三センチなら届きそう
高羽慧
プロローグ
01. 始まりの肉
好物の肉を食べ終わり、俺は上機嫌でマンションの自室へ帰ってきた。
“特能”を持ちながら役立たせる職が無い、それが俺。
そんな者にも、社会に貢献できる道はある。献体奉仕ってやつだ。
今朝も各種測定を受けたあと、ラベル表示もされていない謎の薬剤を投与された。
いつものことであり、何を打たれても文句を言わない誓約書を提出している。
薬の効果を調べて、また測定と検診。一日掛かりの奉仕業務は、毎週金曜日に実施される。
強制ではなく、任意で申し込むもので、今のところ俺は二年間の皆勤を達成した。
ひと昔前なら超能力とでも呼ばれた“特能”――その力の仕組みを解明しようと、研究者たちは躍起になっている。
俺には興味の無い話だ。
献体奉仕で金が貰える、これが最重要事項だった。
“
氏名から始まる献体結果の報告書。これを役所に提出すると、キャリア用の補助金がいくらか増額される。
奉仕活動で溜めた金で、月初には決まって焼肉レストランへと赴いた。
今では高級食材となった肉を、月に一回、堪能できる。
庶民には十分な贅沢だろう。特能持ちが庶民かは、異論もあるだろうが。
今夜は満腹したし、風呂に入ってすぐ寝よう――そんなことを考えつつ、俺は扉に手をかける。
その扉の下に、紙片が差し込まれているのに気づいた。
特能者しか入れないロック付きのマンションに、今時まず見ない紙のメモとは、怪しいにもほどがある。
そうは言っても、見てみないことには話が始まらない。
二つ折りにされた紙を拾い、中を開けてみる。
“肉?”
おう、食ってきたぞ。
だからなんだ。
ペンで書かれた字は、あえて癖を消したような不自然な筆致に思えた。
肉を食べてきたことを、誰かが監視していた?
浪費するなと非難している?
ひとしきり首を捻った俺も、最後は気にするのをやめて、紙をクシャリと握り潰した。
メッセージはそれだけで、朝にはメモのことなど、すっかり忘れてしまう。
思い出したのは、翌の日、やはり夜更けに帰宅した時のことだった。
役所へ特能認定の更新手続きに行き、夕食はファーストフードで済ます。
純和風ワサビバーガー、と言っても、こちらは合成蛋白質を焼いた紛い物だ。俺は肉と認めていない。
その後、二十四時間稼動している求職センターへ。
特能持ちは一般職へ応募できないものの、常人には不可能な業務要請が多い。但し、二級判定者なら求人も豊富である。
ところが俺の能力は特殊も特殊、遂行できそうな業務は、どれだけ探しても見つからなかった。
これもまた、いつものこと。
メゲずに検索し続ける自分を、褒めてやりたいくらいだ。
たっぷり二時間はセンターで費やし、地下鉄に乗ってマンションへ戻る。
そしてドア下に挿されたメモを、また発見する。
“ワサビ醤油?”
イカんのか。
何味のハンバーガーを注文しようが、人の勝手だろう。
しかし、そこが問題ではないと、さすがの俺も理解している。
メモの差し出し人は、この日の行動を監視していたのだ。
そうでなければ、こうもタイミング良くワサビの話題を振ってくるものか。
ストーカーという単語が、脳に浮かぶ。
一一〇に通報しようかと考えたものの、警察は特能者に冷淡だ。
どちらかと言えば、特能持ちは被疑者扱いされやすい。
殺人、放火、錯乱した上での暴走。能力を悪用した犯罪は派手で、件数以上に人の目を引く。
優遇措置を受け、エリート職に就く能力者もいる一方、未だ犯罪者予備軍だと忌避する人間もいた。
つい先日も、特能者が銀行のロビーに突入して暴れ回ったらしい。
物損被害でも、特能者であれば厳罰に処される。能力阻害の薬をしこたま注射されて、隔離室に閉じ込められていることだろう。
裁判後は、永遠に塀の内側で過ごすことになりかねない。
ともあれ、警察の助力は諦めて、このメモも丸く潰して捨てる。
次の日、俺は珍しく昼の繁華街を散策した。
金を使わずに済む娯楽は、マンションでゴロゴロ寝転がって、端末を
よく利用する動画サイトの特集は、モルロとかいう幼児向けアニメのシリーズで埋まっており、五分見てギブアップしたという理由も有る。
そういう時に限って、トラブルに遭遇するもの。
向こうから歩いてくるOLが、通り過ぎざまの自転車野郎にバッグを奪われた。今も昔も変わらない引ったくりである。
自転車なのにライダースーツ、さらにフルフェイスのヘルメットという奇妙な出で立ちではあったが、これが今の流行りだろうか。
自転車が俺の傍らを走っていくその時、右手を野郎へ掲げた。
引ったくり犯が握り締めていたバッグは煙の如く消えて、俺の左手の内へ。
獲物をさらわれた男は無言で彼方へ失せ、俺は駆けて来たOLへバッグを渡してやる。
堅いスーツ姿のOLは、三十過ぎかと思いきや、近くで見ると意外に若い。
ボサボサの黒髪に、下手くそな化粧。眼鏡は古臭いデザインで、べっ甲柄の太いフレームがダサい。
世間知らずの真面目女子、といったところか。
素地は良さそうなのに勿体ないと、彼女の顔を覗き込んだ。
そんな俺の視線を嫌がって、OLモドキは身をよじり、一歩後ずさる。
ぎこちなく礼の言葉を述べた彼女は、逃げるように立ち去った。
能力が弱かろうが、特能者だと知られれば、こんなもんだ。
平気な者と怯える者は、半々くらいか。助けてくれた相手でも、生理的な恐怖には勝てないらしかった。
その夜も、メモは在った。
“肉が欲しいか?”
「欲しいつったら、くれるのかよ」
反射的に、謎の文面へツッコミを入れてしまう。
ドアに向かって独り呟いた言葉へ、翌日には返事が来た。
望んではいない形で。
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