第6話 偉大なる赤い巨拳
タツミが「狂乱者」の名を持つに至った騒動について、シェリーは寡聞にして知らなかった。しかし、恥じる必要はないと、レイラはお気に入りのレトロゲームを操作しながら笑う。
「だって情報規制したの、私だし。タツミ君の事件を知ってるのは、事件の関係者ぐらいだよ」
あっけからんと歯を見せて笑う上司に、シェリーは憤りを隠さずにいられない。
いや、腸が煮えたぎっているのは違う男のせいだ。
今から一週間前。はぐれ拠点の偵察任務。結局、偵察では済まずにビルの半壊を引き起こすほどの大乱闘になり、その事後処理に追われていたわけだが、問題はそこではない。
まるで別人になった空閑タツミの変異について、未だにシェリーは何の説明も受けていない。時間がそれを許してくれなかったのだが、この一週間、彼女は気が気でなかった。
鬼や悪魔でも憑依したのではという、荒れ狂った戦い方。口調や顔つきからは彼の元来持つ柔らかさが失われていた。
あの強さは委員会にとって脅威になりうる。
タツミは、委員会に紛れ込んだ異分子だ。最近は急にやる気を出し始めたが、いつ隠した爪を出すか分からない。
もし、仮にあの状態のタツミとレイラが相対した時、果たして一対一で彼を制圧することができるだろうか。
あの日のタツミを思い出しながら、シェリーは自己嫌悪で唇を噛んだ。
「教えてください。空閑タツミについて」
情報規制を布いたという割に、レイラは簡単に口を開いた。未だにゲーム機を離してくれない所に温度差を覚えるが、その熱に無関心になってしまうほど、タツミのとある事件は劇的だった。
「もう知ってるなら、隠す意味ないね」
空閑タツミの故郷には、日本で誰しもが一度は耳にしたことのある主要征服団がいた。その征服団は、現在の番付NO.2「征服英雄アドラシオン」と鎬を削りあうほど強大な組織だった。
とある事件で征服英雄の優位が確実になり、その地方は彼に征服されたわけだけど、両者の実力が拮抗していたことに違いはない。
その征服団は、征服英雄が首都に拠点を移した後も、その場に残り征服活動をしていた。
はずなのだが。
「今から三ヶ月くらい前かな。壊滅させられたんだよ」
その言葉をシェリーは疑わずにはいられない。思わず大きく唾をのむ。
征服英雄と競い合う実力があるということは、紛れもなく、日本を代表する主要征服団の一つだ。
「まさか、その征服団を潰したのが」
「そう、タツミきゅん」
きゅんって何だ、きゅんって。
しかし、驚きで蓋をされたシェリーの口からはそんな指摘も出てこない。
「無認可の征服抗争があったの。タツミきゅんの道場破りみたいなものだけどね。でもね、征服団はそれを受けたんだ。生意気な駆け出しに教育的指導のつもりだったんだろうけど、まさかのまさか、逆に負けちゃってねー」
以前なら簡単には信じられないだろう。だがしかし、タツミのあの変貌を知っていれば話は現実味を帯びてくる。
「抗争後の現場は、酷い有様だったよ。建物は壊れてるし、道路は割れてるし、征服者たちは石ころみたいに転がってるし。そんで、その戦い方と彼の豹変っぷりから『狂乱者』って命名したの。まあ、指名手配みたいなもんだよね」
「え? ですが、先ほど情報規制されたと」
レイラがゲームから目を離して顔を上げる。糸目から覗いた黒真珠の瞳が驚きを隠さずに光る。
「タツミきゅんがなんで征服抗争に割って入ったか、忘れちゃったの?」
言われてはっとした。世間を騒がした馬鹿男の無茶な動機を忘れるとは、シェリーは自分が思っている以上に、今の状況に混乱しているのかもしれない。
ルーキーの成り上がり。駆け出し者の大博打。
空閑タツミは自身の名声を日本中に轟かせるために征服抗争の邪魔をした。
それを見越していたレイラは、各報道に箝口令を布いて狂乱者の謀りを挫いたのだ。
「秘密裏に捜していたんだけどね、まさか名前を聞くまで気づかないなんてねー」
「あの差分では致し方ないかと。それで、十中八九、あの変異が征服王の残滓の力だと考えていいのでしょうか」
「だと思うよ、たぶん」
隣人の幸福とは違う純粋な強さ。
あの衝撃は、征服者の活躍を心待ちにしている観衆の心に鮮烈な爪痕を残す。
シェリーが中断した征服抗争に先があったなら。容易に想像がつく。
ひ弱な少年が急変し、筆頭征服者たちと互角の立ち回りを披露する。無名の下剋上ほど劇的なものはない。赤髪の悪魔がまき散らす炎より苛烈な紅の鱗粉は、刺激を期待する観衆には麻薬になりうる。
無謀な賭けではなく、最終兵器を腹に隠した少年の策略だったとは。あの軟派者の笑顔の凶悪度を再考する必要がある。
「委員長にも考えがあっての事だとはわかりました。感服します」
「シェリーちゃんに褒められると照れちゃうなー」
「ですが、なぜ私には教えてくださらなかったのですか?」
「……忘れてた。てへ!」
ああ、ゲーム機をかち割りたい。
しかし、レイラは振りかぶりそうになる拳を何とか堪える。
全身がプルプルと震え、フリルのついたスカートがひらひらと動いているが、ここはあえて堪えよう。
タツミの件は、ここ最近の彼女にとっては謎の一つであったが、目下の謎は別にある。
世界の不思議なんて目じゃない。
切り裂きジャックよりもおぞましくて、ナスカの地上絵よりも意味が分からない。
いっそ宇宙人に操られていると言ったほうが、気休めにもなる。
「なぜ私はこんな格好をしているのですか!?」
シェリーの頭には小さいハートの髪飾り。対照的な大きなリボンを腰につけ、膝上二十センチのスカートには目が痛くなるほど鮮やかなピンクのフリル。靴にはなぜか小さい翼。
まるで、というか正しくアイドルの服装だった。
それも少しぶりっ子系でシェリーの容姿には不釣り合いだ。
「まあまあ、いいじゃない。これも委員会のためになるんだから」
「意味が分かりません」
楽屋の鏡に映る自分を直視できない彼女には、とてもじゃないが容認できない。
ビル半壊の事後処理が漸く終わりを迎えた時、シェリーはレイラに呼び出されていた。タツミの件を聞こうにも機会がなかったので素直に従ったのだが、行き先ぐらいは確認すべきだった。
「シェリーちゃんの可愛い姿がテレビで流れれば、委員会の人気は鰻登り。好感度爆上げだよー」
まさかテレビ局に連れて来られるとは思ってもいなかった。
「私にはできません!」
「同意です!」
楽屋のドアをけたたましく開けて、頼もしい宣言とともに入ってきたのは、話に出ていたタツミだった。
「テレビ出演なんて絶対だめです!」
噂をすれば影、なのだろうが、狂乱者の件があるのでシェリーは思わず後退る。今のタツミには征服王の残滓の影響は出ていないが、深さを測れない赤い目に警戒の縄を何重も張ってしまう。
だが、彼の剣幕は今のシェリーにとって追い風だった。
言ってやれ、とシャリーが無言で念を送る。
全国民を謀ろうとしたその聡明な頭で弁舌をかますのだ。
「彼女の美貌は僕の物です」
「痴れ者め!」
堅い拳がタツミの顎を打ち抜く。
舌を噛み千切ってしまえ! とシェリーは振り切ったが、手甲を付けていない分、大した威力はなかった。それでも膝を折ってしまったタツミには、やはり狂乱者の片鱗はない。
「あ、あと、シェリーさんはキレイ系です。ファンシーな衣装は逆効果です!」
這いずり寄る姿には変態の片鱗を感じるが。
タツミは震える膝で立ち上がると、まじまじと目の前の銀髪少女を眺める。
可愛らしい衣装は確かに普段のシェリーからは想像できない。
ピンクのハートは銀髪と合わさり神秘の泉にいる妖精の姿を想起させる。腰についた大きなリボンは、彼女の細い体を際立たせるし、短めのフリルスカートから覗く足は、甘いお菓子の家に隠れたビターチョコレートだ。
「やっぱり、その衣装いいですね!」
シェリーの瞳は焦点が合わなくなってしまったようだ。
この男は簡単に掌を返しすぎだ。
味方のいないこの状況では、彼女は大人しく諦めるしかなかった。
一方、はしゃぐタツミは、ついにスマホを取り出し始めた。諦念の吐息を漏らす美人を写真に収めながら、ゲームをクリアしたレイラに興奮で光る目を向ける。
「この衣装を選んだのはレイラさんですか?」
「うん! 他に候補もあったけどね」
「いい趣味です! 最高!」
「君にも頑張ってもらわなきゃ困るんだよ。狂乱者君」
するりとタツミの手からスマホが抜けて宙に浮く。額にこつんとぶつかると、持ち主には帰らずレイラの手に収まった。
彼女の征服王の残滓、念動力の仕業だ。
「消去っと」
「ああ! 返してくださいよ」
「タツミ君にはこっち」
彼女の念動力で飛ばされたのは鬘とサングラス。タツミは思わず掴んでしまったが、もはや愛用になってしまったそれに、浮かれた笑顔を消してしまった。
「ビルを半壊させたのは君なんだよ。謝って直してはい終わり、じゃあ済まないと
思うけど?」
事後処理に駆け回っていたのはシェリーだけではない。当人のタツミもしっかりと責任を負っていた。ビルの修復作業や飛び散った瓦礫の撤去。中でも、骨を折ったのは周辺住民への事情説明だった。
幸い怪我人はいなかったが、瓦礫の雨が振ったのだ。騒ぎにならないはずがない。血を流した人がいなくても、周囲の畑を荒らしてしまっていた。
「私怒られちゃったんだよねー。『委員会がでしゃばるから』とか『征服者に任せておけばいいのに』とか。他にも心無い暴言の数々。お姉さんが何度頭を下げた事か。シクシク」
目元を隠して大げさに泣くレイラに、タツミはばつが悪そうに目を伏せる。
嘘泣きは一目瞭然だが、彼女が頭を下げ続けてくれたのは事実なので邪険にはできない。
「二人が委員会のために一肌脱いでくれないと、私、この汚れを知らない麗しい乙女の体を使ってお偉いさんに許してもらうしかないかも」
「分かりましたよ」
「本当? でないと、美人なお姉さんのあられもない姿が」
「分かりましたから! 残念になるので自分で美人とか言わないでください!」
タツミは観念して諸手を挙げる。もともと、自分の責任であるし、隣でぶつぶつ言いながら影を落とすシェリーと一緒に妙な格好をさせられているわけでもない。
これも仕事の一環だと思うしかないだろう。
「それで、我々は何をしたらいいんでしょうか?」
どんよりしながらも腹を決めたシェリー手を挙げると、レイラは糸目を曲げた。
「なーに、簡単だよ。仲良しアピールしてもらおうと思ってさ」
「仲良し? 誰とですか?」
「それはね……直接会ったほうが早いかもね」
部屋の扉がノックされた。
ノックというには聊か以上に大きな音が楽屋に響く。
しかし、タツミとシェリーは耳を塞がずに、知らず知らずのうちに臨戦態勢をとってしまった。
「大丈夫だよ、友達だからさ」
けらけら笑うレイラだが、二人は警戒を解けない。
確かに殺気や怒気は伝わってこない。
だけど、タツミはその存在感を無視することができない。ドアの奥にいる、圧倒的強者の雰囲気。全身の毛穴が痺れる様に痛む。汗が吹き出すと一瞬で肌をつたい、砂漠にいるのかと勘違いするほどのどが渇く。無意識に震える奥歯を抑え込むために首筋に力が入る。
ドアを開けたくない。単純にそう思った。
紛れもなく、これは恐怖だ。
タツミの赤髪がゆっくりと逆立つ。狂乱者の名を冠する彼の脳が叫んでいる。
まだ見ぬ強者と相対した瞬間、死合いは避けられない。
最悪の想像が頭を駆け巡る中、ドアが倒れ始める。先ほどのノックで蝶番が壊れ、ドアが自立できなかったのだ。
心の準備ができぬまま、二人は最悪と相見える。
一撃必殺。シェリーとタツミの二人がかりでかかる。話さずとも、そうしなければ潰されてしまうのは自分たちだと理解していた。
それなのに、動けない。
二メートルを超えるだろう巨体。丸太のような四肢。この図体から繰り出される一撃を想像するだけで、誰もが震えあがるだろう。
驚嘆に足は鎖を巻かれ、畏怖に体は石化させられる。
そして同時に、憧れを抱かずにはいられない。
「ご、ごめんなさい。ドア壊しちゃいました」
巨体が半分に折れる。折れるといっても、腰を直角に曲げて頭を下げているのだ。
巨人の体躯に似つかわしくない弱気を丸出しにして、眉尻を下げながら自信なさげに何回も頭を下げている。
「シオン君、またなのー?」
「ご、ごめん、レイちゃん」
うんざりした様子で口を曲げるレイラとあだ名で呼び合う大男。
そう。彼こそは、全征服者の憧れる大英雄。
「二人とも、今日一緒にお仕事してくれるアドラシオン君でーす」
国内征服者番付NO.2征服英雄アドラシオン。
実力もさることながら、国内人気ではNO.1の征服者が、申し訳なさそうに立っていた。
「さあー、入って入って。急に呼び出してごめんねー」
「ううん、いいんだ。レイちゃんの頼みならどこにだって駆けつけるから」
「言うねー。さすがシオン君。うりうりー」
「ちょ、ちょっと! くすぐったいよ!」
呆気に取られて固まる部下二人をよそに、じゃれつく上司と大英雄。
驚きの鎖を先に解いたのはタツミだった。
「レイラさん! どういうことですか!?」
「今日はねー、シェリーちゃんとシオン君の二人でテレビに出てもらいます!」
「そうじゃなくて!」
それも初耳だし聞き流せないが、タツミが聞きたいのは違うことだ。
「征服英雄とお知り合いなんですか?」
「と言うか、マブダチ?」
マブダチ。まぶだち。MABUDACHI。
レイラの発言に再停止しかけたタツミだったが、どうやら真実らしい。彼女は遠慮なくアドラシオンの背中を叩き、彼は彼で気にせずにニコニコした顔を向けている。
世界征服実行委員長と征服英雄に交友があるなんて。
不思議な話ではない。仕事の都合上、顔を突き合わせる機会もあるだろう。
「なぜお知り合いだと教えてくれなかったのですか!」
だとしても、この事実にタツミは興奮を全身から滲ませた。
「えー、聞かれなかったし」
「自慢してくださいよ! 征服英雄ですよ?」
「シオン君、そんなすごい人じゃないよ?」
「何を言っているんですか! この人よりすごい征服者なんて世界中を探してもどこにもいませんよ。多くの主要征服者が大人数で徒党を組み征服団を結成する中、一人で征服し続ける孤高の征服者。幾千の荒くれ者たちを体一つで圧倒する超近接戦法は、核弾頭をも寄せ付けないとも言われてます。征服した都道府県は計八つ。国内二位の征服度です。戦闘力ランクも国内で数名しかいないSランク! そして! 何よりも尊敬に値するのが、災害救助での活躍です。『人助けこそが僕の征服道です』とは、征服英雄の十六番目の名言にして、五年連続の流行語大賞に選ばれた至言。彼は、その征服道に恥じることのない活動と成果を挙げてきました。水不足の時には他県の湖から大量の水を運び、山火事を食い止めるために木をへし折って止め、海に沈没しかけた客船を担ぎながら岸まで泳いだ。多くの命を救ったからこそ彼は、征服英傑の一人として征服英雄と称されるまでになったのです!」
「さすが、シオン君。どこにでもファンがいるね」
「あんまり言われると恥ずかしいかな」
熱心なファンの熱弁にたじろぐ二人だったが、タツミの勢いは止まらない。舌の根の乾かぬうちに賛美の言葉が連射砲さながらに飛び出し続ける。
「何よりも僕の記憶に残っているのは、故郷のことです。一年前、僕の故郷は大地震に見舞われました。季節は冬。不運にもその年は例年以上の積雪でした。雪崩で村の家々が埋まってしまうほどの」
タツミの脳内に悪夢として記憶されている凄惨な自然災害。
人の背丈をはるかに超えて積りに積もった大雪は、大地震で雪崩となり、村民に牙をむいた。決して人口の多い村ではなかった。だが、それでも被害は甚大だった。まるで積み木みたいに民家が崩れ、逃げ惑う人々が次々飲み込まれていった。
村の消防や警察は既に雪に埋まっていた。道路は雪で絶たれ警察や自衛隊も期待できない。辛うじて助かった人々が力を合わせて救助に当たったが、視界を覆いつくす真っ白な吹雪で救助は難航した。そうでなくとも、雪の中では、誰がどこに埋まっているかなんてわからない。
誰もが、最悪の展開を思い浮かべた。
「それでも、誰ひとり死なずに済んだのは、あなたのお陰です」
手を差し伸べてくれたのは真っ赤な巨拳だった。
救助に手を貸していたタツミは今でも鮮明に思い出せる。ホワイトアウトした村に現れた真っ赤な太陽。
アドラシオンは、地震が起きてからすぐに駆け付けた。都市部から車で三時間の距離を、自らの脚だけで走り抜け、たった十分で辿り着いたのだ。
その類まれない膂力は雪山でも驚異の力を発揮した。固まって重いはずの雪を乾いた砂のように軽々どかして掘り進み、救助者を次々と雪上へと運んで行ったのだ。
地震発生から村民全員が救助されるまで、約一時間。この救出劇は「雪山の赤い奇跡」と言われ伝説になっている。
「僕はあの時、何もできませんでした。無力でした」
いつの間にか興奮は治まっていた。背中を丸めたタツミの潤む目は後悔を映している。
「ずっとお礼が言いたかったんです。僕の代わりに皆を助けてくれて、ありがとうございました」
タツミは深々と頭を下げる。そこにいつもの軟派者の姿はなかった。ただ真摯に感謝を伝え、腰を折る彼の影に数滴の雫が落ちた。
「か、顔を上げてください」
困惑するアドラシオンの声に、タツミは涙を拭って顔を上げた。
「き、君は?」
「空閑タツミと言います」
名前を聞いて、英雄の顔が曇った。彼の耳にも狂乱者の件が届いているのだろう。だが、誹りなどせず、レイラをちらりと見てから優しく手を伸ばした。
「あ、握手をしよう」
「え?」
「過去は知らないけど、君はもう征服者になったんだろう? じゃあ僕らはもう対等だ。競い合う好敵手だ。そんな相手に負い目はいらない。だから頭を下げるんじゃなくて、握手にしよう」
ああ、これこそが英雄の姿だ。
彼が番付NO.1を抑えて国内で不動の人気を誇るのは、成果とは別の理由がある。
大きな掌と大きな心。すべてを受け入れる大海原を思わせる人格が、彼の愛される理由だ。
タツミは、目頭の心地よい熱を味わいながら大きな手を掴んだ。
「はい! よろしくお願いします!」
そして、握手が終わってすぐに、嬉々として手帳に何かを書き始めた。
「な、何してるの?」
「新たな名言を記録しています。やはり大英雄。説得力が違う!」
「や、やめてよ。恥ずかしいから」
『謙虚すぎるのが英雄の瑕』と揶揄されるアドラシオン。だが、彼の慎ましくも頼りがいのある声を聴いていると、それも含めて彼の愛される理由だろうと、タツミは胸を熱くした。
「んじゃあ、そろそろいいかな」咳払いを一つして、レイラが遮る「三人とも。仕事の説明をしたいんだけど」
征服英雄の登場で話が反れた。今日はテレビ局に仕事をしに来ていたのだった。
「二人でテレビに出るって言ってましたけど?」
「その通り! 今日はシェリーちゃんがインタビュアーになってシオン君にいろいろ聞いてもらうの」
「僕は何を?」
「タツミ君はジャーマネ」
はたしてその役割はいるのだろうか?
「シオン君人気だけはあるし、かわいいシェリーちゃんと仲良く話してれば、委員会の人気も出ると思わない?」
思わない? と言われても、タツミにはそうは思えない。
確かに、シェリーは美しい。今すぐアイドルグループのセンターを飾れるだろう。ドラマでヒロインになっても他の女優に負けない美貌だろう。
しかし、嫉妬という言葉もある。美人は美人で生き辛い世の中だ。
それに、委員会がアドラシオンと仲良くしても、胡麻を擂っていると思われるのがおちだろう。
裏目にしか出ないと思うが、レイラだけでなくアドラシオンもなぜか乗り気だった。
噂では、アドラシオンは滅多にメディア露出しないはずなのに。
「レイラさんに何か弱みでも握られているんですかね……シェリーさん?」
タツミが声をかけても彼女から返事がない。
アドラシオンの登場に先に体を動かしたのはタツミだった。まさか、彼女ほどの強者がまだ彼の存在感に当てられているとでもいうのだろうか。
怪訝に思い振り向くと、シェリーはなぜか背を向けていた。体がかすかに震えているが、気のせいだろうか。
少しうずうずしている?。
「どうしたんですか?」
「な、何でもない! こっちを見るな!」
今更になって衣装が恥ずかしくなってきたのだろうか。顔が赤くなり、青磁色の瞳が迷子になってうろついている。
まあ、同じ理由で固まっていたタツミには理解できなくもないが。
「せっかく憧れの英雄がいるんですから、挨拶ぐらいしたらどうですか?」
「あ、憧れてなんていない! わ、私は実行委員会だぞ! 好きな征服者なんていない!」
実行委員が何の言い訳になるのだろう。シェリーは汗の滲む首筋を手で仰ぎながら大きな声で叫ぶ。
分かりやすい動揺だった。これでは肯定しているのと同じではないか。
シェリーの戦い方や、何よりも、いつも使っている赤い手甲を知っていれば、憧憬を秘めているだろうと勘ぐるのは、征服者なら当然の思考回路だ。
隠したい理由でもあるのだろうか。まあ素直に聞いても教えてくれないだろうが。
(いつもの冷静さはどこに行ったのやら)
タツミはため息をつきながら渡された鬘をかぶると、マネージャーとして最初の仕事をすることにした。
「シェリーさん。共演者に挨拶してください」
背中を軽く押す。動転し続ける彼女がアドラシオンに近づくのはそれで十分だった。
シェリーは突っかかりながらも英雄の前で止まる。
緊張を隠そうとしてモアイ像よりも無表情になっていた。
(顔が強張っていますよ、シェリーさん)
小声のタツミの助言も届いていない。
モアイ像がお辞儀する。それだけで、無言のまま倒れているドアを踏み越えて、脱兎のごとく廊下を走っていった。
淡々としすぎて緊張が全く隠せてない。分かりやすくアドラシオンを好き過ぎた。
「ぼ、僕、何かしちゃった」
泣きそうな顔をしたアドラシオンは握手をしようと差し伸べていた手をだらんと落とす。
前途多難なアイドルプロデュースになりそうだ。
英雄の手前、匙を投げるわけにもいかない。
タツミはやる気を失くしかけた瞳をサングラスで隠した。
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