13. 貸し金庫
銀行へ向かう前に、まだすべき作業が残っている。
車の外にヒナギを残して、サヤは俺と一緒に後部席へ乗った。
持ち帰ったバッテリーを
造形器は家庭用の3Dプリンターより多少高性能な、シリコン樹脂によるモデリングマシンだ。
バスケットボールくらいの大きさで、制作スピードを重視して選ばれた機種である。
近赤外線で透過された遠藤の手を、カメラは鮮明に撮影していた。
このデータを元にして、樹脂製の指を作る。静脈の位置さえ再現されれば、外見や素材はどうだっていい。
伍和銀行の生体認証は、指を通る静脈の影をパターン認識して、本人と確定する。指は十本とも登録されており、必要なのはその内の一本。
最も綺麗に撮れた右の中指を選び、サヤは造形をスタートさせた。
今回の擬似指なら、五分程度で完成するだろう。
IDチップ、こちらは練習に使った物とは端子の形状が違った。
消化酵素を利用して微弱な信号を発する仕組みらしく、平滑な端子部分は口内に露出していたようだ。
差し歯に穴が空いたとすると、遅かれ早かれ遠藤は気づくだろう。のんびりはしていられない。
チップが起動するか確かめるために、口に含めとサヤが言う。
「俺が? ジジイの唾液まみれだったこれを?」
「唾液はアポートしてないでしょ。綺麗なものよ」
「いや、でも」
「自分の能力を信じられないの?」
そこまで言われたら、俺も腹を括る。
えいっ、と頬の内にチップを含ませて、ふと感じた疑問を尋ねた。
「これ試すの……、俺じゃなくてもよくね?」
「いやよ、私は。汚いもん」
「おまっ……」
何て女だ。
どちらにしろ、貸し金庫の中へ入るのは一人。
遠藤と性別くらいは合わせておこうということで、俺がその役を請け負った。チップを口に入れるのは、既定路線ではある。
俺のジト目も受け流し、サヤはチップの作動を確認し終わった。
「オーケー。あとは指か」
乳白色の不細工なソーセージが、造形器の中で作られていく。
待つこと四分と三十秒、完成の電子音が鳴ったのを受けて、サヤが車外のヒナギへ合図した。
サイドウインドウを叩くだけで、ヒナギは意味を理解し、自分の端末へ視線を落とす。
“コイン”パーキングと言っても、本当に硬貨を要求する駐車場は無くなった。端末操作で支払いは終了し、車輪のストッパーがガチャンと畳まれた。
運転席に駆け込んだヒナギによって、青い軽自動車が舗装道へ飛び出す。
まだカラスくらいしか目に付かない朝の街を、車は一路銀行へ走った。
◇
一昔前の銀行は午前九時に営業を始め、午後三時には窓口を閉めた。現在でも銀行に勤める
行員に説明を受けたり、案内が欲しければ、九時から五時の間に訪れなくてはならない。
しかし、今の世の中で、人が接客してくれる業務は少ない。
肉太郎のような飲食店は稀で、大半は自動給仕が基本、かつてありふれていた個人経営の喫茶店や食堂は死滅してしまった。
物販やコンビニでも同じ。端末を
高級衣服や医療関係辺りが、未だに人力で頑張っている最後の牙城だ。
営業も端末を介して行い、路上や個人宅へ訪問しての販売行為は法令違反となる。
銀行でも、直接窓口へ出向くのは大口の融資客くらいのものだろう。出入金に振り込み、そして貸し金庫の利用は全て自動化された。
朝の七時では、伍和銀行の正面玄関にはシャッターが下りているものの、係の案内など不必要であれば、ここで九時まで待つことはない。
「じゃあ、よろしく」
「行ってくるよ」
金庫の中身は全部回収してこいと、サヤから麻の手提げ袋を手渡される。
車を出た俺は、銀行の側面、朝六時に開く無人受け付け口へと回った。
グレーの制服を着た二人の警備員が、近づく俺に遠慮の無い視線を浴びせる。
そう、警備関連も人力に頼る仕事か。自動化社会になって、この職に就く者は大幅に増えた。
やましいところは何も無い、と、俺は堂々と中へ進む。
やましいのはこの後だ。
短い通路を右に折れ、突き当たりの貸し金庫受け付けの前に立った。
モニターパネルに表示された“利用希望”のボタンを押すと、女性の声で案内が流れる。
『正面のセンサーへIDカード、もしくはIDチップを近づけてください。エラーが出た場合は――』
胸の高さに突き出た黒いマイク型の棒が、チェックセンサーだろう。
顔を寄せると、ピロンと電子音が鳴った。
『認証パネルの凹みに合わせて、何れかの指を置いてください』
生体認証を利用されない場合は、などと説明が続く中、俺は白ソーセージを取り出してパネルに置く。
明らかな不法行為のため、背後の防犯カメラに撮影されないよう、自分の身体で手元を隠した。
二度目の電子音で、認証は完了する。
『伍和銀行花牧支店、貸し金庫サービスへようこそ』
鉄扉がスライドして、金庫室への道が開いた。
金庫室と言っても、四方を壁に囲われた無機質な小部屋で、テーブルとキャスター付きの椅子があるだけだ。
壁の一つに長方形の金属部分が存在する。
PCモニターほどのその場所が、貸し金庫が飛び出てくる出入口だった。
支店にある六百の貸し金庫は、この壁の向こうで一括管理され、指定された名義の金庫を一つずつ機械的に運んでくる仕組みである。
椅子に座って待っていると、ガタンガタンと作動する壁裏の響きが聞こえた。
この部屋では案内音声は流れず、いきなり警告ランプが点灯して、壁の金属板が引き上がる。
引き出し式に現れた金庫は、ワインボトル一本で埋まりそうなサイズだった。
契約できる最小の大きさだろう。
上蓋を開き、中を覗く。
「全部って言ってたよな……」
書類や証券の類いは入っておらず、金庫には小箱がギッシリと詰まっていた。
手近な一つを開けると、デカい石の嵌まった指輪が照明を反射して光る。
ベルベットや革で覆われた、いかにも高そうな箱たちには、どれも宝飾品が収まっていると予想された。
「泥棒じゃねえか」
いや、最初っから泥棒で間違いあるまい。今さら優等生ぶってどうする?
なるようになるさと、片っ端から金庫の中身を麻袋へ移す。
とてもメモリや設計書が入っていそうにない箱ばかりで、サヤの見当違いではないかと考え出した時、奥の底から雰囲気の異なる物が登場した。
真っ黒で艶の無い、消し炭のような塊。
鍵穴も取っ手も、蓋の隙間も存在しない直方体は、箱と呼ぶのも
持ち上げると重く、中まで金属が詰まっているのかと思うほどだ。
振れば僅かに何かが揺れる気配がするので、内容物はありそうなのだが。
詳しい観察は、ここを出てから三人でやろう。俺はその黒塊も袋に入れて、貸し金庫のクローズボタンを押す。
よしっ!
退室するのに認証は要らない。ガッツポーズを取りそうなのを堪えて、そそくさと貸し金庫を後にした。
警備員に見咎められない程度の早足で、サヤたちが待つ車へと戻る。
城浜へと帰る間、サヤは後席で戦利品を確かめていった。
宝石関連が預けられていたことを、彼女は薄々予期していたそうだ。
「どれも値打ち物よ。売ればお金には困らなくなるね」
サヤは親が残した一切の財産を売り払い、これまで活動のために費やしてきた。
資金を増やすのに、法を犯すこともしたようだが、詳しく聞き出したりはしていない。
若い身にしては結構な額を使えたとは言え、出金ばかりではやがて
臨時収入を得て、彼女は鼻唄まじりに箱を開け続けた。
「窃盗が主目的じゃないだろ。売って足がついても知らねえぞ」
「遠藤には、金目当てだって思われた方が都合がいい。それに、通報されないよ。たぶん」
「ジジイが泣き寝入りするってか?」
「だって、おそらく脱税した分の資産隠しよ、これ」
「あー」
盗られた物を、警察へ教えられないわけか。それなら有り難く使わせてもらおう。
ただ、金目当てで手間を掛けたのでないのも事実だ。本来の目的であるメモリの所在は、黒い直方体が怪しい。
他が全て宝飾なのを確かめたサヤは、難しい顔で金属塊を手にした。
「やっぱりこれか……」
「それ、開きそうにないぞ。ツルツルじゃん」
「
彼女に言われて、俺も直方体の表面を指でなぞる。
視覚では判別しにくかった溝が、確かに側面を一周するように刻まれていた。
「そんでもって、ここも」
「ん、ああ。丸い凹みかな」
隠しボタンかと思い、凹みを押し込んでみても変化は無し。
溝の入り方からして、真っ二つに割れても良さそうなのだが。
「開け方がありそうだけどなあ。でも、ここまで割れ目が分からないのも凄い」
「一つの塊にしか見えないね。んー」
五分間ほど首を捻り倒していたサヤが、何やら思いついて、汎用端末で調べ始めた。
俺は振ったり叩いたりと、箱モドキをいじめてみる。
直方体を割るべく、渾身の力をかけてみたが、ビクともしない堅牢さだった。
「力じゃ無理みたい。これ見て」
「……マイクロセーフボックス? 色はともかく、形は一緒か」
彼女がこちらへ向けた画面には、通販ページが映っている。
“安心を買う”とか“あらゆる災害から記録を守る”なんていうキャッチコピーが目に入った。
メモリ用超小型金庫――宇宙船にも使われる高硬度セラミックを採用し、ダイヤモンド並の硬さを実現。熱を遮断し、衝撃を物ともしない最高級品だ。
「
「もっとよく画像を見て。細部が違うでしょ」
小さな画像でも、彼女が言う違いは見て取れた。
販売品だと蓋部分を区分ける溝は太く、ボタンもはっきり映り、番号入力するパネルが天板に付いている。
黒塊の天板を触ってみると、画像のパネルと同じ位置に、微細な凹凸が感じられた。
「画像だと、ここまで黒くないし、光沢もある」
「上から何かをコーティングしたとか?」
「それだけなら、まだいいんだけど……」
言い淀んだサヤへ、彼女の推測を話すように促す。
「
俺の知らない特能は、まだまだ存在するようだった。
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