31. 思い出
サヤが珍しく助手席に乗ったため、後列は俺が左端に、ヒバがマナミが寄り添って右側に座る。
一仕事終えて午後八時、サヤにまだ休むつもりは無い。
篠目の手が各所へ回る前に、ケアセンターを襲撃する計画だ。
ヒバにも次の目的地を教えると、彼は殊の外、喜んだ顔を見せた。
「何がそんなに嬉しい?」
「イナギ・ケアセンターに母さんもいます。連れ出すのに、お互い協力しましょう」
彼の言葉へ、サヤが真っ先に反応して振り返る。
偶然とは思えない、そう断定した彼女は、知っていることを話せとマナミを詰問した。
「佐木上洞哉を覚えてる?」
「あなたが誰か、ついさっき思い出しました。佐木上教授の娘さんですね。面影が残っている」
「父の記憶を見たのね。アンタが父を廃人にして、母を殺した!」
「リョウコさんを助け出したら、私はどうしてくれても構いません」
篠目に命令されたからだと、ヒバが横から弁明する。
それを黙らせたマナミは、彼も全てを知る時だと、篠目の裏側を語り出した。
自分自身が特能持ちであった若き篠目は、他にも能力者がいるはずだと考える。
見つけたのはリョウコ、これがヤツの転機となった。彼女の力で大金を得ると、全ての特能を自らのものにしようと画策する。
まだ
北の僻地に赴いて、スカウトしたのがマナミである。
複製能力で特能研究の知識を独占した篠目は、第一人者となって政府や海外とも繋がっていく。
「佐木上教授が発見した“発現因子”は、非特能者を覚醒させる力があった」
「無理やり
「ほとんど失敗するけども、強能力者にまで成長する子供もいた」
「子供?」
「幼い子供じゃないと、効果が薄いの」
発現した者はホームへ送り、更なる選別に臨む。
篠目の眼鏡に適えば、軍なりタワーなりに採用される仕組みだ。
発現しなかった
「
「消したから、全部。私が何千人と、関係者の記憶を消し去ってきた」
絶句した俺に構わず、サヤが怒気を含ませて問い質す。
「ケアセンターの役割は? その話とどう絡むの?」
「あそこは廃棄場よ。重要人物が使い物にならなくなると、イナギに幽閉される。リョウコさんも、佐木上教授も」
殺しはしない、それを篠目の良心と呼んでいいものなのか。偽善もいいところだ、母は殺したじゃないかと、サヤは声を荒げた。
事故だった、そう答えたマナミに、サヤの怒りが遂に爆発する。
「事故だろうが、殺したのはアンタじゃない!」
「本当にごめんなさい。許してもらえないのは、分かっています」
「謝ってんじゃないわよ!」
せめて父の記憶だけは、きっちり復元してもらう。その上で、マナミをどうするかを決める。
そう宣告したサヤへ、誰からも反論は出ない。
その後の二時間少々、ほとんど会話が無いまま車はケアセンターに向けてひた走った。
皆、それぞれの心中に抱えるものが多過ぎる。
一度チラリと見たヒバの横顔が青白く感じたのは、俺の気のせいではないだろう。
マナミは眠るように目を閉じ、ヒナギは手動運転に集中する。
俺はただ、昔をぼんやりと思い返しながら、夜の高速道を眺めて過ごした。
◇
制限速度ギリギリで走った黒熊は、城浜北方の山へ十時には入り、その三十分後にケアセンター近くに到着する。
夜間の訪問が認められていなかろうが、俺たちには関係の無い話だ。
ヒナギに掴まったマナミが、先頭を切って施設へ歩いて行った。
「ヒナギさん、またメモリを貸して」
「どうぞ」
マナミは手加減する気が毛頭も無く、視界に入った対象を次々と白紙化していく。
ゲートの監視員を瞬時に眠らせ、詰め所内の機器も片っ端から初期化させた。
ロックの外れたゲートを俺とサヤで押し開けて、その隙間からマナミたちが潜り込む。
動く人間がいればマナミの餌食になり、駆けつけた警備員は投げ捨てた人形の如く地を転がった。
それをヒバが融着させたため、万一起きてこようが身動きが取れまい。
建物の二重扉も、マナミ相手ではセキュリティの責を果たしようがなく、監視カメラすら任務を放棄して停止した。
電線を媒体にして、システム根幹に白紙データを送ったのだと言う。
玄関脇の詰め所にある端末から、彼女は収容者のリストを複写する。
「リョウコさんは一階、佐木上教授は二階の奥に」
「二階から行く」
マナミが特定した居場所を聞き、父を最初に助けるとサヤは指示した。
エレベーターで上がり、ドアが開いた瞬間に白紙化と融着。ロックも全て複写で外し、無人の荒野を行くように廊下を歩み進む。
オール電子化した安全システムが、ここまで脆弱だとは思わなかった。いや、マナミの強さが桁外れだと言うべきか。
突き当たりのドアを開くと、俺も一度会った佐木上洞哉がいた。
独房としか表現しようの無い、ベッドしか存在しない小部屋で、サヤの父は静かに寝ている。
暗い部屋には月明かりが差し込み、マナミの額に浮かぶ汗を光らせた。
肩を揺すらせて呼吸する様子からも、制圧が決して楽な仕事ではなかったことが分かる。
そんな彼女を休憩させる暇を与えず、サヤはこの場での複写を要求した。
「ショウ、有機ディスクを」
「ああ……」
「待ってください、外に出てからでいいでしょう?」
ディスクの複写は後回しにしようと、ヒバがサヤの説得に努める。
マナミ姉さんを、休息させたい。フルディスクは尋常じゃない力が必要で、慎重に試した方がいい。時間も掛かるし、下手をすると姉さんが倒れかねない。そう早口で説明するヒバへ、サヤは冷たく言い返した。
「倒れてしまったら、後回しにしてもいい。まずやって」
「そんな! もう姉さんは末期症状が出てるんだ。無理が利く体じゃ――」
いいの、とマナミがディスクを受け取る。これは私がすべきことだから、と、彼女は誰にともなく言った。
ヒバが止める隙を与えずに、マナミは複写を開始する。
ヒナギの肘を掴んでいた手が離れ落ち、マナミの膝がガクンと崩れた。
駆け寄ったヒバも膝を突いて、彼女の身体を抱いて支える。
「無理だよ、
彼が言うのは、マナミの目尻から流れ出した黄色い体液のことだ。
ディスクを握る左手からも、弾けた水泡から横漿が垂れていた。
液にまみれても彼女は複写の力を弱めず、逆にディスクを佐木上に向けて掲げ上げる。
「これじゃ症状が悪化する! 死んでしまう、やめさせて!」
サヤを見上げたヒバは涙を滲ませ、
「姉さんと一緒に何でもする。お願いだから……」
「…………」
「せっかく母さんにも会えるのに……。ねえ、頼むから! ダメなんだよ、死んじゃうんだよ!」
有機ディスクのフルコピーが、どのくらいの時間を要するものなのか、俺も理解していなかった。
五分経っても、マナミは膝立ちの姿勢を保ち、終わる気配が無い。
ヒナギにいつ完了するのか尋ねたが、彼女にも分からないと返される。
ヒバはマナミの手からディスクを奪い取ろうとしたものの、固く結んだ指は一本たりとも動かせなかったようだ。
サヤの翻意を願う声は、もう悲鳴に近い。
お願いだから。死んでしまうから。ボクの姉が、いなくなってしまうから。
最後は同じセリフの繰り返しだ。
許して。
許してください。
マナミは最初からここで死ぬ気だったのだと、俺もようやく気づく。
ヒナギと俺は、言葉を発しないサヤの横顔を窺った。
どうなるにせよ、サヤの選択を責めたりはしないし、口を挟む気にもなれない。
「サヤ……」
それでも俺が名を呼んだのは、彼女までもが泣いていたから。
どうすれば正しいのかなんて、誰にも答えられないのだ。
「やめて」
「お願いです、許して――」
「もうコピーしなくていいっ!」
さらに二度ほどサヤが怒鳴ると、ディスクを握る手がやっと緩み、土下座するようにマナミは頭から崩れた。
息絶えたのではなく、複写を中断したのだと確認したヒバは、ひたすら礼の言葉を繰り返す。
「いい加減にしてよっ。これじゃ私が悪者みたいじゃない!」
「私でもコピーは出来る。少しずつだけど」
サヤの背中に、ヒナギが手を添える。
俺たちの小さなリーダーは、ヒナギの肩に顔を
途中までとは言え、大量の複写を浴びた佐木上は意識を無くして昏睡する。彼のために担架を持って来て、俺とサヤで外へ運び出した。
マナミはヒナギが車椅子に乗せ、ヒバと三人で一階へ向かう。
車まで戻った俺は、黒熊のハッチバックを開けて、佐木上とリョウコが乗る場所を作った。
程なくして、リョウコを連れた三人が建物から出て来る。
リョウコは自力で歩ける体だったが、思考力に難が有り、ヒバたちを認識させるのも苦労したみたいだ。
特能障害だけが原因でも無さそうだが、それを今、追求しても仕方あるまい。
後部席にはヒバとマナミ、そしてリョウコが座り、俺とサヤの親父は荷物スペースに乗る。全員が揃ったところで、車は静かに動き出した。
ヒバたちは三人で海を目指すと言う。今は針金細工のようになったリョウコの、故郷なんだとか。
彼らのためにレンタカーショップに寄り、自動運転車を調達する。そこから二手に分かれると、俺たちは決めた。
ヒバは何度も頭を下げ、ぎこちなくセダンの運転席へと乗り込む。
入金済みの汎用端末をサヤが、タマゴバーガーに付いてた景品をヒナギが、餞別として彼へ手渡した。景品というのは、カボチャの形をしたちゃちなマスコットだ。
再会を果たしたヒバとヒナギも、お互いの仲間を選んで別の道を行く。
マスコットにはメッセージの録音機能があり、ヒナギは一言ボソッと吹き込んでいたようだ。何を伝えたのかは、ヒバにしか分からない。
後部席のマナミが、話があると俺を呼ぶ。
案外に長い話を語った彼女もまた、最後に深々と頭を垂れた。
サヤは別れの挨拶もせず、走り去る車を無言で見送る。
「行かせてよかったのか?」
「……うん」
「ところで、最後にマナミが言ってたんだけどな――」
短いクラクションが、黒熊へ乗れと俺たちに促した。
話は帰り道でも出来るだろう。前津の拠点に戻り、佐木上の目覚めを待って、次は――。
まだまだ退屈するには早い。
車中、明日からの仕事を検討するサヤの顔には、また不敵な微笑みが復活していた。
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