第5話 狂乱者


「それでは、お先に失礼します」


 数時間の押し問答の末、暗い顔で職場を後にしたシェリーを見届けて、レイラはげんなりと椅子に深く凭れ掛かる。

 半開きになった口からは魂が抜け出そうだが、無理もない。


「シェリーちゃん頑固すぎだよー」


 タツミを連れて帰ってきたシェリーから事情を聴き、忙しなく手当てを済ませた後、レイラを待っていたのは部下からの謝罪と処罰の要求だった。

 シェリーはタツミに怪我をさせ、被害者を殺しかけた失態をひどく恥じている様子だった。直角に腰を折り、頑なに頭を下げ続けた。

 ブルドーザーとの押し合いかと勘違いする根競べだった。


 上司が処罰無しだと決定したのに彼女は強情なまま。もういっそ、自分から首を吊りそうな勢いだった。


 帰り道はコトノが一緒に帰る。ホームに立っても万が一はないだろう。

 まあ、仮にシェリーが線路に飛び込んでも、電車の顔が不細工に凹むだけだろうが。


「タツミ君がいながら、酷い有様だよ。まったく」


「無茶言わないでくださいよ」


 疲労を隠せないレイラに珈琲を差し出したのはタツミだった。

 征服者の体はたかが数本の鉄骨を浴びてもそう簡単にはつぶれない。

 土砂降り並みの質量や仰ぎ見るような高度でなければ痣一つかないだろう。

 だから、タツミが巻く包帯は一か所だけだ。


 光弾に焼かれた右腕。


 征服者の体は治癒力も高い。明日には痕一つ残らない。それぐらいの軽傷だが、この包帯を責任を感じているシェリーに見られるわけにはいかず、彼はずっと台所に引っ込んでいた。

 タツミと顔を合わせれば、彼女は終電が無くなるまで頭を下げ続けていただろう。

 

 レイラはそれを嫌がるだろうし、そんなことをされたらタツミも怪我とは関係なく熱が出てしまいそうだ。高圧的な態度があってこそのシェリーなのに、殊勝な顔をされてはあまりのむず痒さに発疹が出かねない。

 

 最低限の謝罪は既に受け取っている。


「困った顔のシェリーさんもきっと美人でしょうね」


「君は単純でお姉さん嬉しいよ。あの子もそれぐらい楽にしてくれればいいのに」


 横の物を縦にもしないシェリーというのもどうも想像できないが。


 それにしても、彼女の気真面目さは異常だ。一か月委員会に従事して皆とともに仕事をしてきたタツミだが、一日気を張り詰めなくてはならないかと聞かれればそうではないと答える。


 適当なレイラや安閑としたコトノの仕事ぶりが丁度いい。 


「シェリーさん、何かあるんですよね」


 はっきり言えば、シェリーの存在は世界征服実行委員会にとって異物だ。


 遅れて加入したタツミの方が馴染んでいる節もある。


「あー、わかっちゃう?」


「茶化さないでください。僕は美人のことには真剣ですよ」


「タツミ君って政治には関心あるかい?」


 レイラが引き出しから取り出したのは、一枚のカラーポスター。


「生憎、上京して間もないのでここら辺の事情は詳しくないですよ」


「理由にならなくない? 移住先の政治こそ把握しとかないと」


 普段の言動にそぐわない真面目発言はやめてほしい。

 しかし、タツミがいくら政治に無関心な最近の若者と揶揄されたとしても、流石に渡されたポスターに映る男性には見覚えがあった。

 よくテレビに映っている。具体的に言うと国会中継で多くの議員から質疑を受けていた。


 総理大臣じゃないか。


 タツミが驚いたのは、だらしない委員長の引き出しから国のトップと言える人物のポスターが出てきたからではない。むしろ、ポスターの名前で納得した。


「……一ノ瀬」


「そう。それシェリーちゃんのお父さん」


 国のトップをそれ呼ばわりとは。


「なんで総理大臣の娘がこんな所にいるんですが?」


「うーん、武者修行?」


 はたしてここで武者修行になるのか。そもそも、政治家なのに武者とは、という問題はさておく。


 だけどこれで、なぜ行き過ぎた気真面目な態度でいるのかはっきりした。

 堂々と怠業する委員長がいるとはいえ、世界征服実行委員会は国の組織だ。そこで総理大臣の娘がしくじれば、責任追及は父親に向くだろう。


「面倒ですね」


「だよねー」


 本当に。いたたまれなさで唇を噛んでしまう。


「それで」

「それでって?」


 タツミは赤い目で白々しい糸目に鋭く視線を送った。


「今日のシェリーさんのあの様子、別の理由ですよね?」


「……」


「征服王の残滓ですか?」


「本人に直接聞かないのは、卑怯だとは思わない?」


 卑怯だとしても、知ることが自分のためだと思ったまでだ。

 レイラは珈琲を飲み干すと、漸くその堅い口を開き始めた。


「『隣人の幸福』(オーバー・ザ・ギフト)。シェリーちゃんが持つ力はちょっと厄介でね」


 タツミは空になったカップに珈琲を注ごうとしたが、レイラに遮られた。

 話は単純。すぐに終わる。そう言いたげに手を振った。


「あの子は幸運すぎる。行き過ぎるまでの幸運なんだよ。赤信号で止まったこともないし、おみくじは必ず大吉。投げられた爆弾がなぜか反れて彼女に当たらなかったこともある」


 巡回時、光弾が彼女を避けて外れたのはそれが原因か。

 全ての幸運を偶然ではなく必然にする力。


 でもそれは、「つき」すぎている。

 他人の幸運を横取りしているみたいだ。


「察しが良くて好きだよ」


 タツミはよほど思いつめた顔をしていたのだろう。普段の彼コトノとは違う険しい眦に、レイラは小さく笑った。


「他に赤信号で止まる人が出てくる。でもそれだけじゃない。王様はシェリーちゃんに幸運を全部上げちゃう代わりに、同じ分の不幸を周囲にばらまくのさ。遅刻させちゃうのさ。一緒におみくじを引いた人は必ず大凶。反れた爆弾は不発弾として必ず誰かの体を焼く」


 辻褄を合わせている。

 割が良すぎる幸せと不幸の帳尻合わせ。


「あの子は他人の不幸を丸ごと全部自分の力のせいだと思っている。他人の不幸まで拭いきれない自分の弱さが原因だと思い込んでしまっている」


「よその不幸までシェリーさんがどうにかする必要はないと思いますが」


「思っちゃうから彼女は真面目なのさ」


 それは、気負いすぎというものだ。だけど、これも彼女の気真面目さの一因か。

 持てる力の全ては善に注がれるべきという、ある種の強迫観念。

 その立場にいるのがタツミであれば確実に思うだろう。


 これは、呪いだ。


「でも本来は強力な力だよ。不運さえ跳ね除ければ、約束された幸福を多くの人が享受するほどにね」


 レイラは首を回し立ち上がって背筋を伸ばした。


 タツミは投げ渡された鍵を受け取る。戸締りを任されているのは、寝泊まりをしているタツミだ。アルバイトにそんな権限を持たせていいのかと頬を掻きたくなるが、まあレイラだし深く考えていないのはいつものことだ。


「じゃあ、次はタツミ君の残滓についても聞かせてね」


 レイラは体をゆらゆらと揺らし疲れた様子で部屋から出ると、鼻歌を歌いながら階段を下りて行った。


「そんなに急かさなくても、近いうちにお披露目しますよ」


 空になったマグカップを洗いながら、タツミはぽつりと呟く。

 綺麗になった底を覗いてにやりと笑った。


★☆★☆★☆★☆


 昨日の陰鬱を振り払いながらシェリーは革靴の底を鳴らして歩く。

 電車の中で猛省を繰り返し悶々としていたが、後悔をいつまでも引きずるほど彼女の精神は柔ではない。

 こんなところで挫けるわけにはいかない。


(それに、あんな奴に自分のペースを乱されてたまるか)


 一か月前に来た赤髪の新参者。

 昨日の失敗は底が読めない笑顔に惑わされまいと、躍起になったシェリーが泰然自若とした振る舞いを損なったせいだ。

 今日からは無視だ。如何に視界の端で軟派な赤色がうろつこうが、自分の仕事を全うするだけだ。


 少しだけ胸に残る負い目無視して大股で歩く。


(いや、でも、もう一度謝るべきでしょうか。このまま無視なんて流石に人として良くない気がします)


 決めた。深々と謝ってそこから無視だ。もう変更はない。


 気分を新たに。靴音は軽快に。


 しかし、シェリーは世界征服実行委員の貸しビル前の光景をに思わず足を止めてしまった。


「おはようございます。シェリーさん」


 彼女の目の前には、満面の笑みで掃き掃除をしているタツミがいた。


「おはよう」


 立ち止まってしまったが、彼が朝から雑務をこなすのは何らおかしいことではない。タツミの仕事は、委員会メンバーの補佐。雑用係だ。朝一で職場の清掃を進んでするなんて殊勝なことだ。

 押し売りみたいな爽やか過ぎて逆に胡散臭い笑みを除けば、シェリーが足を止めることはなかった。

 彼の笑顔がきな臭いのはいつものことだが、今日はいつにもまして磨きがかかっている。もちろん悪い意味で。


 いや、気味悪がっている場合ではない。


「き、昨日は申し訳ありませんでした」

 

「何がですか?」


「ですから怪我を」


「ああ、気にしないでください」 


 呆気からんとタツミは包帯の取れた腕を振る。痕一つ残っていない綺麗な肌からは征服者の治癒力の高さがうかがえる。


 シェリーの心に詰まっていた罪悪感が、ほっとした息と一緒に出てきた。何はともかく、これでよしだ。決して深々と謝れたわけではないが、端からタツミは気にしていない。


 ここからは一切の無視を決め込むのだ。

 まだ手を振っているタツミの横をすり抜けてシェリーは階段を上る。


 隅々まで磨き上げられた階段に違和感を覚えた。床の光沢だけは五つ星ホテルの大理石と見間違う。

 事務所を間違えてしまったのだろうか。口から洩れそうになる疑念を閉じ込めて、かくかくとした手でピカピカになったドアノブを捻った。


「何だ、これは!?」


 変わり果てた仕事場の様子に、抑えきれず驚嘆が漏れ出す。

 慣れ親しんでいた事務所が全くの別物になっていた。


 まず目につくのは各々のデスク。それまで煩雑に重なっていた書類が整然とファイリングされ、一目でどこに何があるか分かるように並んでいる。デスクそれ自体もきれいに磨き上げられ、素手で触れるのが惜しくなる。ただのスチールなのに職人によって磨かれた純銀ではないかと錯覚する。

 塵一つない床。部屋の隅にはかわいらしい観葉植物が置かれている。昨日までなかったのに。

 それに何故か良い匂いまでする。アロマだろうか。不快感がなく自然と空気に馴染んでいる。


「全部、あいつがしたの?」


「ええ、全て僕が致しました」


 いきなり聞こえたタツミの声にシェリーは思わず距離をとる。


 全く気配を悟れなかった。

 タツミの戦闘力ランクは下から二番目のDランク程度だ。格上のBランクであるシェリーの虚をつくことはできない。 


「ご迷惑でしたか?」


「いえ、そういうわけではないけれど」


 慎ましい上目遣いにたじろぎながらも、シェリーは自分のデスクに並んでいるファイルを確認した。もともと、ある程度の整理はしていたが、更に扱い易くなっている。


「良かった。では、こちらもどうぞ」


 呆気にとられる彼女の前にタツミが差し出したのは一杯の珈琲だ。当初の目標などもはや忘却の彼方に置き忘れ、シェリーはカップを口につけた。


「美味しい。いつものインスタントじゃないの?」


「ご慧眼恐れ入ります。グアテマラ産の豆を挽きました。シェリーさんは酸味の強い珈琲がお好きかと思いまして」


 いや、何だ、こいつ気持ち悪い。


 シェリーは思わず口をついて出てきそうな暴言を珈琲と一緒に飲み込む。

 好みを言い当てられたこともそうだが、名家に仕える執事のみたいに佇むタツミに背筋がぞっとする。


 昨日の今日で何があったというのか。タツミには態度以外に変わった様子はない。火傷の包帯は既に取れて傷一つないし、癪に障る笑顔も彼のものだ。

 まさか宇宙人に脳を乗っ取られたのではなんて馬鹿な妄想をしてしまう。


「おお! 珈琲の良い匂いがする!」


「この匂い嫌い」


 情報処理の追い付かないシェリーの険しい顔とは正反対の楽しそうな笑顔でレイラが入ってきた。その後ろから少しだけ眉をひそめたコトノも続く。


「二人ともおはようございます」


「おはよー、タツミ君。それ私にも淹れてー」


 タツミや周りの変化に驚かないのだろうか。レイラは磨かれた椅子にドカッと腰を掛けた。

 間髪入れずにタツミは珈琲を差し出した。


「早いね!」


「おっしゃると思っていましたので。レイラさんにはベネズエラ産の珈琲です。苦みが少々独特ですが、お口に合うかと」


「うん。よく分かんないけど、前のよりおいしい!」


 さばさばとしたレイラの物言いをタツミは気にせはにかむのみ。いつもなら、小言の一つも出そうものだが、シェリーは思わず凝視してしまう。


「そんなに、美味しいの?」


 珈琲は苦くて臭いと煙たがるコトノも、レイラの高評価で黒い液体にそわそわしている。


「美味しいけど、コトノちゃんにはちょっと早いんじゃないかなー」


「……いらないもん」


 珍しく興味が湧いていたのに、レイラに子ども扱いされたせいで、コトノは頬を小さく膨らませて席で小さくなってしまった。ただ、彼女には早いだろうとシェリーも思う。万事甘党の舌を持つコトノに珈琲は苦い薬と同じだろう。

 でも、そんな膨れっ面のコトノの前にもタツミはカップを差し出した。 


「これ、試してみな」


「どうせ飲めないよ」


「大丈夫。さあ」


 コトノは、促されるまま恐る恐る可愛らしいカップを口に運ぶ。皆のカップに注がれた液体よりも少しまろやかな色合いのそれを口に含むと、沈んでいた顔がぱっと向日葵のように華やかに咲いた。


「甘い、これ」


「カフェオレだよ。ベネズエラ産の豆はミルクとの相性がいいんだ」


 大好きなグミに手を付けずきらきらした目でカップを傾けるコトノに、タツミは優しく翠玉色の髪を撫でた。


「背伸びをする必要なんてないよ。コトノは今のままでも綺麗だからね。それに心配せずともあと数年すれば皆が羨ましそうに振り返る素敵な女性になるさ」


 視線を合わせて甘言を宣うタツミの言動は変わらず軟派者のそれだったが、やはり違和感はぬぐえない。


 シェリーはついに我慢できずデスクを叩いて立ち上がった。


「空閑タツミ! どういうつもりだ!」


「失礼しました。カップが空でしたね」


「ああ、いただこう。……って違う!」


 新しく注がれた珈琲をご丁寧に飲み干してから、耳の赤いシェリーは割れんばかりの勢いでカップを置く。


「何か粗相をしましたでしょうか?」


 粗相はしてない。百点満点の振る舞いだが、それがかえって気味が悪い。

 今までタツミは平均点そこそこの出来で職務を遂行していた。それがいきなり、教科書通りに振る舞っているのだ。

 何か企てているに決まっている。

 だが、それが分からないので何も言えなかった。


「そ、そうだ。この豆はどこから手に入れたのです。いい豆を使っているのでしょう。値段もそれなりのはずです。まさか経費で落としたのではないでしょうね?」


 おかわりまでしているのだから文句をつけるのはいかがなものか。そんな野暮な意見は差し置いて、シェリーは鬼の首でも取ったように追求する。


「確かに経費では落としましたが」


「領収書を渡しなさい!」


必死な姿は、まるで荒探しに夢中な小姑だが、水を得たりとタツミから引っ手繰った領収書を見てその勢いも止まった。


 思いのほか安かったのだ。想定の半分ほどだ。


「お店の方と仲良くなれましてね。定期的に買うならと格安で譲ってくれました。この価格なら普段飲むインスタントや缶よりも経済的ですよ」


「タツミ。外出たの?」


「うん。変装してね」


 昨日から愛用になった銀髪の桂を指さしてタツミは気持ちよく微笑んだ。


「それに経費のことを言うのなら、気にすべきことが他にあります」


 彼がポケットから取り出したのは先ほどとは別の領収書。シェリーには覚えがあった。昨日、カレーの材量を買ってきた際一緒に渡していた物だ。


「それが何だと言うのです」


「別のスーパーだとルーは半額で買えました」


 タツミは続いて二色刷りのチラシを取り出すと矢継ぎ早に続けた。


「ジャガイモとにんじんは別のスーパーで三割引き。牛肉ではなく豚肉にすればこちらも半額。もろもろの材料費を合わせても、半分ほどの出費に抑えられたはずなのです。事前に下調べをして少し足を延ばす労力さえ惜しまなければ、経費削減ができました」


 シェリーは遅まきながらも理解した。もしかして、今自分は説教をされているのではないかと。


「そ、そんなこと、いちいち調べていられるか」


「忙しさを理由に倹約を惜しんではいけませんよ。僕は何も窮しろと言っているわけではありません。貧すれば鈍する。健全な精神状態で仕事をするには、少々の贅沢は必要ですから。ただ、無駄遣いはよくないと言っているんです。分かりますか、シェリーさん」


「……はい」


 なぜ言いくるめられてしまったのか。いや、正論なので頷くしかないのだが、昨日まで叱っていた部下に諫められるのはどうも納得がいかない。


「確かに、タツミ君の言う通りかもねー。これからは委員会の財布任せちゃおうかな」


「ありがたいですがそこまでは。今日は急でしたが、これからはレイラさんに許しをいただくつもりですし」


「タツミ、おかわり」


「はい。ただいま」


 レイラとコトノは一切疑念も警戒も抱いていない。楽しそうにタツミと談笑までしている。


(納得がいかない……!)


 シェリーが力なく腰を落とすと、空だったはずのカップにまた珈琲が淹れてあった。


「さあ、これを飲んだら仕事に取り掛かりますよ。頑張りましょう!」


 私だけはこの胡散臭い笑顔に絆されるまい。

 薫香に鼻をくすぐられながら、心だけは許さないと誓うシェリーだった。


★☆★☆★☆★☆


 タツミが世界征服実行委員会に籍を置いてから二回目の巡回。

 

 黒い制服にも慣れなければと、エプロンを脱いだタツミは気を引き締めて征服の袖に腕を通す。

 昨日と違ってやる気に満ち溢れたスタートは上々だった。レイラとコトノとの距離は容易く取っ払えた。早朝に珈琲豆専門店のシャッターを叩いた甲斐があったというものだ。

 

 だが、案の定というべきか、シェリーはより警戒心を厚くしてしまった。

 午前中の間、青磁色のじと目がタツミの背中をしつこくチクチク刺していた。

 

 けれど、シェリーが一番重要なのだ。

 タツミは着替え終わると小走りでレイラ達の元へと戻った。

 

 もともと女性だけの事務所だったから男子更衣室などはなく、仮住まいとして愛着の湧いてきた元物置でタツミは着替えていた。窮屈だが女性が多い委員会では、こんな些細な悩みも共有できない。


「お、二人とも揃ったねえ」


 お気に入りの椅子に座ってぐるぐる回るレイラの前で、シェリーが背筋を伸ばして立っていた。タツミを一瞥もしないところを見ると、やはり、不信感を積もらせているのだろう。


「今日も二人で巡回行ってもらうんだけど、特殊ミッションがあります!」


 きゅっと椅子を止め、深刻な告白をする前みたいに両肘をついて手を組んだ。

 いつも通りのおふざけかと思ったが、どうやら少し事情が違うらしい。


「昨日二人が捕まえたはぐれのたまり場があるらしいの。今回は、二人でその偵察に行ってもらいまーす」


 彼女の口調には緊張の色はないが、昨日のはぐれたちの話となると、タツミの表情は自然と引き締まってしまう。

 その理由の答え合わせをシェリーがしてくれた。


「例の武器を所持していると考えてよろしいのでしょうか」


 もう癒えたはずのタツミの右手がうずく。

掠っただけなのに征服者の肌を焼いた光弾銃。直撃すれば致命傷になりかねない武器だ。

 考えうる最悪の展開は、あの兵器が大量生産され犯罪者たちの手に渡ること。抑止力になる征服者を打倒する武器として一般人に出回れば、日本の犯罪数は爆発的に増加することになる。

 

 昨日は、どこにでもいるはぐれを制圧しただけと高を括っていたが、意図せずに藪をつつき大蛇を引っ張り出してしまったのかもしれない。


「まだ分からない。だから調べてきて欲しいの。規模や戦力をなるべく詳しくね。コトノちゃんには主要征服団への援助要請に行ってもらっているから。無茶は厳禁だよ」

 

 今回の役割は情報収集のみ。戦闘は必須じゃない。

 だがしかし、隣の銀髪少女の高ぶり具合では、タツミはそれだけで終われるとは考えられなかった。


「承知いたしました。これより偵察に向かいます」


「うん。頑張ってね、シェリーちゃん。タツミ君、今度は怪我しないでねー」

 

 今それを言うのかとタツミは苦笑いを返す。隣から手甲が軋む音が聞こえてきた。


「それじゃあ、いってらっしゃーい」


「「はい!」」


 タツミは、勢いよく踵を返し外に出たシェリーの後を追う。

 今回の移動手段は大型バイク。征服者の脚ならバイクと並走できる程度に速度は出るが、体力温存のため利用しているとのこと。

そしてなんと、シェリーが運転するらしい。

 

 免許お持ちだったんですね。


「なるべく怪我がないようにお願いします。サポートしますので」


 フルフェイスのヘルメットのせいでシェリーの表情は分からない、一応気にかけているのだろう。


「ご心配なく。今度は足を引っ張りませんので」


「どうだか」


 気遣いが下手なのか。それとも本当に馬鹿にしているのかどっちだ。

 ため息をつきながらタツミもヘルメットをかぶり、彼女の後ろに乗る。顔が隠れるので街中で変装せずに済むのは楽でいい。


「……振り落とされては危険です。腰に手をまわしていいでしょうか?」


「安心しなさい。触れた瞬間に顎を砕きます」


 体裁を犠牲にしたジョークも緊張をほぐすには至らず撃沈。はぐれのアジトまで無言が続いた。冗談でなく、首都高のカーブでは放り出されそうだったのだが、喋れなくなるのも嫌なので必死にバイクにしがみついていた。

 今度バイク用のサイドカーの購入を提案しよう。経費で落とせますように。


「つきましたよ」


 シェリーがバイクを止めたのは、周りを畑に囲まれた郊外の古びたビルだった。都心では委員会や征服者の目につきやすい。だから、人の少ない郊外に拠点を構えるというのは理にはかなっている。だが、


「おかしいですね。事前の調査では、ここは空きビルのはずです」


 ビルの入り口にも、不動産会社の張り紙で「契約者募集」と大きく書いてある。

 レイラへの途中報告を済ませたタツミに、窓ガラスから内部を覗いていたシェリーが手招きをしてきた。タツミは身を屈めたまま近づき、彼女とドアを挟む形で足を止めた。


 耳を澄ませても中から物音は聞こえない。

 征服者の聴力なら衣擦れの音すら聞き逃さないのだが、本当にここがアジトなのだろうか。


「私が先行します。あなたはここで待機しなさい」


「承諾しかねます」


 即答がよほど予想外だったのか、シェリーは皺の寄る眉間に手を当てた。そして、そのままタツミを睨みつける。


「私は一人なら負けませんが、貴方がいては足手纏いです」


「どうでしょう。それに、外にいても不幸を避けられるとは限りませんよ」


 タツミの言葉にシェリーの顔が曇る。眉を斜めに、青磁色の瞳が鋭く光る。


「誰から聞いたかは知りませんが、いい趣味とは言えませんね」


「不運で殺されるわけにはいきませんので」


『隣人の幸福』の件は既に承知している。それに対する覚悟もしっかりとしてきた。

 タツミは毅然としていた。悪態と捉えられても構わないと、落ち着きつつも強い口調を返す。


「安心してください。本当に邪魔はしませんから。それに今日の任務は情報収集ですよ。死にはしないです」


「……勝手にしなさい」


 諦めたのか、信じてもらえたのか。確実に前者だろうが、シェリーは二人での突入を選んだ。

 亀と並走するようにゆっくりとドアを開ける。敵が征服者と同じ身体強化が施されたはぐれならば、微かな金属音にも警戒の色を濃くする。用心に越したことはない。


 埃一つ舞い上がらせない忍び足で二人は歩を進める。


(おかしい。静かすぎる)


 タツミは顎先から落ちそうになった冷や汗を手の甲で拭う。

 敵が二人の接近に気づいていないならば、何らかの物音がするはずだ。足音や会話。武器を持っているのならば整備の音。

 しかし、音は皆無。血管の脈動が耳障りなほどに、不気味な無音が充満していた。

 ここは本当にただの空きビルなのか。じゃあなぜ、ドアの鍵は閉まっていなかったのか。管理会社の管理がそれほど杜撰だとでもいうのか。


(確実に罠だ)


 敵は二人の潜入に既に気が付いている。大方、どこかのフロアで待ち構えて、数の暴力で捻り潰すつもりだろう。

 昨日の今日だ。敵にシェリーの強さが伝わっていないはずもない。それなのに、虎視眈々と待ち構えている理由。


(例の光弾銃が大量に準備されているのか!?)


 これはタツミの推測だ。的外れだというなら安堵で小躍りしよう。

前を進むシェリーの足取りに躊躇はない。周囲への警戒には針穴ほどの隙も無い。 それでいて迅速。こういった窮地への慣れがある。

 止めるべきだろうか。きっと彼女も罠に気づいている。知りながらも敵陣の臍に踏み入れんとしている。

 

 情報収集で終わる気はさらさらないのだろう。


 シェリーの実力なら豪雨の光弾も耐え忍べるのかもしれない。タツミへの不運も赤い拳でまとめて凪払う覚悟でいるのだろう。

 偵察で済まなかった弁明はいくらでもできる。問題は、汚名返上にいらぬ熱を込めていることだ。

 いかに頑強な耐久度を誇る鋼鉄でも、あまりにも熱が高ぶりすぎれば柔になる。


(もしもの時が来る可能性もあるわけだ)


 タツミの相貌がいつもの柔和な顔立ちとは不釣り合いに尖った。

 その顔の前にシェリーから停止を促す手が出された。

 指がすぐに前を指す。先にはメッキのはげたアルミのドアが静かに佇んでいる。

 

 この先に、いる。


「数の把握。攻撃の回避に徹しなさい」


 小さくつぶやいたシェリーは、タツミが頷いたのを確認して迷いなくドアを蹴破る。


 勢いよく突入した二人に迫るのは、部屋を埋め尽くす黄色い光の壁だった。


 豪雨など生温い。枯葉ほどの隙間もなく埋め尽くされた黄色い光弾。動く壁のようにずれなく並び、タツミ達を焼き殺そうと迫る。

 数は百に近いだろうか。同時の着弾では、いかにシェリーとはいえ腕の本数が足りない。


 しかし、彼女にとってこれは想定内だった。


 光弾の発光を反射する赤い手甲が彼女の胸の前で打ち鳴らされる。

 高熱がシルクの白い頬を焼こうかという刹那、シェリーは後ろに退いた。

 公園で遊ぶ子供のような軽い一飛び。だが、彼女はそれと同時に、常人には認識できない速度で拳を突き出した。

 

 赤い閃光が四本。四つの光弾の中心を確実に突いた。

 それだけでタツミがやっとの思いで弾き飛ばしていた光弾は霧散する。

 

 出来上がったのはマンホール程の隙間だ。

 

 シェリーは肩ほどの高さのその穴めがけて―――飛んだ。


 走り高跳びの要領で地面と垂直に。螺旋を生み出す銃弾を想起させる激しくも流麗な跳躍。なんと、彼女は銀の一毛を焦がすことなく迫りくる光弾の壁を潜り抜けた。。

 

 涼やかな顔で着地したシェリーは、後ろを振り返る。

 タツミも無事光弾を回避していた。彼女の後ろに張り付き、倣って潜り抜けたのだ。

 同じ様に無傷とはいかなかったが、制服の袖がちりちりと焦げ付くだけで済んでいた。


「修繕が必要ですね。経費が嵩んで困る」


 サイドカーはお預けだろうか。


「敵勢力の制圧に移ります」


 軽口を気にも留めずシェリーが走り出す。

 光弾が炸裂した部屋の壁は酷い有様だ。赤くドロドロに溶け粘度のある高熱の気泡が音を立てて膨れ弾けている。


 だが、光弾に一瞬だけ触れた手甲には煤が付くだけで済んでいる。ということは、即効性はなくとも、一定時間触れるだけで液状化させるほどの熱度を有しているのだ。

 やはり征服者すら揺るがす脅威だ。


 だからこそ、隙を与えない。

 フロア内に仕切りはなく柱が数本。開かれたこの場所で、はぐれ達は身を隠すことなく一列に並び銃を構えている。


 敵集団は混乱していた。誰もが光弾の壁を越えられるとは思っていなかった。部屋の奥で酒を片手に座して待ち、合図と同時に黄色い光弾を放てば事足りる。そう思い込んでいた。


「だから、あなた方ははぐれ止まりなのです」


 そう言い放つシェリーは既に相手の背後に立っていた。


 赤い閃光はとてもか細い。

紅の閃きを持ちながらも弾けば切れそうなほど細い一線。しかし、彼女の一線は脆くない。ぴんと張られたピアノ線の如く触れた指を切り落ちし、高圧力で飛び出した水流の如き苛烈さで鉄を穿つ。

 赤い閃光がこの空間を蹂躙しつくすのは時間の問題だった。

 光弾銃の素材は確かではない。だが、シェリーの拳に耐えうるものではなかった。


 呆気なかった。 


 タツミは流れ弾を避けながら、逃げ出そうとする連中の牽制をしていた。

 事前に光弾が来ると分かれば無理に弾かずとも避ける方術はある。シェリーに銃をへし折られ怖気づく敵も両手に短刀を構えるタツミの敵ではない。

 銀髪の乙女の拳は、敵と一緒に彼の心配も砕いて見せた。


 タツミは場違いだと分かりながらも口をへの字に曲げる。あとはレイラへの言い訳を考えれば、今日も問題なく終わることができそうだ。

 まあ、また美味しい料理を作ればすぐに許してくれるだろう。


「避けなさい!」


 頭の中に浮かんでいたレシピと一緒にタツミの体は吹き飛ばされた。

 今までの丸く黄色い光弾とは違う長細く青い光弾が彼の体を持ち上げたのだ。


 防御を! そう考える時間はなかった。征服者の反射速度が光弾と体の間に短刀を挟ませることを許したが、今回弾き飛ばされたのはタツミのほうだった。

 熱が冷めて炭化した壁に受け身も取れず体が打ち付けられる。そのまま力なく床に落ちた彼は、産毛一本分のところで途切れかけた意識を引き寄せた。


 未だに手に収まってくれている短刀に目をやる。直撃したというのに壁のように溶けていない。しかし、青い光弾が直撃した場所が欠けている。

 熱を捨て、威力と速度に特化した別型。


 敵には奥の手があったのだ。混乱が二人の油断を誘う作戦だったか、今となっては分からないが、間抜けな少年が一人罠にかかってしまった。


「早く立ちなさい!」


 床に頬ずりを続けるタツミを庇いながらシェリーが前に立つ。

 これではいい的だ。黄色と青の光弾が入り混じり二人に降り注ぐ。

 さすがのシェリーも足を止めざるを得ない。一色と二色は拮抗しているが、持久戦になるだけ体力を削られる彼女が不利だ。


「私のせいです。すみません」


 鳴り続ける爆音にかき消されそうなシェリーの声。

 否定したくても声が出ない。彼女の幸運のせいではない。自分が悪いんです、そう叫びたくても、肺に空気が上手く運ばれなかった。

 振り続けていた光弾の雨が止む。


「大変そうだなあ、嬢ちゃん」


 敵の中の一人が声を上げたのを皮切りに、次々と下世話な声が飛んでくる。


「いい気味だぜ」

「お荷物抱えちゃ逃げることもできないよなぁ」

「泣けてくるぜ。美人さんよぉ」


 耳障りな声に鼓膜を揺らされる。不快だ。膝に力が入ればタツミが今すぐに駆け出し殴っていたほどだ。


(なんで、動かないんだ。シェリーさん)


 タツミは視線を彼女へ上げて理解する。原因はタツミ本人だ。

 敵数の減った今、彼女の実力なら、全員を封殺するのに数秒で足りる。

 だが、その数秒の間に無防備なタツミが撃ち抜かれる。

 大口を叩いておいてなんという体たらく。無様な寝姿。


 何よりも、

(シェリーに守られている自分が情けない!)

 タツミが力の入らない奥歯を噛み締めている間も、彼女は窮地を脱する糸口を探していた。

 強行突破か。脱走か。


 不幸を消し飛ばす方法を模索している。


 たった一人で。


「お嬢ちゃん。取引しようや」


「……見逃せという話なら拒否します」


 シェリーの発言に不愉快な大笑いが聞こえてくる。でも、誰がどう考えても立場が逆だ。逃げ出したいほど追い詰められているのはタツミたちなのだから。


「脱げよぉ、美人さん」


 下種な男たちの高笑い。いやらしい鈍い瞳。彼らが華麗なシェリーに求める要求なんて、容易に想像できた。


「破格な条件だろう? 裸になりゃ勘弁してやるんだ。もちろん二人共逃がしてやるよ。約束だ。指一本も触れねえからよぉ」


 男たちの嘗め回す厭らしい視線を爪先まで受けながら信じろと言われても無理がある。武器を外し裸になった瞬間、はぐれ達は角砂糖に群がる蟻のようにシェリーの肌に貪りつくだろう。

 こんなあからさまな罠に彼女がはまるはずがない。

 一ノ瀬シェリーの自尊心はそんな要求を許さない。


 と、タツミは思い込んでいた。

「分かりました」


 彼女の声は、遠くで響く鐘の音のみたいに酷くのろくタツミに届いた。肺だけでなく耳までいかれたか。そうでなければ、こんな戯言が聞こえてくるはずがない。


「私が裸になれば、見逃してくれるんですね」


「おうともさ、約束しよう」


 聞き間違いじゃない。男たちの不快な笑い声をタツミの耳はしっかり捉えている。

 混乱で白紙になった頭のままシェリーを見上げる。


 彼女の目は死んでいない。透き通った青磁色の瞳の鋭さは錆びつかず、研ぎ終えた刃のようにギラギラと相手の喉元を掻っ切ろうと好機を窺っている。

 まさか、敢えて男たちを近寄らせ、従順な犬だと油断したところで食って掛かろうというのか。


 彼女の征服王の残滓は、それほどまでに重いのか。


 呪いはこんな有様になるまで彼女を蝕んでいたのか。

 少女の柔肌を囮にしても天秤に偏りは無いと本気で思っているのか。

 そんなのって……ないだろう!

 

 シェリーは迷いなく服を脱ぐ。悪漢の舌なめずりに鼓膜を犯されても、制服のボタンを外す手が止まることはない。

 恐怖することはなく、恥じることはなく、乙女の心に蓋をして。

 

 ついにシェリーの上半身は残すところ下着一枚となった。可愛らしい水色の下着と透き通った肌が下種共の前に晒されている。


「お、もう見せてくれんのかよ」


「……早く終わらせましょう。お互いに」


「俺達はどこまでもつきあうぜぇ」


 猥雑な笑いの重奏が響く中、彼女は下着のフックを外し、間もなく下着はするりと床に落ちた。





「誰が見せてやるか。阿呆ども」





 そう言ったのは確かに男の声だった。しかし、はぐれ連中の声ではない。その声には悪漢には無い芯があった。

 もちろん、シェリーの声ではない。彼女こそ芯を持った強い声音の持ち主ではあるが、その声の芯にある腹黒さは持ち合わせていない。


 では誰か? とは、あえて聞くまでもない。


 この場に残る人物はただ一人。空閑タツミである。


 シェリーと向かい合い、彼女の胸を鷲摑みにしている空閑タツミである。


「何をしているぅ!!??」


 即座にシェリーの鉄拳がタツミの頬を捉えたのは言うまでもない。

 悪漢を前にして微動だにしなかった顔色が、今はマッチの炎みたいに赤く、そして熱まで帯びている。

 胸を揉まれているのだから当然の反応なのだが、その当然の羞恥も次には驚きで覆された。

 拳を受けたタツミは身じろぎもしなかったのだ。


 どころか、怒気を含んだ赤い瞳でシェリーを睨み続けている。


 怒りたいのはシェリーの方だというのに。


「俺は、お前も阿呆だって言ったんだぜ。シェリーさん」


 タツミの変化はその口調だけではなかった。人知れず彼が偶に覗かせていた、内に含んだナイフのような切れ味を、今は隠さずに纏っている。赤髪は逆立ち、丸みがあった眼も烏の嘴よりも鋭く尖っている。もはや別人と言われても頷けてしまう。


「女の子の胸はな、もっと大事にしなくちゃなんだぜ」


 だが、シェリーには分かる。付き合いは短いが、目の前の変態は空閑タツミだと断言できる。


「それに―――まずは俺に見せろや!」


 この埒外な軟派者は空閑タツミでなくて何だと言うのだ。

 彼の後ろで青が鋭く光る。

 先ほどタツミを吹き飛ばした青の光弾がタツミの後頭部に命中したのだ。


 しかし、やはり動かない。


「嘘だろ!? 何で立ってられるんだよぉ!?」


 悪漢どもの混乱が部屋中に伝播していく。それは胸を掴まれ続けているシェリーも同じだ。


 タツミは立ち続ける。はぐれに無防備な背中を向けながら、惚けるシェリーに怒った声で告げる。


「細かいことは後だ。今は、ただ、そこにいろ」


 シェリーの肩にはいつのまにかタツミの上着が掛けられていた。布の感触が肌を包んだ時には、さっきまで胸を掴んでいた軟派者は既に背中を向けていた。

 盾になるために。今までとは違って大きい背中を呈して彼女の前に立つ。


「何者だ! てめぇ!」


 体中をがたがた震わせながら悪漢たちは一斉に引き金を引く。

 幾重にも重ねられた青い脅威に対し、タツミが持つ武器は立った二本の短刀。

 その頼りない武器を、タツミはあろうことか放り投げた。

 短刀は光弾を弾いたが、あらぬ方向に飛んでいく。これでは、ハチの巣になる未来が容易に想像できる。


「右斜め後ろに半歩だ。じっとしてろよ」


 タツミは振り返るとシェリーにだけ聞こえる声で呟いた。

 そして、視線を戻さずに、光弾を視界に収めることなく、その全てを躱した。


 眉間を狙う光弾は、首をかしげて避ける。

 心臓を狙う光弾は、反身を翻して避ける。

 膝を狙う光弾は、軽く足を上げて避ける。


 派手な動作など一切なく、しかし、それでも確実に。風に舞う木の葉の掴み所のない体捌き。

 全ての光弾が彼の後ろに流れていった。

 そんなのらりくらりとしつつも、迷いのない動きにシェリーの足は止まっていた。


(見た目だけでなく、征服者としての身体能力まで向上しているの?)


「半歩だって言っただろ。惚けてるんじゃねえ」


 だから自身のこめかみを打ち抜こうという光弾の存在にシェリーは気づけなかった。

 目にしたのは、その光弾を素手で握り潰しているタツミだ。


「やっぱり青色でも少しは熱いのな」


「あなた、何者ですか」


「お前まで同じこと聞くなよ。味方だぞ、俺は」


 フロア内の空気は冷え切っていた。敵味方関係なく、すべて飲み込まれている。

 原因はもはや聞くまでもない。

 ただの一人も打ち倒すことなく、揺蕩う雲を思わせる動きで全ての視線を集める男。


「『狂乱者』空閑タツミ。お披露目といこうじゃないか」


 タツミの一歩を視認できた者がこの場に何人いただろうか。


 おそらく、シェリーただ一人。それもかろうじて。


「注目!」


 はぐれ達は声がした後ろに銃を構えなおす。

 そこでは、仲間が一人、まるで畑に埋まる野菜のように頭を床にめり込ませていた。


「こうなりたい奴から、かかってきやがれ」


 一瞬の沈黙の後、魔王に挑む有象無象の兵士さながらに、悪漢たちは雄叫びを上げて走り出す。

 腐っても征服王の残滓を受けた者たちだ。これは無謀な突撃だと錆び付いた本能でも理解できる。

 しかし、挑まずにはいられなかった。腐りながらも残った誇りをもって、男たちは絶対的強者に牙をむく。


 だが、鼠の矮小な牙など歯牙にもかけず、タツミは突っ込んできた男たちの背後に回る。

 後ろ襟を掴み床に叩きつけると、サッカーボールよろしく蹴り上げ、他の男どもの背中めがけて蹴り飛ばした。


 漸くタツミの接近に気づいた何人かが光弾を発射するも、すでにその場に赤髪の少年はいない。残像だけ残して、壁に近づき、突き刺さっていた愛用の短刀を引き抜くと、間髪入れずに再び投げつけた。今度、短刀が突き刺さったのは敵の光弾銃。不具合を起こしたのか、銃は光を漏らしながら敵数人を巻き込んで爆発する。

 火傷でのたうち回るはぐれたちに、タツミは悪鬼の笑みを浮かべた。


「これ貰うぞ」


 シェリーのへし折った光弾銃の残骸を拾い始めると、次に、悪漢共を一か所に集め始める。特に工夫はない。虚を突く必要もない脚力で敵を捕まえ引きずり、ごみ袋のように放り投げ、積み上げていく。


 忽ち、山を築いたタツミはその上に集めた光弾銃をばらまいた。


「熱いからよ。気を付けな」


 濡れた障子を破るよりも軽く、短刀を一擲。

 再び銃に突き刺さる短刀。爆発を予感させる不穏な光が漏れる。

力なく積み重なる男たちが意識を失う前に見たのは、黄と青の光が混ざり合う、緑色の大爆発だった。

 

 この大爆発に古い建物が耐えられるはずがない。フロアの天井どころか上階までもが吹き飛び、瓦礫の雨となって周囲に爆散した。

 

 ビルの周囲に建物や人気がなく、畑だけであったのは幸いだった。


(いや、こんなものが幸運なはずがない)


 征服王の残滓の影響だろう。彼女は爆炎に焼かれなかった。無論、瓦礫の雨も彼女を避けている。


 しかし、奈落の底を覗いてしまっては、幸運だなんて迂闊に口には出せない。


 地獄に盛られた凶悪どもの死屍累々の山。


 はぐれ達の息の根は止まっていない。だが、山の頂点に悠々と座る赤髪の悪魔の姿は、ここが地獄だという幻覚を引き起こさせる。

 無茶苦茶だ。圧倒的な膂力で相手の策など意に介さず、口内で転がす飴玉のように玩ぶ。

 これを数多ある戦法の枠内で呼称する術をシェリーは知らない。

 

 狂っている。

 

 これが、『狂乱者』空閑タツミの真の実力。


「さて、どうレイラさんに報告しますかね。シェリーさん」


 いつも通りの柔和で軟派者の笑みに戻ったタツミにこの空間は征服されていた。

 瓦礫の崩れ落ちる音が響くこの空間とは悲惨なほどに不釣り合いな笑顔。

そんな顔をされても、シェリーにできたことは、尻もちをついた痛みを無視することだけだった。


◇▽○□◇▽○□



 今回の件を成功とすべきか失敗とすべきか、男は悩んだ。

 

 数々の失敗を経験してきた男にも断言はできなかった。

重要なサンプルデータが取れたことは諸手を上げて喜ぼう。このデータを組み込めば、番付上位の征服者をもろともしない兵器を作り上げることが叶うだろう。

 

 だが、あのイレギュラーをどう扱うべきか、まだ判断しかねる。

 

 奴の出方次第では、重大な特異点になりかねない。

 今後も同行を探るべきだろう。


「さて、ではどのように仕掛けるか」


 男は壊れた光弾銃を眺めながら、したたかな顔で細い顎を撫でた。


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