銀色の首飾りを清潔に拭っている。
もう一体はそのゴーレムより長身細身で、白骨化人骨みたいな見た目をした
エルデスの磨いた首飾りを渡され、暗黒王が首にかける。その装飾品には
ルイスは自分が魔王であった頃のこのサミットの事態を思い出す。勇者の仲間となる大魔女の誕生は神託によって保障されていたのだから、それに抗っても仕方なかった。それでクラウン・キングとエルデスを遣わして、大魔女降臨の顛末を語らせた。どうもサミットで魔族側の不手際があったのだ。大魔女降臨の祝い品にしていたのは摩天城の適当な壁から引きはがした文字石板。ルイスは無にも等しいものをくれてやるつもりだった。だが、実際にはこの二名、いや誰が謀ったのかは分からない。なんでもなかったはずの献上品は思いも知らない作用をもたらす。そしてサミットは前回の儀式同様、再度混乱に陥る。
「これはこれはブライス帝国の皆様。麗しゅうお過ごしのことでしょう。我はクラウン・キングです。隣はサミットでお話するエルデス。そちらの男性は我々をご存知かと思いますが、ご婦人は初めてお目にかかりますな」
「ルイスだ」
絡繰戦士は躊躇することなく自分の名を彼らに告げた。
「んー、ルイスですか。素晴らしい名前をお持ちだ。我らの君主デス・ルイスの人でありし頃の名と同じとは。これは運命を感じますな」
「運命で間違いない、クラウン・キング」
「うむ、どことなく受け答えもルイス様に似る。いかにも強そうな戦士です。そしてもし、あなたは機械の戦士なのではありませんか」
「その通りだ。私はメッカ・カラクリに作られた絡繰戦士だ」
「おー、なるほど。それで名が理解できましたぞ。御方は再び同じ名の子を作ったのでありますか」
「同じ名の子……」
ルイスはクラウン・キングの言葉に傾注した。メッカ・カラクリに子がいることは確かだが、同じ名であるというのをルイスは知らない。
「そうです。我らの君主と同じ名です。あの方であれば不思議ありません」
そこまでクラウン・キングが言うと一言も話をしないエルデスが骨の腕をぐいと突いた。
「おっとエルデス。時間が近づいていましたね。世間話はこれくらいにしておきましょう。皆様、今日は我らの古き大魔王ハデスも妻にした大魔女の一族が再誕する日です。今宵、魔族に不利になるようなことがあっても、我々はただただ魔女にお会いできるのが楽しみでなりません。そのことをお伝えしに参りました」
「友好のうちに儀式を終えたいということだな」
クラウン・キングは「その通りでございます」と一言付け加えたうえでそれではと一礼し、無口のエルデスと共に魔族の入場扉へ向かった。
「いけ好かない四天王だよな。今更友好なんて」
とウッド。ルイスは少し苦笑いを浮かべながら
「あいつらはあいつらで生き様っていうのがあるんだよ」
と、たまにはウッドよりものが分かっているのだと言いたげに答えた。
議場内部は待機場のモニターに映し出されていて、それを通してルイスは会議の模様を眺める。同じ映像はアデムウォール市内の魔法テレビジョンという放送でも流れているらしい。
中央の巨大な円卓にはそれぞれブライス帝国、魔族の帝国、アデムウォールに加えて東の海の先にある戰の国
それからほどなくしてサミットの開会が宣言される。
「よくぞ皆様魔法都市国家アデムウォールにおいでくださいました。私は市長を務めていますジュツシマ・エライオです。開催に先立ちまして、今年は半世紀前に失敗に終わった大魔女の再誕の儀が行われるべく、お集りの各国から多大な犠牲を払っていただいていることに感謝の意を申し上げます。この度生まれます大魔女は神託によって勇者と共に魔王を滅ぼす運命にある方です。そのような大魔女をこの国から排出できることに感涙を覚える次第であります。さて、このサミットはその前身を――」
市長のジュツシマが中央舞台に立ってカメラの注目を一身に受ける。長い開会の言葉が終わると、いよいよ
「ほどなく大魔女が降臨します。続きましては儀式の恒例となりました大魔女への記念品贈呈に移らせていただきたいと思います」
市長が壇上を退き。各国の使者が献上するための品を手にして中央に集まってきた。儀式に参加したのが若い順に、各国が品を高々と掲げて発表をする。
「ティエルメンシュは我が国に伝わる
ティエルメンシュから来たという龍人の男はそう言って革装丁の焼けに焼けた一冊の本を出してくる。ウッドはそれを見るやいなや呆れたような声を出して独り言ちる。
「なんだあれ。俺じゃあいらねぇな。
隣で壁に体重を任せていたルイスは薄っすらと笑いながら、経験をもとに解説してやった。
「ウッドには無用の長物だろう。だが大魔女にとっては違う。彼女ならば古代魔法文字を読むことができるからな」
「読むことができるって、それじゃ本に書かれている古代魔法を発動できるってことか?」
「そうだぞ。大魔女が偉大なのは古代魔法を扱えるという点だ。その代わり、普通の魔術は何一つ使えないのにな」
「はぁ!?普通の魔術は使えないだと!?」
アデムウォール出身なのにそんなことも知らないのかとルイスは少し呆れた顔をする。ウッドは慌てて大魔女というくらいだから万能魔術師だと誰もが思うと自らの誤解のわけを弁明した。
「あのなあ、大魔女っていうのは魔力の総量では世界の誰にも負けない凄まじい魔術師だ。だが、その膨大な魔力で普通の魔法を唱えても暴走して制御不能になってしまう。彼女には厳格な制御法が確立している一種類の魔法しか使うことが許されていない。古代魔法だ」
ルイスは自分が過去に戦った大魔女を思い出しながら語った。
「古代魔法の多くは大掛かりな道具立てを必要とするから、通常一人で運用することは到底出来ない。そこで大魔女が魔法を使うときは必ず古代魔法の術式が刻まれた
ウッドは久々にルイスに感心して、大きいな音で「はえー」と息を漏らした。
次に
「
ルイスは騒がしいおもちゃが何たるかを知っている。
「ブライス帝国はハイエルシアに眠りし大魔女エリスの杖、
チャンドル7世が壇上に上がる。この日、肝心の
「あんなに小さいのか、
今度はルイスが驚いた声で呟く。エリスが手にしていた伝説の杖。ルイスが摩天城で目にした大魔女の背丈ほどもあった杖とは見た目が全く違うのである。
「お前そんなことも知らないのかあ?」
ウッドがさっきの仕返しと嫌味たっぷりにルイスの顔を覗き込んだ。
「僭越ながらアデムウォールの民からは彼女に家を与えたいと思う。古くは大魔女エリスが住んでいた邸宅だ。中の物は誕生する魔女の自由にしてもらっていい」
アデムウォールの市長は中央壇上で大きな一軒家を魔法で立体表示する。一人の魔女が使うにはあまりにもったいないほどの大きさの石造りの家。親もなく生まれてくる大魔女への贈り物としてはこれまでの中で最も良心的な選択だ。
最後に出てきたのはこの儀式に古くから関わる魔族の代表エルデスである。エルデスは風呂敷に入れたそれを壇上に置くと二つの手で流暢に手話を話し始める。モニター越しでは各動作が分析されてルイスたちは解析文章を注視していた。
「魔族」「贈る」「復活の」「魔女に」「神聖な」「生贄を」
エルデスは口を動かすことなくそう動作した。神聖な生贄を贈呈する。その動作はサミットを見ていたすべての物を緊張に陥れた。
「生贄だと。すでに生贄を提供しているというのにこの場でまだ生贄を出すっていうのか」
魔族の代表の発言にウッドが不信感を露にする。だがウッドのそれとは別の意味でルイスは戸惑っていた。はったりにもほどがある。記憶に間違いがないならば、魔王デス・ルイスが使者に持たせたのは摩天城の石板。城の石板にはそれぞれ過去の消えていった魔族の魂が宿っており、その者の功績をたたえた文字が刻まれている。言ってしまえば魔族の墓標なのだが、それは神聖とはとてもいえない。まして、石板を生贄だと言い張るのは到底理解できない。
「不安を」「与えた」「ごめんなさいと」「陳謝」
「改めて」「魔族」「贈る」「復活の」「魔女に」「霊剣を」
今度はもっとどよめきが起こった。エルデスは霊剣と動作したのだ。石板を暗示さえしないそれはもはや冗談のレベルではない。その動作に会場が騒然とする。アマタギが不安を煽るようなその言説に痺れを切らして叫んだ。
「霊剣だと。霊剣オプフェルノは五十年前の儀式が失敗したとき、我々がお前たち魔族から奪還し、聖女ミナエルが封印したはずだ!」
エルデスはそれに怯むこともなく、大きな風呂敷の紐をほどいて中の物を見せる。ルイスは信じる。そこにあるのは石板のはずだ。決して霊剣などというものではない。
「これ」「見ろ」
エルデスの指の先。そこには巨大な七つ目の邪悪な大剣。その鋭い刃からまがまがしい不吉なオーラを放ち、手にも似た柄の伝説の宝剣。
「おい、ルイス。あれが分かるか……。霊剣オプフェルノだ。カラクリ王国の蘇生の宝、その一つがなんで……」
ウッドがありえないという目でルイスのことを見る。その思いはルイスも同じだった。
「そっ、そんなはずはない。お前たちの魔王が聖女の加護で死んだ後、封印した聖剣と霊剣は魔族が滅ぼしたカラクリ王国に眠っている。聖女はあそこに選ばれし者以外何人たりともいれない結界を張ったはずだ。現れた勇者、ブライス帝国の王子エルクとその仲間、そして王国の亡霊しか亡きカラクリ王国には入れない。ましてや魔族のお前たちがあそこに入れるということはありえないぞ!」
アマタギが怒りの形相で再び声を張り上げる。
聖剣ヴァイス・シャイトと霊剣オプフェルノ。それらは今は亡きカラクリ王国と呼ばれる蘇生の魔術をつかさどる国に伝わる宝。聖剣ヴァイス・シャイトは人類に勝利を齎す剣、切った者の魂を蘇ることのない無と帰るまで砕く。一方、霊剣オプフェルノは魔族に勝利を齎す剣、それが切る者の魂は霊剣に宿り、その強さは無尽蔵に増していく。一対の双剣はそれらが互いに交わった時に無条件で『
前の
「魔族」「封印」「解いた」「我らの」「霊剣」「魔女に」「託す」「友好の」「証」
「我らが」「王」「元は」「亡き」「王国の」「子」「封印の」「結界を」「超え」「霊剣を」「得た」
エルデスが身振り手振りで発言する。近くにいたブライス帝国の者たちも困惑している様子だった。
「バカな……。カラクリ王国の王族だったはいえ、魔王デス・ルイスには魔王の魂のローブがある。あの王国が侵入を許すはずがない」
と反論した。ルイスも同感である。魔王となってから彼が亡き祖国へ赴いた事実もない。
「我らが」「王」「元は」「人間」
「人間と」「友好の」「結び」「欲しい」
「魔族の」「契りを」「捨てた」
「魔族の」「王が」「継ぐ」「外套を」「捨て」「魔族との」「因縁を」「絶った」
ルイスはエルデスの意図が掴めない。誰かに操られている。未来から来たはずの自分さえ知らない歴史を垣間見る恐怖。魔族の契りとは魔王のローブと考えて間違いないだろう。だが、彼は最期の戦闘まであれを手離したはずはない。エルデスは何らかの理由があって嘘をついている。
「我らの」「王」「亡き」「王国へ」「行き」「霊剣を」「得た」
「友好の」「証に」「復活の」「魔女に」「霊剣」「贈る」「したい」
嘘だ。これは罠に違いない。ルイスは深刻な状況を察知した。何が何でも魔族の献上品の正体を暴き、彼らの企みを阻止しなくてはならない。エルデスの周囲の者に危険が迫っている。
次の瞬間、会議中は戦士が開けてはならないとされた扉にルイスは手をかけていた。
「おい、ルイス。何をするつもりだ」
「罠だ。エルデスの献上品は霊剣オプフェルノなんかじゃない!」
「どうして分かる。不安なのは分かるが、戦闘員が会議に乗り込みでもしたら大魔女が降臨するこのサミットは大混乱だぞ」
「構わない。私を信じろ!!」
会議室のドアをルイスの腕力で思い切り引き開ける。ウッドはその隣で相棒の行動に眉を顰めながらも、ルイスの直感した虫の知らせを信頼することにした。その先、中央ではそれに気づいたエルデスが絡繰戦士を横目で睨む。他の者たちの視線も突入者に集中した。
「魔族の持ってきた品から離れろ!エルデスの言っていることはでたらめだ!」
エルデスは左手を握り締めて、その親指を地獄に向けた。
「ルイス様、サミットの最中にここに入っては……」
口ごもるオラス。ルイスは構わずに叫んで執事に命令する。
「オラス、エルク様を連れてここから逃げろ!」
するとオラスは絡繰戦士の威勢に気圧されてエルクの腕を引いた。直後、エルデスが壇上からジャンプして旋転しながら立ち退く。しゃべらない敵というのは真意が分からず一番厄介というものだ。
騒ぎが察知され、次々と会議室の扉が開いていく。最初に反応したのは
次の瞬間走ったものがいた。その者は手にした人間を霊剣オプフェルノに叩き付ける。壇上には各国が献上した品々。
「『
「オラス!!!」
『
あとに残されたのは戦闘員が集結して緊迫する会場。それに状況を理解できない関係者たち。クラウン・キングが冷ややかに呟いた。「戦争ですな」と。
ウッドが真っ先に飛び出て残されたチャンドル7世のもとへ駆ける。ルイスが相手をしなくてはならない者は明白であった。最強の
「クラウンッッッ!」
絡繰戦士が飛ぶ。クラウン・キングは何も語らず足下から黒き影より生み出し、巨人の肩甲骨を盾とした
ガヌッ!超合金の一打が盾にぶつかって激しい音をあげる。ジン、ジンジン!そしてすさまじい拳の火花を散らせながら骨を砕きルイスは奥の軍王に問う。
「お前なのか。お前が謀ったのかっ!」
「何をおっしゃっているのか分かりませんな。我は君主デス・ルイスに従ったまで。帝国の絡繰執事の方が謀反を起こしたのではありませんか」
「ではなぜ、オラスが石板の魂を『
クラウン・キングのコアが骨の奥で揺らめく。『
ルイスの拳が盾を貫き、その先の
「お前の配下の魔物がアデムウォールで
蹴りを素手で受け止めた暗黒王は「何を言っているのかさっぱり」と答えたうえで
「あなたは……どのような了見でそのようなことを。よもや――」
そのときである。
『ルイス様、ルイス様……』
ルイスの耳に誰かの声が届く。その声の主はオラス!なぜオラスの声が彼に伝心してくるのだ。絡繰戦士は暗黒王の手を逃れ、クラウン・キングのコアめがけて手刀を刺す。それも受け止められたルイスは心の中で返事を返した。
「オラス、オラスなのか?どうして私にお前の声が――」
『私奴はとんでもないことをしてしまいました。私の中の魔が差したのです。王子様は今私と共におります』
「オラス、どこにいるというんだ!」
ルイスは暗黒王へさらなる攻撃。しかし武器なしに近接戦で立ち向かっても暗黒王を仕留めることは出来ない。頭へ直に届くオラスの声は答えた。
『サミット会場地下の生贄の間です。すでに多くの生贄を食らったどす黒い闇がエルク様の足元まで迫っております!ルイス様、今の私なら分かります。ルイス様なら王子様をお救い出来る。頼みましたぞ――』
それは一介の絡繰でしかないオラスの魂の叫びであったのだろうか。弱々しく消えゆく絡繰執事の最期の声に唇を噛みしめるルイス。直後、ルイスは床を強く蹴って暗黒王から退く。オラスの死に際のメッセージに「分かった」と了解を示しながら。
「あなたは誰だ、ルイス」
「答えている暇はない。今行くぞ王子!『
暗黒王クラウン・キングが戦士の業に驚愕の顔を見せる。絡繰戦士の肉体は音もなくずぶずぶと床に飲み込まれていく。
「なんですと。ルイス、あなたは一体……」
そうである、これはレイブン・ジャック・ネクロが彼を欺いて、狭路で後ろを取った魔法。クラウン・キングの前から戦士の姿が消えた。
会場の最上階の会議室から順々に階を降りていく。高い天井の作りになったドームでは、混乱に陥る会議を眺めていた多くの報道陣や国々の使者がひしめいていた。そこへ突如天井からぬっと滴り落ちる絡繰の戦士。人々は騒ぎ立てながら彼の落下してくる地点を避け、ルイスは地下の生贄の間を目指す。そのあとからは暗黒王の呼び出したレイブン・ジャック・ネクロが後を追って
ゆうに十の床をすり抜けて来たことだろう。会場の最下部の天井から頭をのぞかせたルイスは巨大な貯水槽かのような不吉な雰囲気が満たす生贄の間へ到達した。あたりは薄暗く照らされ、床にはすでに死んだと思われる人間たちの死骸。それを飲み込む黒い魔力の海。間違いなく生贄術ですでに多くの者が儀式の糧と消えている。屍たちの中にはまだ死に損なった者たちが苦痛の声を上げて泳ぎもがいている。どこからともなく「助けちぇー」と耳にしたことのある声が聞こえる。「王子っ!」とルイスが叫ぶ。轟く呻きの中からエルクの声が「ルイス!」と必死に応じる。場所は特定できた。声のする方向へ目を向ける。エルクは国々が献上した品を手にし、少しだけ他の生贄より身体を高いところで保っている。チューチェはその首を咥え、懸命に彼を持ち上げようと羽ばたく。
「今行く!」ルイスは叫ぶ。だが状況は悪化するばかりだ。彼を追ってきたネクロたちが黒い雨のように続々と到着してくる。時間は残されていない。天井に蜘蛛のように張り付いていたルイスは思いを決して飛んだ。エルクのもとへ。
彼はその危険な空気を感知する。落下。重たい身体が生贄たちの横たわる黒き水辺に着水した。絡繰の脚部が闇に食われる。ルイスが機械であるとはいえ、生贄術の前ではその魔力を食われてバグる。身体を流れる魔力が流血するかのように脚から吸われていった。エルクとチューチェが戦士の到着に安堵するが、ルイスとて長くは持たない。
王子の足元には屈んで動かない絡繰執事の姿。オラスを台としてエルクはなんとか闇から逃れていたのだ。だが、黒い闇はすでに王子の足まで到達しており、エルクのすんでのところでの踏ん張りも限界に来ていた。他の生贄たちは膝下まで闇に食われた時点で姿勢を崩し、倒れるように生贄の闇へ呑まれている。
周りからは追手のレイブン・ジャック・ネクロが迫りくる。
「ルイス、来てくれてありがとう。でも、オラスが――」
「王子、一先ず天井へ逃れます。話はあとです」
ルイスは王子を抱きかかえて床を蹴って飛ぶ。そして天井の凸凹にぐいと指を食い込ませて固定し、エルクと共に凄惨たる生贄術の様を眺めた。後から飛んできたチューチェは食われた王子の足をちらりと横目にしながら、心配そうに王子を見つめた。
「チューチェね、あの絡繰執事の人は悪い人じゃないと思うよ」
悲し気な顔をしてルイスに訴えかけるチューチェ。そこへ
「これはこれは、ブライス帝国の王子様とルイス様。
と天から首を突き出したクラウン・キング。ルイスの顔が引きつる。
「貴様、何をしに来た」
「いいえ、どうやら私の宝珠が別物にすり替えられてしまったようで、返していただきに参ったのです。もし、その
コウモリが如く逆さ吊りに天井からぶら下がる暗黒王。エルクは手にした杖を渡すまいと拒む。ルイスが王子の名を呼んでエルクの手から杖を奪うと、王子は少し驚いていたが、すぐにルイスの読みが正しいと分かる。暗黒王の首飾りにかざされた杖はそこに填められた偽りの宝珠の正体を暴き、ただの礫にしてしまう。暗黒王はそれを砕いて大きくため息をついた。
クラウン・キングが天井から足を離して落下し、翼を広げて生贄の洋上に飛ぶ。彼が向かったのはルイスたちが今逃れてきた場所。もうピクリとも動かなくなったオラスに暗黒王が触れようとする。ルイスは何をするか察して「やめろ」と声を張り上げるが、クラウン・キングはそれを気に留めずオラスの身体をまさぐり始める。そして中から無下に一つの宝珠を取り出すと、絡繰執事の身体を抱えてルイスたちの下まで浮上してきた。
「この宝珠を探していたのです。石板の魂を呼び起こす冥府の勾玉。ルイス殿、あなたの言っていた起動装置とはきっとこれのことでしょう」
クラウン・キングは黒と白のまじりあうビードロ状の球体を見せた。本物の
「どうやら内通者がいたようですね」
と再び嘆息して語った。生贄の海を歩くネクロ達は天井に逃れた戦士たちを恨めしそうに眺める。暗黒王は「そろそろです」と呟く。そして時は満ちたのだった。
生贄の魔力をたたえた黒い海は一挙に最下層の中央に集結し邪悪な気配を放つ。魂の津波に晒されて狼狽えるネクロたち。そして生贄の魔力は爛々と黒く輝く球体となり、辺りを黒い光で照らした。暗黒王を含めルイスたちはそのまがまがしい輝きに目を眩まされる。
海から生まれた球体に魔力封印の刻印が押されて光る。そして大魔女の
「ご主人様ーーー!」
チューチェが思いがけず飛んで行って大魔女の下へと駆け寄る。同時に
「あなたが契約絡繰?」
少女はつれなくおもちゃに尋ねる。誕生の祝い品が魔女の三方を囲む。
「そうでちゅ!僕チューチェ、朱雀の契約絡繰チューチェでちゅ」
「そうなんだ。チューチェよろしく。じゃあ敵もいるみたいだし、契約しよっか」
と少女はにこやかに笑っておもちゃにそう言った。チューチェが少女の差し出した指先にとまり、厳かに大魔女との契約の儀式を執り行う。
「汝、あまたの犠牲の上に君臨する魔の化身」
「我、あまたの犠牲の上に君臨する魔の化身」
「古代の誓約の下、奇跡を起こさんとする者がここにいる」
「我が名はリリス。古代の誓約の下、奇跡を起こさん」
「我と契約するならば、少女の力を解き放ち、自由の身とせん」
「汝と契約をしよう。そして力を解き放ち、我を自由の身としたまえ」
「唱えよ、リベレーション!」
「リベレーション!」
少女リリスの身体が輝く。大魔女の封印された魔力が解放されたのだ。
「うにゃー、あんまりいい服無いじゃない!」
「そんなこといっても仕方ないでちゅ。ティエルメンシュの贈り物なんでちゅから」
契約早々祝い品にぶうたれる少女は絡繰チューチェに諭される。
「あー、じゃあこれ。これにするわ」
魔女は生地、形、なんとなく彼女の中での流行りファッションだと思うものを選んで
「『アニマルモデ』頁一二四!我に猫革の装束を与えよ!」
リリスが唱えると彼女の膨大な魔力が本に伝えられる。古代の魔術コードの顕現。小さな少女の身体に猫の皮で出来た黄色のフリルの衣装が纏わりつき、頭には耳を猫のようにつんと立てたヘアバンドが被せられた。
「
少女はその場でかっこつけにピースを目元に添えた。
「リリス、僕と一緒に魔力使えるのは五分間だけだからね!」
「いっけない。早く倒しちゃわないと」
ルイスは知っている。そうなのだ、残念ながら大魔女とはいっても威厳のある存在なのではない。大魔女リリス、彼女は
レイブン・ジャック・ネクロがリリスへ攻撃をしかける。素早い手刀、変身を終えた少女はなんとかそれを回避するが、頬を掠めた一撃がリリスの血をほとばしらせる。
「いったぁい――」
少女の瞳に闘志が宿る。もう彼女を止めることは出来ない。
「火炎放射だちゅー!」
援護するチューチェ。そのくちばしから火炎を吐き、ネクロたちをこれ以上近づけない。
「本気出しちゃうんだから」
リリスは頬から流れた血を拭って詠唱した。
「
それは大魔女に伝わる伝説の魔法。リリスは本なしの通常詠唱ではこの魔法しか唱えることができない。しかし、それは破壊の大魔法。リリスの魔力をすべて解き放てばアデムウォールは崩壊を免れない!
リリスは手に着いた血をどろどろとした魔力の塊と変えた。それは
ズズズズッドドドド!!大きな炸裂音に耳が劈かれ、それと共に辺りをまばゆい白の輝きが照らしに照らす。エルクはその轟音にたまらず手で耳を抑えた。ルイスも己の聴覚の信号をシャットアウトしなくては耐えられない。
煙の後に残ったのは立ち尽くす少女の姿とその傍らに飛ぶチューチェ。押し寄せた
「すばらしい魔力です。これならば勇者の皆様と我らが戦いを交えるときも楽しみですな」
そしてルイスに手を貸すと、クラウン・キングは彼らを連れてするすると地上に降りて行った。着地してすぐ、ルイスは感謝するでもなく手を振り払う。「愛嬌のない戦士様ですな」と暗黒王はブライス帝国の
クラウン・キングはどさりとオラスを床に下ろす。ルイスも抱えていたエルクを地面に下ろすが、彼の足が地面に着くときエルクは痛いと声をあげる。ルイスは王子の足元に目をやる。地面にエルクを座らせて靴を脱がせ、それを確認すると生贄術にかかって真っ黒に壊死してしまった二つの足首。勇者のそれは儀式の生贄として取られてしまっていた。
ルイスはこれまで生きてきた中で初めて感じるほどの悔しさに唇を噛み締めて「エルク、すまない――」と言葉を詰まらせながら謝る。
「この内通者さえいなければ勇者様は無事でいらっしゃったことでしょうに」
暗黒王は地面に倒れたオラスの亡骸に視線を送った。その言葉にルイスが激怒する。
「オラスは内通者なんかではない。私はオラスの声を頼りにこの場所に来たんだ!」
「しかし状況証拠から考えるに、この者は明らかにブライス帝国へ仇を為したわけです。言い逃れはできますまい」
「それは――」
ルイスは再び言葉を失う。オラスは本当に内通者だったのだろうか。儀式に乗じてエルクを生贄にして葬ろうとしたのだろうか。腰を下ろしたエルクが反論する。
「オラスは、ここにやってくると自分を犠牲にして僕が生贄から逃れるようにしてくれたんだ!オラスはあのとき、一瞬正気を失っていただけだ!」
「正気を失ったのが一瞬だから何だと言うのですか。その一瞬が仇となるのです」
クラウン・キングは蒼い瞳で勇者を見据え、冷酷にそう吐き捨てた。
直後、生贄の間の固く閉ざされていた四方の門が開かれ、サミット参加国の戦闘員が大勢入ってくる。その中にはウッドやチャンドル7世、アマタギの姿もある。
「これは潮時ですね。またサミットが台無しになってしまって。我が君主に何と申し上げ良いやら……」
暗黒王は戦況不利と判断し「次に会うときには容赦はありません」と一言告げて闇に紛れた。
「ウッド!!」
ルイスは入ってきた戦神に悲痛の声をあげた。ウッドは脇目も振らず駆けてくる。倒れたオラス。エルクの前で崩れ落ちる絡繰戦士。
「どうしたんだ。この有様は。儀式は終わったの――か――」
そしてエルクの足に気が付いて息を呑んだ。ルイスは戦神に真実を伝えるべく
「オラスは最期に自分を投げ打って王子を助けたんだ。オラスは自分を踏み台にさえして――」
「うるさいっ!」
深刻な表情を浮かべたウッドが遮る。そこへチャンドル7世が近づいてくる。帝国の王も彼の一人息子の惨状を知るとその場に立ち尽くして口を閉ざした。
エルクが父に向ってルイスは自分を助けに来てくれたのだと訴える。しかし目の前で魔族の献上物を使用し、王子を連れ去って足を失わせた絡繰執事。そのような謀反人が出た以上、帝国の主としてチャンドル7世は決断を下さなくてはならない。
「私はがっかりしている。信頼していた者がこうも易々と敵に寝返るとは。絡繰の信用は失墜した――」
チャンドル7世はきっと目を見開いて無慈悲に言った。
「帝国にいる絡繰たちを運用停止し、早急に廃棄する。ウッドよ、
ルイスが感じていたのと同じ感情をウッドも思っていた。悔しさに眼が潤む。信頼する仲間が裏切った遣り切れなさ。信頼する仲間が王子を救うことの出来なかった屈辱と失望感。そして何より、今まで信じてきた友を失う苦しみ。ウッドは途方もない絶望に暮れる。しかしそれでも、ウッドは毅然として王に従わなくてはならない。彼は神によって定められし戦神。魔王の討伐をブライス帝国で果たさねばならないのだ。
ルイスの後ろから小さな足音が聞こえてくる。その足音の主はルイスの後ろで立ち止まると彼の服を引っ張った。
「私わかるよ。あなたは勇者を助けようとしたんでしょ。自信をもって。あなたは廃棄されるべきじゃないよ」
声の主リリスはルイスにそう言い聞かせる。チューチェも
「そうだよ、ルイスは悪い絡繰なんかじゃないよ!」
と絡繰戦士を庇う。しかし決定を出したのはブライス帝国の王だ。ウッドは歯を食いしばった。
「ルイス、立て」
ウッドは帝国に不利益になると判断されたかつての友にそう言った。ルイスは茫然自失としてその場に跪く。
しばらくの静寂が流れた。表情を失ったルイスが静かに立ち上がる。万力の絡繰戦士を制御するため、ウッドへ託されていた
「ウッド、私は次に目が覚めたときどうなっているのだろうか――」
「くぅっ。ルイス、後は任せろ。お前の守ろうとしたものと共に俺は必ず魔王を倒す」
ウッドの腕が背を向けたルイスに迫る。しかしそのとき少女が動く。
「彼の鍵を重い鉄塊に偽れ!」
リリスは伝説の杖を振って
直後、リリスがチューチェを連れて走る。そして
「『アニマルモデ』頁八〇!我に龍人の装束を与えよ!」
緑の龍のうろこを呈した装束がまとわりつき、背には飛竜の翼が生える。少女は絡繰戦士に「飛ぶよ!」と声をかけてルイスの腕を掴む。そして装束の力で羽ばたき、生贄の間の門を飛んでいく。後を朱雀の契約絡繰が追いかけた。
「くっ、大魔女とはいえ帝国に歯向かうならば容赦はしないぞ!」
ウッドが涙を堪えた虚勢を張って重い鎧で走る。だが、彼をしても素早く空を飛び去る少女たちには追い付くことは出来ない。チャンドル7世がウッドに命令する。
「よすのだ、ウッド。深追いはするな」
飛行するリリスはサミット会場を出て近くにある建物の屋上に辿り着く。ルイスの手を引いていた少女は魔力の制限時間を迎え、肩で息をしながらビルにどっさりと腰を下ろした。魔力が尽きた今、龍の装束は消滅しようとしている。
「大魔女リリスよ――、無理をして……」
ルイスは足をついてリリスの顔を覗いて独り言ちる。リリスの下へチューチェが近づいて
「僕ね、アデムウォールの人がリリスのために用意していくれた家の場所、知ってるよ。アマタギと散策してたとき見つけたの。そこに避難しよ!」
とルイスに提案した。絡繰戦士はそうしようと頷いて幼気な少女を負ぶり、朱雀の契約絡繰に案内を請う。月影無き夜、賑わう魔法都市に彼らは隠れ家を求めて飛び去っていった。
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