魔王の絡繰ロイヤルナイト

真見夢明朗

【01】帝国の絡繰戦士として再誕する

 摩天に浮かび聳える魔族の大城。思念に浮かぶその頂上で魔王デス・ルイスと伝説の勇者エルクたちとの戦いが決しようとしていた。天には満月が赤々と光輝く。ルイスは王座から一歩たりとも動かずにして勇者たちを弄んでいたが、彼の体力もあと僅かというところまで削られてしまっていた。ルイスはこの逆境の最中にあっても魔族を従える象徴たる魔王のローブに身を包み、秘術の杖や魔剣などというものを装備することはない。それは魔族の王たる彼の絶対的な自信と覚悟を表していた。

「私はこの期に及んでも焦りなど一つも感じないぞ」

「く、卑怯な……」

 ルイスは勇者一行の一人である聖女ミナエルの首を掴み上げた。息苦しそうに悶える聖女の顔を視界から外す。ルイスは自分に勝利したことを誇らしく思い、不敵の笑みを浮かべていた。彼にどうあらがったところで無駄なのだ。元は同じ人間であろうとも倫理のたがが外れたルイスを勇者たちのような人間ごときが超えることは出来ない。

生贄サクリファイス!死後の世界で我に仕えよ、聖女ミナエル!」

 ルイスは一思いに聖女の息の根を止めた。それと同時に大いなる漆黒の闇が亡きブロンドの聖女の身体を食らっていく。

「エルクよ、お前も私もたかが人間。その身体は魔物のような強靭さを持たず、また秘めたる魔の力もとるに足らないものだ」

 人類と魔族の力の差は絶対。その差を埋めて魔族を従えるに至ったデス・ルイスの胸中など分かるはずもなかろう。弱肉強食の世界を束ねる王として君臨する彼が人にありながら人を超えるために身を汚したその業。

――生贄サクリファイス――

 死者の魂を食らって自らの魂と吸収・同化。その者の持っていた魔術を獲得する『禁術』。

「肉体が錬成することができる魔力の量には限りがある。そしてその魔力を宿す肉体にも限りがある。だが世を支配すると心に誓ったものならば、その限りある肉体を超えなくてはならない。そして限界を超越するためには、他の多くを犠牲にすることもやむを得ない!」

 聖女の遺体から搾りつくした魔力の根源が姿を現す。まがまがしい力を蓄えたその源泉を魔王の身に吸収する。もはやルイスがどれだけの魂を貪り続けたか数知れない。その中でも聖女の魂が持つ魔力は凡庸な者の持つそれとは比べ物にならなかった。

 勇者エルク、戦神ウッド、大魔女リリスにその使い魔、そして聖女ミナエル。人間から選ばれし最強の精鋭布陣とはいえども、限りある人の肉体でここまで戦線を登ってこられたのは聖女の回復魔法があったからだ。勇者も少なからず回復の心得があるが、聖女のような莫大な魔力を持つわけではない。同じくあまりある魔力を備えたリリスは古代魔法に一点特化した存在だ。次は奴をいただくぞ。

完全回復ヘイル・アーレ

 見る見るうちに攻撃を受けて損傷した肉体が回復していく。身体の傷を完全に回復させる魔法などルイスが努力によって会得することはできなかっただろう。それがどうだ。聖女の力を奪うことでルイスは自分の魔王としてのポテンシャルさえ一回り超えていくことができる。

「隙ができたな、魔王――」

「なん……だと」

 ルイスの後ろには巨大な戦神の影があった。彼の背丈ほどの大きさを誇る大剣で王座ごと魔王を真っ二つにしようという、どこまでも力押しの考え。ルイスの回復魔法の詠唱を途中キャンセルする気だ。魔法はエキスパートに任せ、戦神は剣技のみでこの戦いに臨んでいた。

「ウオオオオォオオオオ!!」

「甘んじて受け入れよう、大猿」


ズバッ、ジャキーン――


 ちょうど座りすぎで腰が痛くなってきたところだとルイスは余裕を見せる。痛む部分は切り捨てるまで。王座にまで続く深紅のじゅうたんが八つ裂きにされてチリと消え、敷かれた固い石畳もずたずたに粉砕される。一刀両断されたルイスの上半身は力なく宙を舞った。

「これで最後だ、魔王デス・ルイス!」

 勇者が装飾されし黄金の聖剣ヴァイス・シャイトをかざして切りかかろうとする。ルイスの身体は放物の軌道を描いて自らに止めを刺そうとする者に向かっている。だが、その勇者の傍らには大魔女リリス。

「詰めが甘いぞ、エルク!」

 ルイスが限りある自分の肉体に未練を持っているはずもない。勝利を得るために何を生贄に捧げるのか、それに躊躇はなかった。

 天頂に登りしとき、魔王は勇者たちをもすくみ上げるおどろおどろしい声で叫んだ。

生贄サクリファイス!分かたれし我が半身よ、勇者の脚を奪いたまえ!」

 光が強いほど影は強く伸びる。切り離された下半身から暗黒の影の手が伸び、呪われた力が勇者の脚を捉える。

「く、動けないっ――」

 ルイスの切られた身体を生贄サクリファイスとして勇者の動きが封じられる。それを理解した大魔女の応戦は早かった。魔法書マジカル・ブックを即発動できるように心の記憶メモリー・ハートしておいたのである。暗記された術式をもとに、瞬時に最上位の火球が顕現する。

不死鳥ノ大火炎スザク・グレイト・フレイム!」

 すべてを飲み込まんばかりの超巨大な火球が烈火の翼をはやす。そしてじりじり焼ける音をたてながら空中で身動きの取れないルイスめがけて迫った。

「ぐはあぁあああ」

 例えようのない熱線。ルイスがもはや痛みというのに慣れきってしまってからどれほどの時間がたっただろうか。そんな彼でさえも、魔女の強熱に晒されて半世紀ぶりに痛みというのを思い出したようだ。そのまま猛火に焼かれた魔王は玉座の天井に高く打ち付けられてしまう。

 痛みの中でルイスは考える。勇者たちとはいえども精鋭集団として集められた人間四名。本来なら生き残った魔族を総動員して数で攻め上げれば、魔王が己の手を汚さずともこの世から葬り去ることができただろう。もしもルイス自信が戦うにしても、同胞たちを生贄にして戦えば圧倒的な力で勇者をねじ伏せられた。

だが、自分を受け入れてくれた魔族の血が流れては意味がないのだ。魔族には希望が必要なのだ。人間でありながら魔族の平穏のために命を賭けた王がいた、その希望が。

 ルイスは魔族を守るため、強大な力を手にした勇者たちとさしたがえる覚悟でいた。

 爆炎が過ぎ去って戦神が追撃をしかける。両刃の厚い大剣の刃がぎらりと黒鉄の輝きを放つ。

「デス・ルイス、覚悟しろ!」

 鍛え上げた肉体をまざまざと見せつける蛮族の鎧。守りよりも速度と機動性を追求した選択。これほどの男ならば熟練鍛冶が鍛え上げた地金を使った防具を使うより、己の筋を信じたほうが良いという魂胆なのだろう。ルイスは考察する。

 男はデス・ルイスにとどめの一撃を刺そうという意気込みでいた。しかし、神の神聖な加護を受けた勇者でない者が彼を殺すことはできない。ルイスはそのことを分かったうえで冷徹に男に言った。

「諸突猛進。先を急ぎすぎるな」

「なにぃ!?」

 飛び込んでくる戦神ウッドへルイスの羽織る魔王のローブがはらりと落ちる。最期を遂げようとしていた彼には、もう必要のないものだ。宙に飛んでいるこの戦神であれば一度の斬撃でこのローブを粉砕、そこから身体を一ひねりして体勢を立て直し、ルイスに切り掛かることができる。魔王はそんなことは承知していた。だが、その連撃を繰り出そうとする一瞬が戦神、延いては勇者たちの隙になる。

「くっ、邪魔な小細工を。覇王斬だぁああ!!!」

 ウッドは渾身の力を込めて構えていた大剣を宙で振り切った。巨大な衝撃波が空間を走る。魔王のローブは戦神の魂を込めた一撃に裂かれて四方に散っていく。

 直後ウッドは魔王を討つために込めていた力を反動にしてその巨体をぐるりと回転させた。次の一撃でデス・ルイスを仕留めると戦神は再び力を込める。

 視界が転じる。次に戦地が天井に眼を向けたとき、魔王の姿はすでにそこになかった。

「どこにいった」

 その刹那、魔王の動きは俊敏であった。半分になった肉体は戦神ウッドの放った覇王斬の一撃から生じた衝撃波を利用した。宙を落ちていくルイスの身体が突風に乗る。

 目指す先はもちろん古代魔法を司りし大魔女リリス。魔法を即効発動するリリスの心の記憶メモリー・ハートが消費されている今、戦神が放った衝撃波の速度に彼女が反応することはできない。少女は自分の頭の先まである長杖を恐怖で握り締める。


――一閃――


 たとえ片身となったとしても、近づくことができれば貧弱な大魔女など瞬く間に葬り去ることができる。勇者エルクの瞳はルイスの動きを刻一刻と追っていた。絶望をその顔に湛えて。心中さぞもどかしいことだろう。仲間の一撃が仇となって同胞が消えるのだから。

「リリスーー!!」

 勇者とリリスの使い魔が叫ぶ。はねた大魔女の首を抱きかかえ、ルイスは地を転がった。

「これで終わりだ、勇者諸君。いい戦いだった」


――生贄サクリファイス――


 少女は消える間際、悔しみに歯を食いしばった。闇の力がリリスを飲み込み、後に残った真っ黒なむき出しの魔力の塊をルイスは貪るように吸収した。

 大魔女が受け継ぐ破滅を導く古代の大魔法。それは自らに宿したすべての魔力を解き放ち爆発を引き起こす『魔天爆発マジックバーン』。人間界では地位こそあったものの、一般魔術の才能は凡人程さえなかったルイスはいまや大魔女に伝わりし最強の魔術さえ手にした。彼にとってこれほど祝福すべき日はない!

「これがぁ、『魔天爆発マジックバーン』だあああああ!!」

 もはや身を守るすべを持たない魔王となったルイスがこの魔法を使えば、魔族に仇なす勇者と戦神の二名を葬り去って自分も彼方へ消えることになるだろう。だがもはや思い残すことはない。ルイスは魔族の王、魔王だ。魔族がこの世で生き続ける希望の星となる。――さらばだ。

 ルイスはその大魔法を起動させた。彼に残されたすべての魔力が瘴気となって身体を包む。摩天城の城郭から悍ましい邪気が発せられる。闇の大爆発。何人たりともその攻撃を逃れることは出来ない。


魔天爆発マジックバーン


 爆風に身体が飲まれ、ルイスは自らが無に帰していくのを感じた。次に思考したとき、魔王としての彼の命は尽きていた。

 神が予言したように、元始はじめ方今いまも世々かぎりなく運命の咆哮はこだまする。神の選びし勇者エルクは魔王デス・ルイスを倒した。その命と共に。


   ◆


 身体が重い。思うように動かすことができない。いや、動くという以前にルイスは自分の頭と身体が繋がっていないかのように感じた。

 右目を半分開いて自分がスチームの漂う機械工房の中にいることをルイスは知る。無機質な工具の散乱と機械装置の並んだ空間。そのような異形の場所でルイスは自分が生きていることに気付いた。しかしどうやら頭が追いついてこない。思考が断片化されているようで、ルイスはあまり明瞭に考えをめぐらすことができなかった。

「ありゃ、魔力源はオフにしておいたはずだったんじゃが。ニーア、お前さん胴体を接続するとき魔術回路に残存魔力があったんじゃないのか?」

「そんなことありませんよ。お爺さまったら私のことまだ一人前に認めてくれないんだから」

 ベースボールキャップをかぶった白髪交じりの老人はやれやれというように首をすくめる。そして作業着の袖で汗をぬぐってから、ルイスの隣にあったトグルスイッチをパチンと逆に入れた。するとルイスの開いていた右目は、重力に従うかのようにゆっくりと閉じてしまった。、

 目の閉じる間際、ルイスは自分の腕と思われるものを確認することができた。一目で屈強に見受けられる腕。それは明らかに彼が魔王としてこの世にあった頃のものではない。デス・ルイスは戦士というより、むしろ魔術師の身体つきをしていた。

 魔族と比べるとだいぶ貧弱な見た目のため、ルイスは魔王となってから肉体の修行を行っていた。魔族を束ねる手前、他の魔族に力が劣るわけにはいかなかったのだ。だが、お世辞にも彼の四肢は強そうだといえる見てくれにはならなかった。ルイスは足りない筋力を内側から魔力で補っていた。

 一瞬垣間見えた筋肉と骨と皮でできた戦闘用の腕。ルイスがどう考えてみても、それは元の自分のものではない。さらに奇妙なことに、彼が目で確認することのできた腕は頑強な金属製の拘束具で固定されており、肉体から切り離されていた。

「メッカさん、脚の単体テストは歩行テスト、脚力テスト、跳躍テスト、美術テストすべて完了しています」

「どれ、検査票を見せておくれ」

 部屋の入り口からごく若い男の声が聞こえる。老人は重い腰をあげてゆっくりと歩いて行っているようで、一歩進むたびに作業靴が床と擦れる音をルイスは耳にした。

 感覚器官というのはこの世との関わりを確認させてくれる代物だ。目が見えない状況でルイスが感じ取ることができたのは聴覚、嗅覚、触覚、味覚。彼はまだ自分に何が起こっているのかはっきり認識することができなかった。魔天爆発マジックバーンの衝撃から自分の頭部が生き残って、なぜか生存している。そう考えることはできなくはないが、限りなく確率の低いことである。

ルイスが感覚を確かめていく。油をふき取るための溶剤の臭いが鼻につく。嗅覚はある。工房にただようむっとした湿気が肌を濡らす。触覚もある。舌が生唾を感じることができる。味覚もある。そのように一つずつ自分を調べていくことで、ルイスは自分の頭部が生きているのだと確信を持ち始めていた。

「あ、んーーー」

 また靴が床とこすれる。工房の床には油分が染みついていた。

 魔王となったルイスも人間の機械技術の存在は知っていた。ありていにいえば魔術を使って人形を生み出す技術だ。魔術回路と呼ばれる魔力の流路を集積し、複雑な機構を作り上げる。そしてその回路はある種の魔術を駆動して、機械人形に命を与える。人形といっても、ただ物体を一線上に転がして運ぶレールのようなものから犬の形をした戦闘兵器、ドラゴンを模した羽の生えた金属の塊まで様々な種類がある。

 一度は命を失ったはずの魔王が人間の機械工房に運び込まれ、なにやら得体のしれぬ業を施されている。ルイスはそう推察するほかなかった。

 大魔女を吸収することで得た古代の大魔法。それを生き延びたという悪運の強さに彼は我ながら驚いていた。しかし、ルイスが生き延びているのだとしたら、摩天城を滅ぼした衝天の一撃も大したことがなかったのかもしれない。そう考えたとき、一抹の不安がルイスの頭をよぎる。よもや勇者風情もあの難所を切り抜けたのではあるまいか。

 老父は若い男の持ってきた票を眺めて、難しそうな表情になった。目じりにはっきりと刻まれたしわをよりいっそうくしゃくしゃにしている。

「おたく、この結果なんだけどぉ、納得できるかいな」

 ルイスの瞼が老父の太い指先でこじ開けられる。老父は標線状に項目の書き込まれた羊皮紙を一枚、彼に見てくれんと言わんばかりに泳がせている。歩行テストA、脚力テストA、跳躍テストA、美術テストB+。その他こまごまと各テストの詳細なスコアと、総評なる十数行にわたる文言が書き連ねてある。

「ここ、ここなんじゃよ……」

 老父の指がそろそろと羊皮紙をなめて、美術テストの項をピッと指さす。

「メッカさん、何か気になる点がありましたか?」

 後ろから結果を渡した短髪の若者がやってくる。ルイスは開けられた瞳を通して奥の若者が成人さえしていない歳十いくつという少年であることを知った。ぶかぶかの群青の作業着が身の丈に合っていない。

「エンジ、美術テストがB+というのはどういうことじゃ」

「いや、その……実は跳躍テストを繰り返しつづけたのが原因だと思うんですが。関節部の外皮膚がほんの一部だけ割けてしまっていたのが確認されましたもので」

「そんな性能では許されんぞ!絡繰技術士としてまだまだな証拠じゃ」

 老父は感情にまかせて怒っている様子ではなかった。

「美術というのがいかに重要か分かっておらん。評価を読むと、どの試験でも魔術回路に欠損は認められず、内皮膚より深部へのダメージは観測できないほどに軽微。そこから換算するに耐用年数の10年は優に満たすことができると」

 ルイスの目をこじ開けていた指を離し、老父はその場にいた二人の技術者に振り返って言う。

「よいか、お前さんたち。この絡繰戦士は帝国に献上する最高品質の作品。幾万の道を行き、幾千もの戦いで帝国の中枢を守護し、それでもなお傷一つなく守るべきものと共に国へ戻る。性能面で言えばこれまで作られてきたすべての絡繰戦士を凌駕するものが求められているのは言うまでもない。じゃが、性能の要求を満たしたからと言ってワシらの愛が注がれたと胸を張って言えるかのお?否、そんなはずはない。この子はワシらにとってただの『人形』ではない。この子は新たに生を受けるワシらの『娘』じゃ。多くの人に敬愛され、尊ばれ、親しまれるには、その姿形はワシらと遜色のなく、それでいて完璧をこの世に顕したものでなくてはならん。たかがジャンプを繰り返した程度で傷物になるとは何事じゃ!」

 熱く語っているのはこの老父がそれだけ自分の機械技術というのに誇りをもっているからなのであろう。そして自分の作ってきた絡繰人形に深い思い入れがあるのだろう。熱のこもった発言に、ルイスは老父の職人根性を感じた。

老父と若者の話している人形というのは間違いなくルイスのことだった。ここにきて、ルイスは自分がどうやら機械人形として生まれ変わったらしいことを知る。それにしても『娘』というのは男のルイスにとって聞き捨てならない単語であった。

「でも、メッカさん……E1の納入期限はもう間近ですよ……」

 少年は師匠のこだわりっぷりにむくれたように言う。

「なーに、心配は無用じゃ。小僧に作らせた脚じゃなくともこの子は完成するわい。こんなこともあろうかと、ワシが用意しておいた脚のプロトタイプがある。その脚の性能評価はオールAじゃ」

「はあー!?メッカさん、それじゃあ最初から僕にE1の一部を任せるつもりなかったんじゃ」

「うるさいわい」

 隣で画面越しに作業を続けているニーアは二人の話しを聞いて、ふふっと笑みを浮かべた。

「さて、お爺さんもエンジも意地の張り合いはそのあたりにしておいて。――E1のお目覚めの時間よ」

 ニーアはメッカが入れた強制停止スイッチをオフにした。曖昧な意識の中、ルイスは自分の心臓が拍動するのをはっきりと感じた。その心臓はドクンドクンと魔力という名の生命の息吹を身体に流している。

「あー」

 声を出すことができる。声は……、驚いたことに元の自分の声ではないか。ルイスは確信する。やはり頭部は自分のものが残っていたのだろうと。

 両目を見開く。そこで目にしたものは傾けられて固定されたルイスの胴体と少し距離を離して切り離された腕。胴体の形状はやや丸みを帯びているが、腕同様に筋肉質なのに変わりはなく、胸には申し訳程度のふくらみがあった。目の前には先ほどから会話の聞こえている三名の人間がいる。ルイスには勇者と戦いをしてからもうどのくらいの月日が経ったのか全く見当もつかなかったが、「近頃は人間と会う機会が随分と多くなったものだ」と彼は心の中で呟いた。

「こんにちはE1。お誕生おめでとう。さっきから魔力の波形は整っていたからかすかに意識はあったんじゃないかと思うけれど。寝覚めのご機嫌はいかがかしら、E1?」

 明るく染めたショートヘアの女が前かがみにルイスを覗き込んでいる。彼はその女がニーアと呼ばれている者であると分かった。

「E1、それが私の名前なのか?」

「そうよ。あなたの中の記憶パッチに入っているはずだわ。思い出してもらえる?」

「記憶パッチというものがよくわからないが、確かに私はE1ではない」

 ニーアは少し不思議そうな顔をする。

「あら、そんなはずはないんだけどなー。バグでも入り込んでるのかしら」

「バグ、とはなんだ」

「えー、バグっていうのは機械のプログラムの欠陥のことよ。そのこそパッチの中にあると思うんだけど」

「そうか……」

 記憶パッチにはルイスの知らない情報がたくさん詰まっているようだった。彼はその記憶パッチというのが自分のどこにあるのかを探り始めた。思い出せる類のことであるのだからきっと頭の中にあるのだろう。しばらく思考したのち、ルイスは自分の記憶とは異なる『何か』の存在に気付いた。その『何か』とルイスの記憶はどうやら接続されているようだ。そしてニーアの言っていたバグという項目をパッチ上に見つけ出して

「バグ、プログラムに潜んでいる不具合のこと。魔術コードの中にある欠陥。機能に悪さをする虫の意から転じてその意味となる」

「それよE1」

 ニーアはすこし安心したようで身体を起こした。

「私たちのことも大体記憶パッチの中に入れてあるんだけど、一応はじめましてだし自己紹介しておこうかしらね。私はニーア。この絡繰工房でシステムを主に担当している魔術技師です」

 機械となったルイスにとって記憶パッチの中から情報を探し当てるのは容易いことだった。魔術技師、魔術コードとよばれる魔術をコード化したものを自在にあやつる魔術師の一種。古典的な魔術師というのは、自分の身体に備わった魔力の流れを修行によって鍛えて魔法を習熟する。だが、安物の魔法使いというのはそういう出来合いのコード魔術で満足している。ニーアの場合はコード自体を自分で組み上げる力を持っていて、貶めるのは筋違いではあったが。人間の持っている魔法技術というのも精緻化されてきているものだとルイスは感心した。

「僕はエンジ、絡繰工房で人形のハードを作る仕事についてます」

 ハード、ハードウェア、要するに機械人形の本体部分。人形の身体の運動機能とその見た目を作る仕事とルイスは理解する。魔族の中でも呪術系の輩ならば手の凝った藁人形を作って、仮初の魂を入れて尖兵にするというのはよくある話であった。ルイスはその少年が藁人形作りを専門としていると解釈した。

「ワシはこの工房の長をやっておる、メッカじゃ」

 メッカ、彼についてルイスがパッチに持っている情報量は膨大なものだった。記憶パッチというのはルイスにとってさしずめ辞典のような役割を果たすものである。それ自体に彼が宿っているわけでもなければ、記憶パッチ自身がルイスに対して明確な意思を示すわけでもない。パッチにはこのメッカという人物についてだけで項目が数百もあった。

 絡繰人形を作る世界的な第一人者。造形作家としても優秀で個人の美術博覧会を開くほどである。メッカに魔術の才能はあまりあるわけではなかったが、彼の作る魔法の人形に量産モデルはなく、それぞれがプレミアムな価値を持った一品なのだと言う。

「これがあなたよ、E1」

 ニーアはルイスの前に丸鏡を持ってきて、彼に自分の顔を確かめさせた。黄土色の頭髪につやつやと白い肌、はっきりと見開いた二重に高い鼻。美形と呼んで過言ではない女の顔がそこにはあった。いくつかの特徴は以前のルイスの容姿に酷似していたが細部や性は異なり、総合して判断するにそれはデス・ルイスとは別人の顔である。

「これが、私の顔か」

「E1の顔はお爺さんが直々におつくりなさったんだから」

「そうなのか。これがE1の顔……」

 耳慣れない呼ばれ方に鏡の中のルイスの眉間にしわを寄せた。

「うむ、ワシらはこの子のことをE1と呼んできたものじゃが、どうやら本人にはE1という自覚はないらしいの。お前さん、何か呼んでもらいたい名前というのがあるのか?」

 何と呼ばれたい?ルイスはルイスである。魔族の王、魔王デス・ルイスだ。そして勇者ともども消えた存在である。

 しかし、どういうわけかルイスの周りを囲む者たちは彼が魔王であることを気付いていない。ルイスは自らの置かれた状況を滑稽に思った。

勇者との戦いの果て、ルイスの頭部が回収されたわけではないようである。この場で何を宣っても――たとえ彼の本当の名を告げようとも――問題はどこにもなかった。

「ルイス」

 彼の口から出た名前は過去の自分のものと変わりない。人間でありし頃の偽りのない名前。

「ルイス――。うむぅ、よりによってルイスか。悪い名ではないがの」

 顎を擦って悩むメッカ。そんな老父にエンジが面白がって感想する。

「なんか魔王の名前みたいじゃない、メッカさん?」

「なんじゃ、デス・ルイスのことか?人間の身で魔族の王に上り詰めた男か……。己がそう呼ばれたいというのなら、ワシは尊重するがの。案外魔王と同じ名を与えておくと、絡繰戦士でありながら魔王を倒してしまうかもしれんぞ、ガッハッハ」

 老父は自らが感じた不安を吹き飛ばさんかと高らか笑った。

 魔王を倒す!?ルイスは彼が死んだ後に魔族から新たな魔王が生まれた事実に驚愕した。ルイスが勇者との最後を迎えてから何年の月日が経ったというのだ。記憶パッチの中には現在の魔王に関する情報はあまり入っていない。魔王亡きあと、魔族はどうなったのだろうか。ルイスは思い切って彼らに詮索を入れた。

「魔王デス・ルイスか――。その魔王はいつ倒されたんだ?」

 ルイスがおもむろに口を開いてそう聞くと、その場にいた三人は顔が険しくなった。

「何を言っておるんじゃ、デス・ルイスは倒されてはおらんよ」

「倒されていない!?」

 何を言っているのかわからないのはルイスの方だった。彼らの言う魔王デス・ルイスは蘇って目の前にいるのだから。

「なんじゃか、奇妙な反応を示しおる。魔王が打倒されていれば帝国が最高レベルの絡繰戦士を王室戦士ロイヤル・ナイトとして欲しがるわけもなかろうに。……こりゃ本当にバグかも分らんぞい、ニーア。これまでのシステムの内部ログ、明日までに洗っておくんじゃな」

「そうしたほうがよさそうですね。お任せください、お爺さん」

 ニーアはそういうと強制停止スイッチを再びオンにしてルイスの魔力を絶った。心臓の鼓動が徐々に弱くなっていく。自分はまさか、過去に飛ばされてしまったのだろうか。しかも飛ばされたというのに魂の宿った先は機械人形の入れ物だと?ルイスは少々悪ふざけが過ぎていると思った。

 神というのがこの世に存在するのだとしたら、きっとそいつはとんだ悪戯好きである。


   ◆


 ブライス帝国、世界の三分の一を支配する巨大帝国。帝王チャンドル7世の下には世界二位の帝国軍が仕え、内外を問わずブライス帝国へ反乱する因子が生まれないよう目を光らせている。これほどにまで巨大な帝国がなぜ世界一位の軍を持たないのか。それは世界の半分を支配している魔王軍こそがその座に輝いているからである。魔王軍は四天王と呼ばれる四体の最強の魔物たちが率いており、彼らの軍勢は世界を支配しようと日夜暗躍している。

 その四天王を従える魔族の王、デス・ルイスは魔物ではない。その生まれはブライス王国とは独立して存在する小さな王国の王子としてであったという。しかしながら王国に魔族の軍勢が侵攻したとき、王族の中から魔族に味方をして国を滅ぼした。デス・ルイスは人間の身でありながら魔族として受け入れられ、多くの人間の町や城を支配して回った。やがて、その働きを認められたルイスは前の魔王の直属の部下となり、その魔王が亡くなりしとき後釜として魔族の頂点に君臨した。

 ルイスが把握したブライス帝国と魔族に関する人間の理解はこのようなものであった。だが、ルイスと魔王に関してこれらは表面的なことを記述しているに過ぎない。歴史の裏事情を知らずに、人間たちは魔王であるルイスを非道な悪役に仕立て上げていた。同じ人間だというのに魔族の側にたっているというだけで酷い嫌われ方をしたものだとルイスは忌々しく感じたが、あいにく愚痴を垂れる相手がいない。ルイスによる統治で、魔族の内紛発生や人界へのそれの波及を抑えた功績はうやむやに、悪役たる筋書きだけ通っている。これならば、自分が勇者に倒されていても何も文句は言えないとルイスは思った。

 今、ルイスはブライス帝国に献上されようとしている絡繰戦士であった。

彼は自身がブライス帝国に仕える理由を何度も考え直していた。メッカはブライス帝国からの願いを受けてルイスを作り上げたのだと口突くごとに語っていた。帝国軍の軍備増強のため王室戦士ロイヤル・ナイトとして参画すると。自分について悪評を流している人間たちの帝国。そんなところで素直に仕えることにどれほどの価値があるだろうか。思ってみれば、ルイスの新たな絡繰人形の肉体は人間に逆らおうと思えば簡単に逆らうことができるではないか。彼は自由に世界を旅してまわってもいいのだ。

「ルイス、何か顔色が悪いぞ。考え事か?」

 騎士の服に身を包んで腕を組むルイス。送りの馬車で対面して座っているメッカは、外の風景を眺めている絡繰戦士の顔を覗いて言った。

「いや、なんでもない」

「帝国に仕えることに不安を覚えるかの?」

 ルイスにとってこれは不安というべきなのだろうか。いや、彼は理由を求めているのだ。自分がどうしてこの身に宿ったか、そして今どうしてブライス帝国に向かうのか。運命は納得のいく説明もなしに天から与えらえるもののようで得体が知れない――デス・ルイスが勇者に倒されるべき運命にあったことのように。

 そんな彼にとって、帝国に仕えることはチャンスといえる。魔族を統べる王が魔王だとしたら、人間の世を支配する王はブライス帝国を支配する帝王である。帝国に従うことで、本来身分を持たない機械人形として己の真実に迫ることができるだろう。ルイスは自分の境遇を鑑みて、それを肯定的に捉えることにした。そして帝国への期待を胸に持った。

「不安を覚えるかと言われたら、私は絡繰戦士だから自分が不安を感じているのか分からないというのが正直なところだ。しかし、新しい出会いの不確定性はある」

 裏で考えていることが分からないよう、ルイスは出来るだけ人形を装って言った。

「なーに、どんな出会いがあろうとお前さんは上手くやれるわい。それに、どこかお前さんの身体が不調になったらワシらが飛んで駆けつけて直してやる。悩まずにお前の思うように帝国に貢献してきなさい。エンジもニーアも、いつでもルイスの力になるつもりじゃ」

 メッカは弾けるような笑顔で絡繰戦士の言葉に返す。

 ルイスは応援してくれる仲間を思い返す。この数週間、機械工房の者には大変世話になった。

 まず両腕と両脚の取り付け作業から、その部位へのスムーズな魔力伝達が行われているかニーアは丁寧にチェックしてくれた。バグの件であるが、彼女はルイスのシステムログについてすべて調べ、異常といえる異常がないことを確かめた。これはルイスにとっても安心できることであった。一先ず自分が魔王であることも発覚せずに済んだ。

 些細な部分でも動きにぎこちないところがあれば、ルイスはリハビリテーションに励んだ。エンジはそんな彼に辛抱強く付き合ってくれた。夜になると、絡繰戦士にも教養が必要だからといって、エンジはたっぷり持っていた歴史書、魔導書、文学の類をルイスに読ませた。その多くは記憶パッチを引けば簡単に分かることであったかもしれない。しかし、ルイスにとって若い少年と過ごす日々は貴重なものだった。その時間は、自分が人として生きていた頃を彼に思い返させた。

 その一方、メッカとはなかなか二人で話す機会はなかった。彼はいつも大忙しでルイスと構うときのほとんどはほかの絡繰技術士と一緒であった。ルイスは折り入ってメッカと二人きりの時に訊きたいことがあった。王室戦士ロイヤル・ナイトとして作られた自分の姿についてである。

「私は帝国でどのような任につくことになるのだろうか」

「ルイス、お前はブライス帝国の軍の中でも要人警護に携わり、帝国の中枢を守る王室戦士ロイヤル・ナイトになるために作られた特注の絡繰戦士じゃ。いざというときに帝国が守らなくてはならない王やその側近の者を守る任務に就くことになろうと思う。この解答で不満か?」

「それは私の身体を女の身体にした理由に関係があるのか」

 彼の心は魔王デス・ルイスのもの、身体は屈強な女に見える何か。戦闘の前線ではなくあくまで要人警護のための戦士ということであれば、要人たちの私生活や貴族たちの集まる場でそこに溶け込めるような品格のある存在でなくてはならない。剛腕の戦闘員――ルイスがすぐ思いつく戦士で例えるならば、戦神ウッドのような存在が適当だが――そういう人物は他の貴族たちを威嚇しかねない存在であるし、なにより恭しい王室の場では不釣り合いだ。王室の風格に順応し、美しくも非常事態では身を挺して敵をせん滅する。美女型の機械人形に御誂え向きの仕事と言える。メッカは何か意図があってルイスをこの姿で世に生み出したのだろうか。

「関係があると言えば関係があるし、関係ないと言ってしまえば関係ない」

 メッカは迷うことなくそう答えた。

「前から女の子が欲しいと思っておった。ワシの娘ということならば、帝国も粗末に扱うことはなかろう。一番の理由はそれじゃ。だから、お前さんは女の形をしておる」

「……聞くことはなかったが、あなたには子供がいるのか?」

「まあ、遠い昔におったよ。男の子じゃったがな」

「その子は今はどこにいるんだ」

「そうじゃなぁ、お空の上とでも言えばいいのかのお」

 しばしの沈黙がルイスとメッカの間に流れる。すでに馬車は帝国の城下町に入っており、外では見世物市の活気に満ちた騒がしいやり取りが聞こえる。ルイスは組んでいた腕を下ろした。

「すまないことを聞いたようだな」

「いいや、構わないよ。ワシは自分の作ってきた絡繰人形を深く愛しておる。お前さんはいわずもがな、これまで世に生み出してきたすべてのワシの作品がワシの子供たちのようなものじゃ。……たまにそんなことを聞く絡繰もおるよ。お前さんが初めてではない」

 そんな二人だけの会話をしている間に目的地へ着いてしまったいた。石畳を進んでいた馬車の揺れが小さくなり、停車する。

「お客人、ブライス城、南の城門に着きました」

 御者が振り向いて告げた。ルイスとメッカはそれぞれ馬車の左右に分かれて降りる。

「いい一日をお過ごしください、カラクリ卿」

 老父は「ああどうも」と会釈をしてから城門に続く橋へ向かった。ルイスもそれに倣い御者に一例をしてからメッカの後を追う。

「ここはブライス城の城門だが、どのような用で参上したか述べよ」

 渡った橋の先で二人の門番が彼らの身長の数倍ある鉄門を守っている。一人の背丈は女では大変長身のルイスを少々下回る小ぶりの男だ。もう一人は男の中でもかなり大きい兵士の内に入るだろう。城壁の上部が一部外に突き出してやぐらになっており、訪問者が不審な行動をしないか見張っていた。

「ワシはメッカ・カラクリ。隣にいるのはルイス・カラクリ。数か月前に新しい軍用絡繰戦士を作るよう帝国軍じきじきに発注を受けた者じゃ。品物が完成して右の者を献上しにあがった次第ですじゃ」

 メッカに質問するのは大柄の門番。そこへもう一人の門番が近づいてくるのが分かる。腰に備えたロングソードに手が向かう。何を考えている。ルイスは出来るだけ自分の視線が相手に悟られないように動きを追い、身体中の感覚を研ぎ澄ました。

「話は聞いているぞ。中に入れ……」

 大柄の男はやぐらにいる兵士にルイスたちを通すように指示を送る。巨大な門がきしみを上げながら開いていった。

「と、いいたいところだが」


キーンッ――ザンッ


 門番が言い終わるときにはすでにルイスの身体は反応していた。小柄の門番の方が剣を振りかぶって彼に襲い掛かってきていたのだ。帝国に謁見するというのに兵士を傷付けてはなるまい。ルイスは右手の二本の指をつかって剣を止める。そして、すかさず剣を握る門番の手を超合金でできた左腕がはたいていた。ロングソードが橋のたもとに鈍い音を鳴らして転がる。

 小柄の門番は攻撃が防がれると、一歩退避してその場に直立した。

「ご無礼をした」

 剣を失った男は深々とお辞儀をしてそのままの姿勢を続けた。門番は動きを隠す素振りを見せなかった。本当にルイスを切ろうと考えていた訳ではない。

「私からもご無礼をしたことを詫びよう、ご婦人。絡繰の戦士が到着したらその性能を『テスト』するように通達されていた」

 ルイスは信頼されていないものだと少し腹を立て、無意識のうちに舌打ちをしていた。

「まあそんなところじゃろうと思っておったよ」

 メッカはこの動きの最中に少しの動揺も見せなかった。長年の経験というものが働いたのだろうか。あるいはブライス帝国流の歓迎を知っていたのだろうか。

「周囲の動きに対する警戒力がすばらしい。武器をはたきおとすのにも動きに無駄がない。我が帝国の兵士に配慮し、傷付けまいとしながらも防衛を優先した。その判断力も評価に値する。少々高いプライドが素行に現れる嫌いがありそうだが、そういう感情への対処は徐々に学んでいけばよいし、裏を返せば人間らしい絡繰ともいえる。合格だ!どうぞ城内にお入りください」

 大男も一歩引いたうえで深く一礼をした。門が左右に開ききり、巨大なブライス城の装飾豊かな内側が姿を現す。

 入ってすぐに視界に飛び込んでくるのは巨大な大理石の階段である。レッドカーペットが敷いてあり、役人たちがひっきりなしに移動している。その右には世界中から客人を招いて宴を催す大きなホールがあり、伝説の生き物の掘られた黄金扉が閉ざしている。左に見えるのは兵士室である。門の手前で一人の衛兵が槍を構えて立っていた。階段の奥からは外の光と緑が差し込んでいる。先には解放された空間があり、城の中庭となっているのだ。

「よくぞおいでいただきました、ルイス様、そしてメッカ様。この度はブライス城にご足労いただき大変ありがとう存じます。改めまして、我が国の誠に勝手なお願いを快く受けていただき心から感謝申し上げます。私はブライス城の執事長をしておりますオラスと申します」

 門の手前で来訪者を待っていた中背の老人はハリのあるスーツを身に着け、そう挨拶すると軽く礼をした。そしてすぐに元の姿勢に戻り、オラスと名乗った執事長は今度は瞳が見えなくくらいにこやかな笑みを湛えて

「お久しゅうございます、メッカ様」

と親しみを込めてメッカに話した。

「久しぶりじゃな、オラス。お主は何事も滞りなく機能しておるかの?」

「ええ、おかげさまでこの歳になりましてもピンピン働かせてもらっております。メッカ様も相も変らぬご様子で、一言目には私奴の身体の心配とは、少し職業病が過ぎると存じます」

「ガッハッハッハ!今日は仕事のことで来ておるもんじゃからの。どうもリラックスすることができんのじゃ」

「お仕事でいらっしゃらなくてもメッカ様は四六時中、絡繰のことをお考えのことと私は存じておりますとも」

 メッカはこの城に幾度も足を運んでいるようだ。それにこのオラスという老人、ルイスには話しぶりからすると察せられるものがある。

「ささ、お二方、積もる話はございますが旅の疲れがあることでしょう。ホールでお茶を用意してございますので、こちらにお越しください」

 ルイスとメッカは執事長に案内されるままにホールに入り、長いダイニングテーブルの中央に二人だけで座った。オラスは「少々お待ちください」と伝えてその場を去り、そのあとメイドが二人のともに紅茶と春のハーブティーを出してきた。

「ここに来ると決まってワシはハーブティーをいただくんじゃ。執事長との関係には驚いたかの?」

 メッカはお茶をすすりながらこう切り出した。

 執事長というと魔族を束ねていた頃、ルイスは摩天城にそういう者がいたのを思い出す。人間の執事と違って愛嬌もなく、朴訥とした奴だった。城の召使というのは得てして物腰が柔らかく、礼儀正しくあらねばならないという風がある。だが、ルイスの知っている執事長は魔族の中でも無骨そのもの。人型のゴーレムみたいな奴だった。そいつはルイスが魔王になるずっと昔から魔族に仕えていて、図体がでかいものだからいつでもすぐ目に付く。ところが見た目に反して城の者たちとは仲が良く、よくルイスの気が付かない隅々まで掃除をしていたものだった。とはいえ、摩天城それ自体は想像を絶するほど広いから、城の中央での話ではあるが。

 執事というのはときに王よりも城のことを知り尽くしている。それこそ城の構造だけではなく出入りする人、その時間、関係性までも。オラスという老人もそういう役割を果たしているのだろうとルイスは彼の仕事ぶりを見て思った。

「驚いたわけではない。執事というのはそういう者だ。だが、帝国城ですでに仕事を任されている絡繰人形もいたとはな」

 ルイスは熱い飲み物が苦手だから出された皿に指をあてたり離したりして愛想笑いを浮かべた。この身体になってから自分の感覚器官というのをオフにしてしまって感じなくするという手もあるのに、昔に身に着いた習慣というのは彼の精神にこびりついているのだろう。それに機械人形の彼は食事によって栄養を補給しなくても魔力源が止まらない限り生き続けることができる。そうメッカはルイスに教えた。紅茶を摂取しようとすること自体、ナンセンスなのだ。

「あいつはワシが絡繰を作り始めて三作目に出来たごくごく初期の絡繰じゃ。魔術回路はお主の者と比べ物にならないほど単純にできておる。戦士のような過酷な環境で動かなくてはならないわけではないし、身体能力も控えめじゃ」

「彼には……」

 ルイスはふと思う。オラスは自分と同じような造りであるのかと。

「魂は……あるのか」

「魂の存在か。知りたいか?」

 メッカはルイスを試すかのようにいたずらな視線をあびせる。ルイスはごくりと唾をのんだ。

「あるんじゃないか」

「――まあ、あると言えばあるのお。お前さんが持っている程度かは分らんが」

 メッカは一つ息をついてからお茶をさらにすすった。

「お前さんは賢いんじゃよ。賢いから面倒なことを考え始めるんじゃ。もっと小賢しくならんとな」

「そうか……」

 そのときホールの扉が開いた。じゃらんじゃらんと鎖帷子が音をたてて六名の衛兵が入ってくる。客人を迎えるにしてはだいぶ物々しい雰囲気だ。その後ろに執事長オラスとオーナメントに飾られた礼服を身にする帝王が続いた。彼らは食卓を挟んでルイスたちとは反対の側に歩んでくる。

 ホールに入ってきた面々をみるやいなやメッカが立ち上がってお辞儀をするので、ルイスも無礼をするわけにもいかず同じ姿勢をとった。

「お客人、今日はよくぞブライス城に参上なされた。早速ではあるが、カラクリ卿に頼みをした品を見せてもらいたい。お隣にいる婦人がそれで間違いないか」

 鎧に身を包んだ兵士の一人が言い放った。

「さようでございますじゃ、兵士殿。私の隣におる者が献上に上がった絡繰戦士、ルイス・カラクリであります」

 やってきた兵士たちにはこれが戦士かと顔を見合わせる者もあったが、王の真面目な顔が視界に入るとすぐに背筋を正した。一団の中から王が前に出る。

「メッカ殿、ルイス殿。今日は本当によくおいでになった。カラクリ卿には我々の急な申し出に不平一つ言わず絡繰を完成していただいたことに感謝している。だが、今しばらく我々の勝手に付き合ってもらわねばならない」

 ルイスは一目で威厳のある王と見抜いた。巨大な帝国を従える度量と人を魅了する風格を兼ね備える。まだ身体の衰えに屈することのない年齢。ルイスは自分に対しては今の時点で期待でも落胆でもなく、公正に彼が国のためたるかの一点で王の視線が注がれているのを感じた。

「ルイス殿を中庭にお連れしろ」

 ルイスは二人の兵士に連れられてホールを離れた。

「安心してください、旦那様。王も兵団も決してルイス様を悪く扱うわけではございません」

 王と一行が立ち去ってから、気を緩めたメッカのところにオラスが近づいてきて言った。

「知っておるよ。ワシは何も心配しておらん」

「庭で見学はなさらないのですか?」

「見学せんとも結果は分かり切っとる。――じゃから、ワシはここでもう一杯ハーブティーをいただくことにしよう」

「かしこまりました。メイドに申し付けておきます。私奴は少々役を買って出なくてはなりませんので留守にさせていただきますが、どうぞゆっくりなさっていってください」

「そうさせてもらおう」

 メッカがカップの残りを飲み終えると、オラスは彼を背にして静かにホールを去った。


   ◆


 広い中庭であった。それでいて外から見えていた城はこの庭をすっぽりと隠してしまっている。芝が手入れされていて数本の常緑樹が植えてある。小さな噴水を管理しており、非常時にも使える水源を確保していることが窺える。ここにきて広場に指す太陽の光線が城壁に遮られないように城の形が工夫されていることにルイスは気づく。中央に戦士の訓練に使えるよう小高く岡ができており、そこに石畳が敷かれていた。

 しかし、ルイスは庭の感傷に浸っている場合ではなさそうである。中央の岡の周りには多くの兵士がつめかけており、見習いの兵士に見受けられる者から兵団一個を指揮している上級兵まで様々。城の二階、三階の通路からは戦いとは無関係の者が顔を出して覗いている。

 石畳の舞台中央まで誘導されてきてルイスはそこで待てと指示された。彼はこれから自分が見世物をするかのようだと思った。周囲からの目が彼に集まっているのは言うまでもない。さしずめ、自分を小手試しする決闘が行われようとしていることをルイスは察した。

「あー、静粛にお願い存じ上げます」

 執事長オラスが拡声器で庭中にアナウンスする。

「これから、新しくブライス帝国軍の王室戦士ロイヤル・ナイトとして推薦されましたルイス・カラクリ様の戦闘試験を開始いたします。あらかじめ決められました対戦相手に対し、五回の連戦を執り行います。一方が戦いを続行できなくなった時点で、私奴オラスの判定の下、勝敗が決定します。五戦を勝ち抜いたことによって、氏は帝国の王室戦士ロイヤル・ナイトとして正式に採用されるものとします。また、挑戦者ルイス・カラクリは途中棄権の権利を有しますが、その場合は王室戦士ロイヤル・ナイトとして失格と判断されます」

 連戦と来た。ルイスにしてみればついこの前、人類最強の四人対魔王一人という戦いをやってのけてきたというばかりに、何一つ怖さを感じるところはない。戦闘といってもこの闘技場に入れる人数はたかが知れている。動き回ることを考えればせいぜい五人が限度であった。

「ルイス様、試験に対して何か言いたいことはございますか?」

「戦闘用で献上された機械人形に拒否権はなさそうだ。敵は殺してしまってよい者たちか?」

「ルイス様の望みの通りされて結構でございます。ほかに何かございますか?」

「いや、続けてもらって構わない」

 ルイスはこの手の戦闘には慣れている。

「僭越ながら私奴からルイス様について簡単にご紹介いたします。氏は彼のカラクリ大王ことメッカ・カラクリ卿によって作られた最新鋭の絡繰戦士です。王室戦士ロイヤル・ナイトとしての資質を得るため、技術面で大変に厳しい検査を合格してきております。そのうえで、今回の戦闘試験では氏の高い戦闘性能を確認するだけではなく、絡繰戦士としての状況適応力についても確認できるよう、試験のメニューが用意されてございます」

 ルイスの戦闘性能の高さはメッカのお墨付きだ。彼は人間の身体であった魔王のころからは考えられないほど強化された肉体を手に入れた。体技面では申し分のない能力を誇る。

 一方、人形に生まれ変わったことで魔王として生きていた頃よりさらに磨きがかかってしまったこともある。ルイスの最大の弱点、それは魔術を使用することができないこと。

 いや、正確に言うならばルイスは両極にある二つの魔術以外にはめっぽう魔術適性が低いというのが正しい。『生贄サクリファイス』と『蘇生レザレクション』、本来のルイス自身が使えたのはこの二つの魔術だけであった。前者は他者の命と引き換えに魔力を得る業。後者は魔力と引き換えに他者の命を得る業。ほかの魔法、例えば身体の傷をいやす『回復ヘイル』や『火炎フレイム』にはそれぞれ上位から下位まで様々な強度の魔法があるが、生贄サクリファイスで魂を吸収し始める前のルイスは、それらの最低レベルである『傷止ヘプテル』や『火の粉ファンク』しか自力で使用できなかった。

 そのルイスが魔族の王として認められるに至ったのは、彼が『生贄サクリファイス』の名手であったからだ。敵を生贄にしてその者の持つ魔術適性を吸収する。彼の吸収した敵の多くはルイスに反抗的な魔物たちであったが、どんな命であれ生贄とすることはできる。聖女を吸収すれば弱り切った生命を『完全回復ヘイル・アーレ』でき、大魔女を吸収すれば古代魔法を使うこともできる。『生贄サクリファイス』によって生身の肉体に魔力の源――すなわち魂――を吸収すれば、半永久的にその力を手にすることができた。

 ところが絡繰人形となってしまった今、ルイスは自在に行使できる魔力の源の大半を失ってしまった。彼の身体に流れる魔力はあくまで機械の肉体を動かす原動力に使われていて、人間で例えれば血の流れ。彼の意識が及ぶものではない。そのため、彼の身体では『傷止ヘプテル』も『火の粉ファンク』も使えない。唯一ルイスに残ったのは自らの才、相手依存の『生贄サクリファイス』と『蘇生レザレクション』のみ。そして『蘇生レザレクション』は戦闘で役に立たないため、実用に耐えるのは『生贄サクリファイス』しかない。

 さらに悪い話がある。ルイスの機械の身体は生身の人間ではないため『生贄サクリファイス』で敵の魂を犠牲にして手にした魔力を完全に自分のものとして獲得することができない。あくまで機械のパーツに一時的に生贄サクリファイスの魂を保管し、後から装填ロードすることしかできないのだ。

 ルイスは魔王として存命であった時分より圧倒的に強化された肉体を得た。だがその代償に彼からは魔法が奪われたのだ。魔王のころと同じように無尽蔵に進化していく戦法を現在のルイスは取れない。彼はこの戦いが自分の素の力を確かめる良い機会であると闘志を燃やした。

「最初の対戦相手はこちらです!」

 庭のすみのほうから二体の魔物が兵士に連れられて出てくる。それぞれデーモン・ピッグとたいくつ神官。彼らの出どころならルイスにはだいたい予想がつく。

 デーモン・ピッグは野山に生息している魔物で、普段は野生のドングリや植物の根を食べて生きている。しかし、山の木々が枯れる季節になると栄養が足らなくなって、彼らより弱いネズミや魚のモンスターを刈って食う雑食種であった。イノシシの巨大化したバージョンだというと想像され安い。この間抜けなモンスターは、帝国の農業地帯で人の作った作物を荒らしてお縄になったという顔をしている。

 もう一体のたいくつ神官というのは魔族の下級神官職である。人間に化けて奴らの新興宗教で魔法耐性のない人間を洗脳していたところ、悪行がバレて捕まえられたらモンスターだったという顛末だろうとルイスは想像する。彼ら二体というのはルイスの知る魔物の中では可愛いおこちゃまレベルであった。

「ルイス様、用意はよろしいですか?」

「いいぞ」

 闘技場に緊張感が走る。

「第一戦、はじめ!」

 ルイスは最小限の動作で仕留める。

 コンマ一秒のうち脚力をターボし、急加速する。デーモン・ピッグの突き出した牙に掴みかかり、そのまま突進の勢いで一気に砕きちぎった。

 折れた牙を両腕で構え、頭上から脳天への鋭い一撃。


――ギュンンン――グザァアア!!!


「ンボホォオオオオオ」

 デーモン・ピッグは低く唸る。もはや哀れな豚にできることは身体を痙攣させるだけだ。

 たいくつ神官はこの刹那、慌てふためいて予備動作を取ることができなかった。瀕死の仲間を回復する呪文の詠唱は間に合わない。ルイスは一瞥した。連戦のこともあり、彼にとってこの神官は確実に『生贄サクリファイス』しておきたい相手である。

 ルイスは豚が崩れ落ちるのを見届け、身体を宙に飛翔させた。神官の目はルイスの動きを追うので精一杯である。着地地点はもちろん神官の真上。ルイスは腕のバネをめいっぱい曲げて、身体を重力に従わせた。神官は逃げ出そうとするがもう遅い。次に魔物が気づくと首根を捻られ、超合金の人形の重みで地面に叩き付けられていた。

 ズダーン――――。後に残るのは静寂のみ。頚椎をこなごなに粉砕された神官はピクリとも動かなかった。

「な……なんだ、あの絡繰戦士」

「すごい兵器がうちに来るぞこりゃ」

「美人だけど、やっばいなぁ。俺あいつとは組みたくないぞ」

 オラスは戦いを審判する立場にあったため、ルイスの動きだけではなく敵の動きも注視していた。戦いの余韻の中、二体が完全に停止したことを見て

「しょ、勝者、ルイス・カラクリ!第一回戦をルイス様の勝利で判定いたします」

 会場がざわつく。ルイスは神官の死体が回収される前に、それを周囲に気付かれずに生贄にしなくてはならなかった。彼は抑えつけていた神官に対して邪気を放った。

――生贄サクリファイス――

 神官の魔力がルイスの腕から絡繰人形の身体に収納される。これで彼は少しの傷であれば回復することができる。

「続いて、第二回戦に入ります!」

 ルイスの前に歩み出てきたのは三体の絡繰人形。量産品と見えて無個性な兵隊で、その召し物は帝国の兵士たちと変わらない。槍、大剣、片手剣をそれぞれ手にしている。これはルイスが武器を奪ってそれをどう扱うか見る試験なのであった。だがあいにく、ルイスは魔王であったときよりありきたりな武器を手にするなんて性分ではない。

「はじめ!」

 槍の兵士がリーチの長いことを生かして先行してくる。ルイスはいっちょ前に人間らしい息遣いをする兵士に少しやりにくさを覚えた。

「はあ!」

 だが、彼に慈悲などはない。ルイスは身体を屈めて敵の攻撃を躱し、そのまま転がり込んで槍兵の下を取った。

 ――グィン!!アッパーを食らい頭部を思い切り破壊された人形は数メートル空を舞う。すかさず大小の剣がルイスに迫りくるが、繰り出される剣と剣が作る斬撃の隙間に身体を捩って回避。そのあとは回転の演技が催されるかのようだった。身体を縮めて回避で生まれた回転を高速化。ルイスの蹴りが片手剣の兵士の首をはねる。

「うぐあああ」

 大剣の振りかざした人形の方は反動で次の攻撃動作に移れない。そのすきに超合金の肉体を懐に飛び込ませ


ズンッ――ドダタタタタ――


 絡繰人形同士が重々しく舞台を転がっていく。手を組み合って最期の足掻きをするが、ルイスの握力は敵の指という指を握り潰す。さらにルイスは絡繰兵士の腕をも破断させた。もはや人体の器用さを象徴する手先を失った兵士に戦意はなかった。


――破壊


「勝者、ルイス・カラクリ!」

 一体一体が倒されていくたびに観衆は息を呑んでいた。ルイスは破壊した機械の破片が服に散っているのを手で払いながら立ち上がった。

「うおおおお、あいつ武器を使わずに絡繰兵を倒しやがった」

「もう採用されるのは間違いないな。あいつとはケンカしないでおこう」

 オラスは自分と同じ絡繰人形でありながら素手で軽々と相手を屠るルイスに心を動かされていた。次の戦いの火ぶたが切って落とされる。

「第三回戦!」

 今度は囚人と見える男が出てくる。足枷をつけて鎖に繋がれている。対人戦である。

「死刑囚CA1056番、ガルガン・ギリガン。罪状、帝国反逆罪。火球弾丸フレイム・バレットの不認可発砲ならびに帝国議会の襲撃による」

 浅黒く、牢獄の生活でやせ細った囚人。魔王としてのルイスの直感は、彼が裏社会上がりの魔術師であることを告げている。証拠として、無理矢理に体内魔力を引き出すため施された夥しい数の刻印。その傷跡が身体中に刻まれている。兵士が囚人の手足の拘束を解くと、それまで生気のなかった目に再び人殺しの喜びでたぎる獣の本性が宿った。

「はじめ!」

 久々に太陽の下に出て来られらたのだろう。染みる光に目をしばたき、男は狂気に満ちた笑みをたたえて「ギャハハハ」と大きな声をあげて叫び散らす。自分がルイスにとって絶好の生贄サクリファイスの対象であることを知りもせず。

「お嬢さんよ、相手がちょっと悪かったようだなアアア!!」

「確かに、魔法を使えない私が出来損ないとはいえ魔術師とやりあうのは少々不利だな」

 男は生意気な口をきくルイスが気に食わない顔をして戦闘態勢に入る。両手の指の股が千切らんばかりに掌を開き、それぞれの指先を銃口のようにして絡繰のルイスへ向けてくる。

高位火球弾丸フェア・フレイム・バレットだぁア!!!」

 男が詠唱すると身体に刻まれた魔術刻印が赤黒くその正体を表す。両手の銃口から一度に十発ずつ、火球弾丸フレイム・バレットが連続で射出される。己の身体に火球が着弾して表皮が焼かれるのを引き延ばされた時間の中でルイスは克明に感じた。

「イァッハーーーー!!!ギャハハハハハハハハハ!!!」

 男の血に飢えた雄たけびが周囲に轟く。弾丸の雨は十秒以上続いた。そして徐々に男から放たれる火球弾丸フレイム・バレットの勢いが弱まり、砲火の煙には傷ついた絡繰戦士が独り佇んだ。

 ダメージは受けている。着ていた丈夫な騎士の布は点々と受けた弾痕を残し、ルイスの皮膚も損傷を免れなかった。大方の予想、この死刑囚を連戦に投入した理由は、ルイスの魔法耐久力について確認を取りたいという目論見だと彼は考えた。とすると、観衆たちはこれから想像だにしなかったものを目撃することになる。

 ルイスは煙の中で己に宿りし魂に呼びかけた。

「死してなお我が身に宿る神官よ、我に力を授けよ。『回復ヘイル装填ロード――!」

 『生贄サクリファイス』と『蘇生レザレクション』の神髄である。砲撃によって巻き上がった土煙の中でルイスはたいくつ神官から生贄サクリファイスで奪った魂、それを一種の蘇生レザレクションによって機械の身体に装填ロードする。焦げてしまった彼の肌は忽ち修復し、元の色を取り戻していく。

「あの戦士、自分から仕掛けていかないな」

「ガルガン・ギリガンほどの高ランクの囚人じゃ、さすが最新鋭の絡繰でも一本取られたか」

 ここまで敵に対して数段上手の実力を見せていたルイスが動きを見せない中、見物している兵士たちはひそひそと話を始める。

「よお、審判さんよ!この嬢ちゃん殺せば、恩赦で俺は自由の身っていう約束だよなア。どうやら、決着はついたみたいだゼ」

 ガルガンはまた戦いに現れた時と同じくらい大きな声で大変に笑った。次の言葉が最期のものになるとも知らずに。

 煙の中でルイスは脚に力を込める。

「なあ、俺のことを嬢ちゃんの代わりに城に雇ってもいいん――」

 ガンッッッ!男が言い終えないうちに煙幕から躍り出る。ルイスの拳は男の首を締めあげていた。

「くは……ァ……」

「最期に言い残すことはあるか、ガルガン・ギリガン!」

 火炎の猛攻撃を受けた絡繰戦士の無傷の登場。城内は騒然とした。高位の火球弾丸フレイム・バレットがルイスを直撃していたのは、誰の目から見てもの疑いようのない事実であった。彼の纏う服はボロボロである。しかし、服の先の絡繰本体には数千度の火球が降り注いだとは到底思えない。全くの無傷なのである。屋上からそれを見ていたブライス王とその側近も瞠目した。

 男は苦しみから逃れようと激しくもがく。ルイスの手は一層強くガルガンの首を握りしめた。人は己の最期の時に限って、自分が死ぬのを受け入れることができない生き物である。


――生贄サクリファイス――


「死して我に仕えよ」

 ガルガンの息の根が止まり、ぐったりと項垂れる。絡繰の肉体に敵が持っていた火炎の魔力が宿る。ルイスは悟られないように生贄サクリファイスを執り行っているから、周りの一般兵士は誰も『禁術』の行使を見破ることはできなかった。

 ガルガン・ギリガンの遺体が連れ去られ、ルイスの勝利宣言が出される。

「第四回戦、はじめ!」

 レイブン・ジャック。不死者アンデッド系の上位ランクモンスター。黒いフードに身を隠した暗殺者である。首に不死者操縦装置アンデッド・コントローラーが取り付けられているのを見て、ルイスはこの魔物が誰かに操られていると勘付いた。

 試合開始の合図、レイブン・ジャックは影分身を始め、舞台を覆うほどの数の幻影が出現する。瞬きをする間にルイスは見分けのつかない不死者アンデッドの一団に取り囲まれてしまっていた。この一瞬の戦況の流れ、普通の決闘者ならば本体を突き止めるのに難儀するところだがルイスは


跳躍――!


 上空に身体を持ってきてしまっては身動きが取れず格好の攻撃の的。しかし、彼には生贄サクリファイスで得た魔力があるのだ。

「『高位火球弾丸フェア・フレイム・バレット装填ロード。地上に炎の雨を降らせん!!」

 ルイスの四肢に装填ロードされたガルガンの砲撃が不死者アンデッドのいる地上を焼き尽くす。すさまじい砂埃をあげて闘技場は姿を消した。

「なに!?あの戦士、魔法を使うことができるっていうのか」

「しかもガルガンと同じ魔法を……。この短時間で絡繰が学習しただと!?いくら人外の兵器だとはいえ早すぎる!!」

 兵士たちは巻き上がった煙に喉を詰まらせながら驚嘆する。

 ルイスは魔物それぞれに対する圧倒的知見を有していた。レイブン・ジャックがこの程度の攻撃でやられるはずはない。絡繰戦士は自分の背後に神経を集中させる。


――――ッ

――――――ッ

―――――――――――ッッンンン!


 来る!


「フッ、シューーーーー……」

 逃げ場のない空中でまたとないルイスへの反撃のチャンス。影を破られた本体が背後から叩きにくる。しかし、カウンター攻撃の機を狙っていたのはレイブン・ジャックだけではない。

 ジャンッッッ!!宙を漂う機械仕掛けの肉体から回転蹴りを繰り出す。それは不死者アンデッドの首を掠めた。ルイスが狙ったのは不死者操縦装置アンデッド・コントローラー操縦装置コントローラーを機能停止されたレイブン・ジャックは光の渦に包まれる。ルイスが思った通りである。この城の中で万が一決闘中に操縦装置コントローラーが破壊されて、上位の魔物が暴れだしたら重大な不祥事であった。あらかじめ安全装置もついていて、操縦が効かなくなったときにはモンスターごと破壊する。

「シャーーーーッッ」

 静かに冷たい吐息を吐き、操り人形と化した不死者アンデッドは天の星と消えた。ルイスは着地を決めて、舞台中央に直立する。

「勝者、ルイス・カラクリ!四戦連勝です」

 うおぉおおっと歓声が上がる。操縦装置コントローラーがついていたにしても、上級モンスターをこれだけの早く仕留めることのできる人間はそう多くはない。

「最終戦に入らせていただきます。第五回戦の相手は――」

 オラスがそこまで言いかけると、突然高い時計台に立っていた重装戦士が城内に響き渡るほどの声で怒鳴る。

「オラス!五回戦の相手は変更だ。俺がそいつとやりあう」

 重装戦士は手にしていたアンテナ付きの操作盤を感情のままにぐしゃぐしゃに捻り潰していた。ルイスがそれを認めたとき、レイブン・ジャックを操作していた人物がその戦士であることを彼は察知した。仮面に顔を隠していて表情を拝むことはできないが内心は怒り、悔しさ、いらだち。

「第一軍隊長殿――」

 戦士がいる方を見やって、オラスが言葉を詰まらせる。

「王、よろしいですか」

 チャンドル7世は佇む戦士に無言のままこくりと頷いた。

「私は誰が相手になっても構わないぞ」

 魔王として、ルイスは自分の戦いの手腕を天下一のものと自負している。魔族に続いて世界二位の領地を支配するブライス帝国の軍隊長クラスの人間。それが相手であるとしても臆するはずなかった。ただし

「私は戦いでは手を抜く気はない。この試験、相手のことを葬っても構わない約束だったよな」

 ルイスは確認を取る。オラスはそれで相違わないと自信をもって答えた。

 連戦を強いられるという以外に、この戦いで制約という制約はない。あるとすれば、基本的に相手を戦闘不能に陥らせるまで戦わなくてはならないことくらい。帝国の軍隊長とルイスを天秤に掛ける。それほどの威信をかけてルイスの試験は行われていた。

 ルイスは重戦士と帝国の覚悟を高く評価したが、そういう代償は時に大きくつくこともある。

 時計台より巨大な戦士が今舞い降りる。ずしんと大きな衝撃。腰を深く落として着地した軍隊長は体勢を立て直し、機械人形のルイスに立ち向かう。

「ブライス帝国、第一軍隊長、ウッディンジャー・ロメス。第四戦でレイブン・ジャックを使役し、お前の様子を彼方より窺っていた。操られた上位種族の暗殺系不死者アンデッドに対して戦況を看破し、無傷のまま完封するその了見。膨大な知識を持つ絡繰戦士だとしても只者ではない」

「お褒めの言葉にあずかり光栄だ、隊長殿」

「最後の戦いは我が帝国の保有するセイント・ゴーレム、フレディと戦ってもらうつもりだった。しかし、この場に召喚してお前が万が一にでもフレディの『真実』を知っていたら一溜りもないんでな。種も仕掛けもない、人間の戦士としてお前に対峙できることが嬉しいぞ。俺を殺せるようなら殺してみろ!」

 軍隊長は厚い鎧に身を包む。中は生身の人間でも、外見は光沢のある無骨な装甲ボディー。内部は無機質な機械仕掛け、外側は有機的で美しいルイスとは正反対の戦士である。

「お手柔らかに願おう」

 重戦士は腰に身に着けていた巨大な剣を軽々と投げてルイスに寄越した。がらんがらんと鈍い音をたてながら剣は地面で重々しく跳ねる。

「防具のないお前に武器の一つもやらないと公平な戦いとはいえないからな。使おうが使わまいがどちらでもいい」

「大剣か――どれ」

 ルイスは投げられた武器を拾い上げ、軽く三度振り回してから地に深く刺す。周囲の人間たちの驚きようは大層なものだった。普通は一振り斬撃を繰り出すだけで、その反動が身体に応える大剣。それをまるで片手で扱う得物のように振る。すべては彼の卓越した絡繰の肉体だからできる芸当だ。

「後悔することになっても知らないぞ」

「俺はこの戦いで武器なんて使わない。この鍛えこまれた肉体が俺の最大の武器だからだ。それにこれまでの人生、己のしてきたことに一度たりとも後悔を感じたことはない。今度も同じだ」

 人間の世界を支配する帝国の軍を率いるほどのものである。魔王であった頃のルイスと引けを取らないほどの自信に満ちていた。ルイスもこれまでの戦いとは違って、少々知略を巡らせて挑まねばなるまい。

「そ、それでは……。少々予定が変わりましたが、第五回戦を始めたいと思います。両者、向かい合って、はじめぇ!!!」

 隊長が腰を低くして身構える動作をする。同時にルイスも防御の姿勢をとった。一瞬にして


――バンッ、シャー!――――

ザッ、ザッザッ、ザザザッ、ザザザザザッ――


「くぅっ!?!?」

 幾重にも重なって押し寄せる空気の波動がルイスの身に直撃する。その一発一発がボディーブローかのように胴を突き、彼に魔力を巡らせる心臓に重く響き渡る。

 動いていない。動きを視認できない!?

 僅かではあるが動揺を示すルイスに怒涛の風圧はさらに続く。ぐんっ、ぐんっと波動が身体を押し、直接に攻撃を受けていないにも関わらず後退を余儀なくされる。地面に固定された大剣も風撃を受けて僅かにしなっては受け流す。

 敵の鎧から瘴気とも呼ぶべき独特のオーラが発せられるのが感じられる。魔法――。砲撃系の風の魔法、その正体は定かではない。ルイスは思考を巡らす。この重戦士、タンクではない。魔法戦士か。

「ううっっ!!」

 ルイスの合金の肉体をもってしても風の勢いは強すぎるものであった。彼はこの突風の中、目を見開いているだけでも精一杯である。城が轟々と唸りを上げる。ルイスは戦士が魔法を詠唱している様子がないことから、出来合いの魔術コードを所有している可能性を考えねばならなかった。

 魔術コード、それは魔法を『聖なる文字ホーリー・アルファベート』や『魔界言語ヘルラング』のような決められた形式で記述することで作られる魔法のプログラム。術者の魔力を注ぐことでコードの術式を起動できる。旋風を巻き起こしたり、烈火の炎を顕現させたり。コードに応じた魔法が即席で放たれる。ルイスの中にもこの機械の身体を駆動するために数えきれないほどの魔術コードが組み込まれて日夜機能しているが、それらは攻撃や回復に転用できる類のものではない。それにそもそも彼の意志で自由に組み替えることは出来ない。

 魔法を使う戦士と魔法を使えない戦士とではその優劣の差ははっきりとしている。

「どうだルイス・カラクリ。手も出せないか。絡繰戦士の戦いの基本は高い身体性能から繰り出される近接戦。近づかれなければ、どうということはない」

 軍隊長は仮面で隠された口で語る。

「この声はお前にしか聞こえないから問おう。お前、よもや先ほどの戦闘で使った業はゆるされざる『禁術』ではないか」

 ルイスにだけ届くその言葉、一種の精神感応と言えるだろう。彼の聴覚は確かに戦士の声を音として知覚していた。ルイスはこれも魔術の所作と考える。ガルガンを生贄にして使用した火球弾丸フレイム・バレットを戦士は見透かしていた。ルイスは戦士の問いかけに顔を歪める。

「その顔、図星という感じだな。絡繰の戦士にしてはずいぶんと人間臭い。王室戦士ロイヤル・ナイトならばもう少しはったりを働かせられるようにならないといけないぞ」

 突風が吹き始めてから鎧に守られた重装戦士は微動だにしない。この間に詠唱をされれば、さらに強力な魔法が発動されかねない状況。ルイスはなんとしてでもこの戦士に一撃食らわせなくてはと焦り始める。

「あのようなものは魔術コードではない。俺の目から見ても明らかだった。囚徒ガルガン・ギリガンは違法の魔法手術を受けていて、連射できる火炎弾の速度、およびその数を馬鹿みたいに強化していた。お前がレイブン・ジャックの影を消すのに使った魔法は連射性能、その弾数、どこからどうみてもガルガンのものだ。まるで、すぐ目の前で死んだ奴がお前に乗り移って蘇ったかのように――」

 生贄サクリファイスのことを見抜くほどの魔法の使い手。重戦士でありながら、この者が持っている魔術の知見はかなりのものである。この戦況、ルイスは逆に楽しもうとしていた。そう、彼にとってはちょうどいい生贄が見つかったというところなのだ。

 ルイスは迫りくる大風に両腕を逆らわせ、地に刺した大剣に手をかける。反撃の時間だ。

 大剣を軸にして機械人形の姿勢を安定させる。そこから腕に力を込めて重量のある体躯を剣に任せた。二周、三周と剣を中心として身体を回転。角運動量を増して荒れ狂うコマと化す!


――フッ、バアーーーー!!


 次の瞬間ルイスは剣の柄から手を放し、飛び蹴りの向かう先を重戦士の胴体へ仕向ける。靴は並みの兵隊と同じレベルのものだが、その裏はメッカの作った最強の合金絡繰の肉体。一撃が決まれば敵とて無事では済まない。


ズシシンッ――ピキッ、ビリリギビリビリギリビリ!


「うぐ」

「ぬあーーー!!」

 足先から不動の戦士に与えた一撃の感触が伝わる。脚、もも、背筋、そして頭部にその衝撃が走ったとき、攻撃を繰り出したのがルイスだけではないことに彼は気づく。電撃、それも瞬間的に発生した莫大な静電気の一撃!

「ぬぅ、うぐぁーーー!!」

静電法衣ベストメント・エレクティカ、よく間違われる」

 身体を痺れさせる痛覚の異常、反撃を受けたルイスは、思考が――途切――れ――――。


自走の反射オート・リフレックス


 ルイスは再誕した日からの短い期間に、この絡繰の身体を巧みにコントロールする術を体得していた。脚から伝わる信号を遮断。そうすることで下肢は込められた魔術コードに従って自動で反射の動作を行う。

「ふうぁああああ!!」

 反射とは生命で言えば危機から逃れるための非常動作。意識から切り離された彼の脚は鎧の戦士を蹴り込み、一歩退く。

「はあはあ、はあ、はあ……」

 辛うじて電撃をまとう鎧から逃れ、バク転で距離を置く。足元がおぼつかない。絡繰人形の身体は無意識のうちにぜえぜえと背中で息をしていた。

「はっはっは。ルイス、魔法の使えない身というのは不便なものだよなあ」

 重戦士は身体の緊張を解き、高々と言った。低く唸る。それしかルイスはできなかった。

 ここまでの四戦で一方的に勝利を収めた絡繰戦士。その戦士が防戦の戦況で会場は沸いた。最新鋭の絡繰技術のお披露目から一転、ようやく見ごたえのある戦闘が行われている。

「軍隊長殿はさすがに違うな」

「幾多の戦いを勝利に導いてきた戦いの神。第一隊長、やっちまえーー!」

「土人形フレディと絡繰人形との戦いも見たかったが、我らの戦神が絡繰を圧倒する様もまた一興だな」

 観衆たちから聞こえるワードが逆転の糸口を探るルイスの中でこだまする。戦いの神、戦神……?この重戦士は第一軍隊長。名をウッディンジャー・ロメス。

「――おいおい、ウッド様は新しい戦闘兵器を採用見送りにしたいおつもりか」

 微かに聞こえた中級騎士が呟きをルイスの聴覚はフィルターし、鮮明に捉えた。

 戦神ウッド!!なんの因縁だというのだ。勇者と共に選ばれた、魔王を討ち滅ぼし世界に平和をもたらす神の戦士。摩天城の王座までたどり着き、デス・ルイスを真っ二つに割った男が目の前にいる。

 前途に得体のしれない悪魔が立ちふさがったかのように感じる。魔族を束ねてきたルイスが悪魔を思うなんてらしくない。彼の正体を知る者がこの場でその胸中を聞いたらそう驚かれるかもしれない。だが、彼が感じたのは確かに悪意に満ちた存在だ。どうやっても抗うことができない運命。それが戦神ウッドを遣わして、ルイスの前に試練として現れたのだ。

 そうだとしたら、この戦士が使っているのは魔法ではない。戦神ウッドは根っからの肉体派で、ルイスとの摩天城の決戦では剣一つで挑んでいた。

 ルイスはもっとこの男の強さの絡繰りを注意深く観察せねばならなかった。何か絡繰りがあるに違いない。思い返す。機械の頭脳には色あせることのない過去が刻み込まれている。ルイスの目には彼の初動が記録されているはずだ。

 スローモーション。自分の記憶装置に保存された視覚情報を頭フル回転で再生。オラスの戦闘開始の宣言から巨大な鎧の戦士が身構える姿が映る。両腕を力いっぱいに身体に引き寄せる。そこから右手が突き出される。映像はハイスピードで撮っているはずだが、それでもぶれて撮像されている。戻して左手、さらに右手が繰り出され、左!

「拳から出されるその衝撃波――。見破ったぞ、戦神ウッド!」

「むぅっ」

 ウッドは仮面の奥で眉を顰める。

 重戦士の放った動作にルイスは自分の身体を重ね合わせる。魔法ではなく体技なのであれば、使用するのに生贄サクリファイスの必要はない。ルイスの絡繰でも模倣することができる。

「はぁ!!!」


ザザザザザッ――ザザン――――

ザザザザザッザザザザザッザザザザザッ、ザ!ザ!ザ!ザ!ザッ!


 肉体に秘められた魔術コードが悲鳴をあげんとばかりに一対の腕を駆動する。再生された戦神の動きはその周囲の空気を巻き込み、無数の嵐となって放たれた。次の瞬間、己の業を見破られたウッドは再び構え直して戦闘態勢に入る。

「この声はお前にしか聞こえない、軍隊長。お前は自分の声を衝撃波の中に込めてこうして話していたわけだな」

 動きを止めずに続ける。

「人間たちが自ら封じた『禁術』がバレているということは、お前はもはや生きてこの戦い終われぬぞ!」

 ルイスは勝ちを手繰り寄せたと思った。しかし、ウッドは怯まない。風圧中で身体を支えながら、股を徐々に開いて体勢を低くしていく。そして重戦士の身体はゆっくりルイスに接近していった。

 近づいてくる!?ルイスには確かにウッドが近づいてくるように見えた。しかし戦神が歩を進めてくる様子はない。あくまでウッドは身構えたまま、ルイスとの間合いを詰めている。

「ゴーレムはな、額に刻まれた文字を消されると消滅するんだよ。カラクリは発条を止めれば動きをやめる」

 戦神は静かに独り言ちた。この状況、ウッドが距離を縮めてきているのではない。ルイスが自らウッドの下へ近づいていってしまっているのだ。


――縮地――


 絡繰戦士は一度たりとも目を離したわけではない。だが次に気付いた時、ルイスの背後には鎧を剥いだ戦神が回っていた。あのときと同じように。背中に殴打を食らうと同時にぐさりと鍵のようなものが突き刺される。


――グンッヌ!


 ルイスの機械の身体をめぐっていた魔力の血流が途端に停止した。

 身体に――力が――入らない……。


――――ツー――――・・・―――・・・―――

・・・―――・・・―――・・・―――・・・

―――――――――――――――――――――


 倒れこんだルイス。上下左右の感覚をなくしていたが視界の右端には石舞台が、左にはブライス城の城壁と空が見える。口は半開きになって、閉じようと思っても言うことを聞かない。


 ルイスはしゃがんで自分のことを覗き込む男に気が付いた。頬から鼻にかけて刻まれた切られたような傷跡。戦地で褐色に焼けた肌。短く切り上げられた一本一本が太くしっかりとした白い髪。最後に彼を見たときにはもっと彫り込まれたほうれい線があった。ルイスは確証する。戦神ウッド、幾分若く見えるが彼で間違いない。

 一瞬の出来事にオラス、帝王の他、最終戦を見ていたすべての者が呆気にとられていた。戦いの最中、徐々にウッドへおびき寄せられる絡繰人形。最期にはウッドの放った神速の一撃が絡繰を捉え、人形には駆動源を緊急で止める発条鍵ゼンマイ・ロックが深く刺しこまれていた。

 おどおどとしながらオラスが判定を宣言しようとしていると、ウッドはそれに口を挟んだ。

「棄権だ。俺が戦いを降りる」

 オラスは彼がなぜそんなことを言い出すのか分からなかった。

「軍隊長殿。しかし、もうすでにルイス様は戦闘を続行することなんて――」

「こいつに武器を使わないなんて偉ぶっちまったからな。俺の負けだ。王も納得するだろう」

 そう満足げに言うとウッドは絡繰人形に顔を近づけ、二人の他誰にも聞き取られないほどの小声で語りかけた。

「強いなぁ、お前。王室戦士ロイヤル・ナイトとして正式採用だ。おめでとう、戦士ルイス。晴れてお前はこの帝国に仕える同士となる。ただ、お前は人間じゃない。絡繰で出来た戦士だ。『禁術』を使用して法を犯そうが人として罰せられることはない。しかし、それは人としての温情も受けられないことを意味する。帝国が必要としなくなり不利益を及ぼすと判断すれば、お前は廃棄されるだけの人形だ。そのことを肝に銘じておけ」

 それと時を同じくして城内ではオラスがウッドの棄権理由と戦いの勝敗を告げた。兵士の中には軍隊長が手を抜いただとか、連戦の最後で動けなくなった絡繰戦士を採用するなんて話が違うじゃないかと不満を漏らすものもいた。だが戦神ウッドも認めたほどの絡繰戦士。五戦の圧倒的な戦いを見せつけられた兵士たちの言葉は徐々に変化する。そうしてしばらくすると、兵士は口々にルイスの健闘を称賛していた。

 ルイスは考える。なぜ宿敵の一人、戦神ウッドが自分のことを帝国に受け入れるにたると認めたのか。戦神は外した鎧を抱きかかえると、もうここでの用は済んだとすたすたと中庭を後にした。

 ルイスは動かない機械の身体へ仄かに運命の女神が微笑みかけるのを感じた。

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