【02】わんぱくクソガキ王子様

 近頃は魔術に興味が出たと言って、よく書庫やら薬品庫に通って勉学に励むようになったことを感心していたのだが、どうにも自分の興味のないことを学習することには辛抱ならないようである。ルイスと歴史書を一緒に読んでいたところ、突然「ちょっと外に出たい」と王子が言い出したのが事の発端だ。

「王子様!いまはお勉強の時間です!」

「ブス女、あっかんべーだ」

 動きやすい服を着たわんぱく王子は後ろ手で舌を見せてそう言うと、ルイスの制止をふりきって部屋を飛び出していく。この王子は人の顔の品評もろくに出来んのかと絡繰戦士はムカついた。

「くううううう」

 王子が扉を駆け出ると、偶然やってきたメイドに正面衝突する。

「あらあら……」

 一瞬王子の身体は弾かれたが、すぐに持ち直して持ち前の小柄な身体でスルスル大人の足元を縫うように走り去っていく。メイドはまたこれかと小さなため息をついた。

「すまない、シャル」

 メイドの名はシャルロット・ケイラー。城ではシャルの愛称で呼ばれていて、ブライス城で王子エルクの部屋を担当している。ルイスより二回りくらい小さい女で、男勝りな見た目の絡繰戦士と比べたら大層可愛らしく、仕草も王族に仕えるものとして弁えた上品さを持つ。ヘッドドレスの良く似合う長く伸ばした青い髪を後ろで縛ったシャルロット。ルイスは自分がウィッグでもかぶってこの娘のような恰好をしたらどんなことになるだろうかと想像したが、真っ先に王子が転げまわってゲラゲラ笑う様が思い浮かんで腹立たしい。

「エルク様のこと追いかけなくてよろしいんですの?」

「ああ、追いかけるよ。だが急ぐ必要はない。私が全速で走れば、すぐとっ捕まえることができるからな」

「あなたなら今にでもそうしそうな気がしますけれど」

「私のことを蛮人扱いする者がこの城には多いが、シャルもそうなのか」

 シャルロットはくすくすと口に手を添えて笑っている。

「そんなことありませんわ。あなたのこと、夫のようにお慕いしていますもの」

 くそめ……。ルイスは悔しく思う。こういうことが意識せずとも口を突いて出てくれば、自分も女としてこの城で認められるのだろうか。だがルイスが女のように振舞ったところで、この戦闘用の肉体が華奢な少女に代わるわけではない。人は第一印象の半分近くを視覚で支配されているというが、残りは聴覚と言語で出来ているという。ルイスの声は高め男の声いっていいレベルだし、魔王のプライドが抜けきらないから粗暴な発言も目立つ。どう頑張っても女には成り切れない。それが結論であった。

「仕事仲間としてはシャル、私もお前のことは信頼しているよ」

「あら、王子様のいない時くらい、同僚として私のこと見なくてもよろしくなくて?」

「……そういう冗談はよくないぞ、シャル。第一、私は女だ」

 そう言ってルイスは自分の姿を近くにある鏡で確認した。そこには脚筋をすらりと見せた女用の兵士服に身を包んだ自分の姿。大丈夫だ、やましいことなんてない。断じてないのだ。

「それに私は絡繰で出来た戦士。仕事以外には用のない存在だ」

 絡繰戦士は内心がどうであれ、大真面目にそう伝えた。彼女にはきっぱりとこの場で仕事人としてのルイスの自覚を示さなくてはならないと思った。

「……あなた、そんなに風にいつも緊張されていては身体壊しますよ」

「身体が壊れる?シャル、人間は壊れることが肉体の病や死を連想させるからそういうことを言うのだ。私には病気になるとか死ぬという概念はない。身体は絡繰で出来ていて、壊れたパーツが出れば交換をすればいいだけの話だ」

「それで例えば、あなたの腕が壊れたらどうなさるの?」

「新しい腕にすればいい」

「顔が傷ついたら?」

「顔を新調すればいい」

「パーツが変わってしまってもあなたはあなた?」

「もちろんだ」

「では、あなたの身体がすべて壊れてしまったらどうなさるの」

 それまですらすら答えていたルイスは無意識のうちに口をつぐんでいることに気が付いた。すべて壊れてしまったら。『魔天爆発マジックバーン』を思い出す。自分が無機的な断片に破壊されていくその感覚。そのあとの彼を待ち受けていたのは絡繰人形と化した現実。

「……私が完全に壊れれば、新しい絡繰戦士をメッカに頼めばいいだろう」

 返答に窮したルイスからひねり出された言葉はシャルロットの表情を曇らせた。

「ルイス、あなたの消えた後に自分じゃない絡繰戦士が平然と王子の下、あなた同然の王室戦士ロイヤル・ナイトとして働くことに気味の悪さは感じませんの」

「感じないわけではない。感じないわけではないが……、そのとき私はお前たちをは天から見守ることしかできないからな」

 目のやり場に困ってルイスは視線を逸らした。シャルロットは少々むっとしたようにして

「あなたが別のあなたにすげ替わってしまったら、私は不気味で不気味で夜も寝れませんわ。あなたは独りで生きているのだと勘違いしています、ルイス。自分の身体を大切になさらないと。そんなことを口にしたら王子が悲しみますわよ」

と言って、鼻から息を漏らした。

 ルイスは思った。魔族の中で人間として生きてきて、生まれ変わったら魔族でも人でもない人形になり下がった自分の気持ちの何が分かる。今この場で顛末を口走ったらシャルロットは何と言えるつもりだろうかと。しかも、現在でも魔王として君臨しているというデス・ルイスの生まれ変わりと言ったら。バグだと騒がれてメッカの工房で入院は間違いない。あの王子にしてもルイスのパーツが壊れようが、新しい戦士に交換されようが、きっと……

「ふんっ、王子の悲しむ顔こそ上等。ぜひ拝んでみたいものだな!」

 はとしたときにはルイスはそういきり立っていた。

「うふふ、なんだかんだあなたとっても人間らしいのよ」

 シャルロットは目を細め、にやつきながら彼を揶揄う。

「無駄話をした……追う」

 ルイスは照れ隠しにそう言って王子の駆けていった廊下を進む。合金の絡繰で城の者に衝突しては相手が吹っ飛んでしまうから、大股で急ぎ足に。シャルロットは微笑ましそうに彼の背中をずっと眺めていた。


 さて、絡繰戦士として戦闘用に出来ているルイスがなぜ要人警護で帝国の王子エルクのお守りをしなくてはならなくなったのか。ここは経緯を思い出さねばならない。ルイスが王室戦士ロイヤル・ナイトとして採用されてほぼ半年が経つ。そもそも王子の警護用に自分が発注されていたことをルイスが知ったのは戦闘試験後。王座へ引きづられていって、発条鍵ゼンマイ・ロックが開錠されたときのことだ。

「シャルにはご紹介せねばなりませぬ。ルイス様はエルク王子様の警護の職務についていただきますし」

とオラスが話し始めてルイスにはすぐその王子の正体に合点がいった。エルク、勇者エルクである。そこからルイスはエルクの背負った天命について嫌となるほど聞かされた。

「エルク王子様は神の加護を受けた勇者様で――」

 エルクは神に選ばれた幼き勇者。世界を支配せんと躍進する魔王を倒さなくてはならない。戦いには三人の供が付き添い、その勝利は神に約束されたものだという。結末を知っていることもあり、ルイスには大変に白々しい話であった。彼はそのメンバー構成を顔と名前まで知っていたし、なにしろ倒されるのが自分と予言されているのは気分が悪い。ルイスは戦神ウッド、まだ見ぬ大魔女そして聖女と共に聖剣ヴァイス・シャイトで魔王を砕くと。終始王子の背負った数奇な運命を聞いていて、ルイスは虫唾が這う思いをした。今自分の知っているすべてをこの場でぶちまけてしまって正々と王を殺して帝国を乗っ取ってしまおう。何もかも投げ出すその考えが彼の頭に何度も浮かんだ。

 だが、王の面前でメッカが隣にいたし、それに戦神もそこで立ち会っていたものだから何か引け目を感じてしまっていたのだろうか。結局、新参王室戦士ロイヤル・ナイトの謀反は実行に移されず、現在ルイスはこうして王子エルクの付きっ切りの世話役をやっている。

「最後に、王が直々にルイス様へお話なさることがございますので、私奴らはここらで引かせていただきたく存じます」

 王座には深々と座ったチャンドル7世とルイスのみが残った。自分が魔王としてこの帝王の息子に立ち向かったその日、勇者たちはずっと座り続けのまま戦う彼をこんな風に臨んでいたのだなと、今更ながらルイスは思い知った。

「我が君、王室戦士ロイヤル・ナイトとして仕えることがができ深く――」

「面を上げてくれ。腹を割って話したいことがある」

 深々とひざまずいていたルイスに王はそれだけ言って、王座を立つ。

「王子エルクのことなのだが、私の大事な一人娘、女の子なのだ」

「はっ」

 はっ?


   ◆


 彼女のことを王子と呼び、そして終生この者に従う。ルイスは心にそう誓った。

 ブライス帝国の王家にはチャンドル7世の他に四名の王位継承権を持つ者たちがいた。普通に考えれば娘一子しか設けることができなかったチャンドル7世の血筋に次の王が生まれることはありえない。帝国は王家の男子のみに王の継承権を持つと定めていた。

 しかしチャンドル7世の妻、イナンナは第一子エルクをこの世に産み落として亡くなってしまう。そこにあろうことか神のいたずらが入る。この世を覆わんとする魔族の王を討ち滅ぼす勇者として選ばれたエルク。本来ならば王位継承権のない女の子が神に選ばれ、男同然の戦いの運命を強いられたのだ。

 世界をまたにかける巨大帝国、その王家に魔王を滅ぼす勇者が生まれた。その子は女として生を受け、王位継承権はない。だから魔王を倒した後は王家から退いて幸せな人生を歩ませてあげてもよかったかもしれない。しかしながら、脅威たる魔族を討ち滅ぼせる存在が帝王に君臨するという美しいシナリオ。それが賢い人間の脳裏をよぎった時、彼女の運命は転がる。王国の学者や神官はこの神託を受けて、彼女に王位を継ぐことができる特例を設けるべきだと言った。魔族の持つ世界の半分に進出することができるという小賢しい野望、そんなものが帝国に渦巻いた。その半分がどこにあるとも知らず。

 同時に、チャンドル7世自身もやぶさかではなかった。愛する妻イナンナが自身の命を賭してこの世に産み落としたエルクが王位を継ぐ。戦いは男がするものだという観念もあいまって、勇者エルクのたどる伝説の骨子が帝国で秘密裏に固まる。王女エルクは王子エルクとなる。男に授けるのと同様の教育を受け、肉体の鍛錬を受け、そして魔王を討つ勇者の伝説となり、この帝国を次の時代に引き継いでいく。エルクの肉体的な性が女であることは限られた人間に秘匿され、世間的には伝説の勇者たる王子として認知されることになった。

 ルイスはエルクに心底同情した。帝国の覇権の維持に利用された神託、それに踊らされる自分の性。ルイスは己であれば嫌になって国を去っていることだろうと思った。絡繰戦士は過去の自分をエルクに重ね合わせていた。

 その一方、エルク自身は自分が男として育てられること、そして勇者として魔族に対峙する運命を受け入れていた。エルクは毎日課せられる剣術の稽古や肉体強化にひたむきに励んでいた。彼――もうルイスはエルクを彼女などとは呼ばない――は己の立場を理解し、帝王の下に生まれたただ一人の勇者としての役割ロールを果たすと決めていた。この王子は帝国のため、人間のために戦うことを誓ったのだ。

 事実を知っている数少ない側近であるルイスに悪態をつくことはあるが、それは彼なりの葛藤の表れなのだろう。なにせ、彼はいくらでも替えの効く絡繰の人形。それに対してエルク王子は魔王を討つ代えの効かない存在。王子なりに感じるところがあるのだろう。


 ルイスは王子のことを追いかけて、城中を探し回った。メイドとの問答に付き合っていたら不覚にも王子のことを見失ってしまっていたのだ。おかげで使われていない部屋やら兵士室やら調理場やら階段の裏やら、ありとあらゆる城の中を闊歩する羽目になってしまった。

 最初、もしやと思ってルイスは魔術用の薬品庫に向かったがやはり先を越されていた。老年の王室魔術師ロイヤル・マジシャンたちに「エルク様は棚から瓶を一本持っていきました」と教えられる。王子は最近この薬品庫に通い詰めていて、一週間に一度はやりもしない実験のためだと言って強酸性の薬瓶を一本盗んでいく。一階の奥まったところにある薬品庫は少々散らかし癖のあるご老人たちの溜まり場になっていて、床には調合の専門書が山ほど積み上げられている。それに何年も放置されて中身が干からびたフラスコが散在し、薬棚にはあちらこちらに管理されていないラベルなしの瓶が放置されている。そういう整理の行き届いていない場所だから、王子様は新しく注文された瓶の中から酸の小瓶を奪っているらしい。王室魔術師ロイヤル・マジシャンのご老人たちも王子の勝手では微笑ましく黙認するしかなかった。

 薬品庫を出てから、城中ですれ違った人間に王子を見かけなかったかとルイスは尋ねて歩いた。そうしてようやく手がかりを掴んで王子を見つけたとき、彼は裏庭の大木の木陰でしゃがみ、手元をもぞもぞと動かしていた。気付かれないように忍び足で近づき、太い幹を背にして王子と反対に寄りかかっていたルイスはその一部始終を見届けた。そして近くの廊下にも聞こえるような声で大きくゆっくり呼びかける。

「王子様」

 ぎくっと王子はその場で小さく跳ね上がった。手を動かす音が止まる。

「そういうことは城で許されていません」

 少年とルイスの間にしばしの静寂が流れる。春の日差しが射し、心地よい風の吹く庭。王子の覆われた手の中からピーピーと幼い鳥の鳴く声が微かに聞こえる。

「ルイス……か、ちょっときれいな花を摘みたいと思ってね」

 苦し紛れの言い訳にルイスは食い気味に

「城では許されていません」

ともう一度言う。

 エルクの下にあったのは黒く輝く幼い鳥の姿だった。艶やかにテカるその黒翼は光を割き、虹の色を呈していた。

 ルイスには一目でわかる。怪鳥ナーティの幼鳥。ナーティは魔物の中でも超希少種で世界にも数羽しかいないが、あまり人に危害を与える魔物ではない。闇夜に映えるその見た目とは裏腹に、成鳥の透き通った声や七色の輝きを放ちながら現れては消える神々しさもあって、伝説の虹の鳥として崇めている地域があるという。

 この魔物が希少種になってしまう所以は『食』という点で不完全な存在だからだ。成長したナーティは他の鳥類と同様、胃袋には胃酸があって自ら栄養摂取できる。しかし幼鳥は別である。ナーティの小鳥は親鳥から口移しで食物と胃酸を分け与えられて成長し、独りでは生きることができない。もしも親鳥が不在の雛がいたら、すぐに他の魔物に食われるか飢えて死んでしまう。一方、大きくなれば殆ど地上に降りず少量の食糧で生存できる鳥である。そのため成鳥に外敵は少なく、千年を生きる個体もいる。

「生物学に興味をお示しになられるのは結構なことですが、ほかのお勉強がおろそかになるならば、私はしかるべき対応をせねばなりません。お分かりですね」

「……知ってたのか」

 王子は足元に置かれた小瓶に手を伸ばす。

「王子様、どうしてもというならば、この私が――」

 その瞬間、王子はルイスの足元に踏み込んで水のような液体をかけて

「バカ!!!」

と喚く。絡繰戦士は厳しい面持ちになって腕を組む。二本の脚にかかった液体からは鼻をつく鋭い臭いがする。

「ナーティについてどこまで理解している」

 彼は少々おっかないふりをして王子に訊く。

「こ、このヒナは親がいないと生きられない鳥なんだ!」

「王子さまはこのヒナの親になろうというのですか?」

「そうだ!」

 王子は自分が雛を守るのだと息まいている。絡繰の身体で大きくため息をつく。それからルイスはやはり王子を脅すような声で続けた。

「その鳥は大人になったらものすごい大きさの鳥になる。この城を覆いつくすほどの鳥に。王子はそれまでその子の面倒を見るつもりですか?そんなことはできない。ましてやその鳥は魔物なんだぞ」

「……こいつは、……ティピは僕が卵から返したんだ…………。僕はこの子と一緒に暮らす…………」

 王子は前の一月、ベッドで夜遅くまで寝付けず、頻繁に寝返りを繰り返して過ごしていた。それが鳥の卵をふ化させるためとはルイスは気付かなかったが、書庫を往復する王子のあとをつけて彼の行動を見ていたルイスは、王子の読んだ珍獣図鑑のページに折り目がついているのを発見した。ナーティの項目。それでルイスは彼が熱心に魔術用の薬品庫に出向いていること、ここ数週間のところ王子の机の引き出しが奇妙なきしみを上げていることの理由が分かった。

「ティピ……か。魔族であれ愛着を沸かせる気持ちはわかりますが、その鳥は成長すると大空を飛んで暮らす魔物です。太陽の光を浴びて、それを魔力に変えて生きるのです。ほんの小さいうちは王子の助けが必要ですが、もうしばらくしないうちに独り立ちしなくてはなりません。親としてずっと暮らせはしないのです」

「分かってる……。分かってる……なら……、ティピと一緒の時間、僕を放っておいてくれよ!」

 王子は言葉を詰まらせながら叫んで、一目散に小鳥を抱えてルイスの下を去ってしまった。後にはじりじりと皮膚を浸す酸のつんとすっぱい香りと投げられた薬瓶、それに絡繰戦士だけが残った。ルイスはこれ以上追う必要はないと思った。

 王子は廊下の先でまた人とぶつかってしまっていた。今度は涙にぬれた目元を拭いながら。ぶつかられた者はまた「あらあら」とだけ口にして彼の走るままにした。

「まったく、王子の幼さには反吐が出る」

「そんなこと言いながらあなた、結構喜んで王子の成長を見守ってるんでしょ?」

 天を眺めて独り言をするルイスにメイドは柱の陰から答えながら現れた。

「シャル、聞いてたのか」

 ルイスは出来る限り平静を保つようにした。

「いいえ、私は今通りかかったところです」

「そうか」

「まあ、あなたが意地悪しているのは分かりますけどね。エルク様、泣いていらっしゃいましたよ」

「そうだな」

 絡繰戦士はそっけなく答えた。そこへシャルロットが目を落とし、口に手を当てる。

「……あら、あなたその脚」

 ルイスは気づいていたもののシャルロットに心配をかけないように脚をクロスしていた。そこの外皮膚は強酸が染みてぶかぶかになってしまっている。いつかはバレることであったが、こうすぐに知られてしまってはルイスも堂々とするしかない。彼は両脚を開いて彼女に向き直るが、そのとき擦れた皮膚がべろりとはがれ、奥からむき出しの魔術機械が顔を出す。

「酷い怪我じゃありませんか」

「王子を咎めてはいけないぞ、シャル」

「王子様はともかく、あなたその様子じゃ工房の皆様によく見てもらわないといけませんわ」

「そうすることにするよ。幸いなことに深部にまでは到達していないようだ」

「でもそのままの格好ではあまりにみっともありません。神官の回復魔法で直せるでしょうか」

「無理だな。回復ヘイルはあくまで自然治癒力によって身体を直すものだ。ここまで派手にやってしまうと私の絡繰が持つ修復力では直しきれないだろう」

「では、カラクリ卿に取り合ってメンテナンスの日程を早めていただかなくては」

「……そんなことはしなくていい。考えがあるんだ」

「それでは――、どうしましょう――。私、包帯を取ってまいりますわ」

「ああ、それは助かる。ありがとう」

 そう感謝を伝えるとメイドは頷いて元来た道を駆け足に戻っていった。

「メッカのお叱りに合いそうだな、こりゃ」

 危ない液体のかかっていないところをつまむようにしてルイスは小瓶を拾い上げた。王子様の子育てはそれとして、交換の効く身体だからと感情をぶつけるのはよろしくない。彼はシャルロットとの会話で強がりを言っていた自分が恥ずかしくなってきた。そしてルイスは少しだけこの王子にしつけすることにしたのだった。


   ◆


 地下室の一角に機械部品を常備している部屋がある。それなりに大きい作りになっていて、機械の人形を十数体寝かせておくことができる。吊るされた薄暗いライトの照らす室内。そこを錆び鉄やグリス、古びた木棚から染みだした匂いが満たす。

「オラス、ここは痛むかのお?」

 工房からやってきたメッカが整体師よろしくオラスの背に指先を押し込む。「痛いです、痛いですメッカ様」とふざけたような声で裸になったオラスはそれに応じた。「ここはどうじゃ」とメッカが次の痛点を押すとオラスが「そこも痛いです」と繰り返す。そんなやり取りを聞くエンジとニーアは顔を見合わせて笑っていた。

 ルイスは実のところ王子に脚を傷つけられてから二週間ほどこの地下室に籠っている。脚に包帯を巻いてもらったあと、王やオラスに故障の経緯だけを告げたうえで、彼は少しの休養を頂くことにした。もちろん王子が魔物を飼っていることは伏せて。王子にはルイスの身体について深刻な状態だと伝えてもらうようにした。

 そして時折様子を窺いにくるシャルロットを遣わせてルイスはこっそり王子の子育ての手伝いを始めた。まずはエルクがこそこそと薬瓶をもらわなくてもいいように、彼の権限で小鳥の消化に良い電解液と酸を混ぜた代物を王子の部屋に届けさせた。それに王子の警護から離れることができたおかげで城下町の賑わう市というのに出かけることができ、そこで合わせ穀物の袋を一つ調達した。加えて、彼が机の引き出しにナーティを飼っていたことを知っていたから、音も遮れて鳥が寝るのにもちょうどよさそうな藁の束も掴んできた。カラカラと音のなるおもちゃも買ってきた。どれもこれもシャルロットに持たせて王子に届けさせたが、あるとき彼女は「こんな茶番はやめて早く帰ってくればいいのに」と小言を言った。ルイスはメンテナンスが終わって脚がきれいに修理されたら前の通り王子のもとへ行くと念を押し、そのときは「そう言えばメッカの絡繰工房に届けてほしい便箋がある」と話を変えてシャルロットに用を渡したのだった。彼女はその日すこし不機嫌そうに機械部屋から出ていった。

「ルイス、また考え事?」

 手の空いたエンジがメンテナンスを待つルイスの隣に腰を下ろした。オラスがまたぎゃーと喚いて、メッカが満足そうにしている。

「そうでもないよ。ちょっと段取りというのを思い返していただけだ」

 エンジは変なのというように首をかしげる。

「ところで、エンジ。私が頼んでいた品は持ってきてもらえたかな?」

「もちろんだよ!」

 胸を張ってちょっと自慢げそうにしたエンジは、彼らの座る棺桶ほどの大きさをした木箱をぽんぽん叩いてみせた。

「この中に入ってるよ。メッカさんはその程度の傷なら現地で外皮膚を張り替えれば済む話だっていって聞かなかったけど、義体のこともあるから箱に一緒に入れて持ってきちゃった」

「助かるよ」

 ルイスはシャルロットに持たせた手紙に、エンジの力作である一対の脚と適当な絡繰義体をメンテナンスに持ってくるように書いた。それは美術以外の性能を満たしていたルイスのもう一つの脚である。義体の方はある作戦のために必要な小道具だった。

「ねえねえ、ルイス。ここだけの話、僕の作った脚が超一流品だったことを教えてあげる」

 乗り出して話すエンジにルイスはどういうことだと聞き返した。

「どういうもなにもないよ。僕の作った脚の単体テスト、美術評価が最高点じゃなかったの覚えてる?」

「ああ、覚えているよ。それで私の脚が急遽メッカが作ったオールAのプロトタイプに変更されたわけだな」

「そうなんだ。でも実はあのテスト、評価結果は紙に書かれた通りじゃないんだ!」

「ほう。というと?」

 いっちょ前だと自称する小さな絡繰技術士さんは待ってましたとばかりに

「歩行テストA、脚力テストA、跳躍テストAっていうのはあらかじめ決められたテスト内容に沿った結果でしかないんだ。僕の作った脚はさらにもっと厳しい検査を乗り越えてる。歩行、脚力、跳躍ともに求められた水準の倍、いや三倍の性能は持っていたんだ!評するならばSといったところだね」

と真相を語った。

「それは限界を超えた耐久試験をあのときやっていたということか?」

「そういうこと。でもそのおかげで関節部に細かい傷が出てしまってね。それで三つのテストを終えた後の美術テストがB+になってしまったっていうわけ」

「……その年で大した挑戦心だ」

「そう言ってもらえて嬉しいな」

 少年は照れ臭そうに鼻に触れた。

「だからね、あのあと外皮膚を張りなおした僕の脚はメッカさんの作った試作品に引けを取らない。いや、いざというときにはメッカさんのよりルイスのためになる脚だと思うんだ!僕ね、きっとメッカさんを超える絡繰技術士になる。いつかメッカさんが君を作ったように最高の絡繰を作り上げるんだ!」

 小さなメッカは瞳を輝かせていた。ルイスはこの少年の未来を信じたい、そう思った。

 そんな話をしている間にオラスへの作業が終わったようだ。城に働くメッカ特製の絡繰人形は絡繰戦士と執事長だけであるから、次はルイスの番。ニーアに呼ばれたルイスは腰を上げるオラスと入れ替えにして診察台に登った。

「ふぅー、痛覚の確認というのは何度やっても好きになれないものでございます」

 オラスが感想を述べるとそりゃそうだと皆が笑った。

「私のときは手加減を頼むぞ」

 徐々に傾けられていく台の上でルイスは初めてのメンテナンスに幾分緊張していた。

「まあ、最初は頭のシステムの検査からじゃ。そのあとお前さんのはがれた皮膚を取り換えて、全体の感覚器官を確かめるのは最後じゃから安心せいルイス」

「まず、記憶パッチを最新版に入れ替えるからちょっと首を開くわよ」

 ニーアはそう言って持ってきた機材で彼の首を開いて外部との接続端子にケーブルをつないだ。そのときルイスは得も言われぬ恐怖に襲われた。

「パッチを最新版に入れ替えることで私の記憶に影響はないのか」

「大丈夫よ。記憶パッチが更新されてもそれは辞書が更新されるだけ。あなたの記憶に影響はない」

「本当にそうか……」

「心配する必要はないわ。辞書は新しいほうがあなたにとっても役立つだろうし」

「そうだとしても」

 そうだとしても、ルイスの頭には魔王としての記憶と記憶パッチで補強された知識、それから王室で仕えてきた記憶の三つが混在している。それらは短い期間でも彼が絡繰人形として生きてきた中で有機的に連合し、絡繰戦士ルイスという存在を作り上げた。今やそれらは互いに切っても切れない関係にある。ルイスが持つ過去、現在、未来、今信じている一貫した自分の『常識』という名の辞書……。空は『青い』という信念が、ある日突如として『赤い』と変えられてしまっていたら、空を『青い』と信じていた自分はどこにいってしまうのだろうか。

 記憶パッチが更新されたとき

「もし私が」

千に一つ、万に一つも断絶されてしまうのだとしたら

「嫌だと」

思った。だからこの思いを私が

「主張したら……」

やめてもらえるだろうか。

 ルイスが静かにそう話すとニーアは困ったような顔をして考え込んでから、肩をすくめてメッカに指示を仰いだ。老父はまるで孫の我が儘を受け入れるかのような笑顔で

「うむ、幸いにもお前さんの絡繰にはまだ記憶装置のスロットが二つ残っておる。もしお前さんが現状の記憶パッチを更新されるのが嫌だというのならば……、よかろう。空きスロットに更新された記憶パッチを置いて今日は帰る」

と優しくルイスに言った。

「ルイス、お前さんが選べばええ。どっちの辞書を使いたいか、お前さんが選べばええ」

 ルイスは感謝の言葉を伝えた。そのあとニーアは作業が増えたと一言文句を言って機械の頭部を切開する準備にかかる。

「勝手を聞いてもらうついでにもう二つほど頼みがあるんだが、頼まれてくれるか」

 老父は何も言わず小さく頷いた。

「脚のことなんだが、自分で外皮膚を張り替えたい。良ければ整備方法を記憶に置いて言って欲しいんだ。もちろん道具一式も」

「なるほど、自分で自分を直したいということじゃな。よかろう。ワシらが処置するほどの重傷でもないからの。後は何をして欲しいんじゃ?」

 ルイスには託したい未来があった。

「エンジに渡したい記憶があるんだが、そうする方法はあるか」

 尋ねられた老父はそんなことかと少し呆れながら

「空の記憶装置も持ってきてある。それをお前さんにケーブルで接続すれば、そこへ好きに記憶を置いて行ってええぞ」

と言って手帳ほどのサイズのボックスとルイスを接続した。

 もう一度感謝してから彼はありし頃の記憶を頼りに立体のモデル像を外部記憶装置に転送した。

「エンジ、ちょっと来てくれ!」

 切開用のメスを調整しながらいるニーアの横をエンジが駆けて寄ってくる。

「そこの記憶装置にエンジに作ってもらいたい絡繰のモデルを入れたんだ。どうだろう、お前の最高の絡繰を作るまでに挑戦してみる気はないか」

 エンジは喚起して叫んだ。

「やるよ!僕、やるよ!」

 彼ははしゃいでルイスの記憶装置を取り上げた。

「頼みっていうのはそれだけでいいのかしら」

 ぎらぎら光るメスを手にしたニーアが怖い表情で覗いて立っていた。そのあと、頭が開かれてルイスの意識が失われている間に記憶パッチの増設は終わり、目が覚めた時には逃れられない状況で整体師メッカがぽきぽきと指を鳴らしていた。絡繰戦士は息をのんで覚悟を決めた。

「いってええええええええええ」

 エルク王子は独り自室で知らぬ誰かが届けてくれたティピのエサと小瓶の酸を混ぜようとしていた。しかし彼が瓶から液体を注ごうとすると、もう一滴も出てくる気配はない。もうかなり成長した雛鳥は自分が飛ぶことができるのだと二枚の翼をばたばたとさせてエルクに自慢する。独り立ちはもう間近であった。そんな折、エルクはどこからともなく自分のせいで動けなくなったと聞く絡繰戦士の地獄からの叫びが聞こえた気がした。きれいな丸い月が窓から明かりをさしていた。


   ◆


 時は少し遡ってルイスがエルクと仲たがいをしてしまった日。王子エルクは裏庭で毛むくじゃらの虫を拾ってえいえいと殺生し、もってきた酸の瓶を開いてティピと二人きりのピクニック気分を楽しもうと思っていた。

「ティピ、そら日の光があったかいだろ。お前の黒い羽根だと光を浴びてとっても熱くなっちゃうんだって?」

「ティッピッピー!」

 小さな雛鳥はエルクがご飯をくれるときをいつも楽しみにしていた。正直なところこの人間の言っていることはあまり分からない。でも自分に尽くしてくれる。大好き。雛鳥は自分がティピと呼ばれていることは知っていて、エルクが呼びかけたときにはいつでも最高の声で応えたいと考えていた。

「ほら、今日のお食事ですよー」

 エルクは食事を与えるとき「お母さん、お母さん、もっと、もっとちょうだい!」と言われているような気がして、案外こういうのも悪くないなと思っていた。とはいえ、小さな王子の食事の与え方は少々荒っぽいもので、小さくちぎった食べ物をティピのくちばしに入れては少量の酸を垂らし、入れては垂らしを繰り返していた。

「ティピ、温かいねー」

 王子がそう小さく声をかけて雛を撫でていると、背後から気難しい説教を垂れる護衛がやってきたのだった。そのあとはすでにお分かりの通りである。

「王子様、ルイスは一時入院という形になりまして。その申し上げづらいのですが絡繰の、んあー、命に係わる状況でして――」

 次の日、オラスは王子の前から忽然と消えた絡繰戦士のことを伝えた。オラスは言いつけられた通りにしていいものか迷いを感じながら言葉にすると、王子はぷいとそっぽを向いて「あっそ」と素っ気ない様子で返答した。

 部屋に帰るとメイドのシャルロットが待ち構えていて

「王子様、ルイスがいない間の日中は彼の代わりに私がエルク様のお部屋におりますわ。王子様は何も心配することありませんから」

「そう。警護はどうするの?」

「そのことなんですが、ルイスが不在の間は身辺を鑑みまして、王子様は許可のない時間はこのお部屋でお過ごしいただくことになります。部屋は兵士が二人体制でお守りいたしますわ」

 王子は「えっ!」と声を上げた。それじゃあ、ティピの食事はどうすればいいんだろう。最近は食べる量も増えてきて薬品庫に夜も忍び込まなくちゃいけないことがあったっていうのに。

「どーしてもダメなの?」

「どーしてもダメです。剣のお稽古は師範代にこの部屋にいらしてもらって続けます。お勉強はシャルロットがお手伝いいたしますわ」

 シャルロットはそう伝えると、勉強机の椅子を引いてこちらへどうぞと座るように促す。

 一時間、二時間と本を広げてつまらない勉強が始まった。羽ペンを片手に魔術や社会、習字などなど。シャルロットはルイスと違って王子が分からないところがあってもいきなり辞典や解説書のような模範解答は言わなかった。やさしく「私も分からないですね」と言いながら一緒に本を探して勉強してくれる。魔法を詠唱して間違ったところがあって、ぼんっと変なところに火の粉が上がっても、シャルロットはもう一回頑張ってみましょうと一貫して応援に回ってくれた。ルイスならば詠唱のどれこれの部分が不完全だから魔法が上手くいかないのだとか、本に書かれている社会のことや歴史がいつも正しいわけではないとか口うるさく指導をしてきたのだった。

 剣の師範代はこの帝国でも随一の技量を持つサディオ・ルインという老騎士が相手をしてくれた。サディオは昔の帝国第一軍隊を率いていて、ウッドが現れる前までは連撃の剣豪サディオとして国中で崇められていた人物だった。紫電連閃しでんれんせんという奥義を編み出して、数々の戦いを勝利に導いた英雄。若い頃の姿で髭を蓄えた彼の石像は、帝国と魔物の争いのあった各地に立っている。もう彼の毛という毛は白く染まってしまっていて石像にあるようなたくましさは感じられないけれど。そのサディオが来ると今日は絡繰戦士がいないのだなと呟いていた。稽古場で練習をするときにはルイスが近くで様子を見ていて、たまにサディオとルイスで模擬戦を見せてくれもした。ほかの城の兵士がサディオとやりあっても歯が立たなかったのに、ルイスが彼とやるとサディオも本気になって魔術を込めた剣技やら家にしまっていたという妖刀まで持ち出して戦っていた。だけど今日はサディオと二人きりの素振り。しゅっ、しゅっ、剣が風を切る音が心地いい。

「今日はこれくらいにしましょうか、勇者殿。明日も参りますゆえ、ルイスによろしく伝えておいてくだされ」

「あっ、それがー、ルイス実は今入院にしてて」

「ほれ、そうでしたか。絡繰にも入院があるとは。いや拙者もずいぶん昔に腰を痛めましてな、長く治療に通ったものです。でも今はピンピンしておりますわ。ルイスはカラクリ大王のもとにおるんでしょう。それならきっと良くなるでしょうて」

 その夜、エルクはやっぱり引き出しでお腹をすかせたティピに何かをあげないといけないと思って、自分の夕食にあったサラダ豆の粒をいくつか懐に入れて持って帰ってきた。シャルロットが見ているから王子はなかなかティピに食事をあげる時間はなかったけれど、彼女が用事を足してくるというチャンスに豆を潰してティピに素早く食べさせた。そしてそれが勘付かれてしまわないようにエルクは机でパズル遊びに熱中しているふりを始めた。シャルロットが部屋に戻ると彼女は机の上の瓶の液がまた少し減って底を尽きていることに気が付いた。

「王子様、なにか足らないものとかございますか?」

 王子は何気なくかけられたシャルロットの言葉に驚いた。欲しいもの、できれば鳥が食べるのにちょうどいい穀物とか切らした酸の薬瓶があったらと思ったが、そんなことを言えば生き物を隠して飼ってることが知られてしまう。

「うーん、そうだな。うーん」

「王子様、明日の朝よろしければ町にお忍びで出かけましょうか。ルイスがいない間、私では持ってる知識も拙いものですし、お暇をつぶす遊び道具でも買いに」

 シャルロットは明らかに分かっていてエルクを町に連れ出そうとしていた。王子は悪い話でもないと思って

「いいよ。そうしよう」

と快く応じた。

 次の日、エルクとシャルロットは麻で出来た平民気取りの質素な服装で町に繰り出した。

 ブライス城を出てまず目に飛び込んでくるのは、城下町を往来する無数の馬車の流れだ。息つく間もなく次から次へと人やら物やらを運ぶ荷馬が走り去っていく。高級な乗り物だと揃った毛並みの白いユニコーンが引いているものもあったが、そういう馬車の向かう先は決まってブライス城の方向で、他国の要人や支配地からの遣使が乗っているのだった。

 石造りの町並みには城を中心に八方に広がる大通りが出ていて、三階から四階ほどの造りの似た邸宅や店が立ち並んでいる。通りで出会う人もハットをかぶってスーツを着込んだ仕事人から帝国の兵士、エルクよりも幼い子供の集団、着飾った婦人、皆それぞれに違う身分と理由で町を出歩いていた。

 見るもの見るもの物珍しそうにする濃い茶髪の少年に、二十歳をすこし過ぎた青髪の端麗な女性。どう考えても親子という風ではないその出で立ちは町の人の目に留まることも多かった。だが、彼らをつけている不貞腐れた怪しい人物は、その二人組よりもはるかに注目を浴び、行き違った人々を悉く振り向かせた。

「エルク様、こんな時しか寄れませんからおしゃれな服屋にでも行きませんか?」

 そう言われて断れない王子がシャルロットに連れていかれたのは、ちょっと攻めたデザインの普段着を数々揃えたショップ。そこで王子はシャルロットが薦めるままにいろいろな服を試着してみた。少年らしく軽い身のこなしを実現するでかでか文字の書かれたシャツ。従軍兵士かのような厚手の軍服。メッカよろしく野球球児。東の海を渡った先にある国で流行りの礼服。王子も初体験のドレスコーデにふりふりのワンピース。かわいい花柄ピンクの水着まで。毎度着替えるたびにシャルロットは「お似合いですよ、ポーズ決めてください」と言って持ってきたカメラでぱしりぱしりと王子の姿を写真に収めた。

 ひとしきり服を楽しむと、二人は大通り沿いのカフェに入って外の席でブレックファーストを頼んだ。トーストを卵黄の乳液を浸して焼き、それにたっぷりのオレンジジャムと蜂蜜とホイップクリームをかけて食する。帝国で英気を養うのに人気のスイート・エッグ・トースト。それをコーヒーと一緒にいただくのがブライス流だ。王子様は一口苦い汁を口にしてべーっと舌を出して嫌がると、シャルロットにミルクと砂糖を入れてお飲みくださいと言われ、その通りにしてみたら今度はこんなおいしい飲み物はないと彼は酷く気に入った。

「次はどこいきましょうか?」

 シャルロットがそう訊くと、王子はあたりを少し見渡して、目に留まった大勢の人で賑わう市のほうに行きたいと言った。二人はパラヴィン通りの市に向かって歩き出す。その様子を見て、彼らをつけていた者は深くため息をついてから見失うことがないよう距離を縮めた。

 庶民が口にする魚や肉の店、それに古着屋、アバンギャルドな髪形も扱っているという散髪屋。そんな中、各地の穀物を取り扱っている専門店を通りかかったとき、王子は急に歩みを止めて外に出ている大きな布袋を見た。王子の頭にはティピのことがいつもあった。だからティピが食べるのにちょうどよさそうな栄養価の穀物袋があったらいいなと思っていたのだ。

「どうかなさいましたか、エルク様?」

「……あっ、いや。なんでもない」

 しばらく立ち尽くして商品を眺めていた王子は、シャルロットの声を聞いてふと我に返った。そしてまた市場を通りに従って進んでいった。そのあと物陰からのらりと現れて来た客は

「この袋いくらだ」

とフードの中から不愛想に店主に問いかけて買い求めた。

 王子は市場を進みながらいろいろなものを見ては立ち止まり、欲しそうにねだっていた。王子はティピに喜ばれそうな品々の他、神官の首飾り、細部までよくできた一対の人形、龍の置物、貝殻で飾られた筆立てに興味を示し、明らかにティピ用であると感ずかれてしまうもの以外をシャルロットに購入してもらう。そして、ティピ用で彼が欲しそうにしたものは必ずと言って袋を背負った追手が購入し、周囲はそのストーカーについて陰口を囁いた。

 市を通りの端まで来たとき、王子は露天でやってるジャンクの機械売りに興味を示した。それまでは楽しそうに店を回っていた王子の顔色が変わる。

「どうだい坊や、絡繰のセット・パーツなんかもあるぞい」

 腰の折れた老年の露天商はいいお客さんだと王子に声をかける。エルクはどうにも釈然としない面持ちで

「絡繰の皮膚の修正剤とかってあるの」

と尋ねた。露天商は首を傾げてから

「修正剤ねえ。どういう材質か分からないからすぐにお答えできないが、坊や直したい絡繰でもあるのかい」

「うん、すっごく白い肌なの。毛はほとんどなくて、脚のパーツなんだけど。でもハリのあるやつじゃなくちゃいけなくて。すごく痛そうなの、だから――」

 王子の口から出てくる言葉が指している絡繰は間違えるはずもない、ルイスであった。彼は必死に自分の記憶にあるルイスの特徴を伝えるが

「坊や、絡繰には痛みはないんじゃよ。もしパーツが破損していても絡繰は痛みを自分でカットできるんじゃ。……だから、きっと坊やの直したい痛みは坊やの痛みなんじゃないかのぉ」

 露天商は口角を少し上げて王子に語り掛ける。エルクは少しうつむき加減に頷いた。

「だとしたら、いいものがある!」

 老人はなにやら足もとからごそごそとものを探し出してきてエルクに見せる。

「これはな、機械の人形が壊れなくなるとっておきのお守りじゃ。人形にも魂があるでな、その魂ってのは身体全体に宿るものじゃ。どの一部分をとっても人形には魂がある。その魂をお守りしてくれる神様がこの中には入っておる」

 老主人の手に乗っていたのは茜色をしたただの布巾着。その上に『絡繰安全祈願』と書かれていて、明らかにこの帝国で仕入れられたものではなかった。王子はそのお守りを見て表情を和らげ

「それ、僕欲しい」

と一言。後ろでそれを見ていたシャルロットが露天商に話をつけて、ただも同然の値段で巾着袋をもらい受けた。

 太陽が真南に登ろうとする頃、エルクとシャルロットは城への帰り道にいた。城下町の建物の上に立っていた追手は重い荷物を背負ってフードを目深にした。先に帰ってティピとかいう鳥用の特性液を作ってやらねばならない。彼は一つ飛びで次々屋根を超えていき、城へ走った。


   ◆


 メンテナンスを終えた晩、ルイスに会いに地下へやってきたシャルロットは、包帯を巻いた脚を見て、工房の人間に脚を直してもらわなかったのかとひどく落胆していた。ルイスは自分で直せるようになっていると伝えたが、彼女はまだ王子のところに帰ってこないつもりなのかと啖呵を切ってとプンプン怒り始めてしまった。彼が空返事で答えていたら、シャルロットは「今日せっかく珍しい上官がお見えになっているのに」と言うのでルイスがはてと思うと

「よう!絡繰大戦士さん、元気にやってるか?」

と大柄の猿みたいな戦神様が機械室の鉄扉を開けて顔を覗かせてきた。

「しょぼくれてるなあ。お前休養をもらって何週間も断食修行してるそうじゃないか。一緒に飯でも食わないか」

と誘われる。兵士同士の付き合いはやっておいた方がいいだろうとルイスはウッドの誘いを二つ返事で受けることにした。

 彼は御馳走が用意されているんだと絡繰戦士をホールに招き入れた。夜遅くだというのに煌々と照らされるホールは、ルイスに籠居していた地下の部屋とは対照的に感じられた。一本のキャンドルを真ん中にして対面するようにウッドと座る。まもなくしてホールのメイドがライ麦で出来たバケットの三つ入った籠、赤いワインのボトルにグラスに栓抜き、それから野菜と一緒に盛り付けられた特大のローストチキンを彼らの前に運んできた。

 卓上にはフォークとナイフ、取り分けるための白い丸皿が用意されていて、ウッドは早く食べようと急かすが、ルイスは

「食べてもらって構わない。私は腹が減ってないからな」

と言ってウッドに先に食事を取ってもらうことにした。

「お前、食べないと身体を壊すぞ」

 しばらくしてウッドは美味しそうに鳥をほおばりながらそう話し始めた。

「同じようなことをシャルからも言われたよ」

「シャルロットもお前のことを心配してるんだよ」

 ウッドは机の上のバケットを一つ取って「食え」と差し出してきた。

「私の身体には人間のような血は流れていない。あくまで魔力を生成する心臓が回路を通して身体中に力を送り、それで動くだけの人形だ。そしてその魔力の生成に食事はほんの少ししか寄与しない」

「知ってる。だが、『食わなくてもいい』ということと、『食わない』ことは別だ。食え」

 彼の真剣な表情を見て、ルイスは我ながら付き合いの悪い絡繰だと反省した。無骨な腕に握られたバケットに手を伸ばして自分の皿の上でちぎる。そして一片を渇ききった口に含んで咀嚼した。

「そうやってしていると、なんだかんだ人間臭さがあるんだから、無理に人形をしなくてもいいのになあ」

 ウッドは絡繰戦士の食べる様子をまじまじと見ながら呟いた。

「シャルロットから聞いたぞ。なんでも王子様、小鳥を飼ってるんだってな」

 バレている?ルイスは自分で気づかぬ内に噛むのを止めて口内のものを飲み込んでいた。

「お前、まさかシャルロットがペットのこと気付いてないと思ってたんじゃないだろうな。それなら鈍感だぞ」

「女の勘は鋭いな」

 ルイスは俯いてできるだけ戦神に顔を合わせないように、手元でバケットをもうひとちぎりして口に入れた。ウッドは「お前も女だろ」と突っ込みながら

「その鳥なんでもまだ小さくて、親が軽く消化した食べ物じゃないと口に出来ないんだってな」

「……そのこともシャルがしゃべったのか」

「ああ、悪く思うなよ。防衛上重要な情報だから共有することもある。安心しろ、むやみには口外はしない。もとをただせば俺が悪いようなところもあるし」

「それはどういうことだ」

「お前、卵を誰が持ってきたか知らないのか?」

 ウッドは第一軍隊の近況を語り始めた。帝都から海を隔てて遠く北にある大地ハイエルシアで戦線を率いていたこと。その戦闘がひと段落したことで国に戻って幾ばくかの休息を得られたこと。魔族との大規模な戦闘であったにも関わらず人的被害はごく僅かに抑えられたということ。戦いの中で大きな鳥の巣を見つけて卵をいくつか帝国に土産として送ったこと。

「それで新鮮でもない卵をオラスが珍しいものだと言ってみせたのだそうだ。そしたら王子様その気になってしまって、今に至ると」

「シャルからはそんな卵を譲り受けた話は聞いてなかった」

「王子と卵の件はシャルロットから聞いたんじゃない。帰ってきたらオラスがいの一番、俺の送った土産を王子が大変気に入ったって」

「複数の情報源をお持ちなようでなにより。それにしてもそんな卵どうして持ち帰ろうと思った」

「道中で虹色に光る珍しい卵を見つけたから献上しただけのことだ。ちょうどハイエルシアでの任務も凍土に眠る七色の杖レインボー・ロッドを持ち帰るのが目的だったしな。偶然の因果ってやつ。卵を拾ってきたっていうのはちょっとした遊び心からだよ」

 七色の杖レインボー・ロッド、その昔に大魔女が手にしていたという伝説の杖。その七色の輝きは物の姿形を変え、賢者をも欺くという。魔女が亡くなりし時、魔族に悪用されることがないように氷結の大魔法と共に大地に眠った。ルイスはその杖を見たことがある。魔王としての最期の戦いで大魔女リリスが手にしていたのだ。

 七色の杖レインボー・ロッドはともかく、ルイスは卵を持ってきた人物がウッドであったと知って不安になる。もしや戦神は王子の飼っている雛の詳細にいるのではあるまいか。

「ウッド、卵の正体は何か知ってるのか?」

「知らないぞ。なんか有名な鳥の卵だったのか?」

 ウッドはルイスの質問に何の不思議な様子もなく即座に答えた。この調子だと献上したものが魔物の卵と戦神は理解していないな、とルイスは思う。彼は心の中でほっと胸をなでおろして、深い意味はないのだと付け加えて話を変えようとした。

「魔術の秘宝を肉体派のお前が探しに行くっていうのはなんか奇妙な感じがするな」

「そんなことはないさ」

 戦神は貪るように肉を食っていたが、ここにきて神妙な表情になって手を止めた。

「俺はその杖を作ったお国の出身者だからな」

「ん……」

 七色の杖レインボー・ロッドとそれを所有していた大魔女の祖国は魔法で成り立つ中立都市国家だ。そこの住人は生まれながらにして高い魔術の適性を持ち、彼らからは偉大な魔術師が多く輩出されている。だがその国の人間は身体が滅法弱く、己の肉体で戦う戦士とは無縁の人種であった。

「俺はな、落第者なんだよ」

 ウッドはまた少しずつ皿に手を伸ばしては肉を口に運んだ。そしてそれを噛み締めながら

「生まれた時点で俺は宣告されたのさ。魔力零、正真正銘の無魔力者ノー・タレントだって。両親は家の恥さらしだといって俺のことを蔑んだ。今思い返してもいい気がしない。悔しかったさ」

 男はいっそう強く口の中の繊維を噛みこんで語りを続ける。

「兄弟たちは魔術の道を究めて、国の役人魔術師に登用された。俺は小さいころ兄弟たちに馬鹿にされたよ。それで、あいつらの魔力の才能を恨めしく思った。俺だって魔術を使えるようになりたいって何度も思った。だけどな、どう努力してみてもダメ。俺には魔術の才能は一欠けもなかったんだ」

 キャンドルが戦神の荒い息遣いを映すようにぐらりぐらりと揺れる。

「俺は祖国を、兄弟を見返すにはどうすればいいか考えた。それで結局、己の身体を信じるしかなかった。俺は兄弟が魔術書をよむ隣で必死に身体を鍛えた。兄弟が魔法で山を焼くなら、俺は山を動かせるまで腕を強くした。魔法を十回唱えるその間に都市中を十周して脚を速くした。魔法を使う誰にも負けない身体を作り上げるため、兄弟たちの百倍食い物を食らった。そのくらい俺は鍛えて食って、鍛えて食って、そして鍛えて食ったんだよ」

 ウッドの話を聞きながら渡されたバケットの残りを見る。ルイスはまだ自分がこれっぽちしか夕食を口にしていないことが後ろめたいような感じがした。

「それの結果、手に入れた体技の境地。そいつはお前との初顔合わせで披露した通りだ」

 戦神は未開封のワインの栓を勢いよく抜くと一気にそれを飲み干していく。なるほど、ルイスにはこの男が魔法にも似た体技を獲得するに至った理由がよく分かった。拳から放たれた風の砲撃、身体に纏った静電気の衣。思い返せばあのとき、ルイスの身体は戦神が自分に向かって起こした風に引き寄せられた。そして終幕、鎧を捨てた戦士に背を取られたわけだ。

「だからお前の実力を俺が確かめたとき、出会って間もないというのに俺の突風拳を真似されてマジで焦ったぞ」

 ルイスは彼が『禁術』を知っている理由も理解した。彼の出自の都市国家は魔法国家。そしてその国で取り決められた条約で『生贄サクリファイス』は表向き禁止されているのだ。

「私のようにほかの方法で魔術に迫ることもできただろうに」

 ルイスは戦神にけしかけた。なぜ生贄サクリファイスで魔法を獲得する術を取らなかったのか。

「痛みと犠牲を伴う。俺には好きになれんやり方だ――」

「ならば、なぜ私を王室戦士ロイヤル・ナイトとして許した!」

 彼が言い終わる前にルイスは怒って席から立っていた。戦神が訝し気に絡繰の顔を見る。

「許したつもりはないぞ。勘違いをするな。ただ戦士として採用に足ると判断しただけだ。お前のアレは人間がすれば第三アデムウォール条約違反で国を問わず終身刑になる」

「私が絡繰人形だから舐めているな」

「まあ本質的にそういう節がないとは言わないさ。お前の肉体では人間の魂を食らって吸収できないのを俺は知っている。ただ、誰かの魔力を装填ロードできる理由は不明だがな」

 この男の根は自分と同じくらい腐りきっているのかもしれない。ルイスはウッドを少しでも信用し始めていた自分に情けなさを感じた。

 ウッドは何か諦めにも似た感情を抱いて

「お前も俺も、帝国が望んでるんだよ。理性を持った無慈悲の破壊戦士としてな。勇者がいるからといってこの国が大義だけで魔族の次に世界を支配するようになったとは思わないことだ。だからといって変な気を起こすんじゃねえぞ。自らの抱えた矛盾っていうのを腹の底でぐっと我慢して戦うのが戦士ってものだ」

とひとしきり忠告する。

「食事中に立つな。飯がまずくなる」

 ルイスは解せない気持ちでいた。自分をこの帝国の戦士として認めた男が、兵器としてのルイスを買っているだけだという事実を思ってやるせないのだ。ルイスは戦神のそこはかとない狡猾さを知った。ルイスがそう思って押し黙っていると、ウッドは照らされた大皿の鳥をぐいぐいと切り、また「食え」と彼のところに寄越してきた。

「食わないと、身体を壊すって言っているだろ。身体っていうのは別に肉体だけじゃない。心の健康も含めてだ。もしお前が進んで滋養を取るようになって『人間になれたら』俺がこの腕っぷしと法で裁いてやるからよ。今は食え」

 上官からから渡された肉を自分の皿に受け取り、ルイスはじっとそれを見つめてから何か悔しくなって大げさなくらい大きな口で噛り付いた。


   ◆


 食事のあとルイスの頭にはこの国に対する疑念が生まれていた。帝国に潜む闇、そんなことが頭の中をめぐっては消え、めぐっては消える。この国には誰も気づいてはいないが裏から手を回している者がいる。そんな予感がするのは魔王であった頃の記憶のせいだろうか。

 地下に戻ったルイスはこの数週間、城内の誰にも言わずに練ってきた作戦を実行に移そうとしている。ウッドとの別れ際「王子とあんまり喧嘩するんじゃないぞ」と釘を刺されてしまっていたから、こんなことをするのは自分でも大人げないと自覚していた。だが、せっかく用意したドッキリを無駄にするのはもったいない。しつけの時間である。

 エンジが持ってきてくれた木箱の中身がこの作戦の重要アイテムだ。ルイスと同じくらいの体格をした素っ気ない絡繰義体、エンジ特製の脚。それから自由を謳歌していた時間に町で見つけてきた大きめの手ごろな白のシーツ、手持ち出来るランプ。本作戦は以上の材料で完成する。

 彼は自分の記憶パッチを調べて、ほかの義体に自らを一時的に投影する方法を探し出していた。試すのはこれが初めてだからいささか緊張しているが、きっと上手くいく。脚にまかれていた包帯を丁寧にはがしていって痛々しい、だが痛みを感じることはない脚を露にした。

 王子はティピの晩の食事のための酸が切れていることに気づくと、こっそりと自分の部屋を抜け出した。シャルロットももう寝てしまっている時間だし、今はつきっきりだった絡繰戦士もいない。王子は夜に薬品庫に忍び込むためにずっと前から合鍵を隠し持っていたから、今から瓶を取りに行けばいい。そう彼は思った。部屋の前にはルイスの代わりの警備兵が常駐していたが、トイレに行きたいのだと伝え一人で行けると振り切ってしまった。駆けていく王子の背を見ながら兵士たちは単純に漏れそうなのだろうと理解を示した。エルクは気に留めなかったが、彼の後ろには大きな影が一つ伸びていた。

 途中で城を巡回している兵士に見つかっては大変だ。王子は階段へ来ると、そろりそろりと歩いて一階の薬品庫へと向かう。目的地の入り口は木製の扉で閉じられていて、立て札には火気厳禁の注意書き。王子は自分の持っている鍵を寝間着から出してきて錠を開ける。おもむろに扉を開いて、あたりに物が散乱している暗い部屋に恐る恐る忍び足で入っていく。

 いつも新しく届いた薬品の瓶は部屋の奥にまとめて保管されていた。その中から一本使えそうなものを取ってくればミッション完了。王子は変な薬瓶を踏んでこぼれようものなら大騒ぎになると思って、慎重に部屋を進んだ。

 棚と棚の間を抜き足差し足で歩いていく。目いっぱい瓶が置かれたそこの棚を左に曲がれば、新品の瓶があるはず。王子が角から頭を覗かせたとき、ルイスはランプに炎を灯した。

「ぼぼぼぼぼっ」

 ひぇっと王子がたじろぐ。

「こんな夜に何をしに来たぁー」

 ルイスはシーツを頭からかぶって彼の前に立ちふさがり、ゆらゆらと揺れながらものものしい声で言った。

「なっ、お前は何者だ!」

 お子ちゃまエルクはすかさず問い質す。

「私は薬品庫のゆうれぇーだー」

「ゆうーれぇー……。お前が幽霊って、いったい誰の幽霊だっていうんだ!」

「お前がこの部屋から奪った薬瓶を投げられて、動けなくなったゆうれぇーだー。恨めしやー」

 ルイスはそう言って、ランプを足元まで下げる。そしてぐいと足もとに垂れているシーツを持ち上げてむき出しになった機械の脚をみせつけた。


――ジャジャン


「ぎゃー!」

 王子は悲鳴をあげて飛び跳ねると

「出たあああ!ルイスが化けて出たああああ!!!」

と泣きながらわきめもふらずに走りだしてしまった。あまりにも一生懸命に走ったようで薬品庫内の棚に次々とぶつかりながら。

 絡繰戦士は危ないと即座に察した。王子に見つからないように同じ部屋の暗がりで元の身体をうずくまらせていたルイスは、有線のケーブルを通じて自分の意識を戻してくる。

「うわああああ、ごめんなさーーーい!」

 王子は扉にたどり着いてバタンと閉じて駆け出ていく。まずい、王子のぶつかった棚がぐらついている。

 瞬間、ルイスは首からつながったケーブルを引きちぎり、自分の脚部に力を込める。エンジの作ってくれた脚はものすごい馬力を解放した。一つ蹴り上げて天井へ、二つ蹴りつけて揺れる棚の真上に到達。天井と棚との間で体のバランスをとって彼自身もよろめきながらなんとか倒れるのを阻止した。

「ふう、やれやれだ」

 ルイスは独り言ちて、崩れ落ちた絡繰義体に目をやった。シーツがめくれている。のっぺらぼうで怖い見た目の義体と、それに不釣り合いながっしりとした以前の脚。それらが転げたランプにぼんやりと照らされていた。

 ルイスはゆっくりと身体を棚から降ろして部屋の明かりをつけた。すると王子とは別の訪問者が扉を開ける音がして、そいつは

「こんなことだろうと思ったんだよ」

とぐちぐち言いながら入ってきた。

「だからあんまり喧嘩するなって言ったのに――」

 ウッドは渋そうな顔つきで部屋を眺め、絡繰戦士の影を認めるとそう続けた。

「なんだよ、私のことをつけてきてたのか?」

「そりゃそうだろ。こそこそ地下に戻りやがって、また王子のことをほっぽり出すから。よほど腹に据えかねたことがあるのかと思ったら……こんなことか。子供脅かして楽しめるようにプログラムされてるのかお前は?」

「ちょっとしたしつけだ」

「近頃の絡繰は随分ツンデレなしつけを覚えたもんだ」

 ふんっとうそぶいて、ルイスは気の抜けてしまったお化けを手早く回収する。

「お前、有線で意識転送してたのか?」

 ルイスの抱えている義体に繋がったケーブルを見て、ウッドは馬鹿にしたような声で訊いた。

「なにかおかしいか」

「バレる心配があるのに、よく自分の身体を持ってきてたなぁと。近距離通信用の魔術コードを使って遠隔で操ればいいと思っただけさ」

「あいにく低予算で済ませたかったものでね」

「あっそ。――心配性なんだな」

「その言葉、そっくりそのまま言い返すよ」

 戦神ははっはと空笑いしていた。

 夜が明けてまもなくしてルイスは王子のところに久しぶりに戻った。彼は部屋の寝台でシャルロットに寄り添って静かに寝息をたてていた。彼女は部屋に入ってきたルイスの足音に気付くと「しーっ」と息を潜めながら王子の隣からそっと起きてきて、小声で話した。

「王子様ったら昨日の夜、城でルイスのお化けを見たってべそかいて私の居室にいらっしゃたのよ。それで一緒に寝てくれって。やっと帰ってきたと思ったら『あ・な・た』でしょ、エルク様に意地悪したの」

 ルイスは口元に一指し指をあててながら

「しーっ!まだバレてないんだから。王子様にはしばらくそう信じていてもらいたいものだな」

「脚は直したの?」

「これは応急用の脚だ。でも最高の出来だぞ」

「まったくあなたったら。もう王子様のこと不安にさせるんじゃないですよ!」

 シャルロットは目尻を吊り上げて言い立てた。ルイスは中を伸ばしぎみに一度だけ「はい」と答え、王子が起きた頃にもう一度来ると伝えて部屋を去った。開け放たれた窓の傍でもう旅立ちを待たんばかりのナーティの雛が腹を空かせて独りピーと鳴く。絡繰のお守りを握り締めて眠る王子。彼がルイスに発した寝言に誰も気づくことはなかった。

「ごめんね、ルイス」


   ◆


 そいつがやってくるいう前触れはルイスに感じられなかった。次に機械室で目を覚ますともう昼になっており、王子はとっくに目を覚ましているだろうと思われた。彼は疲れて寝坊をしでかしていたのだ。部屋には先の晩に連れ帰ってきたお化けもどきが横たわっていて、まだ片付けと脚の修理をしてやれていない。仕方ないがそれは置いておいて、起き抜けに王子のもとへ向かおうと思ったその時。突然どたどたと階上から人が降りてくるのが聞こえ、機械部屋の扉は半ば壊されるようにして開かれた。

 全身を防具で包んで入ってきた兵団。その筆頭にいたウッドは血相を変えて怒鳴った。

「ルイス、戦いだ!巨大な魔物が帝国内に出現した!」

 ルイスは露出のない戦闘服に着替えて戦神の指示に従い、城の屋上へ向かう。兵団を率いて階段を上がっていく間、彼はウッドから詳しい状況を説明された。

戦神の戦闘部隊はハイエルシアでの作戦を三隊に分かれて遂行していたという。タンクと偵察隊からなる前衛、ウッドの率いた本体、物資補給の後衛は七色の杖レインボー・ロッドを手に入れたのち順次帰路に着いていたが、現在帰投中の後衛から緊急通達が入った。本体を追った謎の飛行生物を確認とのこと。それが今朝の段階であった。

 このとき城下町および周辺に飛行生物を発見し次第、騎士団を向かわせる旨が伝えられたが、周辺から発見の連絡は入らず。つい十数分前になって、城下町内で多数の市民より上空を飛ぶ巨大な鳥の出現と直後それが消失したという一報が入る。

「どんなでかぶつだって?」

「この城と同じくらいだ。なんでもふっと上空に現れて出たと思ったら虹のようにまた消えてしまったらしい。今のところ帝国は飛行生物が魔物かどうかも把握できていない」

「……そいつは隊長さん、ハイエルシアからとんでもない奴引き連れて来ちゃったんじゃないか」

 一連の流れを聞いてルイスにはすべての謎が解けてしまっていた。屋上に向かって索敵している場合じゃない。階段を上ろうとする足を止める。

「どういうことだ」

「いろいろと状況はまずい。ナーティだ」

「ナーティだと」

「虹色の卵の中にいた鳥だよ。魔物だが普段は人間に危害を加えるような奴ではない」

「お前の推測が正しいのならば、あまり危険視する必要はなさそうだが――」

「それはどうかな。どういう理由でこの帝国にまでやってきたかは知らないが、私の考えが正しいなら、そいつは王子の育てているヒナの所在を知れば城を滅ぼしてまで取り返しにくるぞ」

 戦神の表情がそれまで以上に緊迫したものになり次の瞬間

「ルイス、王子の下にすぐ向かえ!」

と絡繰戦士に指示する。ルイスはすぐさま屋上に向かう脚を翻し、王子の部屋へ走った。

 もう誰を突き飛ばしても構わない。一刻を争う事態であった。ブライス城の廊下をルイスが走りに走る。そしてターゲットの隠れた間に到着。

 今度は彼が扉を壊してでも部屋に入る番だった。飛んで入ってきた絡繰戦士を見て、王子部屋に待機していたエルク、シャルロット、それから特別警護についていた上級兵士二名、皆がきょとんとしていた。その中でも王子はルイスの姿を一瞥して死人の蘇りを目撃したかのような驚きようで彼の名を呼んだ。

「ルイス!!」

「長く留守にしたな、エルク。メンテナンスが終わって今日から本調子だ!」

 ルイスは大仰なくらいの元気でエルクに返して

「王子、ナーティのヒナを出してください。そいつの仲間がこの城に来ています。安全な場所に移しましょう」

「うっ、うん」

 王子はすぐさま自分の机の引き出しから雛を手に抱えてくる。大きく育った雛はその美しい声で「ティッピ」と挨拶をした。警護に当たっていた兵士らはこのことにも驚いたようで目を丸くしている。そのとき、窓の外で大きな鳴き声。

「シャーーーティーーーーー」

 雛のものを数倍でかくした声音の持ち主は城のすぐ近くにまでやってきていた。ルイスはそれを察して部屋の窓から空を見上げた。

 漆黒の闇を体現したかのような巨大な鳥。大型のカラスにしては遠近法を持ち出しても到底説明できない。ナーティ、虹色に光を割く伝説の鳥だ。

「くそっ、もうここまできていたのか」

 ルイスが顔を顰める。そのとき、帝国の緊急事態に城がガタガタと揺れ始めた。これはナーティの仕業ではない。だとすると……。

 上空に現れた猛々しい飛禽を目にした戦神。城の時計台で敵を視認した彼は、四方に散って立つ老魔術師たちに号令をかける。城の揺れ、そして城郭から次々に集められる石レンガ。それらが協調して渦をなし、光を放ち、現れたのはナーティと比肩するほどの大きさを持ったセイント・ゴーレム、フレディ。

 ブライス城を守る最後の切り札にして鉄壁の守護者は絡繰戦士ではない。この城郭から集められ、敵に応じて大きさを自在に変える最強の門番、フレディである。その姿は城下町の遠方からさえ確認することができる。この度召喚されたフレディはその体を石で埋めてはおらず、ところどころが隙間だらけだ。巨大な五つの指を備えし二本の腕とフレディの知能をつかさどる頭部。それら各部を纏め上げるように青白い輝きがゴーレムを包む。頭部に書かれた『FREDDIE』の文字と翡翠色の七つの瞳。フレディは怪鳥ナーティの攻撃があればすぐに城を守らんと静かに聳えていた。

「ティッピーー、ティッピイーーー!!」

 仲間の声に反応したのであろうか、王子の抱える雛はしきりに羽をはためかせ、窓の外へ呼びかける。怪鳥はその声に呼応するかのようにまた大きく神籟を帝国に奏でた。

「シャーーーーティーーー!」

 帝国からこれほどの大きさの魔物に撤退いただくというのは現実的ではない。ただでも多くの民衆に見られているうえ、何を狙って帝国を襲撃しに来たか見当もつかないのだ。屋上のウッドはナーティを撃破するしかないと考えた。背中に背負っていた大弓を構え毒矢を射る。

 攻撃を始めんとするウッドに向かってルイスは大声で「待て!」と叫ぶが、その声が届く前に第一矢がすでに放たれていた。

 シュンッ、グサッ。毒矢はナーティの胴に深々と刺さり、怪鳥は悲鳴を上げる。

「シャァァァアーーティィィイイーーー!!!」

 次の瞬間、ナーティは大きく城を旋回してから開いたくちばしを戦神に定め、まばゆいばかりの光線を放つ。ウッドが衝撃に備えて身構えたが、すんでのところでフレディが腕をかざして攻撃は受け止められた。破壊されたフレディの右腕が崩れ落ちるも、間隔を置かずに忽ち新たな腕が城より形成される。

「王子、ティピを借りるぞ!」

 ルイスはとっさの判断で王子から雛鳥をひったくって走る。

「ルイス!」

 エルクが急ごうとするルイスの名を再び呼んだ。茜の布巾着が投げられて、絡繰戦士が受け取る。王子が「持って行って」と添えるのに、渡されたお守りを握って大きく頷くルイス。そのまま窓を飛び出し、最大限の力を振り絞って跳躍、フレディのもう一方の腕に飛び乗った。

「ウッド!あれを墜落させるつもりか!」

 絡繰戦士が叫んで問うと、遠くにいるウッドは

「もちろんだ!帝国から生きては返さん!!」

と昂りながら言い放った。

 ゴーレムがいる限りは攻撃が貫通しないと気付いた怪鳥はもう一度城を旋回し、今度は防御が間に合わない位置からフレディの頭部めがけて光線を発射、頭部に刻まれた印字を掠める。

ギャーン!!文字が『-REDDIE』に変化すると、守護ゴーレムの纏う輝きにほころびが生じ、瞳が一つ眼差しを閉じる。と同時に、ルイスの足元である腕がぐらついた。

 ルイスはそれを感じ取るともう一度その場を飛び、今度はフレディの頭頂部に到達。するとウッドがルイスに向けて

「ルイス、フレディの額の文字を『DIE』にするな!絶対にだっ!」

と必死の表情で訴える。

「額の文字が『DIE』になるとどうなる」

「フレディが消滅するだけじゃない。城が木端微塵に崩壊するぞ!」

 フレディ、それは鉄壁の守りと同時にブライス城そのものを生贄にした諸刃の剣。その額の文字一つ一つがフレディの目に対応しており、一つ文字が失われるごとに索敵力を一つ失う。さらにその額が『DIE』となったとき、それはフレディの『死』を意味し、同時にブライス城を崩す。

「ティッピ」

 雛は状況をよく分かっていないようで、ルイスの胸でとぼけた声をしている。

 ナーティはフレディの様子に気付いたのか、新たな攻撃に打って出る。怪鳥が大きく叫ぶとその身体は七色の光に紛れて宙で姿を消す。ウッドは新たな毒矢を弾こうと狙いを定めていたが、対象消失。直後、ナーティの魔力が顕現し、その力を人間に知らしめるのであった。


ゴゴゴゴ、ゴゴゴゴゥウウウウウ


 突如、帝国の上空に雷雲が立ち込める。『雨乞いレゲナンゲボット』、ナーティは雨を呼び寄せた!すぐにぽつりと振った雨滴は瞬く間にその勢いを増し、帝国中に豪雨をもたらす。同時に雷鳴があちこちに轟き、その一つは城の時計台に命中、戦士たちの視界が眩む。

 そこにナーティが再び現れ、オーロラに輝く光線が放たれ

「シャーティーーェエエエーーー」

 シィーギュアーン!!雷に惑うルイスの肩口を掠め、フレディの額に直撃。文字は『-R--DIE』へ変化し、ゴーレムは再び大きく体勢を崩される。

「畜生ぉ!」

 ルイスは手を出せずにいることにいら立っていた。ゴーレムの上で必死に考えを巡らす。フレディもこれに対抗しないわけではなかった。宙に形成された二つの手を合唱しゴーレムから巨大な土塊が出現、それを怪鳥めがけて射出する。

 ドゥア!ナーティは一撃をまともに食らい空中でアクロバット飛行を披露。土をインサイドループの遠心力で跳ね飛ばすと、また鳴き声とともに視界から隠れる。

 ナーティがどこまで理解しているかは分からない。だが、次の一撃をフレディが『R』に受ければ死の文字『DIE』がゴーレムに浮かび上がってしまう。ルイスは手元の雛に目をやった。仲間が来てもなおマイペースな小鳥を一目見て、これを利用するしかないと思った。だが、ナーティは待ってはくれない。最後の光線が今放たれようと、怪鳥がブライス城の真上に姿を現して垂直に落下してくる!

「ギィイイ、シャーーーーーー!」

 そのときルイスは『R』の真上にティピを高々と掲げる。刹那、ナーティ―はその雛鳥を認め、攻撃の方向を逸らす。

 グウウウウウウ!ナーティの放った光線はフレディの腕へと集中し、その構成物は跡形もなく消え去る。

「今しかない!」

 ルイスは『D』に渾身の蹴りを放った。それはエンジ、彼が最高の精度でルイスの脚部を製造してくれたからである。彼の限界を超えた一蹴りはフレディの『D』の文字をかき消すとともに絡繰の肉体を天高く突き上げる!その後ろにはまた身体を崩すフレディの姿。

「ルイスッ、何をするつもりだぁ!」

 ウッドは予想だにしない動きを見せる同胞に向かって大声を張り上げた。

 怪鳥の首に飛び乗ったルイスは雛を抱えながら揚力に飛ぶ鳥の背を転がった。そして羽毛を風になびかせる伝説の鳥の上に立ち上がると、しっかりとした足取りでティピを持ちながら歩みを進める。雨はなおも彼らの下に降り注ぎ、雷が立て続けに鳴り響く。黒翼の鳥は首元に現れた絡繰人形のルイスに一瞥をくれる。絡繰戦士はナーティに語り掛けた。

「私はデス・ルイス、魔族の王。信じてもらえるかは分からないが、これ以上城を攻撃しないというならばお前を殺すつもりはない。それにナーティよ、私たちの育てたヒナはここにいる」

 ナーティは人の言葉を理解したのだろうか。それとも語り掛けたのが魔王の魂であることを本能で察知したのだろうか。いずれにせよ、それまでの剥き出しの攻撃性から転じ、怪鳥の軌道がにわかに城から離れる。

「ルイスーーー!」

 ウッドは同士が背に乗った怪鳥に魔術師部隊が追撃をしかけるのを制止する。そして降りしきる雨に頬を打たれた戦神はルイスの考えを慮り、彼らの行く先を見守ることにした。帝国に立ち込めていた黒い雲に明かりが差し込む。ナーティはまた一つ大きな歌声を天空に奏でてルイスと共に消えていった。

 それから三日後、暁の日が差し込むころ絡繰戦士は帝国に帰ってきた。彼の手元にはもうナーティの雛の姿はない。城に帰ってくる道すがら、ルイスは王子から勝手にティピを奪ってきてしまったことを後悔していた。もう王子にティピを会わせてあげることは出来ない。

 あの鳥はティピの親鳥であったのだろうか。それとも復活した伝説の杖七色の杖レインボー・ロッドに大魔女が込めた過去のナーティの遺志に引き寄せられたのだろうか。それは魔王でありし絡繰にも分からなかった。

 エルクはもうすぐ目を覚ます。ルイスはその身に宿した魂に念じた。

「『雨乞いレゲナンゲボット装填ロード。亡き怪鳥ナーティ、王子の下へ虹を授けよ」

 ブライス城に局地的大雨が降り注ぐ。エルクの部屋で共に寝ていたシャルロットはその雨音に目を覚まし、開いていた窓を閉めた。そう、王子エルクはいつでもティピが帰ってきていいように自分の部屋の窓をずっと開け放っていたのだ。シャルロットは轟々と降るその不思議な雨が上がるのを見て感嘆の声を上げる。

 エルクは深い眠りから目を覚ました。彼が見ていた夢、それはティピがルイスの手を離れて大空へ飛び立っていく風景。そして毒矢に苦しむ怪鳥ナーティ――彼はそれをシャーティと名付け――それがルイスに抱かれる姿。黒く輝くシャーティの肉体から魔力が吸い出されてルイスのものとなる。シャーティの最期は実に安らかなものだった。

 エルクはシャルロットに呼ばれて眠気眼に窓の傍にやってくる。そして彼が目にしたのはブライス城の上空に天高くかかる虹の架け橋だった。

 手にした布巾着に書かれた『絡繰安全祈願』の文字を見る。城門にやってきたルイスは、王子に会ったら今度こそ開口一番、自分からごめんと謝ろうと思った。しかし、それと同時にルイスは誇らしくも思っていた。自身が仕える勇者が一体の魔物の母になったことを。

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