23. 計画
サヤの父、佐木上洞哉の記憶がどこに隠されたかを探すには、ヒナギの複写能力が絶対不可欠だ。
彼女はこれまでに何度か、サヤの記憶を取り込み、母エリサの顔を知った。
有機メモリに収められた記憶に、母か幼いサヤが登場すれば、それが父のものと断定できる。
メモリチップとして、今も篠目は持っているのか。あったとしても、それをセントラルタワーに保管しているのか。
いくつもの仮定をクリアして初めて、サヤの願いは叶えられよう。
厳重な警備を突破して侵入した先にメモリが無かったとしたら、その時は次の場所を探すだけだとサヤは事もなげに言った。
「これだけ詳細な図面があるなら、どんなセキュリティが敷かれているかも想定できる」
「三重扉は厄介そうだぞ?」
「生体認証なら、開けること自体は簡単。篠目本人を使えばいいだけだもん」
昏睡させても指や瞳を認識させることは可能だが、そう単純な仕掛けだろうか。
俺の心配を他所にして、セーフルームのドアはともかく、中央の“コア”が難物だとサヤは指摘する。
彼女が図面をどんどんと拡大していくと、部屋の中心に立つ円柱が画面いっぱいに映った。
名称はセーフコア、中空構造のシリンダーで、高さは一メートル、直径は十センチと細い。
外殻が上にスライドして開く仕組みで、中は棚状になっており、九段の円盤が仕切板を構成する。
「形とサイズからして、多分、収納されてるのは有機メモリディスクと断定していいと思う」
棚の端に置かれた缶を、サヤが指で示す。俺が取って来てやると、中を開けて一枚の円盤を取り出した。
「これがそう。大きさもこの工業規格のまんまじゃないかな」
「市販品なのか?」
「家庭用には使わないけど、大型サーバーとかの記録媒体はこれよ」
直径は約五センチ、厚みは六ミリのディスクは、純白のセラミックケースに収められていて見た目より重い。
二枚を綴じ合わせたケースは、捻ると中身が一部露出する仕組みだそうだ。
埃に弱いため、ヒナギが複写する時以外は開けないように注意される。
「コアを開けて、ディスクを盗ればいいんだな。セーフコアの開け方が問題なのか?」
「コアの外殻は、被さってるだけみたい」
「ん、どういう意味だ?」
「上に乗ってるだけ。ロック機構が見当たらない」
なら瓶の蓋より簡単な話だ。殻を外せばいいじゃないかと言った俺に、サヤは首を横に振った。
一応、封印された可能性を考慮すべきだと。
「封印って……あっ」
「黒箱の前例があるから、
「また
「それは大丈夫。どうも計算が苦手なのね、ショウは」
ディスクが通常サイズなら、コア外殻の厚みは最大でも三センチ以下だ。
アポート可能な範囲に収まると教えられて、俺はサヤの悩みが分からずに混乱した。
俺とヒナギがセーフルームへ到達すれば、万事解決だろうに。
「コアには電気が配線されていない」
「置いてあるだけなのか?」
「そう。パネル状の土台の下は精密部品が詰まっていて、シャフトが部屋の扉にまで繋がってる。気になるのは土台の名称」
「その丸い台座だな。名前はセンサー、か」
「何のためかは勘頼りだけど、敷板型のパネルセンサーなら、圧力を検知してるのかも」
圧力、つまり重さを測る感知器だと彼女は推理してみせた。
有機メモリが抜き去られ、重量が減ってしまうと反応する仕組みだろうと言う。
センサーが働いた結果、招く事態にはいくつか考えられた。
警報が発令され、警備室などから人員が派遣される。これだと、現場から逃げるのに戦闘となろう。
扉と連動しているなら、逃走を封じ込められることも有り得た。セーフルームのドアが、再び閉じてしまう可能性がある。
三重の壁で区切られた部屋は、壁と壁の間が二つの回廊となっていた。切り株の年輪か、バームクーヘンを連想させる。
一番外側の壁には、北側にドアが存在した。
二番目は南、内側はまた北に入り口があり、最深のコアへ辿り着くまでに回廊を一周する必要がある。
コアの前でドアを閉められたら、外に脱出する時間は到底稼げそうもない。
「セーフルームの鍵を開け、中に侵入してメモリを奪い、閉じ込められたりせずに撤収する」
「難易度
「そうね。各階にも、セキュリティドアがあるもの」
「でもまあ、方策は考えてるんだろ?」
「うーん」
計画を決めるには、もう少し時間が欲しいとサヤは答えた。
図面で確認すべきことは多いし、俺のアポート能力も、さらに検証したいらしい。力をフル回復させるために、今夜はしっかり寝てくれと言われる。
ヒナギもまだ完調していないので、俺たちはサヤを作戦ルームに残して先に部屋を出た。
食堂の片付けを二人で済ませ、早々に自室に戻って寝ることにする。
疲れてはいたものの拘置所での戦闘が思い出され、またタワー攻略を想像すると、今夜もまた寝付きは良くない。
布団を被ってうつらうつらとしながら、好きに思考を飛び回らせた。
荒事に身を投じるなんて、一週間前には夢にも思わなかったことだ。悪くない、と感じる。
実験台で生活費を得る日々よりも、ずっと張り合いがあった。それでサヤが喜ぶなら、一石二鳥だろう。
深夜を回って、かなり経った頃だったろうか。
一度、エレベーターの到着した音が枕元にまで届き、夢心地のまま寝返りを打つ。
その後はくたびれた身体の欲求が上回り、朝遅くまで眠り続けた。
◇
廊下をバタバタと歩く足音に目を覚まし、床に放り出した上着を引き寄せる。
ポケットから端末を出して時刻を表示させると、午前十時を過ぎていた。
ラフな格好に着替え、髭剃りを片手に外へ出た俺は、大きなバッグを抱えたヒナギと鉢合わせする。
「すまん、寝過ごした。何の荷物だ、それ?」
「遠征用の着替えとか。能力実験がしたいって、サヤが三階で待ってる」
「あいよ」
広くなった車に、あれこれと遠出のための荷を積み込んでいるようだ。
行き先は聞かずとも知れる、サクラザキ以外にないだろう。準備を始めたのなら、サヤの計画に目処が立ったということ。
洗面所で髭を剃り、冷たい水で顔を洗った俺は、スッキリした頭で下階へ向う。
昨夜と同じく、サヤは作戦ルームに陣取り、モニターを睨んでいた。
テーブルの地図は、プリントアウトしたセントラルタワーの図面に置き換えてある。
寝坊を詫びる俺に、回復を優先して欲しかったから構わないと彼女は笑った。
そんなことより、と、席を立ったサヤは俺を廊下へ連れ戻す。
「これをアポートしてみて」
「……冷凍庫?」
業務用の古い冷凍ストッカーを、どこかから引っ張り出してきたようだ。
上蓋式で幅は一メートルと少し、白い塗装は黄ばんでおり、角は錆び付いて汚い。
結構な重量がありそうで、キャスター付きとは言え、運ぶのは二人掛かりだったであろう。
「これの中身を抜けばいいんだな」
「違う、この
「デカくないか。何キロあるんだよ」
「大体、四十キロオーバーってとこかな」
不可能だと万歳する俺に、コツを掴んできた今なら出来るとサヤは主張する。
かつてマネキンや重量物のアポートに失敗したのは、半端な常識が邪魔したからだと。
「特能は物理法則に従った力じゃない。
「だからって、サヤの力も視覚依存じゃねえか。デタラメは不可能だ。仮に冷凍庫をアポート出来ても、受け止める右手がへしゃげるぞ」
「受けずに落とせばいいじゃん。麻痺弾を捌いてたの、私も見てたんだから」
彼女が指摘した通り拘置所のアポートでは、出現した弾を右手の先から床へとバラ撒いた。
必ずしも手の平を上向けて受けなくても、アポートは成功する。やりづらいだけだ。
冷凍庫の蓋に左手を置き、右手は水平に横へ伸ばす。
サヤを見遣った俺は、直方体の鉄塊に意識を集中――しない。
気合いも無意味。自然体が大事なのは、十分に
左の物を右へ。舌や声帯を動かすのと同じで、そこに複雑な思考は必要無く、ただ移した結果を求めるだけ。
しかし、メモリチップを転移させるのとは訳が違う。
俺の脳や脊椎が、左へ片寄ると言えばいいのか。神経系を引っこ抜こうかという強烈な牽引力に、目がくらむ思いをする。
ドンッと廊下の床が揺れ、へし曲がったキャスターの破片が飛び散った。
空中にアポートした冷凍庫は、三十センチの高さを落下して、
「成功よ! やっぱり出来るんじゃない」
「げ、限界ギリギリだって。今度こそ、このサイズと重さが俺の目一杯だ」
「対象距離は三センチ、最大荷重は四十キロ超。最初っから、これを期待してたのよ、ショウには」
「最初から?」
セントラルタワーの攻略は、サヤが長年温めてきた計画だ。
セーフルームは図面を得てやっと詳細を掴んだものの、ビルそのものへの侵入方法は、既に立案していたと言う。
アポーターを見つけてサヤが喜んだのは、図面入手ももちろんだが、対タワーの要になると考えたからだった。
「じゃあ、いよいよその計画を話してもらおうか」
「もう一つ、実験が残ってる」
「まだあんのか。何をアポートさせる気だよ。冷蔵庫か? 電子レンジか?」
「昼ご飯」
「うん、腹は減ったな。で?」
「ナッツと鶏肉を炒めたエスニック風」
それは美味そうだ。今から作るそうで、実験内容も言わずにサヤは調理場へ俺を連れて行く。
先に彼女から頼まれていたヒナギが、下拵えと一緒に実験用の準備も終えていた。
床には水の張った大きなバケツ、その右横にホーローのトレイ。
左側にはピーナッツ――殻付きの落花生が山と積まれる。
「この落花生を、割らずに中身だけ取り出してトレイに移して」
「これ全部? 無理だって」
「五、六個でいい。但し、右手はバケツに入れた状態で」
水に手を突っ込んで、アポートしてみせろということだ。
しかし、落花生って。豆は畑の肉とでも言いたいのか。
釈然としないまま、俺は水中アポート実験を開始した。
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