25. 地下坑にて

 握り拳の倍はある錠前を外すのは、工具があっても難しい。

 アポートで狙うのは、そこじゃない。

 蓋の左右にある蝶番は、コンクリートの土台に太いボルトで留められている。左右六本ずつ計十二本、こいつを外す。


 一本目の頭に手を置き、ボルトを右手へ送ろうとすると、冷凍庫をアポートした時に似た抵抗を感じた。

 神経系を引っ張られる、アレだ。


 単にネジ留めされただけならば、もっとスムーズに引き抜けただろう。

 ボルトとコンクリートは別の素材であり、どれほどの圧力で噛み合っていようとも、アポートなら意に介さず分離できる。


 そう簡単に行かなかったのは、ボルトを打ち込む穴に接着剤が充填してあったからだった。

 抜かれまいと抗うボルトを、出来て当たり前だとアポートの触手で掴む。


 接着剤は融着しているわけではなく、所詮ボルトとは別の物体だ。

 スチール製のボルトのみを抜く、そこを正確に規定できるかが成否を左右する。

 ゴトン、と十五センチ長のボルトが地面に転がった。


「ふふ、今なら鳥骨も抜けそうね」

「かもな。精肉店でバイトするか?」


 一度出来てしまえば、残り十一本はもっと素早くアポートしてしまえた。

 穴に乗るだけとなった鉄蓋を、二人でずらし開ける。

 ペンライトで中を照らしたサヤが、先に降りるべく梯子に足を掛けた。


「蓋は閉じといてね」

「おう、暗くなるから気をつけろよ」


 俺もあとに続き、中から重い蓋を片手でずり動かす。

 サヤが三キロ減らしてくれたが、ボルトのアポートより難渋した。


 梯子を降り切ると、地下はLEDの弱い光で照らされており、周囲の構造くらいは見て取れる。

 狭い小部屋に扉が二つと、さらに下層へ降りる縦坑が一つ。

 サヤがそれぞれの標示板にライトを向けて、行き先を確認した。


 より深い場所にあるのが豪雨時に使われる雨水管で、今回は用が無い。

 共同溝は扉の先に在り、壁で二つに仕切られている。

 右の扉は上下水道関連へ、俺たちの行き先は左、電気・通信共同溝だ。


 サヤは無施錠のドアを開き、現れた通路へ進んだ。

 突き当たりを右へ曲がる下階段を経て、何本もの太いケーブルが横たわる地下トンネルへと到達する。


 アーチを描く天井は、最も高い場所で三メートル近くはあり、それほど狭っ苦しい感じは受けない。

 入り口脇のスイッチを入れると、壁に等間隔で設置された白色照明がともり、ひたすら奥へ続くトンネルの長大さが見通せた。


 コンパスで方角を確認したサヤは、黙々とゴールを目指して歩き始める。

 二百メートル強を移動すれば、タワーの真下に着くだろう。

 ゴム底のスニーカーを履いていても、二人の足音は大きく響き、余韻が後を引いた。


 途中で二度、他溝へ移動する脇道があり、サヤが汎用端末に地下地図を映して、表示された情報と照らし合わせる。

 地下溝の配路図面は、俺と知り合うよりずっと以前に入手したものらしい。

 都市が新設された頃のデータだそうで、現在の様相と変わりないことが分かると、彼女も少し安心した顔を見せた。


 突き当たりはのっぺりとした壁で閉ざされており、この向こうへケーブル群が送り込まれている。

 俺たちは、壁を越えた先にこそ用事があった。

 コンコンと硬い壁を叩いてみたサヤが、リュックを下ろした俺へ振り向く。


「何をするにしても、これを潰さないとダメ」

「爆破するのか?」

「まだ大きな音を立てたくない。腐らせ・・・ましょう」


 てっきりサヤは爆薬を持ち歩いていたのだと思ったが、どうも違うらしい。

 サインペンで壁にいくつもバツ印を付けていった彼女は、マークの位置を穿孔するように指示した。


 俺は持ってきたハンドドリルで、言われた通り小指の太さくらいの穴を空けていく。

 その間に、サヤが自分のリュックからポリボトルを出して、腐食剤の準備をした。

 薄くオレンジ色が透けて見えるボトルは、ドレッシングでも入っているようだ。腐食菌による生物性分解剤だと説明されたが、原理はどうでもいい。


 二十分ほどで三十の穴を穿うがち、その全てに分解剤を詰める。

 オレンジの生クリームを押し込んでるみたいで、これまた食べ物を連想した。

 三十個の穴は、壁に円を描いて並ぶ。

 腐食が成功すれば、壁をぶち抜いて、直径一メートルくらいの進入口が生まれるはずだ。


「どれくらいで腐る?」

「約一時間。先に荷物を運びましょ」

「もう一往復するか」


 作業場所が確定したことを受けて、俺たちは本格的に機材を運び込むことにした。

 これらを実際に使用するのは、明日の朝からとなろう。深夜は警備の目にも留まりやすくなる上に、音も響く。

 作業は八時過ぎ辺りまでにして、今夜はホテルで休む予定だ。


 二百メートルを逆戻りして地上に出ると、ヒナギが車を近くに停めて進入口を眺めていた。

 管理事務所は問題無かったと報告した彼女は、引き続きこの場の見張り役をやってくれる。


 俺とサヤで爆薬を含む必要物を、地下へと運び入れる作業が始まった。

 最初の縦坑が一番面倒で、荷物にロープを掛け、俺が慎重にそれを下ろしていく。

 地下でサヤが荷物を受けて、最初に渡した手押し台車の上に積んだ。


 爆薬ジェルと起爆装置、小型発電機に大型ドリルと鋼材カッター。火花から顔を守る防護マスクや、腐食剤の追加もある。

 階段では、また一つずつ機材を運んだものの、直線溝に入ると台車のお陰で難なく進めた。

 キャスターの転がる音が耳障りだったが、これくらいなら地上にいる人間も聞き逃してくれるだろう。


 突き当たりに戻ってきたサヤは、腐食の進行具合を確かめ、もう少し掛かりそうだとしゃがみ込んだ。

 俺も彼女の横に腰を下ろして、茶色く変色した壁を見つめる。

 サヤの見積もりだと、あと二十分はここで待つことになりそうだった。


「会う前に、ショウの記録を調べたんだけど」

「みたいだな。面白いもんじゃないだろ? 特能以外は、平凡な人生だ」

「平凡ではなかったよ。七歳までの記録は真っ白だったし」


 暇潰しなのか、以前から気にしていたのか、彼女は壁に向いたまま俺に尋ねる。


「両親の話を聞いてもいい?」

「……知らないんだ。顔も、声も。小学校に入った時から、親戚に預けられた。覚えてるのは、そこからだ」

「それは、事故か何かで?」

「交通事故だな。俺だけが生き残ったのはいいけど、ショックで全部忘れたんだろうって」


 その事故の記憶もあやふやで、叔父から教えられた話が大半だった。

 叔父夫婦はお世辞にも優しかったとは言えず、夜中に俺のことで喧嘩するのも寝床から聞いている。

 仕方ないだろう、だったか。

 俺の養育が補助金支給の条件だったらしく、そんな事情は高学年に上がる頃には気づいていた。


 追い出されるように高校から寮へ入り、金だけ送られる生活に変わる。

 叔父たちと顔を合わせなくて済むようになったのは、正直なところ気が休まる思いだった。


「三人とも、似たような境遇ってわけかあ」

「そうだな。でも、サヤはここからひっくり返すんだろ」

「……うん」


 サヤは特能認定を受けておらず、支援学校も飛び出して、住所不定でやってきた。

 親から継いだ遺産があったにしても、俺より厳しい子供時代だったのは想像に難くない。


 お互いの昔話をポツポツと教え合っている内に、半時間が過ぎた。

 ハンマーを握ったサヤは、壁に歩み寄って変色部分を削ってみる。

 コンクリートは細かな破片となって崩れ、簡単にえぐり進めそうだった。


「削って貫通させてもいいけど、アポート出来ない?」

「冷凍庫よりは軽いのかな。やってみよう」


 冷凍庫どころか、進入口のボルトよりも抵抗が弱い。

 背後に回した右手の先に円盤状のコンクリ塊が出現し、床に激突したあとゴロゴロと転がって行った。

 壁には人がくぐり抜けられる穴が生まれ、奥には暗い空間が覗く。

 ライトをくわえたサヤが先に入り、中を観察し終わると、穴から声を掛けた。


「荷物を寄越して」

「全部か?」

「発電機は重いから、そこでいい」


 木箱や機材を手渡し、発電機に繋いだケーブルも中へ送る。最後に俺自身が穴へ入り、サヤの横に立った。

 天井はかなり高く、目の前の壁までは十メートルほど。

 太い鉄骨の足場がビッシリと組まれ、各種ケーブルや配管が複雑に分岐しつつ上へと向かう。

 湾曲した内壁には細かい溝が縦横に刻まれ、煉瓦積みのサイロを思わせた。


「この空間がタワーの外周に当たる部分。あのブロック型の内壁が、タワーの中心軸ってわけ」


 端末に図面を表示させた彼女は、俺に画面を見せながら、現在地点と目標ポイントを指で差した。

 セントラルタワー地下構造体、ここですべきことは大きく二つある。


 内壁に沿って、しばらく鉄骨フレームの中を右回りに進むと、制電設備と緊急用の予備発電システムが現れる。

 この予備電源を潰せと、まずはサヤの指示が下された。


 潰し方は彼女が教えてくれるので、俺は言われた部品をアポートするだけだ。

 スチールボックスや制御盤に左手を当て、細かな部品を抜き捨てる。

 単にケーブルを切断するとメンテ要求が上へ伝達されるため、内部を破壊するのが適切なのだと言われた。


 機材のいくつかは、この制電設備の前に運び、俺たちは内壁へと近づいた。

 巨大なタワー土台のサイズでは、接近すると湾曲していることを忘れそうになる。


 赤茶色は煉瓦に似ていても、ブロック一つが幅五十センチはあった。

 縦は二十センチもなく、プレートが重なっていると表現した方が正しいかもしれない。

 内壁全てがプレートで覆われてはおらず、約十メートル間隔で白い円柱が立っている。


「地下構造体は二層になってて、もう一階下は通常の基礎工事がされてる」

「そっちは行かなくていいんだろ?」

「うん、お目当てはこのプレート群。耐震設計の最先端、多層防震建築板よ」


 セントラルタワーは、この馬鹿デカいミルフィーユの上に乗っているのだとか。

 俺の仕事は、タワー相手の積み木崩しだった。

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