17. 三センチの領域

 滴る肉汁が、熱い鉄板に触れて心地好く弾ける。

 湯気と共に、焦げたソースの匂いが漂い、鼻腔を刺激した。

 ああ、麗しきステーキよ。


 ナイフをその身に沈めて、一欠けらを切り分ける。

 繊維の詰まった歯応えを、ほとばしる旨味を想像しつつ、肉片をフォークで突き刺した。


「来いよ。肉の本領を味わわせてみやが――いったぁっ!」


 首の裏、右肩の付け根近くに激痛が走った。

 閉じていたまぶたをパッチリと開き、ステーキの映像を目の前の薮で置き換えていく。

 バッテリーと、そこに繋がった電極を両手に持ったサヤが、俺の顔を覗き込んだ。


「どう?」

「すまん、肉への思いが強過ぎた。今から頭を整理する」


 ホームへは正面ではなく、脇から裏へ回って搬出口に車を入れる。

 車体の識別信号と、移送職員が持つIDカードでゲートがアンロックされる仕組みだ。

 建物のドアは既に開いており、ホームの担当者が一人、壁の端末を操作して内部へ連絡を入れる。

 四人掛かりで車輪付きの担架が運ばれて来て、そのまま後部ドアを開いた輸送車へ。


 流れ作業とも言えるスムーズさで、三分の複写でも手順は理解できた。

 車がホームを出発したところで、それ以降の記憶が途切れる。


「最新の記憶を写したんじゃないのか」

「少しずらした。細かいコントロールは出来ないんだけど、上手くいったみたいでよかった」


 ヒナギが機転を利かしてくれなければ、進入手順が理解出来るまで、また別の輸送車を止めてコピーを繰り返すところだった。

 彼女に感謝しつつ、俺はサヤへ尋ねる。


「次も囮役をやってくれるんだよな?」

「私がやったからって、思いっ切り警戒されてたけど」

「俺だったら、問答無用で電撃を食らってたよ。やっぱり、可愛い子がやらないと」

「かっ……!」


 今回はわざとだ。褒めてノるなら、いくらでも褒めてやろう。

 サヤはまた囮を引き受け、次なるターゲットが来るのを待って、自分の汎用端末を睨む。


 単独でホームへ向かい、前後十五分以上別の車が存在しない輸送車、そんな条件を満たしてほしい。

 来なければ複数台の輸送車チームを狙うしかないが、それではヒナギの負担が増えてしまう。

 強力な複製能力も回数制限という弱点があり、彼女には余裕を持たせたかった。


 三台組、二台組と続き、しばらく間を空けて四台組の輸送車が通っていく。

 そこから一時間後の十時過ぎ、単独行動の車が来たものの、すぐ後ろに三台組が接近していたため、これも見送った。


「二台組くらいなら、決行した方がよくねえか?」

「そうかも……いや、来る」


 サヤが端末を操作して、輝点の動きを目で追う。

 次に近づくのは一台、後続は無し。


「今、ホームにいる三台が先に帰ってくれれば、これを狙いましょ」

「よし、位置につくか」

「端末を渡すから、合図して」


 ヒナギはホーム側、サヤは反対の南側へ移動し、俺は再び合図係を務めた。

 何を手間取っているのやら、ホームの輸送車はなかなか発進しない。

 単独車が先行してしまっては、車を奪うのに不都合が多い。絶好の獲物が、少しでもスピードを落としてくれるのを期待する。


 端末画面に映る点は一つ、じりじりとその動きを観察していると、ホームの近くに三つの点が光った。

 間に合うかは微妙なところか。


「三台が通り過ぎた直後に、ターゲットが来ると思う。用意してくれ」

『オーケー』


 俺の推測通り、ホームからの一団が通り過ぎる時には、狙う輸送車の駆動音が届き始めていた。


『まだなの?』

「バックミラーに映っちまう。寸前で道へ飛び出そう」

『人使いが荒い……かれないようにしてよ』


 去った三台が緩いカーブを曲がり、木立の向こうへ隠れた時、こちらへやって来る一台が入れ替わりに現れる。

「GO!」の合図を受け、サヤは道路の真ん中へと出て、転ぶように地面に伏せた。


 かなり近くまで来ていた輸送車は、急ブレーキをかけて車輪を滑らせる。

 サヤと車との間は、六、七メートルというところだ。彼女を危険に晒すつもりはなかったのだが、際どい距離に冷や汗が浮かぶ。


 この輸送車も、乗員は二人。運転手を残し、助手席の職員が車を降りた。

 男は高電圧銃を腰のホルスターから抜き、トリガーに指を掛けてサヤへ近寄る。随分と慎重かつ警戒した態度は、あまり嬉しくない傾向だ。


 俺はスニーカーの紐を解いて、静かに靴を脱いだ。

 ヒナギはもう、運転手の白紙化に取り組んでいる。項垂うなだれた運転手を横目にしながら、足音を忍ばせて道路へ踏み出した。


 特襲でもあるまいし、高電圧銃とは、たかが輸送担当にしては装備が物々しい。被輸送者が暴れた際に、電撃を撃ち込む腹だろう。

 サヤが遅れを取ることもなかろうが、今回は電極針を発射されること自体、避けたかった。


 舗装路の上なら、大胆に動いても大して音は立たない。

 男に脅され、膝立ちで両手を上げようとしていたサヤは、俺に気づいて言い訳をわめき立ててくれた。

 彼女の声が、走り寄る俺の足音を消す。


 さすがに背後まで接近すると、職員も気配を察知して、銃を構えたまま振り返った。

 銃口は俺の方へ向き、その発射口を押さえるように、俺は左手を伸ばす。


 ヒナギのように、目を見ただけでコピーなんて出来ないし、サヤの射程にも遠く及ばない。

 超近距離じゃないと働けない俺は、Cクラスも怪しい低能力者だ。

 だが、男が突き出した銃は、もう俺の手の平の先、三センチの距離にあった。

 引き金を絞ろうとしても、無駄というもの。

 三センチなら、届く。


「撃たせるかっ」


 銃は俺の右手へ。持ち主を変えた高電圧銃を、背後に投げる。

 虚空を握ることになった男は、何をされたのか理解できずに一歩下がった。


 銃が無ければ警棒だと、ベルトから伸縮型の特殊警棒を抜き、職員は頭上に振りかぶった。

 攻撃のタイミングで、男の身体が傾いだのは、サヤが援護してくれたからだろう。俺の肩口を狙った警棒は、少し緩く、下に狙いをズラして左腕へと下ろされる。


 練習の成果を発揮するのは、ここだ。瞬間発動、いや継続発動が可能なら、ちゃちな接触攻撃なんて脅威じゃない。

 打撃が成立するには、俺に触れる必要がある。


 三センチの領域は、そう簡単には破らせねえ。

 盾代わりに広げた左手が、領域を越えた警棒を消し去った。

 背後から近づく足音に、俺は思わずニヤつく。


「悪いな、俺の後ろを見てみろ」

「なんっ――」


 男はまともに見てしまった。セリフを最後まで喋らせてもらえず、職員はゆっくりと前に倒れる。

 俺はその体を支えながら、トドメを刺した仲間へ振り向いた。

 運転手に続き、二人目を処理したヒナギが、無事白紙化したと手を挙げる。

 服についた土を払いながら、サヤは俺の無茶にコメントした。


「私一人でも、時間は稼げたのに」

「そう言うなよ。心配したんだ」

「ま、まあ……助かったかな」


 ぎこちなくも礼を言うサヤに、ヒナギが「十五分」と宣言する。

 残り時間を知らされて、俺たちは慌てて行動を再開した。


 昏倒した男を引きずって道路脇へ、運転手も同じく車から下ろして端草の中に寝かす。

 職員はスーツ姿なので、上着だけ借りて俺とヒナギが羽織った。

 男からカードホルダーを奪い、一つは自分の首へ掛け、もう一つはヒナギへ渡す。銃と警棒は、俺だけが装着することにした。


 ヒナギがドライバー、俺が引き渡しの立ち会い役で、サヤは輸送ケージ内に乗る。

 助手席で靴を履き直す俺を横目に、ヒナギはきつめにアクセルを踏んで急発進させた。


 三人とも各自の汎用端末に、十五分からカウントダウンするタイマーを表示させる。

 ヒナギの経験則によると、職員たちは十五分以上、寝てくれるはずだ。

 三分の白紙化を二度掛けしており、目覚めるのにそれくらいは必要となる。

 急ぐ最大の理由は昏睡時間ではなく、後続車が迫っていることだった。およそ二十分後には、次の輸送車が来てしまう。


 道で爆睡する職員を見逃してくれたとしても、別の輸送員とホームでかち合うわけにはいかなかった。

 大人数を相手にしては、ヒナギでも扱い切れず、能力が枯渇するだろう。


 ホームを囲う白壁が迫ったところで、車はスピードを落とした。

 背の高い壁には、表裏の二か所に出入り口が空いている。

 壁に沿って右へ回り込み、裏の搬出口へ到達すると、電子ロックされた奥開きのゲートが在った。


 登録車両かは自動的にスキャンされ、ゲート前に突っ立ったカードセンサーへIDカードを掲げると、扉が滑らかに開く。

 壁と同様に真っ白なホーム本棟は、ゲートから直進して二十メートルほど先に見えた。


 真っ正面には、銀色に光る大きなオブジェが立つ。金属柱に大蛇が絡まるようなデザインは、少々グロテスクで趣味が悪い。

 建物前はロータリーになっており、このオブジェを回り込んで搬入口へ進む。


「裏口に飾りを建てるとはね。金が余ってるのか?」

「ここのは飾りじゃない。緊急時は、この像から特能の妨害波が発生する」

「へえ」


 特能妨害波発生器キャンセラーは、周波数の違う何種類かの音波や電磁波で能力使用を抑える装置である。

 結構な大音量を放つらしいと、俺も聞いたことがあった。特能を完全に封じるわけではなく、集中力が削がれて使いにくくなる、だったか。

 特襲の武器にも、似たようなものがあったはずだ。


 余計な連想はこれくらいにして、俺は前方に意識を向ける。

 ホーム側の担当者は一人、搬入口のドアは開放中。状況は、複製された記憶と同じである。

 ヒナギが輸送車を入り口前に横付けして、後部ハッチのロックを解除した。


 車を降りた俺は、車体の後ろへ回り、観音開きのドアを開く。

 その後部ドアを目隠しにして、すかさずサヤが車を飛び出し、側面へと隠れた。

 キャンセラーと車に挟まれる位置で、仮に監視カメラがあっても見えづらいはずだ。


 ホームの担当者へと歩いて行った俺は、受け入れ準備が出来たと伝える。

 職員は入り口の壁に埋め込まれたモニターに向かって、指示を出した。


「移送番号一○三二、受け入れ準備完了。搬出開始」

『一○三二、了解』


 俺は担当者の傍らに立ち、輸送車へ乗るヒナギを見遣る。

 彼女はシートベルトを外し、搬出口の端末がよく見えるように、サイドウインドウを開けていた。


 廊下の奥から押されて、担架が到着する。

 ベルトで固定されて眠る青年は、四人掛かりで車へ積み込まれた。

 “念動能力保持者”と、担架の端に札が貼ってある。これは使えるかもしれない。


 搬出口の担当者の注意が、輸送車に向けられたこの瞬間、俺は自分のIDカードを横手に投げ捨てた。

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