16. ホームへ
膨れたトートバッグを提げて拠点に帰ると、サヤは決行は明日の昼だと告げる。
ホームは能力を持つ子供を保護する施設だと自称しており、存在自体は公にされたものだ。
支援状況について取材したいと、サヤが電話で申し入れたところ、受け付けに来週以降をセッティングされた。
明くる二十九日の希望は、どれだけ粘っても断られる。最速で、三十日なら可能だとも。
「明日が移送日で、間違いないと思う。ホームは車で北上して二時間も掛かる山奥にある」
「ここから遠いのか?」
「
プリンターにセットされた白紙を一枚抜き、サヤは簡単な図を手書きしてみせた。
ホームへ通じる道は二本あり、一本は東の首都に、もう一本は南下後に国道に合流して、城浜やサクラザキへと分かれていく。
南下道の途中には脇道が存在し、先にはBクラスが収容される“能力開発福祉センター”が在った。
その脇道への分岐と“青少年福祉支援ホーム”との中間地点に、サヤはグリグリと黒丸を打つ。
「狙いはここ。B級を移送するための車を襲う」
「いつ通るかは、分からないよな?」
「ややこしい能力者もいるから、一台に一人だけ乗せたりもする。台数は多くて、移送時間もバラバラ。襲うのは、そのどれでもいい」
移送の様子は、ヒナギがくれた情報だ。サヤの言葉に間違いはないと、彼女は軽く頷いた。
発火能力者なら、耐熱壁を搭載した車へ。放電能力者であれば、絶縁体で覆ったケージで運ぶといった具合で、Bクラスだけで二十台近くが用意されているだろう。
午前九時くらいから現場で待機できるように、この日も打ち合わせ後は早く寝床へ潜り込んだ。
◇
翌朝の午前五時、俺たちは拠点を出発する。
俺とヒナギは、新しく仕入れてきたスーツを着込んだ。
無彩色の上下は、ホーム関係者の基本的な格好だと言う。ネクタイまで締めたヒナギの男装は、ライダースーツ並みに似合っていた。
サヤはいつもと同じで、動きやすい私服を選び、髪はペイズリー柄のスカーフで纏める。
大きめのウエストポーチには、黒箱や作戦に使う小物を入れたらしい。
スカートよりは楽だと言うヒナギの運転で、北を目指して車を走らせた。
一時間ほどで北の山中に入り、対向車は全く見なくなる。
サヤの父がいたケアセンターも大概な山奥だったが、ホームはその上を行く。
深い木々の中を蛇行する道筋は、鬱蒼と広葉樹が茂り、日の出にもしばらく気づかない有様だった。
ホームまで半時間という地点からは、サヤが数分間隔でヒナギに減速を命じ、サイドウインドウを開けて外へ向く。
センサー球のスイッチを入れた彼女は、適当な場所へと球を放り投げた。
道路脇に転がったセンサーは、車が通り掛かると反応して、彼女の端末に通知を送るだろう。
この作業をホームの手前、残り二、三分というところまで続ける。ここでUターンし、寝る前に定めた作戦地点まで戻った。
サヤが言うには、地図上で決めた位置よりも、実際は少しホームに近いらしい。
これは車を隠して停めるには都合の良い薮があったからで、車は道を逸れて路傍へ突っ込む。
指示されたヒナギは巧みにハンドルを操り、木の間を縫って進むと、低木の裏に駐車した。
サヤはノコギリを片手に車外へ出て、周辺の偵察へ向かう。
枝を切り出した彼女の姿を眺めながら、俺はヒナギの運転を褒めた。
「いい腕だ。ホームじゃ運転も教えてるのか?」
「サヤと会ってから、独学で覚えた」
「じゃあ、才能か。とても新米ドライバーには見えないな」
「まあ、そうね。特能が才能って言うなら」
彼女が機械類に強いのは、複製能力でチマチマと他人の脳をコピーしたお蔭だった。
ベテランドライバーに機械工、PCのオペレーターや漁師に至るまで、出会った人間の記憶を次々と自分へ刷り込んでいったそうだ。
そうは言っても、三分間という制約はあるので、やはりヒナギ自身に機器操作の才能があったんだろうなと思う。
運転以外にどんな技術を獲得したのか、ヒナギへ質問していると、木立を調べていたサヤが俺たちを呼んだ。
「ヒナギ、ここから通り掛かった車を狙える?」
「停車してくれたら、手前に乗ってる人間は行けそう。ギリギリだけど」
俺たちがいるのは、ホームに向かって道の右側。卒業者を乗せた輸送車が帰ってくる際に、より近くを通る。
「コピーするのは、助手席の一人でいい。この木陰に隠れて、見つからないようにやって」
「分かった」
ブナであろう樹の元にしゃがんだヒナギは、道路が見通せるか自分でも確かめた。
彼女がオーケーマークを指で作ったのを見て、サヤが俺に向き直る。
「で、私が合図したらショウが――」
「車を止める、だったな。それだけどさ、止める役はサヤの方がよくねえか?」
「どうして?」
「そりゃ、怪しい男が倒れてるより、美人がうずくまってる方が警戒されないじゃん」
「びっ……!」
なんだこいつ自覚が無かったのか、と思いつつ、彼女の硬直が解けるのを待った。
俺が真面目に話していると納得したのか、くわっと目を見開いた彼女は、詰問するように念を押してくる。
「わ、私の方が、向いてると思うのね?」
「ああ」
「肉にかけて?」
「肉に誓うよ」
そこまで乞われては致し方あるまい、などと、時代劇掛かったセリフを吐き、サヤは囮を引き受けた。
肉神と共にあらんことを。
八時四十分、三台の輸送車が連なって、目の前を通過した。
ヒナギは停車せずに複製可能かを試してみたものの、やはり走る車を相手では厳しい。
その三台が復路を帰っていった九時過ぎ、一台がまたやって来た。一度ホームへ行く車を見送り、帰ってくるところを狙う。
サヤの端末を預かった俺は、センサーで輸送車の接近を観察し、二人へ合図を送った。
待機していたサヤは、計画通りに道の真ん中に出て身を屈める。
彼女がブロンド美人なのも、俺よりは適任なのも本当だ。だからと言って、こんな場所に関係者以外がいること自体、不自然だろう。
車を停めて降りた職員は、警戒心も
「何をしてる?」
「ちょっと腹痛が……」
「どうやってここまで来た?」
「歩いて……」
もうちょっとマシな嘘をつけよ、と思わなくもない。
この茶番の隙に、車に残った運転手からヒナギは記憶をメモリへ写す。
男に二十秒弱の白塗りを加えた彼女は、続けてサヤに
「なんだ、おま――」
ヒナギと目が合った瞬間、職員の膝が落ちる。こちらにも軽い空白化を施したので、三十秒くらいは気絶しているだろう。
前もってサヤが準備していた枝を持って、俺も道へと走った。
サヤのいた場所に、黄色い葉の付いた枝を替わりに置く。
突っ伏した男の腕を枝の上に乗せ、上半身を多少なりとも起こそうと努めてみた。
あまり自然なポーズとは言えないが、サヤに急かされて諦め、俺たちはまた木の陰や茂みに身を隠す。
程なくして起きた職員は頭を上げ、自分が枕にしていた枝を前に首を捻った。
洗脳能力は有名でも、実際に食らった人間などそうはいないし、まして複製能力による白紙化は想定外だろう。
まだ
胸ポケットから端末を取り出した職員は、画面に目を遣り、すぐに仕舞う。
おそらく時刻を確認したのであろうが、
記憶を跡形無く消し去る――それが最新の三分以内であれば、ヒナギの能力は特級能力者のそれと比べても何ら遜色は無い。
結局、些細な不審点も見つけられなかった男は、立ち上がって枝を路肩へ放り捨てる。
人と思ったのは枝の見間違い、膝を突いていたのは――そう、立ちくらみのせい。そんな職員の思考が、手にとるように窺えた。
輸送車に戻った男が、同僚へ愚痴るのが聞こえる。
「折れた枝だった。葉っぱが髪の毛に思えたんだ」
「見てたよ。勘違いもするさ。朝からバタバタしたせいか、眠くて敵わん」
居眠り運転はやめてくれよ、と返したようだが、会話は途中でエンジン音に掻き消された。
車が十分に離れたタイミングで、俺とサヤはヒナギの近くに集まる。
小さくなる輸送車を、ヒナギは渋い表情で見送っていた。
「気になるのか? 乗せられた卒業者が」
「いいえ……いや、そうかも。どんな子かなって、ちょっと考えた」
「助けたい?」
彼女は大きく首を横に振る。
ホームにいる大半の子供は、脱出を望んでなどいないそうだ。庇護の傘から出たいと思うのは、その先にある自由を知っている者だけだった。
そんなことより、と、サヤが手を叩いて俺たちの注意を引く。
「ヒナギ、ショウに運転手の記憶をコピーして」
「全部?」
「三分行きましょ。遠慮は無用」
「おいっ」と俺は抗議した。
いきなり三分間もフルプリントしたら、昏倒してしまう。
昨夜の話では、三十秒ずつ様子を見ながら試す計画だった。
「携帯バッテリーが手に入ったから、ショッカーを作っといた」
「ショッカー? 電気ショックで無理やり起こすつもりかよ」
「うん。ショウなら大丈夫だって。ほら、えーっと」
サヤは額に手を当て、続く言葉を探す。
「あれだ。オトコマエ! ヒューッ、カッコイイ!」
「顔は関係ねえだろ」
「肉にも誓う。病めるときも、健やかなるときも、全力で食べることを誓います」
「肉と結婚する気か。ああっ、分かったよ」
何を思って意趣返ししたのかは知らないが、しつこく嫌がると俺がビビっているようで面白くない。
一応、記憶獲得のコツは、ヒナギに教えてもらった。
他人の記憶が入ってくることを予期し、ちゃんと心構えを整えること。
混濁しそうなら、別の記憶へ逃げること。細部まで覚えている思い出が良いらしい。
あとは慣れること。
ヒナギは幼少から繰り返してきたので、今さら自分の脳に複製しても、疲れを感じる程度だと言う。
複製を繰り返せば、耐性を得られる理屈だ。この境地に至るには、一日や二日練習したって無理であろう。
「さあ、準備はいい?」
「ちょっと待て、ちょっと!」
逃げ込む記憶って何だ?
親戚に疎まれて育った幼少期。
食堂の隅で、独り飯を食った学生生活。親しくなれそうだった級友も、アポートが発覚して全て縁が切れた。
一番の思い出は、自分の稼ぎで初めて食べたステーキか。あれは美味かったなあ。
「よし、やってくれ」
俺のゴーサインで、ヒナギの力が発動する。
他人の三分間が書き加えられた脳は、自己防衛の本能でも働かせたのだろう。
気絶なんてしないと意気込んだ俺だったが、肉、肉と唸りつつ、最後は意識を手放してしまった。
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