28. 対峙

 七階へのゲートを前にして、ヒナギが俺の背中に抱き着いてくる。

 躊躇ためらいが無い彼女へたじろぎ、思わず遠慮を求めてしまった。


「そんなにくっつかなくても」

「一人に見せ掛けるんだから、密着した方がいい」


 首を捻って彼女を見返すと、その肝が据わった眼差しに、俺の場違いな動揺は一気に萎む。

 チェックゲートを潜ってさらに少し階段を上り、七階へのドアをもう一度カードでロック解除した。


 フロアへ入ると警報サイレンが小さくなり、喧騒が遠のいたように感じる。

 一階から続く階段はここが終着で、八階へは裏手にある別の階段を利用しなくては上がれない。

 俺たちは中央のメインサーバー室に沿って、回廊を半周進む。


 簡単に見つかった上り階段も施錠されており、特別権限が通用することを期待してカードを握った。

 読み込みセンサーは――無い?


「物理錠ね。普通の鍵が要る」

「ここに来て磁力鍵マグネットキーかよ」


 今でも古いアパートなら、旧型の物理錠も使われる。

 ハイテク仕様のタワー上層で見ると、ギョッとする昔の遺物だが、かえってセキュリティ効果が高いと目されたのか。


「ま、これなら破壊・・は楽だ」

「よろしく」


 鍵穴に左の中指を添えた俺は、アポートを発動させた。

 対象は何だって構わない、感知したパーツを手当たり次第に右手へ送る。連続アポートも、プレートに悪戦苦闘したあとだと児戯に等しい。

 微細なピンやスチール板が、床の上にバラバラと撒き散らされた。

 精密部品に次いで、サインペン大のロックバーが二本、フロアに落ちて跳ね転がる。


「これで開くだろ」


 ドアレバーに触れた瞬間、そのレバー金具自体が落下して、扉は自然と手前に開いた。

 八階への階段を駆け上りながら、サヤへ報告を入れる。


「もうすぐセーフルームだ」

『オッケー。篠目には注意してね。アイツ自身が強能力者かもしれない』

「先に見つけられるかが、勝負の分かれ目だな」


 八階へのドアは施錠されておらず、レバーを押し下げても抵抗が無い。

 そのままフロアへ進入する前に、ショルダーバッグのファスナーを開けて、いつでも中身を取り出せるようにしておく。


 ライターにネズミ花火、携帯用のコンパクトミラー、発煙筒。警察のものほど頑丈な造りではないが、拘束用の手錠も準備した。

 重い金属扉に使うチタン製のドアストッパー、これが三つ。硬く黒い三角形の塊だ。


 装備に漏れが無いのを再確認して、ドアを静かに少しだけ開ける。

 人影は無く、物音もしない。

 九階へ行くにはフロアの反対側、回廊の外周に接して螺旋階段が設けられていた。階段の向かい側が、セーフルームの入り口だ。


 また廊下を半周、今回は篠目を警戒しながらゆっくりと歩いて行く。

 フロアには俺たち以外存在せず、篠目とも出会わずに螺旋階段まで辿り着いた。


 物音、正確には話し声が階上から漏れ聞こえる。

 怒鳴っている声は、ニュース動画で聞いた覚えがあり、篠目で間違いないだろう。相手の声は小さく、男女も判然としない。

 篠目の他にも誰かが九階にいるようだが、それが幸運と言えるかは疑問だ。


 セーフルームの入り口は、銀色の平滑な金属ドアで、脇に掌紋センサーが付いている。

 その上には小さなカメラレンズも在り、虹彩認証なども併用しているのだとか。


 ともかくも、ターゲットがいない内に細工を済ませようと、まず鏡を手にした。

 家具も観葉植物の鉢も無い殺風景さでは、小さな鏡でも隠し置くのは難しい。篠目には、見逃して欲しいところである。

 廊下外周の壁下に、角度を調整してコンパクトミラーを立て掛けた。


 円形の廊下だと先の見通しが悪く、俺たちが螺旋階段から離れてしまうと、その姿は見えない。

 逆に俺からは、鏡像で九階から下りて来る様子が観察出来た。

 観察と言っても、極小サイズの鏡像では、誰かが階段を下りて来たと分かるくらいだが。


 屋内で範囲も狭いとなれば、動体センサー球よりも、こんな原始的な方法が確実かつ充分に役立ってくれる。

 しゃがみ込んだ俺は、顔を床に近づけて、鏡像の変化を注視した。


 八階に下りた篠目が、俺たちがいない方向へ回廊を進んだ際は、背後から近寄って襲う。これが最も安全な方法だ。

 這いつくばった姿勢で一分も待った頃、やっと階段のステップを踏む音が届く。

 俺は右手を挙げて、背後で待機するヒナギにターゲット接近を教えた。


 現れた篠目は、俺のいる方向へと廊下を進み始める。この場合は、花火に活躍してもらおう。

 立ち上がった俺は左手にネズミ花火を持ち、右手にライターを握った。

 足音を頼りに篠目との距離を計り、引き付けたところで花火に点火する。


 導火線が燃え出したネズミ花火を、床を滑らせるように横投げした。

 デタラメな方向に跳ね回る、昔ながらの玩具花火。

 火花が弾ける音に混じって、驚いた篠目の唸りが聞こえる。


 前に踏み出した俺より早く、横を駆け抜けてヒナギが前に出た。

 ベテラン複製能力者デュプリケーターの前でよそ見などすれば、致命傷を招く。

 弾帯からブランクメモリを抜いたヒナギは、花火を目で追いかける篠目を視界に入れた瞬間、その脳を白塗りした。


 タワーの長はなす術も無く、膝を折って頭から倒れる。額が激突する音からして、タンコブの一つくらいはこしらえただろう。

 グレーのスーツは高級ブランドなのだろうが、ネズミ花火がその上に跳ね乗った。

 繊維が焦げる臭いが立つのを、これくらいは自業自得だと放置する。


「何分複写した?」

「五十秒くらい。五分も寝てないから、急いで」


 俯せで転がる篠目を跳び越した俺は、ヒナギへと振り返った。

 彼女は篠目の傍らにひざまづき、俺を見上げてメモリを握り締める。

 ウエストポーチから、空データの有機ディスクを一枚取り出して、ヒナギに見せ付けるように前へ突き出した。


「しっかり見とけよ」

「いつでもどうぞ」


 挑発、そして複写。

 用事が済んだらコンパクトミラーを拾い、倒れる男が映る位置へ移動させる。

 回廊の奥に引っ込み、また鏡を眺めながら、サヤに途中経過を連絡した。


「ヒナギの複写まで完了した。そっちの準備を始めてくれ」

『待ちくたびれてたんだから。発煙筒を焚いたら知らせて」

「それだけど、九階にも人がいるみたいだぞ」

『……強敵かも。逃げるのを最優先にしてね』


 篠目以外にも、配下には複数の強特能者がいておかしくない。

 特にサヤの父を真っ白にした複製能力者がいるのなら、目を合わせただけで昏倒させられてしまう。


 八階に人が降りて来る気配は無く、誰であっても部屋に篭っていてほしい。なんなら、撤収までそのままがベストだ。

 最高階の住人を想像していると、篠目の身体がモゾモゾと動き出した。

 小さ過ぎて表情まで分からないものの、二度の複製を浴びて行動は鈍い。


 肉眼で観察するために、俺は足音を忍ばせて回廊を前進する。

 目の端に、呆ける男の姿が入った。

 しばらく棒立ちしていた篠目は、突如ジャケットの内ポケットから端末を取り出してがなり立てる。


「機密データを盗まれた! 一階出口を封鎖して、特襲に八階まで索敵させろ!」


 ヒナギの複写が、これ以上は望めない成果を導いた。

 クソッと、大きな悪態を吐き、篠目は猛然とセーフルーム入り口へ向かう。


“ディスクはもらった。悪く思うなよ!”


 そう言われたことを思い出したら、ヤツも焦ろうというもの。

 ヒナギに向けて演じた俺の小芝居を、篠目は自分の記憶として植え付けられた。


 難攻不落のセキュリティを突破され、犯人は階下へ逃走する。どうやって? そんな疑問が、篠目の心中で渦巻いていることだろう。

 ほとんど反射行動のようなものだと思う。人間は、確かめずにいられないのだ。

 本当に盗まれたのか、それを知るために、篠目は自らの手でセーフルームのドアに手を掛けた。


 掌紋、虹彩、耳形をパスして扉が開く。

 第一ドアを抜け、怒る篠目が第二ドアへと闊歩した。

 歩行パターン、体臭が二つ目のロックシステムに伝えられる。


 第一ドアが閉まる前に、俺はチタンのストッパーを下端に噛ませた。

 ギシギシと軋みを上げて、扉が三分の一ほど閉まりかける。そこで何とか踏み止まったものの、そう長くは保ちそうにない。


 背後の様子も、走り出した篠目の耳には届かず、第二ドアの奥へ。

 俺はこちらにもストッパーを噛ませたが、扉の圧力が強く、ジワジワ開いた隙間が詰まっていった。

 手で押し返そうと、俺とヒナギがドアの端を掴む。


「ここは私が。ショウは篠目を追って」

「頼んだぞっ」


 第三ドアに行き着いた篠目が、大声で怒鳴った。


「開けろ、リョウコ!」


 空気圧で滑るドアの起動音――声紋とパスワードをクリアして、最後のドアが開いたようだ。

 内円を全力で半周しつつ、俺も下にいる仲間へ指示を出す。


「サヤ、やれっ」

『オーケーッ!』


 地下構造体では、かなりの爆発が起きたはずだ。制電装置が粉微塵になり、タワーの主電源が喪失する。

 本来なら、一拍後には予備電力に切り替わるところを、八階を適用外にするように俺が潰した。

 異常が発見されれば対処方法もあろうが、サイレンの響く緊急時に誰が即応できようか。


 セーフルームとて、電気が無ければタダの部屋でしかない。

 ハロウィンに相応しい暗闇の中、開いたセキュリティドアはその状態で固定された。


 バッグを下に置き、手錠だけを持って中央の部屋へと近づいていく。

 セーフコア室も真っ暗ではあったが、サヤには警戒するようにアドバイスされた。


 図面を調べた際に、彼女は篠目の癖を発見する。

 この男には、かなめのセキュリティを旧時代の仕掛けに頼る傾向があった。

 実際、最上階にはエレベーターが無く、ドアは物理錠。セーフコアの最終セキュリティも、機械式であって不思議ではない。

 第三ドアは開放されているようだが、通電していなくても再びロックされる可能性が未だに存在した。


 荒事は避けたいが、篠目が出てくるようなら、羽交い締めにでもして時間を稼ぐ予定である。奴の注意を俺に引き付ければいい。

 慎重にドアから中を覗こうとした、その時、俺の腕を強烈な力が襲う。

 腕の芯が爆ぜるような、激痛を伴うプレッシャーだ。

 片膝を突きながらも、精神力を総動員して爆発を抑えた俺は、こちらを見下ろす男を睨み返す。


「まさか耐えるとは、同類か。出来損ない・・・・・め」

「どういう意味だ?」

「アポーターは一人で十分だ。やはりセンターへ――」


 返答の途中で、またもや篠目は崩れ伏せる。


「友人の悪口は言わせない」


 追いついたヒナギが、俺の肩越しに全力の空白化を放っていた。

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