第一章 誘い

02. ストーカー

 コンビニ帰りの夕方、ほんの三十分、外出した後のことだ。

 扉の前に、よく焼いた薄い肉が置かれていた。

 白い陶器の皿にこそ乗っていたが、皿自体は地面に直置きで不衛生極まりない。


 食えるわけないだろう。

 屈んで顔を近寄せ、肉の品定めはする。肉を愛する者として、それくらいは最低限の礼儀だった。


 ワサビ醤油の匂いが、鼻をつく。美味そうではある。

 極薄のスライス肉ではあっても、本物の天然牛だ。


 膝を伸ばし、天を仰ぎ、俺は足で皿を横にどけた。

 汚いスニーカーに押されて、肉は悲しそうにドア脇へ移動する。


 その夜は、捨てられた肉が人の形をとり、涙ながらに食べてくれと訴える夢を見た。

 明くる日は休日、世の家族連れやカップルが出歩く中、俺は秋の公園で鳩と世間話に興じる。

 餌をやるのは禁止されているため、あくまで話をするだけだ。


「お前らにも、特能持ちはいるのか?」


 クルッポー。


「あのブチのやつとか、火を吹きそうじゃん」


 クルクルッ。


「シノメのビルには近づくなよ。あいつら、特能者の味方みたいな顔してっけどさ」


“ポー、クルッ”


「くっ、こいつ直接脳内へ……! いや、気にすんな。一人芝居だ」


 くだらない時間潰しもまた、俺の日常。

 特能を得て、なおこんな無為に日々を過ごすとは予想していなかった。

 他人の賞賛や、羨望される財を築きたいわけじゃない。いや、少しはあってもいいけれど。


 張り合いの感じられない毎日に、五体の感覚が麻痺していくように感じられるだけだ。

 体温と同じぬるさの湯につかると、自分の存在が希薄になってしまう。

 小春日和の公園で陽を浴びていると、生きる目的ごと溶け落ちて、ベンチに同化しそうだった。


 最近、まともに会話した相手は、医者と鳩だけ。

 これじゃコミュ力まで崩壊しちまうと考えたところで、もう一人やり取りが続く人物を思い出す。

 連日メモを残す変態ストーカーだ。執着しているのは、俺か、肉か。

 俺の肉ってオチはやめてほしい。

 食ったら美味いだろうけどな。生姜焼きをオススメする。


 今日はどんなボケを見せてくれるのかと、わずかばかりの期待とともに、俺はマンションへ帰った。

 昼の三時、まだ早い時刻ではあったものの、果してドア下にメモを発見する。


 “なぜ食べないのか?”


「汚ねえからだよ! 食わしたけりゃ、レストランにでも連れてけっ」


 これ、逐一俺を観察しているだろ。

 今この瞬間も、聞き耳を立てていて不思議じゃない。

 廊下に人影は見えないが、どこかに潜むストーカーに向かって宣言してやった。


「一番美味いのは“肉太郎”だ。特上コースのチケットでも用意しろ」


 この要求が、見えぬ相手に通じたか分からないまま、一週間が経過する。

 新しいメッセージは現れず、ストーカーは鳴りを潜めた。

 少し残念と思った自分が、腹立たしい。


 ストーカーがいなくなって寂しいなんて、有り得ないからな。断じて違う。

 その意図も分からない内に姿を消しやがったから、気持ち悪いだけだ。


 代わり映えのしない生活に戻り、金曜日には献体奉仕で金を稼ぐ。

 土日はダラダラと過ごし、月曜はいつもより一時間早起きした。


 午前七時に家を出て、地下鉄で三駅先にある城浜しろはま病院へ向かう。

 献体と場所は同じだが、今日は目的が異なる。

 特能保持者は二ヶ月に一度、能力検診を受ける義務があった。これを怠ると法令違反に問われ、罰則も生じる。


 面倒事は、粛々と片付けるのみ。

 晩飯をどこで食べるか思案しつつ、検診がスムーズに終了することを願った。

 まあ、そう上手く行きはしない。

 だからと言って、ここまでのトラブルに巻き込まれるのは、想定外だった。

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