12. 奪取

 インターチェンジを下りて、山手に進むこと十五分。

 最初に決行場所となる公園前へ行き、事前準備に取り掛かった。


 細い配線コードを二本、タイルの目地に這わせ、上からコーキング剤を薄く塗布して隠す。

 コード両端のビニールを剥ぎ取り、片方は目地にそのまま残し、もう一方は植え込みの中へ引き込んだ。

 ツツジの植え込みの根本には、高圧バッテリーを設置し、コードはここに繋ぐ。


 コードの反対側は襲撃ポイントの地面へ。

 そのコード端を含む直径一メートルくらいの地面に、インフラレッド・レジンとかいう名の樹脂を塗る。

 多少、艶が出てしまうが、透明度は高い。老人の観察眼なら見落とすだろうと期待した。


 サヤがこの場所を選んだのには、タイルや植え込みを使って、仕掛けを隠せるという理由が一つ。

 加えて、もう一つの選択要因が頭上にあった。


 “花牧運動公園”の文字と矢印が、青地に白で書かれたプレート――こいつが公園から伸びた逆L字のポールに支えられて、決行場所の真上に掲げられている。

 肩車をしてくれと頼むサヤに、少し躊躇ためらいながらも、土台役を引き受けた。

 重い、とからかってやりたいところだったが、彼女の身体は予想を超えて軽い。


「三キロ減よ、余裕でしょ」

「ああ、自分を軽くしたのか」


 元々痩せている体に重力減を発動させたのだから、重くて喘ぐ事態にはならなかった。

 自分だけ気恥ずかしいのが、釈然としないが。


 サヤが手を伸ばして、標識の端にカメラを貼り付ける。小指の先ほども無いミニサイズの無線カメラで、真下を撮影するように設定した。

 汎用端末に送られる映像を、彼女は肩車されたままチェックする。

 何度かカメラの向きを微調整して納得すると、やっと俺から降りてくれた。


 ヒナギは車を別の場所に移動させ、サヤは徒歩で遠藤の家に向かう。

 俺は決行時間まで暇なので、公園内に入ってベンチに座り待つことにした。

 端末に表示された時刻は、午前五時四十七分。

 空は白み始めたものの、遠藤が来るまで三十分近くはある。


 作業中、誰も通り掛からなかったのはツイていた。

 運に左右される要素は、サヤがどれほど計画を練っても消しようがない。自分たちの強運を信じて、実行に移すのみ。


『ショウ、ヒナギ、聞こえる?』

「良好だ」

『聞こえてる』


 サヤが受信状況を確かめてきた。耳元で話しているようで、感度はバッチリだ。


『ヒナギ、今はどこ?』

『公園近くのコインパークにいる』

『遠藤はもう起きたみたい。二人とも、所定位置について』


 まだ朝日も差さない時間なのに、早起きな男だ。さすが老人と言うべきか。


「座りっぱなしは、痛いからな。郵便局の陰へ移動する」

『まだ治らないの?』

「強く叩き過ぎなんだよ。親の仇は俺じゃねえってのに」


 二日前、わざわざ遠出までしてスポーツ用品店へ行った彼女は、木製バットを購入して戻る。

 それで俺の尻を強打したのだから、青痣が出来ちまった。

 気合いを入れ過ぎだろうと文句は言っても、弱いと意味が無いのは俺も分かっている。


 遠藤が散歩に来る際、俺は奴の背後から近づく予定だ。

 郵便局は公園から二十メートルほど、遠藤の自宅寄りに位置する。

 簡保の宣伝ノボリやATMの陰に隠れれば、通り掛かる老人には気づかれないだろう。


 ヒナギのいるコインパークは、公園を挟んで俺とは反対方向の道沿いに在った。

 彼女は前から遠藤へ歩み寄り、俺より先に決行ポイントへ到達する。

 午前六時十一分、サヤからお待ちかねの報告が伝えられた。


『遠藤が家を出た。一人、荷物は無し、茶色のハンチング帽を被ってる』

「了解」


 サヤはここで尾行を開始。遠藤をギリギリまで離れて追いかけ、俺たちへ合図を送る役目を負う。

 耳を澄まし、人の気配に集中した。


 六分後、牛乳配達のガチャガチャうるさい瓶の音に混じり、アスファルトを踏み歩む靴の響きがリズムを刻む。

 こんな時間に革靴で歩くのは、遠藤で間違いないだろう。

 果して予想通り、サヤの声が耳元で告げた。


『ヒナギは行動開始。接触は三十秒後だと思う』

『了解』


 彼女たちの交信中に、かくしゃくと歩く遠藤がノボリの隙間から窺えた。


『見える、ショウ? 五秒数えたら追いかけて』

「あいよ」


 言い付けに従い、遠藤が前を通り過ぎてから俺も動き出す。

 ターゲットの背中から十メートル後方、距離は適切だ。


 ただ、自動車が通らないのをいいことにして、遠藤は車道の端を歩いていた。ここは歩道のポイントに寄ってくれないと困るところ。

 遠藤を上手く誘導する仕事は、前から近づいてくるヒナギが担当してくれるだろう。


 七メートル、五メートルと彼女は目標との距離を詰めた。

 二人が三メートルまで接近した時、ヒナギはつまづいて足を縺れさせる。正確には、そうやって転ぶ真似をした。

 樹脂を塗り付けた決行ポイント、そのきわに手を突いてしゃがみ込む。


「大丈夫かね?」

「足、ちょっと。痛い」


 若い女性が目の前で倒れたら、誰しも声の一つくらいは掛ける。

 慣れないスカートで動きはぎこちなく、喋り方は珍妙だけど、女性アピールはバッチリだ。

 会長を務めるような人間なら、ふところの深いところを見せたくなるもの。

 遠藤はヒナギの傍らに進み、膝を曲げて彼女と目線を合わせた。


 場所は近赤外線発光樹脂ニア・インフラレッド・レジンを塗った円の上、カメラの直下。

 続けざまに、三人三様の仕事が始まる。


 俺は駆け出し、遠藤の元へ急ぐ。

 ヒナギは老人の目を見据え、複製能力デュプリケートを発動した。

 遠藤の脳へ、彼女は握るメモリの内容をコピーする。バットで思いっ切り尻をヒットされた俺の、痛恨の三秒間を。


 人間とは不思議なもので、実際の痛みが無かろうが、思いだけで呻きもすれば膝も突く。

 まして体力が衰え、日々安穏と暮らす年寄りなら尚更だ。


 うーうーと喘ぐ遠藤は、突如襲った衝撃の記憶に、両手を地に広げて四つん這いになった。

 本気で殴ったストーカー女の一撃を思い出し、俺まで顔を歪めてしまう。


 この瞬間を逃すことなく、サヤは端末をタップしていたはず。

 不可視の赤外線が地面から照射され、カメラがその様子を捉える手筈だった。

 最後の仕上げが俺だ。


「どうされました?」

「い、いや、何だか蹴られたような……」


 右の奥歯か、それとも左か。

 歯科医の記録では、どちらも一本抜歯して、差し歯に入れ替えたとあった。

 差し歯は遠藤が素体を用意し、歯科技工師が加工した上で抜いた歯の形に合わせたらしい。

 この差し歯の中にチップを埋めたのは判明しているが、それがどちらかは勘頼りだ。


 差し歯ごとアポートすれば楽なものの、サヤは安直なやり方に反対した。

 気づかれずに抜き取り、ID停止はさせない。少なくとも、俺たちが貸し金庫の中を頂くまでは。


 二分の一の賭け――俺は右を選び、遠藤の頬近くに手を持っていく。

 焦らず、練習で使ったマイクロチップの感触を求めて、アポートの触手を口内に這わせた。

 賭けは俺の負け。

 金属質の異物は、奥歯のどこにも感じない。


 では、左だ。

 遠藤の前を回り込み、今度は左頬へ手を寄せる。

 その俺の動きを、自分に手を貸そうとしているのだと考えた遠藤は、心配いらないと上体を起こした。


「どこも痛くはない、勘違いのようだ。一人で立てるよ」

「無理は禁物ですよ。いや、やめときましょう。危ないって」


 ジジイ、元気過ぎだろ。どうすんだ?

 差し歯を抜いて「落ちましたよ」、じゃダメかな。


 頭を動かされると、アポート対象が小さいため探しづらい。

 もう一度、尻を引っぱたけとヒナギに顔を向けたが、彼女はもう車へ撤収し始めていた。


 所詮、五感を刺激しない過去の記憶であり、複写も連続使用しては効果が落ちる。

 サヤによれば、彼女は極端に演技が下手なんだとか。ボロが出ない内に、逃げてしまうヒナギの判断は正しい。

 うん、クールな仲間だよな。

 いいと思うよ……、俺がピンチでなかったらな。


 難しかろうがチップは俺の仕事、無理でも何でもトライするのみだ。

 左手を懸命に動かして、遠藤の動きに追随する。

 もう二秒でいい、頼むから立ち上がらないでくれ――その願いは、間近まで来たサヤが叶えてくれた。


「おおっ!? 重いっ……」

「ほら、言わんこっちゃない。何で動いちゃうかなあ」


 両手首の先を加重されて、遠藤は再び地に這う。

 この隙に左頬を探った俺は、遂に目当ての感触へ行き当たる。硬いチビ、IDチップ。

 来いっ!


 右の手の平に現れたチップを、落とさないようにきつく握り締めた。

 拳を軽く掲げ、サヤの方を一瞥すると、彼女もグーの手で了解を伝え返す。

 俺がさっきまでいた郵便局へ、サヤは身をひるがえして駆け去った。その姿を横目で見届けつつ、遠藤を気遣う振りを続ける。


「怪我は無いですか?」

「……無事みたいだ。立ちくらみかな。歳には勝てんよ」


 もう平気だと、彼は立って膝のほこりを払った。

 ヒナギがいつの間にかいなくなったことに、最近の娘は淡泊だとこぼしながら、俺へは丁寧に頭を下げる。


「いや、何もしてませんから。気をつけてくださいね」

「ありがとう。今日はもう、家に帰ることにしよう」


 老人は来た道を戻っていく。

 遠藤が郵便局の前を過ぎ、突き当たりを左に曲がるまで待って、サヤが飛び出してきた。


「バッテリーとコードを回収する。車まで運んで」

「カメラは?」

「もったいないけど、放置しましょ。チップを盗られたのに、いつ遠藤が気づくか分からない」

「急いだ方がいいってことか」


 タイル目地から配線を引き剥がし、巻いてサヤが抱える。

 バッテリーは俺が持って、ヒナギが待つコインパーキングへと走った。

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