14. メルト
サヤは特能、それもレアな力について、何年も調査した。
記録を探し出した例もあれば、俺のように実際に会った者もいる。
有用なレア能力者は、まとめて施設に送られることが多い。
能力者同士が知り合う機会も有り得るので、見つけたレア持ちから、また別の特能について聞き出せる場合もあった。
メルターと聞いて、ヒナギは黒箱を渡せと後部席へ手を伸ばした。
手動運転のまま、彼女は危なっかしくも箱の表面を観察する。
片手で箱をひっくり返しながら、しばらく調べていたヒナギは、メルトの可能性が高いと言って返してきた。
「この黒さには、見覚えがある。滑らかな被覆、光を吸収する表面構造。昔いたメルターが得意だった」
融着能力者は、その名が表す通り、どんな素材も溶かしてくっつける力を持つらしい。
単なる接着とは違い、複数の対象を分子レベルで浸蝕させ合う。汎用性が高い軍事級の力であり、存在するなら極秘扱いされて当然だ。
箱をサヤへ渡したヒナギは、ポケットから小石を取り出して、黒箱と見比べるように促した。
まん丸の石の表面に、縦筋がいくつも刻まれ、顔のような凹みも在る。形は大きく異なっていても、色と質感に関して二つは酷似していた。
その石も、知り合いだというメルターが作ったものだそうだ。
何層かのコーティングを施し、箱ごと
そのサヤの推理に、小石を返してもらったヒナギも頷く。
「一度溶け混じったら、もう分けるのは不可能だと思う。分離能力者なんて聞いたことがない」
「それじゃあ、開けられないじゃねえか。開けずに複製は無理なのか?」
「中のメモリが通電していれば、対象に出来る。そうか、端子を直接触るかしないと」
複製不可は予想済みだと、サヤが遮った。彼女の顔はいつに無く険しい。
「アポートして」
「あっ、それで済む話だな。任せとけって」
左手に握った箱は、手の平で半分隠れるくらいの大きさだ。中身を抜き取るくらいわけないと、この時は考えた。
見えざる触手を、黒箱の内へと送り込む。
イメージは長く伸びた人差し指、その爪の先が対象に届いた瞬間、魔法の如く右手へ送れよう。
届きさえすれば――。
「――なんで?」
「届かない?」
「んー、えっ。こんなちっちゃい箱、簡単に抜き出せるはずなんだ……」
サヤは端末を操作して、商品説明を拡大してみせた。
マイクロセーフボックスの
「“収納できるメモリは、三センチ角未満。複数を重ねて収納する場合は、付属の専用セパレーターで――”」
「その上よ。箱そのもの仕様」
「“箱の外寸、九センチ×六センチ。内寸、三センチ×三センチ――”」
「それ」
「どれ?」
「もうっ、ちょっとは自分で計算してみなよ」
この超小型金庫は、耐久性の高さを
こいつの内壁は、異常に厚い。
外寸と内寸との差は長辺方向で六センチ、短辺と天地の方向で三センチもあった。
三センチ――そうだ、忌まわしき限界距離である。
「練習で、アポート距離は成長してないの?」
「計ってないな。伸びた実感は無いけど」
握り方を変えれば、届くかもしれない。
俺は箱を膝の上に置き、天面に左の手の平をペタリと当てる。
三十秒ほど頑張ってから、今度は車のシートに置き、箱の側面を押し付けるようにして発動した。
また三十秒が経過したところで、サヤが口を開きかける。
集中の邪魔だとそれを制して、箱を潰さんばかりの力で握り、もう三十秒。
そろそろ晩秋だというのに、俺の額から汗が滲み出た。
発動回数は三回でも、発動して一分半の探索を続けるのは、かなり精神力を消耗する。
「おかしいだろ。そりゃ前回の計測じゃあ、二・八センチが限界だった。でも二ミリくらいは気合いで伸びそうなもんだ」
「計測では、手を抜いてたから?」
「そうだ。そこまでムキになれっかよ」
「んー、でもさ。厚さは三センチ以上あるかも」
そんなの優良誤認だ、景品表示法違反だ、三センチって言ったら三センチだろ――まくし立てた俺の文句を、サヤは一言で黙らせた。
融着したコーティング素材のために、箱の外周は微妙に
ほんの少し、おそらく一ミリにも満たない距離が、俺のアポートでは足りない。
一時間のドライブ中は、ずっと黒箱相手に奮闘し続けた。
連続してアポートを発動し、筋力を総動員して箱に手を密着させる。
汗にまみれた手の平を拭き、何度でも試した。
疲労困憊した俺が得たのは、筋肉痛とサヤの憐れんだ視線だけ。
シャツに染み込んだ汗が妙に肌寒く感じると思ったら、ヒナギがエアコンで車内を冷やしてやがった。
冷たい女だ。
気を遣ったんだろうけど。
城浜市内に入った頃には、アポートも燃料切れを起こし、俺も諦めざるを得なかった。
替えの服を買うことを提案して、シャツやらコートを仕入れ、拠点のビルへ帰る。
サヤたちは宝石を売るのだと、そのまま二人でどこかへ出掛けた。
荷物を作戦ルームへ運んだ俺は、黒箱を持って自室に上がる。
力が回復する度にアポートを試したが、夕食時に戻ってきた仲間へ、失敗を伝えることしか出来なかった。
◇
晩飯は焼き鮭とサラダと聞き、俺も調理を手伝おうとしたところ、サヤへ精々体を休めろと忠告される。
黒箱も取り上げられて、アポートは食事まで使わないように念を押された。
そう言われては、手持ち無沙汰で暇になる。
布団の上で横になっている内に、どうも寝てしまったらしい。
ノックで起こされて調理場へ下りた時には、午後七時を回っていた。
「二時間くらい寝てた勘定か。
「回復できた?」
「ああ、アポートだって数回は使えそうだ」
「数回かあ」
残念そうな声を出すサヤへ、俺がやる仕事が出来たのかと尋ねる。
出来た食事を食堂室へ運ぶ前に、アポーターの実力を発揮してほしいと頼まれた。
「いいけど、何を?」
「晩御飯に、鮭の切り身を焼いたんだけどね」
「おう。肉じゃなくても、天然魚は好きだぞ」
「骨を抜いて」
「は?」
俺が鶏肉のエピソードを話した時、サヤは「何て便利な」と思ったそうだ。だからって、普通こんなことに特能を使うか?
どう吹き込んだのかは知らんが、ヒナギまで期待した目で俺を見つめてやがる。
「一応聞いておくけど、これは修業の一環か?」
「うん」
「笑顔で即答とは、いい返事だ。余計疑わしくなったよ」
不平を口にしながらも、牧歌的なアポートは嫌いじゃない。
魚の骨くらいなら、抜いてやろう。
ヒナギの皿から始め、サヤの鮭に取り掛かったところで、能力の限界が訪れた。
骨無し、半骨、骨有りと三種類の焼き鮭が完成する。
食堂室へ皆で運び、この夜は食べながらの作戦会議となった。議題はもちろん、食卓の真ん中に置かれた黒箱の開け方だ。
嬉しそうに鮭をつつくヒナギへ、融着能力の詳しい解説を求める。
「硬くなったわけじゃないんだな?」
「ちょうどいい焼き加減。骨は苦手だから助かる」
「違う、融着した箱の話だ」
混ぜた物質次第で、融着対象の特性は変わる。少しは能力者がコントロールできるようで、黒体化は狙ってやった結果だろうとヒナギは説明した。
硬度が不明なら、黒い表面だけでも削れないものか――俺の提案は、既にサヤが試したと言う。
自室で寝ている間に、彼女はハンドグラインダーを持ち出し、箱を削ろうと頑張った。ディスク型の砥石が回転する、手持ち式の研磨機だ。
「おっ、ちょっとは削れたか?」
「ツルツルになった」
「コンマミリ単位でも薄くなったんなら、俺のアポートで――」
「砥石がね。新品のディスクがパーになった」
コーティングの性質も、中のセーフボックスと同等。並の金属加工機器では、全く歯が立たなかった。
「わかったことは二つ」
「なんだ?」
「一つは、メルターで保護するほどの重要物が、この箱には入ってる」
「篠目にとって、だな。遠藤でも開けるのは大変だろ」
中巻組の工作機械を動員すれば、箱を両断できるとは思う。
つまり、会社を動かす気でないと、会長個人では開けられないということだ。
では、篠目なら可能なのか。
ヤツの手札は、特級クラスの
「篠目なら、箱を開ける手段がある。要はそんな能力が存在するんだな」
「それが二つ目。篠目や配下の能力者の使える特能が、これで三つ明らかになったわけ」
「強力な
どうやって篠目が箱を開くのかは、推測の域を出ない。
サヤには予想する力があるようだが、確証が無いのに検討しても仕方ないと黙った。
少なくとも、
夕食を平らげてからも、サヤはその方法を考えて頭を捻り、何か思いついては汎用端末を
一向に彼女の顔付きが晴れないのは、これと言うアイデアに行き当たらないからだ。
俺は箱を抱えて、ただアポートを試し続ける。
グラインダーも、僅かながら筋傷を表面に残していた。
目を細めないと分からない、そんな研磨の痕跡へ能力を発動させる。
得たのは、ぬるま湯に指を浸したような感触のみで、失敗記録ばかりが増えていった。
ヒナギは洗い物を一人でやってくれた上に、三人分のコーヒーを作って戻ってくる。
インスタントでも、能力を使い過ぎて濁った頭には嬉しい心遣いだ。
力の回復を待ってだらしなく椅子に座る俺の前に、カップを持ったヒナギも腰を下ろす。
「一度、完全に回復した方がよくなくて?」
「サヤが言うには、酷使すると力が伸びることもあるらしいぞ」
「ふーん。記憶が
頭脳労働中のサヤを一瞥したヒナギは、コーヒータイムの会話相手に俺を選んだらしい。
視線をカップへ落としつつ、彼女はポツポツと話し始めた。
「その箱を融着したメルターは、私の知っている人間だと思う」
「そんなこと言ってたな。会ったことがあるのか?」
「同じ施設にいた。ヒバって呼んでた」
彼女の知るヒバは、まだ声変わりもしていない少年の姿だった。
五年前の話だから、今では少し大きくなったであろうが、幼ない風貌は生来のものだ。
彼女やヒバがいた施設、“青少年福祉支援ホーム”について、ヒナギはやや憂鬱な調子で語ってくれた。
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