30. 脱出

 タワー最上階に、取り残された者がいる――そう彼女は消防へ直接通報して、レスキュー隊を寄越すように要請した。

 セントラルタワーの全高は、八十二メートル。上部の三十メートルは、通信アンテナを兼ねた巨大なオブジェで、九階は地上四十九メートルに在った。

 高層建築物用の梯子はしご車で間に合う高さであり、これを派遣させるのがサヤの目的だ。


 緊急避難時に割る窓には、赤い三角形で印が付いている。九階にも二枚存在し、その一枚の前に立った俺は、皆を呼び寄せた。

 ドアを融着したヒバは、ヒナギに肩を貸してもらい、やや憔悴した様子でやって来る。

 特能を使ったからと言うより、もう普段から体力が衰えているようだった。


「お前はここから逃げるのか?」

「姉さんも連れ出してほしい。母さんを助けたいんだ」

「姉さんって、ヒナギのことじゃ」


 違う、とヒナギの方がすぐさま首を横に振った。

 ヒバの言う「姉さん」は、彼女でもなければ、実の姉でもないらしい。元よりホームにいた子供たちは、親族の顔を知らない者ばかりだ。


 姉さん――マナミと呼ばれるその人物は、ヒバがここに来る以前から篠目と一緒に行動していた。

 彼女とヒバはタワー九階を住み処とし、任務・・以外では一歩も外出していない。


 ヒバを親身になって案じる彼女を、いつしか彼は姉と呼び、二人は篠目の元で暮らしてきた。

 ヒバにしてみれば、優しいマナミが姉であり、食べ物と仕事を与える篠目が父である。

 もっとも、彼が篠目を「父さん」と呼ぶことはなかったが。


 今夜ヒバは、初めて篠目に対して声を荒げた。警報が発令されたから外へ逃げる、それはいい。

 もう能力の衰えたマナミは放置する、その言葉にヒバは耳を疑ったそうだ。

 ヒバには素っ気ない篠目でも、マナミの身は案じていると、彼は信じていた。

 それが幻想であって、「父」が見ていたのは彼らの特能だけだと思い知る。


 アポート能力と相性が良い融着能力者メルター。そして、類を見ない力で、自分の願いを叶えてきたマナミ。彼らを篠目は重用し、使い潰す。

 マナミは、有機ディスクをもフルコピーする複製能力者デュプリケーターだった。

 ヒバに案内されて、マナミの部屋に入った俺は、すえた臭いに顔をしかめる。

 ベッドから身体を起こし、彼女は俺たちを見回した。


「この人たちは?」

「ヒナギ姉さんだよ。前に話してた。こっちはその仲間で……」

「ショウだ。アンタを脱出させろって頼まれた」


 得心が行かないといったマナミへ、ヒバが懸命に説明する。篠目は姉さんを見捨てようとした、もう一緒に逃げよう、と。

 皺の深いマナミは、もう六十を超えていそうであっても、外見から判断するのは早計だろう。肌はヒバ以上に真っ黄色だった。

 長い黒髪はまだ健在だが、ロクにシャワーも浴びていないのが一目瞭然で、額に脂でペタリと貼り付く。

 多数の水泡が指に出来ており、一部が潰れてシーツに黄染みを作っていた。

 彼女は諭すように、ヒバへ言って聞かせる。


「もう薬無しじゃ、身体が持たないのよ。外に出たところで、一年生きられるかどうか」

「だったら、尚さら最後くらい好きにやろう」

「私だけならいいけど、あなたまで投げやりにならないで」

「投げやりじゃない。この人たちがいれば、母さんにもう一度会える!」


 マナミは黙り、宙を見つめて考え込む。

 時間を気にしながらも、その母さんと言うのが誰なのか、俺は質問した。

 意を決した彼女は、ヒバには聞かせたくなかったけど、と前置きして口を開く。


 マナミとヒバの面倒を見た“母”リョウコも、彼らと血の繋がりは無い。

 篠目のパートナーとしては最古参の女性で、ヤツが無名の一研究者だった頃からの知り合いだと、本人は語っていた。


 篠目がこれ程の成功を収めたのは、マナミとリョウコの二人がいたからだ。

 特能研究を独占できたのは、マナミの複製能力があったから。

 圧倒的な財を築き、シノメグループの礎を作ったのにはリョウコの特能が役立った。


 近接予知能力者フォーキャスター、篠目涼子。同姓を名乗っていても、籍は入れていなかったらしい。

 たった三秒先を予見する能力だが、株取り引きにでも活用すれば、驚異的な効果を発揮する。

 リョウコの力をしゃぶり尽くした篠目は、彼女が力を失った半年前、タワーから追い出して顧みることは無かった。


「捨てたのよ、ゴミみたいに。あの男の本性を、私はとっくに知っていた」

「ボクも分かったよ。ここにいちゃダメなんだ」


 ヒバの言葉に、ようやくマナミも頷く。

 リョウコを助けるのなら、セーフルームにあるディスクが欲しいと言われたが、それはもう奪取済みだと即答で返した。

 無理を承知で申し出たマナミは、俺たちの手際の良さに心底驚いたようだ。

 腹を括ったなら急げ、そう発破を掛けようとした時、窓ガラスがぶち破られる音が響く。

 九階へ進入したレスキュー隊員が、要救助者を探して怒鳴った。


「誰かいたら返事をしろ!」

「奥にいる、来てくれ!」


 助けに来た隊員は二人、どちらも赤い制服を着て、防煙マスクを付けている。

 俺の腕にしがみついて立つマナミを見た彼らは、運ぶのを代わろうと手を差し出した。


「大丈夫、自力で歩けます。それより、七階にまだ人がいるんです!」

「分かりました。困った時は、すぐ大声で呼んでください」


 マナミが歩けるというのは虚勢に近く、よろつき具合はヒバより酷い。壁や手摺りがなければ、一人では移動できないだろう。

 割れた窓にまで戻った俺たちは、待ち構えていた隊員を外に見る。


 タワーに派遣されたのは、二連籠式の大型梯子車だった。

 二つの電動籠が、梯子を昇降して人を運ぶ。その内の一つが最上部に来て、隊員は籠の中から手招きしていた。


 地上に降りても救急車には乗るなと、マナミへ小声で念を押す。俺の意図を理解した彼女は、小さく頷いて窓へ進んだ。

 籠とタワー壁面には、スニーカーの縦サイズくらいの隙間がある。

 マナミだけでは危なっかしいところだが、レスキュー隊員が安全を保証した。


「私の目だけを見て! 絶対に掴むから、心配は要りません」


 倒れ込むように窓外へ身を乗り出したマナミを、隊員はガッチリと抱えて籠に乗せる。

 ドンッ、ドンッと、螺旋階段の方から大きな衝突音が聞こえた。

 融着されたドアを破るべく、隊員たちが手斧を使い出したのだろう。軽く薄い扉だったので、突破は時間の問題だ。


 続けてヒバとヒナギを送り出すと、俺は次の籠に乗ってくれと指示された。見れば下から、もう一つの籠が上昇してくる。

 マナミたちと行き違い、昇ってくる籠には隊員が一人しか乗っていない。

 籠はガチャンと上端で停止して、前の柵を開きながら隊員が叫んだ。


「お待たせ、撤収よ!」


 ヒナギ無しでレスキュー隊に混じるのは、苦労しただろうと思う。

 ここまで彼女が上がって来る必要があるのか、実のところかなり疑わしい。現場で仲間を迎えたい、そんな意地から、サヤは隊員に紛れることを主張した。


 彼女は端に寄って、俺の乗るスペースを空ける。

 さあ、跳ぼうと窓枠に足を掛けた時、猛獣の咆哮が真横から近づいた。

 ドアを開けた隊員二人を押し退け、篠目は決死の形相で俺を睨みつける。


「しつけえっ!」


 こいつこそ、真のストーカーになれる資質がありそうだ。

 相手にせず籠へ移ろうした俺の足へ、篠目のアポートが襲い掛かった。

 ふくらはぎを押さえて唸る俺を見て、サヤが籠から飛び出そうとする。


「援護する!」

「来るなっ!」


 篠目のアポートに、重力操作では太刀打ちできない。

 篠目の剣幕にたじろいだレスキュー隊員も、ヤツを止めてはくれないだろう。

 なら、対抗手段はないのか。

 いいやまだ最後に、とって置きがある。


「予備を使え!」


 サヤにはこれで、俺の言いたいことは通じた。

 地下構造体に仕掛けた未使用の爆薬を炸裂させるべく、彼女は端末から起爆命令を送る。


 九階でも感じる地響きとともに、セントラルタワーが揺れた。

 サヤ個人では、タワーを倒壊させる量の爆薬は用意できなかった。予備を総動員しても、篠目の城は僅かに傾くだけだ。


 ほんの数度、軸がぶれ、九階の床が傾斜する。

 続けざまに白紙化を食らい弱った篠目では、その傾いたフロアに抵抗し得ない。

 篠目が膝を突いたのと同時に、アポートの圧力が消え去る。


 窓へ飛びつき、サヤの待つ籠を見据えて足に力を篭めた。

 傾斜が籠との間隔を広げてしまい、目標まで三メートルはあろう。


「跳ぶぞ!」


 コクリと首を縦に振ったサヤは、重力操作を連続で発動していく。

 俺の頭部を、肩を、胸を、能力が保つ限り減重して、俺を受け止めるつもりだ。


 窓枠を全力で蹴った俺は、地上約五十メートルの空中に踊り出た。

 三センチだろうが、三メートルだろうが、届かせてやる。

 仲間が必死で伸ばした手に、届かなくてたまるか。


 サヤの右手が、俺の右手を力一杯握り締める。

 軽くなったとは言っても、そこらの子供くらいの重さはあったはずだ。

 衝撃に呻き、苦悶に口許を歪めながら、サヤは俺を引き上げた。


 息も絶え絶えな彼女に代わって、俺は降下ボタンを押し込む。

 動き出した狭い籠にしゃがみ込み、俺たちは軽く拳をぶつけ合った。


「はぁっ……減量もさせとくべきだったかな」

「よしてくれ、肉が食えなくなるじゃん」


 二階分くらい降りた時、窓から篠目が顔を出して、何やら吠え叫ぶ。


「挨拶してやれ」

「イヤよ、あんなクズ。構いたくない……けど、まあ」


 へたっていたサヤは、おもむろに姿勢を正し、仇敵に向けて指を突き立てた。侮辱を最大限に表すアレだ。

 まだ緊張を解く場面ではないが、地上に着くまでの間、俺たちは頬が緩むのを隠したりしなかった。


 籠が止まり、梯子車から降りた途端、ヒナギが出迎えてくれる。

 車の周辺には、惰眠を貪る隊員たちで溢れ返っていた。篠目の指示があったのか、特襲隊員の姿まで見える。


「これ全部、ヒナギが眠らせたのか?」

「ほとんどマナミ。この十分くらいの記憶を、みんなから消した」

「へえ……」


 衰弱していても、さすがに強能力者ということだ。

 俺は感心した声を出したが、マナミの来歴を聞いたサヤは、眉間に深く皺を寄せて目を逸らす。

 彼女の様子に少し危うさを覚えつつも、無理に声は掛けけずにおいた。

 ヒナギの手が空いたお蔭で、黒熊も救急車の隣へ回せた。救急隊員に化ける計画は、もう必要無い。

 

 敵の増援が広場に差し掛かったタイミングで、黒熊は猛スピードでサクラザキを後にする。

 バックミラーには夜空を背景にして、斜めにかしいだセントラルタワーが映っていた。

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