20. シュリンカー
床を滑っていく箱の行方を、目の端で追う。
スルスルと移動したセーフボックスは、アクリル壁の下端に接着して止まった。
この壁の厚みを調べるのに、サヤは手こずったそうだ。
自己修復性強化アクリル合板、銃弾を受け止め、高熱にも耐える壁の厚さは二・五センチ。
刑務官と箱の間に位置取りして、その視線が異物を捉えるのを防ぐ。
ヒナギが仕切りドアの前に立ったのに合わせて、やっぱり俺も面会したいと申し出た。
面倒そうな顔を隠しもせず、刑務官は改めて俺の検査を行う。
この時、目隠し役をやるのはヒナギの番だ。
ウエストポーチと端末をカゴに入れて、俺も金属チェックを受けた。
ボタンやホックまで咎められるほど精密な検査ではなく、ポケットも空となれば面会許可が下りる。
ドアを開けた刑務官に続き、ヒナギ、そして俺の順で内部廊下へ踏み入った。
二人を先に行かせて、俺はコソコソとアクリル壁にもたれ、ゆっくりと腰を屈める。
スニーカーの紐を解いたところで、俺がついて来ないことに刑務官が気づき、後ろを振り向いた。
「何をしてる?」
「靴紐が解けたんです。先に行ってください」
「それは出来ん。面会時間が減るのが嫌なら、急いでくれ」
中ドアを潜った時点から計測が始まり、十分で面会は強制終了される。山芦は、既に部屋で待っているはずだ。
刑務官の目を気にながら紐を結び直した瞬間、俺は両手を背中側へ回した。
ベルトを
右の手の平に重みを感じたと同時に立ち上がり、刑務官の方へと歩き出した。
手はダランと下ろし、自然な風を装って前後に揺らす。粘着テープで手の内に貼り付けたので、これくらいで箱は落ちないだろう。
刑務官はまた先導を再開して、廊下の中程にある部屋へと入った。
この面会室も、部屋の半分がアクリル壁で区切られている。
面会に来た者のために、プラスチック製の丸椅子が三つ置かれ、透明壁の向こうには山芦であろう青年がいた。
そちらには椅子は無く、山芦は手錠を後ろ手に嵌められて立つ。
部屋奥には扉があり、刑務官が一人。案内した刑務官も、入って来た扉の傍らに控えた。
同じ面会室と名付けられていても、ケアセンターの部屋とは趣が随分と違う。
極端に殺風景なのは、何が特能に利用されるか分からないからだった。
拘留中の特能者には、薬剤投与が推奨されている。
キツめの鎮静剤のような薬で、日常生活に支障は無いが、山芦の頭は少しボヤけていると思われた。
これが能力を完全に封じるほどの効果があるなら、俺たちの計画は大失敗だ。
正面から山芦を見ると、顔色の悪さがよく分かる。
病弱と言ってよいほどの痩せぎすで、無地の拘留服から覗く首はヒナギやサヤより細い。
それに目、特に左目の黄色さは黒目すら浸蝕しており、爬虫類のそれを思い出させた。
健康な肉付きであれば聡明な顔立ちなのだろうが、これでは薬物中毒者のようだ。
左右に頭が揺れ動く青年の姿に、縮小能力がちゃんと使えるのか少し心配になった。
椅子に座った俺は箱からメモリを剥がして、素早く隣のヒナギに手渡す。
手を握り合うような俺たちの仕草に、山芦は妙な誤解をしたらしい。
「同類かと思ってみれば、カップルが俺に何の用だ?」
「思い出して」
ヒナギは言葉と共に、複製を発動させた。
面会室での会話は全て録音されており、不穏な話をすれば刑務官に止められることもあろう。
山芦に協力させるには、こちらの事情を説明するのが不可欠で、それを口に出さずに伝えないといけない。
ここに来る前、俺はサヤのスピーチを拝聴した。
前置きも自己紹介も交えずに、彼女は作った原稿を早口で読み上げる。
時間はたったの十二秒。薬漬けの人間が混濁せずに受け取れる記憶量は、これで限界に近い。
――自分たちは、篠目の鼻を明かすために動いている。
本拠地のタワーへ侵入するために、黒い箱を縮小してほしい。
成功した際には、ニュースで派手に報道されるでしょう。
共通の敵を討つために、力を貸して。
サヤの言葉を俺が記憶し、それをヒナギがメモリへ写し取った。
面会するなり、スピーチを植え付けられた山芦は、顔を
山芦にすれば何の得にもならない要求を、唯々諾々と呑むものなのか。
決め手となるのは、彼が篠目像を破壊しようとした事実のみだ。逮捕されて尚、篠目に恨みを抱いているならチャンスはある。
大理石を恨む男だと言うなら、これまた作戦は失敗。頼むから、そんな珍妙な性癖は勘弁してくれと願う。
前に立つ山芦の揺れが治まり、俺とヒナギの手元を見比べた。
膝の上に置いた右手を少し傾けて、隠し持った黒箱を彼に見せる。
「篠目は、能力者を使い捨てにしてんだよ」
俺を見下ろす山芦は、
貫くようなその視線から目を逸らさずに、彼の語りを黙って聞く。
「ホームの特能者はな、ランクで使い
「…………」
「おっと、尋ねても無駄だったか。構わねえ、勝手に独りで話すさ」
その口調に、敵意は感じられない。
こちらの意図がきちんと伝わったようで、録音に対する配慮もしてくれた。
Bクラスと認定された山芦は、能力開発福祉センターへ送られる。
彼が言うところの“センター”では、特能者を実験台にした新薬検証が行われていたそうだ。
Aクラスは実働に投入する即戦力、そこに及ばないBクラスは特能開発の素体となった。
薬で能力の底上げを図り、成功すればAクラスへ。失敗すれば、“発現因子”抽出の母体として飼い殺される。
ちなみに、Cクラスは因子も産めない
酷い言い様にヒナギの横顔を窺ったが、特に気にした素振りは見えない。
能力向上に失敗した山芦はセンターに軟禁されて、造血細胞を提供し続ける日々を過ごした。
血を提供するか、特能の定期検査を受けるか、得体の知れない薬剤を注射されるか。
三種の
モルモット扱いをされれば、俺だって逃げ出したくもなる。
いくらか山芦の境遇に同情し始めたのは、しかし、早計に過ぎた。
「俺はBクラスだったんだ。それをアイツらが台無しにしやがった。薬を打ったら、能力はパーだ」
「特能を使えないのか?」
無言を通すはずだったのに、思わず問い質してしまう。縮小能力が使えないとなれば、拘置所へ来た意味が無くなる。
「無能のゴミにはなっちゃいねえ。でもな、最初は毎週使えたんだ。それなのによう!」
八日に一回という能力制限を、投薬で一日一回へ拡張する予定だった。
結果、
その後も下降は続き、現在では十八日に一回が精々で、縮小率まで〇・五パーセントから〇・三パーセントへ減じてしまった。
それでも能力を駆使してセンターのメイン電力を断線させることに成功し、山芦は城浜へと逃亡する。
シノメバンクの像が寄贈されたニュースは、街中を
像を破壊したのは衝動的な動機で、自分を低能力者にしたシノメが許せなかったと語る。
この男もまた、差別主義者だ。
俺としては、お近づきになりたくない人種ではあったが、能力が消えていないというのは朗報だろう。
一回くらいなら、小さい対象なら、発動できるかもしれん――そんなセリフと共に、山芦は俺の手元を一瞥する。
「篠目の泣きっ面が見られたら、痛快だろうなあ。そう思うだろ?」
俺は本当に小さく首を曲げ、頷いてみせた。
その刹那、右手に握った箱が、身をよじったように震える。
箱から強烈な熱が発せられ、手の平を焼かれる痛みに呻きを上げそうになったのを必死で噛み殺した。
火傷は必至、だがここで取り乱しては元の木阿弥になってしまう。
この時は、俺が強張ったのを察してヒナギが目配せしてきた。
面会はこれで終了だと、山芦が先に刑務官へ声を掛ける。
席を立った俺たちへ、こちら側の刑務官が確認をして来た。
「時間は余ってるが、終わっていいのかね?」
「はい。支離滅裂で、話が通じる相手とは思えません」
「まあ、そうだろうな。山芦はずっとあの調子で喚いとる」
痛みを
自分たちの荷物を回収して、エレベーターへ。
火傷は予想外だったものの、サヤの防犯ブザーが鳴ることもなく、俺たちは無事に拘置所の外へ――出られなかった。
一階に着き、エレベーターの扉が開いた瞬間、二つの
玄関前のホールには、三人の特襲隊員が待ち構えていた。
テーザーを持つ者は二人、その隊員たちに挟まれて、銀色のハンドガンを構える男が一人。
刑務官も後方に何人か控えて、こちらを窺う。
「動くな! 両手を挙げて、ゆっくりと
ケアセンターの時なら、膝を突いてから隊員が近寄り、手錠で拘束する流れだった。
接近したところを乱戦に持ち込み、武器を奪って逃走――そんな手順を考える。
俺の予定は、ハンドガンの隊員によってあっさりと
両手を挙げ切るより早く、くぐもった発射音とともに、ヒナギの肩に銀弾が撃ち込まれる。
これもニュース映像でなら、見たことがあった。特能者を制圧する麻痺銃だ。
弾は金属カプセルに針が付いた形状をしており、鎮静剤を注入して能力発動を阻害する。
後ろへよろめいたヒナギは、目を見開いて麻痺銃の隊員を睨んだ。
即効性の薬が全身に届くまでに、彼女が力を使うくらいの隙はある。
まして約一秒の記憶でよいなら、麻痺状態のヒナギでも発動させ得ただろう。
ポケットのメモリを素早く握った彼女は、麻痺役へ
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