第8話 全てを創る人

「そうか、なるほど。ではアドラシオンは、きみ……えーっと、田中君だったかな。田中少年と銀髪の美人に仲直りをしてほしいと思っているわけだね。そして、少年にもその意思はあると。なるほど難解だ。つまりは恋仲の問題だろう? ん、違う? なーに、大差ないさ。少なくとも、相対性理論よりも複雑な女心を解き明かすことに間違いはあるまい。いやはや困った。これは困った。その複雑さと変化の速さを日本では秋の空模様に例えると言うが、到底比類するものではないだろう。何たって法則がない。でなければ、頼れるのは経験則に基づく理論構築だが、土台を盤石にする信頼性が今や崩壊寸前だという。行き先真っ暗だな。私では足元を照らすランプも貸してはやれない。困ったな、田中少年」


「そうですね」


 番組収録二日目。


 朝一でレイラから事務所に呼び出されてありがたい言伝を貰った後、タツミが訪れたのは、広大な敷地に研究所や倉庫が数十並ぶとある征服団の拠点だった。

 征服英雄アドラシオンの取材は昨日で終了し、今日は彼とシェリーの二人で他の征服者を紹介していくらしい。今回も征服英雄と委員会の様々なコネを使って、普段では一般人が知る由もない征服者の裏側を探っていこうというものらしい。


 らしいらしいと、タツミにとって他人事なのは、昨日から大きな気がかりができてしまったからだ。

 マネージャーとして田中某、もといタツミにできることはもう残されていないので、今は目の前にできてしまったマリアナ海溝よりも深い溝を埋めていきたい。

 かといって、シェリーには取り付く島もなかった。


 タツミの呼びかけに無視は当たり前で、三メートル以上に近づこうものなら対極する磁石みたいに離れて行ってしまう。言い訳も普段する軽口も許されないので、

タツミの精神は参ってしまった。

 敵対していた小太りの男にすら、彼女は微笑みかけていたというのに。

 征服者の胃に穴をあけそうなストレスに、タツミは堪らずアドラシオンに泣きついたわけだが、


「え、えーと、僕、レイちゃんに想いすら伝えられてないし、女性関係の相談はあまり向いていないかも」


 とまあ、征服英雄に申し訳なさそうな顔をさせてしまった。

 なんとなく、恋愛相談と勘違いされているのではないかとタツミは思うが、巨体を「く」の字に折ってまで悩んでくれている英雄の姿に訂正もし辛かった。

 だからと言って、新たな助っ人にこの人を呼ぶとは、タツミも予想はできなかったが。


「いっそのことどうだろう。酒でも飲んで酔わせてホテルに連れ込むというのは」


「み、未成年に何言ってるのさ、エーゴスさん!」


 慌てふためくアドラシオンの隣には顎を擦る細身の優男。

 彼が国内征服者番付NO.4に輝く大征服団「エーゴス」の長、エーゴス・リンドバーグその人だった。

 アドラシオンほどの巨体、とはいかないまでも、ファッション雑誌の表紙を飾りそうな高身長と足の長さ。欧州の血を受け継いでいる甘いマスク。視線を独り占めして棚引く紺色の髪。男すら二度見する魅力で整髪剤のCMにも起用されている人物だ。

 ただ、今はお洒落とは言えない汚れた白衣を身に纏っている。


「ではどうだ、惚れ薬でも作ってあげようじゃないか」


 だが、この格好こそ「全てを創る人(トライ・アンド・エラー)」エーゴスに最もふさわしいと言える。


 彼の持つ征服王の残滓には「全てを創る人」という、あらゆる分野の開発に関して万能な能力が備わっている。

 

 研究は多くの試行錯誤を積み重ね、真理へと近づいていく。彼の力は、単純にその失敗が少なくて済むというものだ。ただ、馬鹿にはできない。彼は、一世紀はかかると言われた研究をたった三ヶ月で成し遂げた実績がある。

それに、大征服団エーゴスは彼の能力を十二分に活用し、貿易業でも成功を収めていた。百年先を行くと世界の有識者に言わしめる彼の工房に多くの国が注目している。彼の発明品を心待ちにしている熱狂的なファンが世界中にいるのだ。

今日も、本来は社外秘である工房への取材を快く引き受け、技術を公開しようとしている。

 

 こうした世間への貢献度の高さから、アドラシオンに立ち並ぶ征服英傑の一人としてエーゴスは称賛の声を我が物にしていた。

 だが、それらの伝説級の逸話を加味しても、タツミは彼のことを好きになれそうにない。


「いやーしかし、一ノ瀬ちゃんにはもう決まった男がついていたか。実に残念だ。あんな美人、そう簡単にはお目にかかれない。ぜひ一晩を共にしたかった」


 同族嫌悪というべきか。タツミにそう指摘すれば断固として首を横に振るだろうが、エーゴスの軟派ぶりには同じ穴のムジナである彼も辟易していた。


 エーゴスとタツミが顔を合わせてまだ半刻と経っていない。

 だがしかし、タツミは断言する。住む場所は同じ穴でも、エーゴスは同族ではない。


「教えてくれ、田中少年。どんな手を使った? どれほど甘い言葉で囁けば、あの眩しい銀髪に触れられるんだ」


女性軽視、まではいかない。しかし、タツミには、彼の傷一つない完璧な容姿と経歴からくる自惚れが、自然と自分優位な考えにさせているのでは、と思わずにはいられなかった。

 気軽に肩を組める同志にはなれそうにない。


「誤解されているようですが。一ノ瀬さんと僕は恋仲ではありません」


 銀髪に触ろうものなら髪より細く千切りにされそうだ。


「ほう、ではいいのか? 口説いても」


「駄目です。事務所NGです。それに、女性に節操がない人は、一番嫌いなタイプですよ」


「僕らみたいな」と付け加えかけて、タツミは顔を顰める。やはり同類に語るのは生理的に受け付けない。


「嫌悪感は心の遠さではないよ。より深く踏み込んでいるからこそ、拒絶したくなるのさ。どんな形であれ一度心に巣くってしまえば、あとはこちらのものさ」


 エーゴスにとっては恋愛事も試行錯誤か。難解と語っておきながら、いつか女心を理論づけてしまう日が来るのかもしれない。

 その理論書だけは決して手に取るまいとタツミは誓う。


「だから、田中少年。今日の一ノ瀬ちゃんの帰りは遅くなるよ」


「……明日も仕事ですので。朝帰りは止めてくださいね」


「善処するよ」 


 ご機嫌で手を振って去っていくエーゴスの背中を、嫌悪感を隠せないタツミは睨みつける。

できるものならやってみるといい。そして殴られてしまえ。


「や、やっぱり、僕もレイちゃんにぐいぐい言ったほうがいいのかな」


「参考にしないほうがいいと思いますよ」


 アドラシオンがメモ帳に何を書いているのか気になるが、何を参考にしたらレイラがなびくのか、タツミも知りたいぐらいだった。


「自分の力で何とかするしかないよなあ」


 結局はそれしかない。誰かに聞いたぐらいじゃ不仲が解決するはずもない。当人と向き合って、心を開き合うしかないのだろう。

 前より大きな錠が落とされた箱を開けるには骨が折れるだろうけれど。

 タツミは、昨日と違い委員会の制服に袖を通したシェリーに目を向ける。彼女は、タツミと話しているときには決してしない微笑みでスタッフたちと談笑していた。

 

 タツミは不機嫌そうに首を擦ることしかできない。

 愛想笑いだと知っている。流石、政治家の娘と言うべきか、シェリーは既に処世術として自身の笑みが大きな武器であることに気が付いている。花束にも勝る彼女の笑顔を向けられて、いったいどれだけの人が心に鍵を掛けたままでいられるだろう。

 でも、そんな色鮮やかな花弁が欲しいのではない。タツミが知りたいのは、欲しいのはその中心。花びらを散らさずに、おしべを折らずに核へとたどり着く。


「ソレ」を手に入れる必要がタツミにはある。


 だが、彼の決意もむなしく、シェリーと一言も話すことなく収録は開始された。

 大征服団エーゴスの工房をシェリーたち三人が練り歩く。時折、エーゴスの案内を挟みながら普段は覗くこともできない施設内部の全貌が明かされていく。


「普段の巡回業務でもここまで内部には入れないのですが、目を疑うものばかりが並んでいますね」


 嵌めるだけで筋力を倍増させる腕輪や履くだけで空を舞うことのできる靴。衝撃を吸収する服や数秒先を見通すサングラス。まだ実用段階には至っていないと言うが、常軌を逸した発明品の数々が工房に並んでいる。

 仕組みを説明されても解らないが、これが完成し量産されれば確実に番付に影響が出るだろう。


「ぼ、僕も初めての物ばっかり。こんな征服団を相手にしないといけないなんて、

先が思いやられるよ」


 素直に目を丸くするアドラシオンに対して、しかし、エーゴスは胸元で腕を組み顎を掻いた。


「君が言うと誉め言葉にならないよ、アドラシオン。この科学力を持ってさえ、君は打倒できない」


 世界一の科学力を持つ大征服団エーゴスだが、征服抗争において、アドラシオンを打ち負かしたことは過去に一度としてなかった。

 たとえ新たな発明品を百の軍が身に着けていても、英雄は赤い拳一つで捻り潰してきた。


「せめて、兵器の威力を大幅に上げられればとも思うけれどね」


「それは禁止されていますので」


 ぴしゃりと断言したのはシェリーだった。昨日とは違い、委員会の制服を纏っているので少し厳とした声を発しただけで空気が乾いた。


「征服抗争は規定で殺傷能力の高い兵器の使用を禁止しています。エーゴスさんのところは今ですら基準値の上限いっぱいですから、これ以上は」


「一ノ瀬ちゃん、テレビ」


 シェリーの斜めになった眉に対し、エーゴスは爽やかな笑顔でカメラを指す。


「もちろん僕たちもわかっている。それに、単純に威力だけで征服英雄を打ち負かそうなんて、無粋の極みさ。僕は『全てを創る人』。どんなに遠回りをしても、必ず壁を打ち壊す。だから、安心して笑ってくれ。綺麗な顔が台無しだ」


「……失礼いたしました。出過ぎた言葉でしたね」


 空気の弛緩をタツミは肌で理解した。

 それにしても、エーゴスの余裕な佇まいには驚いた。国内征服者番付の上位ともなれば、シェリーの威圧もそよかぜと変わりないのだろう。

 実力だけではない。彼は、今回の撮影に、委員会の好感度を上げる意図が含まれていると承知している。公共の電波で、征服者と委員会の衝突を垂れ流す意味がないことも理解している。

 だからあえて笑顔で流し、自らの熱意を示すことで注意をそらしたのだ。

 飄々としているようで先を考慮した身のこなし。タツミはエーゴスの認識を改めるべきなのだろう。

 

 だが、承知の上でなお、タツミは顔を引きつらせた。

 シェリーがまた顔を綻ばせたのだ。それだけでなく、軽々しく肩に回されたエーゴスの手を払いのけずにいる。

 カメラのテープ交換中も二人は和やかに会話していたほどだ。

 ああ、なんて絵になる光景だ。まるで、おとぎ話のお姫様と王子様だ。万人がお似合いだと手を叩くに違いない。

 その万人の中にタツミは含まれていないが。


「この後はどうしようか。工房内を回ると言っても代り映えしなくて退屈だ。どうだろう、実践形式の演習でもしてみようか」


 エーゴスの提案に撮影陣が色めき立つ。

 無理もないだろう。数か月前に実現できなかった大戦を、模擬戦とは言え、独占的に映像に残すことができるのだ。工房内の映像と併せれば、高視聴率は間違いない。


「申請がなくては征服抗争を認められません」


 ただ、委員会として、シェリーは「是非どうぞ」とは言えない。

 征服抗争に事前の申請が必要となるのは、それが紛れもない戦闘行為だからだ。いくら殺意がなくとも、放たれた銃弾は魂を簡単に貫く。規制がなければ、征服者同士の殴り合いはただの殺し合いに成り下がってしまう。

 だから世界征服実行委員会は、不正の大小に関係なく厳しく対処してきた。如何に世間に詰られたとしてもそれは変わらない。


「そんな大規模な抗争はしないさ。場所も施設内の戦闘場を利用するから危険もない」


「例外はありません。いくらエーゴスさんの申し出でも、ルール外での抗争は委員会が認めません」


 シェリーに一切引く気がないことは明白だった。穏やかに笑いながらも気安さが消えている。


「うーん、こちらとしても英雄相手の実験は重要なデータになるからぜひお願いしたいんだけど。どうしてもだめ?」


「どうしてもです」


 先ほど柔軟な対応をしたはずのエーゴスも、なぜか今回はしつこく粘っていた。

 お姫様と王子様がにこやかな笑顔の裏で思惑をぶつけている。政略結婚とかだったらこんなぎすぎすした雰囲気になってしまうんだろうか。


「ま、まあ。この話はもういいじゃないか」


 その二人の間で困惑しているアドラシオンは差し詰め給仕役と言ったところか。


「僕は何の準備もしてないからさ。今日は手甲も持ってきていないんだ」


 丸太と見紛う腕をばたばたと降って丸腰をアピールする征服英雄に、エーゴスは表情を崩さないまま大げさに肩を上げる。


「そうかい。ぜひ取れ高を作りたかったんだけど、仕方がないね。僕、タレントの方は三流でさ。知名度一気に上げたかったんだけど、残念」


 エーゴスの自虐につられてスタッフたちが笑顔になる。彼らの中で、水面下の攻防を認識できた者はいたのだろうか。昨日の一件もある。腰を抜かすよりも気が付かない方が吉だが、征服者の本能で脅威を感じ取ってしまうタツミは安穏としてはいられない。 

 ただ、防波堤として頑強なアドラシオンの存在はやはり大きかった。

 彼が委員会、もとい、レイラの味方でいるということは、タツミにとっては巨万の富を得るよりも心強い。 


 笑顔に隠された舞台裏の綱引きに、やはり誰も気が付かずに撮影は再開される。


 このまま撮影について回ってもタツミにできることはない。せっかくなのだから、工房内を散策することにした。

 すれ違う研究員たちに笑顔でお辞儀をしながら廊下へ出る。銀髪とサングラスのせいで露骨に避けられているのが分かるが、ここでは変装道具を外すわけにはいかない。


「どこかいい場所があればいいけど」


 タツミは辺りを窺う。人がいないことを確認しながら通路の奥へと進んでいく。


「いやー、鬘が蒸れる。早く取りたいなー」


 誰に聞かせるためでもない、ただ自分の緊張をほぐすために大きめな独り言を漏らす。

 徒然な足付きではない。しかし、恰も散歩をしている足取りでタツミは歩を進める。

 少しばかり時間をかけてたどり着いたのは、広大な敷地の隅に立つ古びた倉庫。他の倉庫や研究所に比べれば小さい。

まるで、入る価値は一切ない、大事なものはない、とでも言いたげだ。


「もう限界だなー。ここでいいか」


 タツミは、古びた倉庫についた最新鋭のセキュリティロックに、今朝、レイラからもらった腕時計を翳す。

 ひっそりと開く扉と変哲のない腕時計を交互に見比べながらタツミは感嘆のため息をついた。


「どこで用意したんだろう、コレ」


 改めてレイラの底の深さに驚きながらも、サングラスと鬘を懐にしまい薄暗い通路を進む。足音は立てない。靴底を毛ほども削らないよう慎重に、しかし、大股で確実に目的の物を探す。

 警備は厳重だった。他の施設とは違い、研究者だけでなく征服者の陰がある。さながら訓練された軍人の揃った足並み。数か月前のトラウマを想起しそうになりながら、タツミは速い鼓動を何とか抑え、隠れながら進んでいく。


「……ここか」


 物陰に身をひそめるタツミの視線の先には、一際大きな扉。その前には特に凶悪な装備を携える征服者が五人。

 明らかに実力者だ。そこらのはぐれや弱小征服者とはわけが違う。一歩一歩の重みに身震いする。さすが、大征服団エーゴスに籍を置く征服者だ。

 おそらく全員がBランク以上。今のままのタツミでは、一人として膝を付けることはできないだろう。


「さてと。どうすっかな」


 しかし、狂乱者として変異すれば話は別だった。炎を思わせる逆立つ赤髪とは対照的に、制圧は流水のように滞りなく済んだ。

 手についた汚れを払い落としながら、扉を確認する。やはりここにもセキュリティが掛けられている。


「この扉も開いてくれるといいが」


 側は普通な腕時計を再度センサーに翳す。

 無事扉は開いた。不気味なほど順調だ。再びため息が漏れてしまいそうになるが、気を引き締めるためにもタツミはそれを飲み込んだ。

 タツミとレイラの勘が間違っていればいい。その時は、委員長の不思議権力で丸く収めてくれるだろう。

 だから、確認するまでは息をつく暇はない。

 タツミは口を固く結んだまま、緊張の一歩を踏み出した。


「なるほど、謀られた。君があの闖入者か。田中少年」


 肩を掴む白衣の腕一本。その細腕に掴まれただけで、彼の体は固まった。足は敷居をまたぐ前。宙に浮いたまま危険を察知して止まっている。


 タツミはまだ狂乱者の状態を解除していない。


 だけど。それでも動けずにいる。


「察するに委員長の差し金か。飛んだ隠し玉だな」


「……すみません。エーゴスさん。迷ってしまいまして」


 タツミの後ろに立つは、大征服団の長、エーゴス・リンドバーグ。


「撮影の方は大丈夫なんですか」


「いくらでも抜け出せるさ。嘘は得意なんだ。君は、あまり上手とは言えないね」


「何のことでしょう」と言ってみたものの、はぐらかすには些か遅すぎる。


 この状況でエーゴスはどう動く?

 タツミには問うまでもない。ここまで来て後に引けるわけがないのだ。

 彼は、万力で挟まれている宙ぶらりんの脚に力を込めた。


「止めた方がいい。今が引き際だ。その足を戻せば君は田中少年のままでいられる。僕の記憶からはその赤髪は消しておこう」


 タツミの肩に指が食い込む。警告音の代わりに骨が軋む音がした。


「大人しく戻ることにします。すみませんでした」


 タツミは脚を戻した。進めるよりも容易く、思い通りに体が動いた。鬘をかぶって満面の笑みで振り返る。


「さあ、戻りましょう。皆さん待っていますよ」


「分かってもらえればいいんだよ」


 笑顔の中で穏やかではない視線が交錯する。

 しかし、火花が散ることはない。


「その腕輪。基準値超えてるぜ」


 電光石火よりも素早く、タツミは後ろに飛び退いた。

 正確には、床から足を離した瞬間、迫る蹴りに吹き飛ばされた。

 タツミの体は放り投げられた蛙のみたいに滑稽に宙を舞う。それでも、猫のような軽い身のこなしで何とか着地すると、赤くなった左手を擦りながら近くにあったぼろ布を掴んだ。

 布は無数に並ぶ木箱に掛けられている。


 その木箱をこつんと叩いてタツミは口角を歪める。「ビンゴだ」。そうずばりと言い切り、布を引きはがした。

 証拠は揃った。もはや変装する意味はない。タツミは鬘を投げ捨てると、まっすぐに伸ばした人差し指を突き付けた。


「はぐれに兵器を流したのはお前だな。エーゴス・リンドバーグ」


 顕わになったのは散々苦戦を強いられた重火器。そう、はぐれが所持していた光弾銃だった。


 まだ太陽も顔を出していない早朝。事務所に呼び出されたタツミがレイラから聞かされたのは、大征服団エーゴスへの潜入捜査任務だった。


「ただのテレビ撮影じゃないんですね」


「ないんですよー。タツミ君も疑ってるんでしょ?」


 最初に違和感を覚えたのはタツミだった。はぐれたちの扱う詳細不明の光弾銃を見た時、脳を舐められている悍ましい既視感があった。それは、うぬぼれていた駆け出し征服者の心に刻まれたトラウマだったが、銃に形の違いはあれ、二つを結び付けるには十分だった。

 エーゴスの軍隊が持っていた火器とはぐれの光弾銃は似ていた。


「まあ開発されている全ての武器が狙いすましたかのように基準値ぎりぎりだしー、白であれ黒であれ、探りは入れたいよねー」


 最新鋭のロックを解除した腕時計はこの時に渡されたのだ。

 事務所のお気に入りの椅子に凭れ掛りながらレイラは続ける。


「ちなみにシェリーちゃんには内緒ね」


 どうしてだ。タツミはすぐに聞き返す。嘘や演技が苦手なタイプではないはずだ。


「この件、あの子は失敗続きだからねー。むきになられても困るから」


「そうでした」


 というかすでに前科がある。

 こんな経緯から、タツミはマネージャー業にいそしむ傍ら、エーゴスの秘密を探していたのだ。

 結果は真夜中よりも黒。言質を取らずとも、タツミの左腕に残る鈍い痛みと、木箱に並ぶ光弾銃が何よりの証拠だ。


「なぜこんなんことをしたのか聞きたいかい?」


 エーゴスが足を踏み入れた途端に暗かった室内に明かりがつく。思いの外広いこの空間には光弾銃以外にも武器が並んでいた。

 この全てが基準値を超える、すなわち、殺傷力の高い武器だというのか。


「そうだな。ぜひ聞かせてくれ」


 だとすれば、時間を稼いだ方がいい。

 狂乱者の状態にありながら、タツミは大きな生唾を飲み込んだ。

 エーゴスが身に着けているのは筋力上昇の腕輪だけではないはずだ。その四肢に、胴体に、口に、鼻孔に、兵器を忍ばせていると考えた方がいい。


「ではお話しするとしよう」


 エーゴスの紺色の髪が目の前で優しく揺れる。


「ただし、時間稼ぎはさせない。君には不慮の事故にあってもらう」


 しかし、劇物を彷彿とさせる悪意のこもった声はタツミのうなじにぶつかった。

 タツミがお返ししたのは振り向きざまの回し蹴り。

 だが空を切った。避けられた、と言ってしまえばそれまでだが、タツミは目の前の事実に驚愕を隠せない。

 エーゴスの姿が消えていた。


「光学迷彩か」


 それも完璧に姿を透明にできてしまうほどの高性能。


「まさか、その薄汚れた白衣にそんな機能があったとは。驚きだな」


「おしゃべりに付き合う気はないよ」


 頼れるのは聴覚のみ。だが、征服者が本気になれば蚊のささやき声ほどの音も出さない。

 となれば、タツミは高速で動き続けるしかない。下手に動くのは下策と思われるかもしれないが、光弾の脅威を身をもって体験している分、足を止めるという選択肢はない。


 結果、その判断は正解だった。


 緑色の光が降り注ぐ。タツミが割って入った征服抗争の時とは威力が段違いだ。征服者の視認できる限界すれすれの速度で光弾が迫る。それに一度でも触れたなら骨すら溶かされるだろう。

 はぐれ達が使っていた者の複合及び強化版といったところか。


「あんた、こんなものを征服抗争で使うつもりだったのか」


「そうとも。抗争終盤、抑えていた威力を解放してアドラシオンにぶつける筈だった。君のせいで、かの英雄は救われたけどね!」


 緑の光弾に溶かされた壁から異臭を放つ煙が上がる。ここに長居しては、まず先に肺がやられてしまう。

 エーゴスを捕まえたくても依然として透明なままだ。

 ならば、とタツミは唯一の出口を目指して走り出す。あそこから出て助けを求めればいい。この敷地内には頼りになる味方、征服英雄がいるのだから。


「させないよ。君はここから出られない」


 タツミの動きは予見できるものだった。真剣勝負ではないのだ。一対一で不利ならば、味方を呼ばない道理はない。

 だから簡単に読まれた。


 しかし、裏をかくのが容易なら、さらにその裏へ回るのは難しいことではない。


「捕まえたぜ」


 タツミは虚空へ手を伸ばす。その手は確かに掴んだ。感触からしてエーゴスの白衣に違いない。

 掴んだその手を離さずにタツミはエーゴスを引き寄せる。そして、そのまま反転。見えないエーゴスを背負い上げ、力任せに地面へ叩きつけた。


「ガァハッ!?」


 エーゴスの肺から苦しそうに息が飛び出る。

 まだ逃がすまい。タツミは両手で未だに透明エーゴスの体を押さえつけた。


「大人しくしろって言ったら聞いてくれるか」


「……失敬。侮っていたね。僕も本気を出そう」


 ここで幕引き、とはもちろんいかないようだ。

 唐突に、タツミの体が宙に浮いた。おそらく、工房でに合った浮遊を可能にする靴の影響だろう。

 だがしかし、体が宙に浮こうとも、それだけで拘束を解くタツミではない。

 手探りでエーゴスの首を掴む。何かされる前に絞め落とす。


「熱っ!?」


 悪手だった。首に回した腕の異変にタツミは距離をとり、征服の上着を脱ぎ棄てた。袖の部分が溶けている。溶解液を付けられたのだ。

 腕に外傷はない。しかし、腕に火傷を負おうともタツミはエーゴスを離すべきではなかった。


「さあ、詰みだ」


 囲まれていた。数は定かではないが、征服者たちが周りで光弾銃を構えてタツミの全身を狙っている。指一本でも動かそうものなら、すぐさま緑の光弾に体を貪られるだろう。

 そして何より、せっかく捉えたエーゴスを逃がしてしまった。

 互角だった二人の勝負だが、敵の援軍と依然立ち込める異臭でタツミが崖際に立たされた。


「今から忘れてもらうってのはできるかい」


「言っただろ。おしゃべりはしないよ」


 交渉の段階はとっくに過ぎている。その最後の紐を切ったのはタツミ自身なわけだが、今更ながら後悔してしまいそうになる。


 けれど、その後悔も「規格外」は血の滾る期待に変えてくれる。


 天井をぶち抜いて現れた「規格外」にこの場の空気は一新された。


「遅れてごめん!」


 ヒーローは遅れてやってくる。ただ、想定よりも早く希望はタツミの目の前に着地した。


「いや、時間稼ぎをミスったのは俺だ。気にすんな」


「ほ、本当に性格変わっちゃうんだね。不思議」


 逆立つ赤髪に怯えながらもアドラシオンは腰を深く落として構えた。

 隆とした構えはタツミの背中を勇ましく支える追い風だ

包囲している征服者たちは、怖気づかずとも緊張が心を占めているはずだ。


「スタッフさんたちの避難に手間取っちゃって」


「シェリーさんはどうした?」


「すぐに来ると思うよ。な、なんか怒ってたけど」 


 黙っていたことについてだろう。素直に頭を下げるとタツミは決めた。もちろんレイラを盾にはするが。


「アドラシオン。目障りだな、君は」


 エーゴスはあえて姿を晒した。何もないかった空間に彼は現れる。

 でも、征服英雄を目の前にその豪胆さ。まだ何かを隠しているとしか思えない。


「エーゴスさん。これでも僕はあなたを信頼していたんですけど」


「君の目が節穴だっただけさ」


 この会話が最後だった。たったこれだけが、同志としての決別の言葉だった。

 エーゴスとアドラシオンの拳が激突する。


 その衝撃の余波は、アドラシオンが突き破り脆くなっていた天井を吹き飛ばした。

 地も空も問わずに連続する衝突は、太陽の光を反射する湖面の煌めきを想起させた。


「まだ互角か、アドラシオン。つくづく君という人間は恐ろしいよ。僕は何千もの発明品を身に着けているというのに、その体一つで全てを凌駕しようというのだから」


 征服王の残滓に特殊な能力が付随するのは稀な例だ。


「念動力」「狂乱者」「隣人の幸福」「全てを創る人」。これらの特殊な力は、いわば強大な副産物。たまたま授かり、ただそれだけで強者の道が約束されるというものだ。

 だが、強者だからといって全ての人がこの副産物を手にしていたわけではない。


 征服英雄アドラシオン。彼は恩恵を授からなかった。


 スタートラインはこの場の誰よりも後ろだった。しかし、その足のみで他を追い抜き、拳のみで圧倒した。


 血を流し、汚泥を啜って猶、頂に立ち続ける努力の人。


 そんな彼に敬意を表し、征服英雄とは別の名で皆がこう呼ぶ。

 

 ―――『ただ強き凡人』。


「君の努力を僕は嫌いになれない。だが、邪魔だ。分かってくれ!」


「分かりたくありません!」


 超人二人の頂上決戦にタツミは加わらなかった。先ほどエーゴスと互角の立ち回りをしたタツミだ。自分が割って入ることで英雄の邪魔をするとは思っていない。

 それよりも最適な行動を彼は知っていた。


 赤髪の鬼人が起こした行動は、他の征服者の制圧だった。超人二人に中てられて、彼らの包囲網に穴が開いたのだ。その穴がふさがる前にタツミは二本の短刀を滑り込ませる。奴らが銃を構え直すよりも早く壁を駆け上がり、敵の眼前や背後に立って反撃を許さない剣戟を繰り出す。


 この制圧が終わればアドラシオンの救援に向える。そうすれば、エーゴスがいかなる発明品を繰り出そうとも対応できるはずだ。

 まるで砂山の棒倒しのように。少しずつタツミとアドラシオンはエーゴスを追い詰めていく。主導権は既に握っていた。均衡を崩すのは彼らで、いつ、どちらに棒を転ばすのも二人次第だった。


「二人とも! 加勢します!」


 失敗は彼女の「運」を計算に入れていなかったことだろう。

 一ノ瀬シェリーは紛れもなく実力者だ。それはこの場においても同じで、彼女が多数の征服者に圧倒されるということはないだろう。

 ただの強者の介入であれば、勝利の天秤はタツミたちにさらに傾いていた。

 だが、彼女の抱える「超えるべき不幸」はこの状況では厄介な錘だ。

タツミとアドラシオン。両者の意識が彼女に反れた一瞬を、エーゴスが逃すはずがない。

 アドラシオンとの均衡を潜り抜け、エーゴスがシェリーへの一歩を踏み出す。彼女ももちろん構えたが、彼女の赤い拳は征服英雄と比べると細すぎた。エーゴスは拳を掌で受け止めるとそのまま掴んで体を持ち上げ、何回も床に叩きつけた。

 先にその間に割って入ったのはアドラシオンだった。エーゴスとシェリーを引きはがすために手刀を振る。


 しかし、読まれていた。


 エーゴスは少しだけ腕を動かした。手刀が当たる位置にシェリーの腕を引いたのだ。

 たったそれだけでアドラシオンの手は止まってしまう。

 にたりと笑うエーゴス。彼も均衡が崩れるのを待っていたのだ。そして、その一瞬を、彼女を狙うというただ一手だけに使うはずがない。

 隙を盗んでかけたサングラス。あれは数秒先を読む発明品だ。

 今まで同地点、同タイミングで始まっていた号砲にずれが生じる。その誤差を修正する前に、アドラシオンは捕まってしまう。


 エーゴスは彼を投げ飛ばすだけで終いにした。更なる追撃は深追いだと理解しているからだ。

 今すべきはシェリーの確保。征服英雄の足かせになる彼女を人質にとれば、砂山の棒倒しを制するのはエーゴスだ。


「させるかよ!」


 だから、タツミは先回りしていた。叩きつけられた痛みで蹲る彼女を掬い上げ離脱を図る。

 それが彼にできる最善だった。


「分かっていた。少年。君と僕は似ている。必ず女性を優先する。そうするだろうと思っていた。」


 最悪の結末を迎え入れると分かっていても、タツミの行動は変わらなかっただろう。


 猛烈な腹部の違和感にタツミは視線を落とした。

 ああ、久しい鉄の味だ。錆びた鉄棒を舐めてしまった馬鹿みたいな幼少期を思い出しながら、喉の奥から湧き上がる液体を飲み込んだ。

 

 タツミの腹から血まみれの手が突き出ていた。


 ゆっくり抜かれるその手を呑気に眺めて、タツミはシェリーを下敷きにして倒れ込む。


「空閑タツミ! しっかりしなさい! しっかり!」


 シェリーの声が震えているのが分かる。流石の彼女もこの状況では動揺するらしい。


「すまねえな。だけど、制服は黒だし、血も目立たねえ。洗って落ちなくても勘弁な」


「こんな時に軽口を叩くな! すぐ止血する」


 止血にも限りはある。人の握りこぶし大の穴だ。医療器具があったとしても止血

には時間がかかる。シェリーは傷口を押さえるが、さっきまで白かったタツミのシャツが瞬く間に赤く染まっていく。


「二人ともじっとしててね」


 アドラシオンは、ぐったりとして動かないタツミと慌てるシェリーを抱え上げる


「揺れるけど我慢して。今すぐ離脱する」


 それは駄目だと、か細い蝋燭の火のような意識でタツミは言葉にならない声を出す。

 今引けばエーゴスはさらに準備を整える。己の開発したすべての発明品を身に纏い、難攻不落の動く要塞になり果てる。それに軍隊も揃えられるだろう。その全員が、エーゴスと同じ武器を所持すれば、手が付けられなくなる。


 タツミの命を犠牲にしても、今、エーゴスを叩き潰すべきだ。


「行くといい。ここまでの騒ぎになれば、もはや隠し通せない。だが、次会う時は、征服団の全勢力をもってお相手しようじゃないか」


 その自信に一つの瑕も無し。エーゴスは仰々しく胸に手を当てお辞儀した。


 おそらく、アドラシオンもここで引くべきではないと理解している。

 ただ、彼は英雄だ。敵大将の首よりも仲間の傷を塞ぐことを選ぶ。

 開けた天井からアドラシオンは飛び上がる。一刻も早くタツミを病院へ連れていくために英雄の脚はアスファルトを踏み続けた。


 まさかこんな形で自分が足を引っ張ってしまうとは。飲み込む気力すらなく、タツミは口の端から血を垂れ流す。


「ごめん、なさい」


 高速で走り抜け轟々と風が鳴る中でも彼女の呟きは聞こえてしまった。聞かれたくないだろうに。この時ばかりは、征服者のしぶとい体はお節介だ。

 ならばせめて泣き顔だけは見てやるまい。


 涙に歪む青磁色の瞳を視界に収める前に、タツミの意識は静かに暗転した。

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