29. 八階の攻防

 篠目の話を聞きたかった気もするが、彼女の心意気に文句は言うまい。

 眠りこける男の両手に手錠を嵌めて、俺はコア本体へと歩み寄った。


「篠目は警戒しとけよ。手錠なんて、拘束にならないかもしれん」

「何の特能持ちか分かったの?」

「同類だとよ。アポーターだ」


 同じ能力だから、篠目の攻撃を凌げた――そう考えると納得がいく。等しい波長なら、お互いに干渉し合える。

 この男は、俺の腕をもぎ取ろうとしやがり、それを俺が打ち消した。


 前腕の筋骨をちぎり得る力の強さに、二メートル以上の間隔を空けて発動できる対象距離。どちらも俺より遥かに強力だ。

 黒箱やコアの封印も、篠目が優秀なアポート能力者なら、自分だけが中身を取り出せる仕組みとなる。


 そうなると、複製能力者は別にいることになるが、先に本題を済ますべきだろう。

 何かと偉そうな先輩アポーターから、俺は目の前のコアに意識を切り替えた。


 無電流でもドアと連動しかねない、だったか。

 セーフコアの重さを変えずに、中のディスクだけを抜く。さて、そんな曲芸も強能力者なら出来るのか? どうだろうな。


 強力な奴ほど、自分の力をちゃんと理解していないのが常だ。俺には教えてくれる仲間もいたし、短期間ながら練習もした。

 コアに触れないように注意して、約三センチ離れた空中に左手を静止させる。

 右手に握るのは、ウエストポーチから取り出したブランクディスク。それぞれの手から同時に、アポートの触手を膨らませた。


 貸し金庫から奪った黒箱、その中身をアポートした時のこと。俺は包帯を巻いた右手で、チップを受け止めた。

 裂けた包帯に引っ掛かりを覚えた彼女は、あとで部屋を這いずり回り、切れ端らしきものを発見する。

 包帯が解けたのは、一部が消し飛んだためでは、と考えたサヤは正しかった。


 その翌日が、殻付き落花生のアポート。

 ピーナッツを受けた右手は水中にあり、中身を抜かれた殻が床に残った。

 殻が濡れる理由は無いはずなのに、サヤが割ると水が垂れる。これで仮説は実証された。


 左手からしかアポート出来ないと、誰が決めた?

 ずっとそのやり方を続けて来たのは、楽だったからだ。

 言わば左が利き腕で、右は添え物。しかし、やりづらかろうが、右手にだって力はある。

 意識を変革し、やれると信じて、俺は右でコインをアポートすることに挑戦し続けた。


 半日後、両手にコインを握った俺がアポートで左右を入れ替えると、サヤは手を叩いて喜んだ。

 両利きのアポーター――交換能力者スイッチャーの誕生だと独自の命名までしてくれる。


 厳密に言うと、右で完全なアポートは無理だ。

 左を補助するのが右手の役目であり、右単独でアポートするのは難しいと、サヤは分析していた。

 左右の同時発動、これが条件。文句は無い。


 弱い能力は、精密さに優れる。これも特能の一般的な傾向だろう。

 コアに収納されたディスクを抜き、ブランクディスクを寸分違わぬ位置に送り込む――サヤはこの任務を俺に課した。


「お前には無理だな、篠目」


 大雑把なアポーターには、不可能な芸当を見せてやろう。

 最上段にある一枚目。が触れたと同時に、を同期させる。

 傍目はためからは、何の変化も感じられなかったに違いない。


 領域に在る物なら、なんだって取っ替えてやるさ。見たか、これがスイッチャーだ。

 全く同じに見える有機ディスクを、ヒナギに渡して鑑定してもらう。

 その間に次段の一枚を、またスイッチさせた。


「記憶が古過ぎる」


 ヒナギがディスクを返してくるのは、目的の物ではないということ。

 一応、外れのディスクもポーチに収めて、三枚目、四枚目とスイッチを繰り返す。

 スイッチもヒナギの鑑定も、秒速の素早さで処理されていった。


 のんびりやっていては、索敵中の特襲がここまで上がってきてしまう。

 八枚目も突っ返されたのを受けて、俺はさすがにコアは見当外れだったのかとヒナギに尋ねた。


「誰かのフル記憶なのは確かだけど、サヤも母親も出て来ない」

「他の場所に目当てがあるなら、厄介だぞ。ほら、九枚目だ」


 この九枚目で初めて、ヒナギは記憶の主を特定する。

 幼いサヤと、佐木上洞哉が登場する思い出――母、エリサの記憶だった。

 彼女の勘に過ぎないが、ディスクは上から新しい順に並んでいると言う。九番目がエリサなら、最後の十枚目が洞哉だろうと推測された。


「これでラストだ。調べてくれ」


 十枚目の中を複写で覗いたヒナギは、ハッキリと首を縦に振る。

 これがサヤの父をコピーしたディスク。ヒナギの言うことが合っていれば、佐木上洞哉が何かしらの発端だったということだ。

 額の汗を拭い、端末を手に取った。


「サヤ、見つけたぞ!」

『ん……』


 サヤが言葉を詰まらせたのは、ほんの一瞬だけ。

 即座にいつもの彼女に立ち返り、リーダーとして指示を出す。


『発煙筒を焚いて、九階へ!』

「リョーカイッ!」


 コアに仕掛けられたセキュリティシステムは無発動に終わり、無事に目的も果たした。

 残るは撤収だけだと、部屋の入り口へ向いた俺は、床に落ちる手錠を見て顔を歪める。


「もう起きたのかよ、あの野郎!」

「私が先に行く。見つけ次第、また眠らせたらいい」

「ダメだ。アイツのアポートは、俺じゃないと防げねえ。さっきみたいに後ろから狙え」


 いくら何でも、篠目の覚醒が早過ぎる。どうすればそんなことが可能なのか、俺はサヤに尋ねた。


『……複写に耐性があれば、少しくらいなら動けるかも』

「耐性って、白紙化が効かないのか?」

『そんなことはない。ただ、短時間に三度目の複写だったんでしょ? 普段から複写を受けてる人間なら、回復は早まるよ』


 特能を万全に使えるほどは回復していないだろうとも、サヤは言う。

 だから篠目は、一度逃げた。ふらつく頭で俺たちに対抗するには、何か武器が要るのだ。

 篠目が求めるものは、彼自身が大声で教えてくれた。

 セーフルームの回廊を走る俺たちにも、階上へ怒鳴り散らす声が鮮明に伝わる。


「敵だ、降りてこい! 少しは手伝え!」


 部屋の外周に出たところで、螺旋階段の下で這う篠目を見つけた。

 上から増援が来る様子も無い今が、再拘束するチャンスだ。

 それは背後にいたヒナギも同じ思いだったようで、忠告されたことも忘れて、俺の前へ飛び出した。


 手摺りを頼りに立ち上がった篠目が、彼女に向かって広げた左手を突き出す。

 ヤツの対象にさせてはいけない。

 俺はヒナギの背中へ飛び掛かり、篠目から隠すように倒れた彼女に覆い被さった。

 篠目へ上げた俺の顔が、その左目が、アポートされようと波動を放つ。


「おおおっ!」


 前回感じたのより遥かに弱い力ではあったが、篠目の攻撃は執拗だった。

 弾けそうな目玉を手で押さえ、自分の触手・・でアポートを打ち消しに掛かる。


「どいてっ、ショウ!」

「ヒナギ、やめろ……」


 対象を切り替えられたりすれば、今のヒナギには防ぐ手段が無い。アポートを耐え切り、ヤツの気力が萎えた時こそ、彼女の出番だ。

 まなじりから血が滲み、指の間から滴り流れる。


 だが、ヒナギは一か八か、自分が決着をつけることを選んだ。

 強引に俺の下から藻掻き出た彼女は、ブランクメモリを掴み出して篠目を狙う。

 俺の目を襲っていた圧力が、嘘のように霧散した。


「クソがぁっ!」


 ヒナギへ向き直ろうとする篠目へ、俺を見ろとばかりに叫んで駆ける。

 勝負は刹那、発動の早い者が勝つであろう。

 篠目のアポートとヒナギの複写デュプリケート、両方味わった俺には分かる。勝者は――篠目だ。


 ヤツに飛びついて殴り倒すには、あと一メートルが遠い。

 篠目の動きが、スローモーションに見えた。

 腰を捻り、ゆっくりと左手を横に滑らせる。


 狙いが定まれば、それでジ・エンド。動きが止まった時には、ヒナギの顔なり腕なりが吹き飛ぶ。

 複写の白塗りでは、発動してしまったアポートを消し去れやしないのだ。


 まだ平衡感覚の怪しい篠目は、右足を前に出してバランスを取ろうとした。

 その足は持ち上がること無く、より上体を傾けて膝から落ちる。


 まさかの敵失。これほどのチャンスを、ヒナギが逃したりはしない。

 空白化が発動して、篠目の脳が虚無に返されると、この強敵は三度みたび地に伏せた。


「ヒナギねえちゃん」


 螺旋階段の上から、ヒナギに加勢した青年が降りてくる。

 旧知の顔に、彼女は瞬時、戸惑った表情を見せた。


 彼がタワーにいるのは、皆が薄々予想していたことだ。

 融着能力者メルター、ヒバ。

 その頬はこけ、髪は毟られたように薄く、顔も手も黄色く染まっている。

 ヒナギが話した幼い容貌とは似ても似つかず、俺だけではヒバだと認識出来なかっただろう。

 彼がホームを去ったのは、確か五年前。人は五年で、ここまで老いるものなのか。

 特能障害の末期症状を目の当たりにして、ヒナギの声色も硬い。


「ヒバくんが助けてくれたの?」

「靴を融着メルトしたんだよ」


 ホームを卒業後、その能力を飛躍的に開花させたヒバは、篠目に囲われる形でタワー九階に移り住んだ。

 警報が鳴ろうが動かなかった彼も、敵と聞いて八階に降りる。

 ところが、篠目が言う敵は、ヒバが慕った友人だ。どちらに加勢するかは知れたことだったと言う。


 ヒナギはこれまでの経緯を聞き出そうと、ヒバへ寄っていく。

 それを邪魔するつもりはなく、俺は自分の仕事を優先した。

 壁に並ぶ窓のレバーを回し、下部を押し込んで二十センチほどの隙間を開ける。この階の窓は、全開してもこれが限度だ。

 ヒナギたちから離れて五枚の窓を開放した後、発煙筒の起動ピンを抜いて床に置いた。


 濛々もうもうと噴き上がる煙で、瞬く間に廊下が満たされていく。

 視界が急速に奪われる中、ヒナギたちの元へ戻り、さっさと九階へ上がれと促した。


「サヤ、発煙筒を焚いたぞ」

『先に通報しといた。五分、そこで待ってね』

「ヒバがいた」

『……敵?』

「とりあえずは味方っぽいな」

『脱出したさそうなら、一緒に逃げて』


 螺旋階段の先、九階へのドアも、鍵はついていない。

 篠目もまた目覚めるだろうし、特襲もいる。上へ入ってこれないように家具で扉を塞ぐことを提案すると、ヒバがやると申し出た。


「融着の方が早いよ。でも、どうやって逃げるつもり?」

「下は面倒な連中がウロウロしてる。なら、ここから逃げるしかないだろ」

「ここからって……」


 八階の窓を開けたせいで、警告サイレンはまた大きく聞こえるようになった。

 そのうるさい音に、もう一種類、別のサイレンが混じって近づく。


 サクラザキ中央区を担当する特別高度レスキュー隊が、セントラルタワーへと急ぐ音だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る