03. つまらない日常

 まったく、俺の時だけ、馬鹿丁寧にやり過ぎだろ。

 ロビー中央に置かれた銀色のオブジェへ歩み寄り、その光沢に顔を近づけた。

 滑らかな金属で作られており、湾曲した表面には、うんざりした俺の顔が歪んで映る。


 やや短く刈り揃えた黒髪に、無駄な肉の少ない体形は、姿勢さえ良ければ精悍とも言ってもらえそうだ。

 疲れから肩を落とし、背を丸めてしまっては、それも台無しか。


 生成きなりのシャツはくたびれてはいても汚れは無く、買ったばかりのジーンズは綺麗なもんだ。

 もちろん、若い顔にもシミなんて浮かんでいない。

 退屈凌ぎの服装チェックを終えると、溜め息をつきながらソファーへと戻った。


 正面の受け付けには電光表示のカウンターが置かれ、順番が来れば数字が映る。

 自分が呼び出されるには、まだ少し掛かりそうだった。


 定期測定試験、そんなどうでもいい目的のために、二か月ごとにこの病院へ呼び出される。

 献体よりも受診者が多いため、扱いは雑だ。


 待合室で三時間、細かな検査が一時間。その結果を聞くためにまた待たされて、二時間以上が経過する。

 朝の十時に到着しても、今はもう夕方の五時を回っていた。


 病院と略して呼ぶが、正式名称はもっといかつい。

 特能支援研究所、指定検出センター城浜市分所附属病院――一般患者が立ち寄らない、特能者専用の施設だ。


 特能が世に出現してからと言うもの、法や行政システムは急速に整備され、関連施設が続々と建てられた。

 特研病院はその筆頭で、特能認定者キャリアはここでの定期検診が義務付けられている。


 分所は主要都市にしかなく、地方在住者だと泊まりがけで通院する者もいた。

 城浜市に住む俺は、まだ恵まれている方だろう。地下鉄に十五分も揺られれば、病院に着くのだから。


 病院の一階、広い中央ロビーでソファーに腰掛け、左手に握った番号券を今一度見る。

 しわくちゃになった“3”、あと五人くらい待てば、結果の書類を受け取って家に帰れるはず。


 番号が若かろうが、次々と後続に抜かされて行くので、正確な残り人数など分かりっこない。

 俺の検査が特殊なら、その結果報告書の作成も特別製で、人一倍時間を要する代物だった。


 昼は混み合っていたロビーも、この時間になると閑散としたものだ。

 もう十一月になろうかという時節、日の落ちるのも早く、肌寒さを感じた。


 暗くかげりつつある通りへ顔を向けると、視界の端に若い女性が映る。

 自分と似たようなラフな私服で、手にした汎用端末ユータムの画面を熱心に見ていた。


 長いソファーを三つは隔てた場所に座っており、顔の造作がはっきり分かる距離ではない。

 それでも、黒い帽子キャップからはみ出すブロンドヘアーは印象的で、鼻筋が通った横顔は日本人離れしていた。


 俺の視線に気がついたのか、彼女がこちらへ振り向いたのを見て、慌てて正面に向き直す。

 女の顔をジロジロと物色していると思われては、心外に過ぎる。


 彼女に目を留めたのは、なんとなく見覚えがある気がしたから。

 それに、病院・・では見かけた覚えのない人物だったからだ。


 定期検診に来るメンバーは、おおよそいつも同じであり、見知った顔が多い。

 俺のように平日、月曜日に丸一日空けられる人間となると尚更なおさらだ。

 検診日には土日も選択できるが、混み方は平日の比ではなく、一度懲りてからは必ず月曜を選ぶようにしていた。


 俺の席の後方に座っている中年男性は、特能のコントロール力に難があるらしく、いつも検診に時間がかかる。

 左手に酷い火傷痕が残っていて、発火能力が暴発したのだろうと思われた。


 ロビーの隅には、学生風の男がタブレットを操作している。

 こいつは、会う度に顔色が悪くなっていくようだ。


 特能が神経系に悪影響を及ぼすと、黄疸おうだんみたいな症状が表れる。

 廊下ですれ違った際、間近で彼の目を見たが、白い部分が黄色く塗り替えられていた。

 どんな特能持ちかは知らないものの、測定より診断に時間がかかっているのは想像に難くない。


 一番前列に陣取り、古風にも編み物で時間を潰している主婦も、たいてい同じ帰宅時間になる。

 編み棒も使わずに、毛糸の筒を作り上げているのだから、特能の判別は容易だ。

 念動力テレキネシス――それも精密操作が可能な修繕屋ティンカーであろう。


 重量のある物体を動かせる重念動力者リフターに対し、小さな力しか発揮できない者をティンカーと呼んで馬鹿にした時代があった。

 ほんの四年くらい前までは、蔑称だったのだ。


 コインを浮かせたり、手を触れずに鉛筆を転がしてみせたり。

 宴会芸と嘲笑された弱い念動力は、精密工作や医療分野に適用されると、目覚ましい活躍を見せた。

 視認さえできれば、コンマ一ミリ以下の精度で物体を移動させる能力。これが例えば、特能外科といった新たな治療法を生み出した。


 建設や大規模な事故現場で喝采を浴びるリフター。

 外科医の片腕として、いくつもの難手術を成功させるティンカー。

 念動力者は、特能の花形だ。華々しくメディアで取り上げられる能力者たちには、鬱屈した感情を刺激されてしまう。

 そんなことを口に出すことは、決して無いが。


 ともあれ、ブロンド美人の彼女は、そんな検診仲間とは違う。

 新たに覚醒したのか、検診の日時を変更しただけなのか。最近、城浜に引っ越してきたのなら、今後は毎月見かけるだろう。


 とりとめない物思いにふける内に、掲示板に“3”が表示された。

 前に進み、受け付け係に自分の汎用端末ユータムと、能力者用の登録カードを差し出した。


 財布も身分証明もユータムが肩代わりする世の中で、特能保持者は政府が発行するICカードを持ち歩かないといけない。

 面倒ではあるが、カード不携帯は各種支援が受けられなくなる上に、そもそも強制収監の罰則を食らう。

 受け付けの中年係員は、カードを専用リーダーで読み取り、ユータムの個人情報と照らし合わせた。


「梶間さん、顎をスキャナー台へ」


 窓口に設置された網膜スキャナーに、自分の目を読み取らせるために、硬いホルダーへ顔を乗せる。

 生体認証が済めば、晴れて検査結果がユータムに記録される仕組みだ。


 隔月検診は、国が特能者を管理する目的で行っている。

 この検診記録を役所の窓口に見せることで献体資格が与えられ、金が稼げるのだから、俺にとっては現在唯一の飯のタネだった。


 半日に及ぶ拘束時間から解放され、軽く肩を回しながら周囲を見回す。

 もう午後六時、寂しくなったロビーには、先ほどのブロンドの髪は見当たらない。


 俺と同じタイミングで順番が来て、先に帰ったというところだろうか。

 ちょっと正面から顔を見たかった気もするが、知らない特能者に興味を持つのはよろしくない。


 特能を忌避するのは、旧時代の悪弊だなんて喧伝されていても、やはり危険な存在だと思う。

 特能二級の俺が言うのだから、偏見とそしる方が間違っている。逃げる一般人を、俺は責めたりしない。


 実際、一級以上に認定された者は発信機を装着させられ、自由行動を制限されているじゃないか。

 能力者が“普通”になる社会なんて絵空事で、いずれ規制はより厳しくなる。それが俺の予測だった。


 登録カードはユータムのケースに収納して、ジーンズのポケットに突っ込む。

 病院の二重ドアを抜けて外に出ると、冷えた夜風が頬を撫でた。


 前庭の先、正門の向こうにはハロウィンの飾りが瞬く。

 特研の施設は商業地区に隣接する街中に在り、一般的な病院よりも喧騒に近い。

 そのイルミネーションの光る場所に、地下鉄駅への入り口もあった。

 さっさとマンションへ帰ろうと歩みを早め、守衛の見守る正門を出た時、背後から声が掛かる。


「一緒に帰らない?」


 振り返れば、小さなスポーツバッグを肩からげた少女が、歩み寄ってくるところだった。

 近くまで来ると、彼女がロビーにいたブロンドだというだけでなく、少女と称するには少し歳を食っていると気づく。

 二十歳前後、俺と同世代である。


「俺を待ってたのか?」

「うん。夜道は危ないでしょ」

「危ないったって、まだ六時だし、駅はすぐそこだし――」

「早く行こ」


 彼女は俺の横に立ち、怪訝な顔を向けてくる。

 断られるなどと、微塵も考えていない表情だった。


「俺は西区に帰る。地下鉄に乗るんだ」

「私も西区よ。ひょっとしたら、家も近いかも」

「これも何かの縁か。いいよ、行こう」


 能力者は警戒すべきとしても、人懐っこい彼女まで敬遠することはないか。

 夕飯に誘うような気にはなれないけど、帰り道を連れ立つくらいなら構わないと考えた。


 サヤと名乗る彼女は、今月初、城浜に越して来たばかりらしく、やはりそうかと相槌を打つ。

 すぐに地下鉄入り口へ到着し、階段を下り始めた時だった。

 急にしゃがみ込んだサヤに驚き、膝を折って彼女の顔を覗き込む。


「どうした、気分が悪いのか?」

「ちょっと……手を……」


 顔を伏せたまま右手を差し出され、引き起こして欲しいのかと、その手を握った。

 ガチャリと小さく鳴る、金具が噛み合う音。


「なん……えっ?」


 ドラマでしか見たことがない拘束具が、自分の右手首で鋭い光を放つ。

 彼女がその手錠を力任せに引っ張ったため、思わず痛いと悲鳴が漏れた。


「ちょっ……何すんだよ!」


 サヤは手錠を階段の手摺りに嵌め、無駄の無い動きで俺のジーンズからユータムを抜き取る。

 この手際の良さ、まさか昔懐かしいスリか?


「端末を盗ったって、金なんて手に入らないぞ!」

「要らないわよ、端末なんて」


 彼女をひっつかまえようと、自由な左手を伸ばしたものの、器用に階段をバックジャンプしてかわされた。

 サヤはケースからICカードを抜き、端末自体は投げて寄越す。


「おいっ、丁寧に扱え!」

「ハードケースじゃん、落っことしても平気よ」


 慌ててキャッチした俺を嘲笑うように、平然と彼女は言い返した。

 特能持ちに関わるべからず。

 その信条を曲げた五分前の自分を、心の中でこれでもかと呪った。

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