18. 写せ
担架を運んだ四人が中へ戻るのを待って、俺は搬出担当へ近づき、その胸の前に左手を差し出す。
右手は腰の裏へ。
「何だ?」
「いや……あそこに落ちてるのは、カードじゃないか?」
目を細めて裏庭を眺めた男は、ロータリーを越えて芝生に落ちたカードを認めた。ちょっと遠くまで投げ過ぎたかもしれない。
「よく気がついたな。見て来るから、待っててくれ」
さあ、急げ――俺が号令を口に出さなくても、サヤはこの機を捉えて陰から飛び出す。
走る彼女は、俺からバトンのようにカードを受け取り、搬出口の端末に駆け寄った。
職員からアポートしたIDカードで、収容者リストを表示させる。
少しでもサヤを隠すべく、俺は彼女に寄って立ち位置を調整した。
職員が振り返るまで、十秒ほどの猶予しかあるまい。
詳細なデータを得るには時間が無く、そもそも男のカードでは権限不足だった。
過去全て、出所者も含む氏名と能力名の一覧が、モニター上に高速でスクロールされる。
サヤが頷いてみせたのと同時に、ヒナギが端末のメモリを複写した。
遠距離で壁の中を狙うのだから、難易度は高い。
現在通電中のデータを、闇雲に写す力業だ。端末に使われたメモリが単純な半導体でなかったら、上手く成功しなかっただろう。
長々と感じる数秒を経て、ウインドウから身を乗り出していたヒナギが、親指を立てて複製終了を示した。
サヤはリストを閉じて、俺にカードを投げて寄越し、全速力で輸送車へ走る。
彼女は後部ドアを開け、移送者が固定されたケージと車体との隙間に潜り込んだ。
ドアの閉まる音と、カードを拾いに行っていた職員が振り返るのは、ほぼ同時だ。
大きな咳ばらいで誤魔化し、俺は男が戻ってくるの待ち構えた。
「これはお前のカードだろう。どうやったら、あんなとこに落とすんだ」
「俺の?」
突き出されたカードをもらい、上着の内側からホルダーを出す。
ホルダーを持つのは右手、手の中には職員のIDカード。二枚のカードとホルダーを重ねて、バレないように職員のカードだけを抜いた。
「やっぱり、俺のじゃないよ。ひょっとしてアンタのじゃ?」
「馬鹿言え、そんなはずが……」
自分の胸ポケットを探った男は、愕然としてカードを見直す。
いつの間に、いや、番号はさっき確かめたのに――職員は納得出来ないと、眉根を寄せた。
「ほんの一瞬で、カードが飛ぶなんて有り得ん」
「念動能力のせいだとか?」
「念動……その移送者がやったと? そりゃ、無意識下で発動することも皆無じゃないが」
「車に乗せる時に発動したんだよ、きっと」
「だとしても、カードだけ動かすか?」
これもそうじゃないのかと、男の足元に落ちるペンを指す。
拾おうと腰を曲げた男に左手を
「確かに私のペンだ」
「あの茶色いベルトは?」
「はあ? どうなってる、ベルトも抜かれてるじゃないか!」
ここまでやれば、職員も特能の仕業と考える。物体を自由に動かす能力――
アポートなんて珍しい力は、まず候補には上らない。
移送者の鎮静化が不十分、能力暴走が発生したと、男は本部室へ報告を入れる。
端末へがなる声を背に、俺は輸送車に乗り込んだ。
麻痺剤を追加投与しろとか何とか叫ばれたが、様子を見てからすると適当にはぐらかし、ゲートの出場チェックを通過して車は外へ走り出す。
強化ガラスとスチールで出来た扉が、仰々しくガチャンと閉じた音を合図にして、ヒナギはスピードを上げた。
「もう十五分を過ぎた。時間が無い」
「マジか、飛ばせ!」
「やってる」
道路幅を目一杯使って、カーブは最短距離で処理する。
ブレーキは極力踏まず、僅かな路面の凹凸で車は大きく跳ねた。
最初のポイントに戻るや否や、俺たちは未だ道端で寝る二人の元へ向かう。
ヒナギと俺で運転手を運び、その体を必死でシートに押し込んだ。意識の飛んだ肉体は、重いことこの上ない。
強奪直前を再現すべく、車のエンジンも彼女が始動させた。
姿勢の調整と、記憶の複写をヒナギに任せて、サヤを助けに行く。
彼女はもう一人を引きずって動かすのに苦戦中だ。減重したくらいでは、さして楽にならなかったらしい。
また枝に寄り掛からせ、少しでも自然なポーズを取らせた頃合いに、ヒナギがやって来る。
この男にも、朝一番にメモリへ写した記憶を植えた。
どちらも別人の記憶であり、起きた時に強烈な違和感は覚えるだろう。事実、俺もそうだった。
だが人間の精神は意外に強靭なもので、白紙にされようが、偽の記憶を写されようが、時間の経過とともに正常化の力が働く。
辻妻が合うように、勝手に折り合いをつけてしまうのだ。
サヤの父が食らったのが本当に複製能力なら、尋常ではない圧力を浴びたとしか考えられない。
この眠る男たちの場合、覚醒した時の混乱さえ過ぎれば、何事も無く移送を再開してくれよう。
男のこめかみに指を当てていたサヤが、腰を上げて車へ歩き出す。
「こっちはもう起きそう。ドライバーはどうだった?」
「熟睡中だ」
「無理やり起こさないとダメか」
足を早めた彼女は、ウエストポーチのファスナーを開いてバッテリーを掴んだ。
俺とヒナギは先に隠れておけと言い、自身は電極を握る手を車内へ伸ばす。
パチンッと弾けた電撃音は、木立に紛れた俺の耳にも届いた。
体を屈めて走るサヤが、俺の隣へダイブしてくる。
枯れ葉にまみれたまま、彼女はドライバーの様子を尋ねた。
「起きた?」
「ああ、まだボンヤリしてる。後続は?」
「そろそろここへ着く。……もうっ、さっさと仕事しなさいよ」
端末を操作しながら、自分でも運転手に一瞥をくれたサヤは、いつまでも呆然としている男に文句を垂れる。
こいつが襲われたと自覚して、各所に連絡をいれると厄介だ。
少々不安を募らせて、成り行きを見守っていると、我に返った運転手はクラクションを二回鳴らした。
これが目覚ましとなって、前方に座る男も動き始める。
枝を片付けた彼は、首を傾げて輸送車に戻り、相方に何事か告げた。
「さて、どうなる……」
「上手く行きそうよ」
話す内容は聞こえないが、運転手の馬鹿笑いが山中に響く。道で寝てたのかよ、とでもからかったのか。
輸送車が発進すると、俺たちはホッと一息ついた。
次の輸送車が現れたのは、ほんの十秒後のことだ。続く車が無いのを端末で見て、サヤが撤収を宣言する。
「帰りも全速力で……ヒナギ?」
「ん、大丈夫」
立ち上がったヒナギは、ふらついて俺の肩を支えにした。
短時間に能力を連発したので、少し
よくあることで、心配は要らないと言うが、俺はヒナギの目の端が曇っているのを見逃さなかった。
「黄化が出てるじゃねえか。休んだ方がいい」
「能力を使わなければ、すぐ消える」
俺たちのやり取りを聞いていたサヤは、皆へ車へ乗るように急き立てた。移動を優先するつもりらしい。
「この山を抜けてから、休憩しましょう。ヒナギもそれでいい?」
「了解」
黄色くなる目は、危険信号に違いない。いくらかでも限界を超したことは確かで、これを続ければ神経障害が身体を蝕む。
複写は便利な力ではあるものの、無理を強いないように注意すべきだ。
ただ、車の運転は彼女に任せるしかなく、まだもう少し頑張ってもらうことになる。
ヒナギを案じた俺は助手席に乗ることにし、サヤは後部席で独りデータの解析作業に入った。
薮から出た軽自動車は、かなりの速度で山道を飛ばす。
車線を守っているため、輸送車の時よりは丁寧な運転ではあった。
「あのさ」
「なに?」
「また、運転の仕方を教えてくれよ」
「……いいよ。手が空いたらね」
あまり話し掛けるのも悪い気がして、山を走る間は無言が続く。
サヤもコピーしたデータを整形するのに手一杯で、汎用端末と格闘していた。
たまに彼女の舌打ちやら悪態が聞こえる以外は、遠くで鳥が
山道が終わり、一般国道に合流したところで、車は充電スタンドに立ち寄る。
乗用車用の無人スタンドには、俺たち以外に人は見えない。
サヤは車中で作業を続け、俺とヒナギは休憩に外へ出た。
錆びた自販機を見つけた俺は、缶ジュースを三本買ってヒナギの
彼女は壁際のベンチに座り、首を回して固まった筋肉を解していた。
ヒナギにアップルサイダーを渡して、俺も横に腰を下ろす。
「サヤには渡さないの?」
「仕事の邪魔だろ。このチャンスに、ヒナギは休んどけ」
「気を遣ってくれてるのよ、サヤは」
コピーしたデータを、端末で読み取れる形に整えるのは、大概はヒナギの仕事だそうだ。
サヤも一通りの知識は持っているものの、ヒナギほど生データの扱いに慣れてはいない。
サヤなりに、仲間の負担を減らそうと努力しているのだった。
もうすぐ正午、どこかで昼飯を食べてから、前津の拠点に帰ることになろう。
晴れた空を眺めて、俺とヒナギはチビチビと飲み物を口に含む。
最後の一滴を飲み干し、空き缶を捨てに立った時、サヤが車のウインドウを開けて叫んだ。
「見つけた! 二人とも、ちょっと来て!」
ヒナギと顔を見合わせた俺は、缶を処分してから助手席へ戻る。
一本残っていた缶コーヒーを渡すと、サヤはそれをグビグビと
「ありがと」
「いや、んで、何を見つけたって?」
発見までの流れを、彼女は
ゴミデータを切り捨てるのが、まず第一の作業。膨大な通信データの残骸から、欲しい名簿だけを残す。
次に得たデータをテキストとして読み取れる形式に修正して、検索クエリが適用できる能力者の一覧表を作った。
得られたのは識別番号、氏名、推定生年、能力分類、クラス、入所日と退所日の七つだけ。
転出先まで登録されたのは、ほんの一部に限られる。
簡易なデータでも、“能力分類”にヒントがあった。
サヤの端末画面を俺もザッと見たところ、多種多様な特能名が並んでいる。
発火や念動のようなメジャー能力よりも、他ではまずお目にかかれない珍しいものが多い。
サヤが注目したのは、今回もまた得体の知れない力だった。
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