26. 積み木崩し
摩擦係数がやや低いプレートを積み重ね、一層分の土台とする。
大型地震の際はこのプレート群が揺れを吸収して、上のタワーが被害に遭うのを防ごうという仕組みだ。
柱や鉄骨が地震で歪んだ場合、プレート部分には二千トンの重量が掛かる。
普段でも千トン近い重さを引き受けるプレートは、黒箱と同じ超硬セラミックで作られていた。
組まれたプレートを一枚だけ引き抜こうとしても、膨大な圧力に逆らうこととなり、普通は不可能だ。
ドリルや小型掘削機を使って割るのも、その硬度から不可能に近い。
タワーの土台を潰したかったサヤは、特能で対抗しようと考えた。
そして見つけたのが、俺と言うわけだ。
彼女はまたサインペンを手にして、プレートの側面に次々と×印を書いていった。
今度はハンドドリルではなく、アポートを要求する俺への目印である。
プレート一枚は約四十キロ、冷凍庫と同じ重さだった。
サヤのマークは十五枚、黙って抜き取り作業に入る。
左手から右手へ、アポートに逆らう重量にたじろぎつつも、一枚目のプレートが抜き去られた。
右手の下に置かれた台車へ、セラミックの塊がドンッと乗る。
精神力を求められる仕事だが、スピードに不足は無い。
十五枚を抜き去るのに七分、慣れればもっと短縮できそうだ。
プレートを脇に捨てに行くために、台車の持ち手を握った時、それは自分の役目だとサヤが走り寄って来た。
防震プレートを抜くことに集中して、アポート後の処理や柱への工作は気にするなと言われる。
柱にも大きくマーキングしてあるのは、サヤが担当する場所だった。
「表面の一列を抜いただけじゃ、全然足りない。トンネルを作るみたいに掘り進んで」
「やるけどさ。崩れねえだろうな?」
「今、地震が来たらヤバいかも。まあ、大丈夫よ」
「うーん」
計算も繰り返したし、勘もフル動員させたと、サヤが受け合う。
勘と言っても、彼女の場合は馬鹿にしたものではない。何年と、重力操作をひたすら試してきた特能者の勘だ。
どこを抜いても大丈夫か、
「ミニ台車を並べてくれ」
「オーケー」
穴が深くなれば、小さな台車にプレートを乗せて、紐で引っ張り運び出す必要がある。
これも
時刻は午後八時過ぎ、俺たちは二時間ほど地下でプレートと格闘してから、ヒナギの待つ外へ出た。
定刻に従った行動だが、時間さえあれば、まだ続けられそう――そんな不完全燃焼気味の俺に、力は明日のために取っておけとサヤが忠告する。
除去し終わったプレートは、彼女が希望する量の四分の一程度だ。
残りは翌朝八時半から、休憩を挟みつつ、夕方五時までに全てを取り除く予定だった。
人通りの激減した中央区を後にして、俺たちはビジネスホテルにチェックインする。
サヤとヒナギがツインルームで、俺は狭い個室を予約してあった。
顔と手を洗い、ロビーに下りて再び二人と合流し、近所のイタリアンレストランで食事を取る。
全自動のチェーン店で、注文したメニューがベルトコンベアで流れて来る安い店だ。
ピザを口に運びながら、俺はサヤの計画に変更が無いか確認した。
「事前の調査とも、図面とも
「篠目がいなかったら?」
「プランBね。可能な限りの情報を集めて、強奪は順延する」
地下構造体に工作したことは、来月頭の定期メンテナンスで露見するだろう。
労力を無駄にしたくなければ、近日のタワー侵入はもう決定事項だった。
Bのプラン、つまり篠目不在の際は、無理に突入してもディスクへ到達できないだろう。
どうせなら絶好の機会である明日、篠目がタワーに引き篭っていることを願った。
打ち合わせを終えた俺たちは、さっさとホテルへ戻ることにする。
朝までやることは、休息以外に何も無い。
端末の目覚ましを午前七時にセットして、俺は薄い布団の中へ潜り込んだ。
◇
早寝が効を奏して、起床を知らせるチャイムより早く目が覚める。
軽くシャワーを浴び、身嗜みを整えてロビーへ。どうせ服も顔も汚れるだろうが、ちゃんとした方が気合いも入るというもの。
ロビーでは既に、気力十分な顔をしたサヤとヒナギが待っていた。
ホテルに入っているレストランで朝食を取った時点で、まだ七時半。
「少し早いけど……行く?」
「だな。待ってるとイライラしそうだ」
ヒナギも頷いたことで、三十分早くタワー攻略作戦が開始された。
俺たちは耳に
サヤと俺はすぐに地下へ。受信状況を良くするため、今日は共同溝にいくつも中継アンテナを設置しながら進んだ。
昨夕に引き続き、俺は地下構造体を崩しに掛かる。
午後五時までは、ただただアポートするだけの単調な作業だ。抜いたプレートを片付けるサヤも、筋肉を酷使する重労働となった。
アポートの力が弱まると、短時間の休憩を取る。
その間もサヤは忙しく動き回り、火花や薬品を散らせて柱への工作に励んでいた。
ヒナギは一人、地上での作業に就く。身体は疲れなくとも、彼女が担う仕事は多い。
広場に赴いたヒナギは、イチョウの根元にアイテムを隠し置いて回ったはずだ。
地下侵入口や、タワーの監視もしつつ、車内で盗聴データの解析も進める。これが最も重要な彼女の任務だった。
三回目の休憩時間、ちょうど正午になろうという頃、昼の差し入れを持ったヒナギが地下に現れる。
タマゴバーガーとスポーツドリンクを俺たちに手渡し、彼女は盗聴の結果を直接報告した。
「篠目は午後三時に、三階の会議室で開かれる検討会に出席する」
DMは午前中にタワーに着き、ヒナギの端末へ音声データを送り始める。
上級以上の研究室は防諜対策が施されているらしく、得られたのは三階までの記録だ。
彼女は何も、盗聴された音声を自分の耳で分析したりしていない。
キーワードを登録し、職員が篠目の行動に言及した部分を抽出した結果、見事にいくつかヒットした。
下級研究員が参加する検討会は、三時に始まり、五時に終わる。
土日も祝日も潰れる仕事量に、篠目への悪口も散見された。
篠目はやたらと時間に厳しく、三秒で未来が変わるなどという標語を掲げているらしい。会議の終了時刻は、正確に守ってくれるだろう。
五時以降は
この情報に満足したサヤは、大きく頷きながら、俺たちへ宣言する。
「プランはAで。決行は午後五時三十分、いいよね?」
「おうっ」
「了解」
ヒナギがファーストフード店で買ってきたタマゴバーガーには、薄い合成肉のパテも挟まっていた。
これも肉には違いなく、俺のパワーが少しでも早く回復するように、気を遣ってくれたのだろう。
オマケ付きの特別セットで、安かったのだとも言っていたが。
有り難く二個を平らげて、スポーツドリンクを一気飲みした俺は、作業を再開するために立ち上がった。
壁に空いた穴の奥へ、肘で這って進んで行く。
背後から、サヤが着替えるから覗かないようにと注意してきたので、そんな暇はねえよ、と返した。
四十キロのアポートには慣れてきたものの、ペースに余裕は無い。頼まれたら覗いてもいいけども。
午後二時、休憩で穴蔵から出た俺は、残りノルマは二百五十枚だと告げられた。
プレート壁に空けた横穴は四つ、位置も長短も不揃いだが、サヤが言う通りにアポートした結果だ。
ここからの三時間は、単純な穴掘りとは雰囲気が変わる。
一枚抜く毎にサヤの指示が出て、アポート後に俺が様子を叫んで知らせた。そう、慎重に行かないと危険な領域に入ったのだ。
プレートを抜くと、軋みが地鳴りの如く穴の中で反響する。
音はすぐに止むとは言え、何度か肝が冷える思いをした。
千トンの重量が、ほんの僅かに基礎構造を歪め始めていた。
まだ一ミリ単位の歪みで、タワーに影響があるようなものではない。大体、柱のみでも支えられるように設計されているのだから。
崩れるとしたら、最下部を虫食いにされた防震プレートの壁であろう。
生きた心地がしない作業を、サヤの激励が後押しする。
残り五十枚、時間は一時間を切ったのを機に、俺は彼女を信じてラストスパートを掛けた。
アポート直後でなくても低い唸りが発生するようになり、リラックスして能力を発揮するのが難しい。
無理だと感じたら中断して、壁の表面を抜こうと、サヤは提案してくれる。
しかし、自分でも何故は分からないが、サヤに「出来ない」とだけは言いたくなかった。
午後五時十八分、最後の一枚を抜き去ると、穴の外から拍手がされる。
這い出た俺は、思いっ切り肩を回しつつ、サヤへ拳を掲げてみせた。
「やったぜ!」
「おつかれさん。最強アポーターに認定してあげる」
赤色の制服姿になっていた彼女は、俺も変装しろと、白衣と首から提げるIDケースを渡してきた。
IDカードは、拾ってきた画像をプリントしただけの偽物だが、らしく見えればそれでいい。
ディスクホルダーの収まったウエストポーチを腰に巻き、ナイロン素材のショルダーバッグを持って、サヤに見た目をチェックしてもらう。
俺が研究員モドキになったのを見て微笑んでいたサヤは、オーケーを出すと真剣な面持ちに戻った。
「走った方がいいかも。五時半には集まってくるから」
「全部で何件、電話したんだ?」
「四十二。前払いしたんだから、来なかったらクレーム物よ」
作戦は密に連絡を取りながら、三者が別々に動いて進行する。
サヤはこの地下構造体に残り、俺の持ち場はタワーの正面広場。共同溝を駆け出したタイミングで、ヒナギから連絡があった。
『都市管理事務所の前に到着。管理端末が見える場所で待機しとく』
彼女は管理事務所が最初の持ち場で、仕事が済んだら俺と合流する手筈だ。
五時二十五分、広場隅のベンチに腰掛けて、人の流れを窺った。
カップルや観光客らしき人間まで散策しており、それなりに人が歩いているのは都合がよい。
そう言えば日曜日だったのを思い出し、これもサヤが狙ったのかと感心する。まあ、偶然だろうが。
その偶然が、勝機を呼び込んでくれよう。
気の早い街灯が点り出した、秋の夕暮れ。
十月三十一日、俺たちが準備したハロウィンの狂騒が始まろうとしていた。
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