第4話 呪い
台所で人参を切るエプロン姿のタツミをに故郷の人たちは何と言うだろうか。
都内某所。住宅街の中、頭一つとびぬけて立っているのが世界征服実行委員会の本拠地だった。
立派な拠点を持っているものだと感心したが、何でも、二十三区内で最安値の地価に加え、老朽化が進んでいるビルを賃貸で借りているらしい。
国内の征服者を一挙に管理をしている公営の機関がそれでいいのかとタツミは不細工に顔をひきつらせたが、長であるレイラは淹れてもらった珈琲をぬくぬくと啜っていた。
「私たちは裏方稼業だしね。征服者たちが主役だし必要以上に目立つ必要はないよ。贅沢してまた文句言われたら嫌だしね」
最後の言葉が本音か。それに経験済みなのか。
影の貢献者だというのにここまで風当たりが強いとは。世知辛い。
だけど、タツミも本音を言えば、こんな虫も好かない場所には居たくない。
断ろうとしたタツミだったが、レイラは彼にこう告げたのだった、
「ここで働けば、今回の負債は全部うちが肩代わりしてあげる。行き場もないだろうしここに住んでもいいよ。でなきゃ、征服者はずっと禁止にするよー」
悩ましい二択だった。いや、脅し以外の何物でもないか。
タツミは否応なしに世界征服実行委員会のアルバイトとして事務所に住み込むことになった。
渋々ではあったが、後にもはや選択肢なんてなかったのだと思い知る。
一時帰宅を命じられ、タツミが私物を運ぶ為に借りていたアパートを訪れると、そこには大勢の取材陣が待ち構えていた。情報流出の速さに舌を巻くが、一大国民イベントを潰してしまったのだから、この扱いは戒めとして甘んじて受け入れるしかない。
けれど、その後の仕打ちにはさすがに膝をついた。カメラに見つからないため壁をよじ登って何とか辿り着いた自室には私物が一切なく、恨み言と一緒に退去処分の張り紙が置いてあったのだ。
望まない居場所であろうと、今、タツミを迎え入れてくれるのは委員会しかない。
だからタツミは、苦虫一○○%ジュースを飲み干す思いで委員会の仕事を手伝っていた。
とは言っても、こなしてきたのは誰でもできる雑用ばかり。事件直後ということもあり、人通りの多い場所を歩くと後ろ指をさされ、まるで売れっ子アイドルのような人だかりができた。もちろん飛んでくるものは罵声やゴミばかりで、黄色い声援は一つもなかった。
仕事は、書類の整理やビル内の掃除、会議室の予約、各部署への連絡係、エトセトラ。すべてがビル内で済む内容だ。
レイラが気をまわしたのだと思っていたが、事務所が散らかっているのは、ほとんど彼女のせいなので、そこまで深く考えてはいないのだろう。
ついさっきも、彼女はタツミに昼食作り命じると、ゲーム片手にどこかへ行ってしまった。
シェリーに買いに行かせたカレーの材量は四人分。昼食までに帰ってくるのだろうか。
「隠し味、入れる」
「グミは入れないで。せめてチョコとかにしよう」
唯一手伝うと申し出てくれたコトノは、今まで包丁一つ持ったことがないのだという。隣でもきゅもきゅ口を動かすグミ魔人なので役に立たない。しかし、目の保養にはなっているので、近くにいるだけで助かっていた。
誰だ、可愛い子は三日で飽きると言った愚か者は。
一度コトノをお茶に誘ってみたタツミだったが、華麗に無視されたので、それ以来口説くのは止めている。執拗に誘うのは彼の趣味ではない。一緒にお茶をしなくとも、働き始めて一か月、ほぼ毎日手料理を振る舞っているのだ。ペットに餌を与え愛でているみたいで幸福感があった。
鍋に具材とルーを投入してしばらく煮詰める。スパイスのいい香りはコトノの可愛らしい鼻にも届いているはずなのだが、グミを口に運ぶ手を止めなかった。
餌係としてはしっかりご飯を食べられるのか心配だが、意外と大食漢なのでそのままにしておく。
それに一度グミを取り上げた時は、五日間口をきいてくれなくなった。年下の可愛い子に無下に扱われるというのは、どうも堪える。
好きにさせるのが一番だ。
「コトノちゃん。そろそろできるから、声かけてきて」
「分かった」
トテトテと小走りで走っていく後ろ姿に心が和らぐ。年の離れた妹ができたらこんな気分なのだろうかと、タツミは目を細めた。
実際はタツミが十七歳でコトノが十五歳。たった二歳しか離れていないのだけれど、あどけない容姿のせいでコトノは庇護欲相まって大分年下に見えてしまう。
食器と炊飯器をみんなの机があるオフィスへ運ぶ。
やはりレイラはまだ帰ってきていない。
オフィスにいるのはタツミを含めて三人。グミ魔人のコトノと魔人のような顰め面で座るシェリーだけだ。
「コトノちゃん。台所から鍋持ってきてくれる」
「いや、私が行く。コトノは座ってていい」
厳しい顔のままシェリーが立ち上がる。青磁色の切れ長の目でタツミを睨みつけた。
「年下の女の子に重いものを持たせるのはどうなのかしらね」
美人なのに可愛くない。タツミは苦笑いを浮かべながら心の中で悪態をつく。
征服王の残滓を受けている時点で、男女の力の差はまったく関係なくなっている。鍋一つの重量でとやかく言われたくはない。
しかし、タツミも普段ならば妹ポジションとして庇護対象にあるコトノに手伝いを求めたりはしなかった。これはコミュニケーション。主に、シェリーが厳しく接して重くなる空気への緩和剤としての会話なのだ。
「委員長。やはり私は反対です」
タツミが世界征服実行委員会にアルバイトとして所属することが決まった翌日、当時は面を食らって言い返せなかったシェリーが朝一番にレイラに直訴した。
「空閑タツミをしっかり裁くべきです。それを無罪放免にして、あまつさえ委員会で働かせるなんて。私たちの面目はどうなるのですか!」
シェリーの言い分はもっともだ。世間にはこう考える。
『委員会は征服抗争を中断させたガキを匿っている。最初から委員会の差し金だったのではないか』
タツミの正当な処分を世間に公表しなければ示しがつかない。納得がいかないのは当然の心理だ。
しかし、レイラは風に揺られる柳のように諫言を躱すばかり。分が悪いと判断するや否や「委員長権限」の一言で唇を噛ませていた。
よくこんな気楽な態度で委員長が務まるものだと、当人ながらタツミは呆れることしかできない。
こんな経緯からシェリーは腑に落ちず、タツミに屹度目を光らせているのだった。
胃がキリキリと痛む。カレーではなくうどんにすべきだったか。
元来、タツミは争いごとが苦手な人間だ。征服抗争に割りこむ賭を仕掛ける豪胆さも兼ね備えているのだが、優しい性根のタツミは実戦に於いて後手に回ることのほうが多い。
元来の性格が征服者に向いていないと言われてしまえば、彼は何も言い返せない。
シェリーが運んできてくれた鍋をタツミは強張りながらも受け取る。
「ありがとうございます」
「いいから早くよそってください」
「……すみません」
無言のままカレーとご飯をよそう。
タツミが食卓に着く前に二人は食べ始めた。もちろん会話もない。作り手としては 感想の一つも欲しいのだが、楽しく談笑できる空気ではない。
シェリーには確実に「食事中に話さないでください」と苦言を呈されるだろう。
全くいつになればこの生き地獄から解放されるというのだろうか。
そもそも、タツミは委員会を離れることができるのか。
彼が抱えている借金の額はどれほどなのだろう。一生働いて返せる額なのだろうか。
お金の件を度外視しても、世間の悪評が消え去るのには大分時間がかかる。それに誰もが自由にネットを使える世の中では、証拠は一生残り続ける。目に入る機会も少なからずあるだろう。
他に大きく関心を引く出来事でもなければ、この窮地は脱し得ない。
ビルの中に半軟禁状態のタツミでは何もことを仕掛けられないが、このまま指をくわえたままではいられない。彼は征服王になりたいのであって、雑用王になりたいのではない。
コトノに合わせて甘口に作ったカレーを口に運びながら、タツミは赤髪の頭を捻る。もちろん、解決策なんてすぐには思いつかないけれど。
こんな時、彼は可愛い女の子で心を安らげている。
目の前では、コトノが小さい口をぱんぱんにしてカレーを頬張っている。
ドングリをため込むリスみたいだ。
コトノは、口数は少ないが行動から感情が読み取れた。以前、辛口を出した時は一口だけ手を付けて残してしまったが、甘口に切り替えてからはグミを横に置いておかわりしてくれた。
特徴である三日月形の癖毛も興奮すると(なぜか)動くので分かりやすい。
言葉にしてくれなくても嬉しいものだとタツミは頬杖をつく。
「食事中ですよ」
「すみません」
一方、シェリーは険しい顔で厳しいことを言うばかり。こうも当たりが強くては、せっかくの美人が台無しだ。
料理だっておいしいと思ってくれていないのだろう。
出会いが酷いので印象が悪いのは当たり前だが、お礼一つないのはどうも納得できない。聞けば年もタツミと同じ十七。ここまで居丈高な態度では、反感を覚えずにはいられない。
タツミに文句を言える気概はないけれど。
「いい匂いがするぞー!」
シェリーがコトノの口周りを拭いていると、けたたましくドアを開けて姦しさの塊であるレイラが戻ってきた。
「いっただきまーす!」
カレーを雑によそうと座りもせずに頬張る。
タツミより三歳年上で二十歳のはずなのに一番落ち着きがない。
「おいしい! やっぱタツミ君は料理の天才だよ」
「委員長。僕一生ついていきます」
やっぱり言葉があったほうが嬉しい。褒められただけで思っていないことが調子よく口をついて出てしまう。
「行儀が悪いですよ。座ってください」
「ごめんごめん。でも本当においしいよ。シェリーちゃんもそう思うでしょ」
「……それほどでもないです」
本当に可愛くないな、この銀髪美少女。美少女なのに可愛くない。
「それで、どこに行かれていたのですか?」
もう食べ終わってしまったのか、シェリーは口を拭きながらレイラに問う。
ちなみにコトノは二杯目をかき込んでいるところだ。
「んー、ちょっとね。仕事の調整と準備」
「どのような案件ですか?」
レイラは運びかけたスプーンを止めて糸目を小狡く曲げた。
嫌な予感がする、とタツミも手を止めてしまう。彼女のこの笑顔で一か月良い思いをしたことがない。
そして、案の定、
「午後、シェリーちゃんとタツミ君で巡回に出てもらうから」
とんでもないことを言ってくれた。
「納得いきません!」
驚きながらもシェリーはすぐに立ち上がる。
「食事中。座って」
釘を刺したのがコトノだったからだろう。シェリーは落ち着きを取り戻して座りなおした。
先ほどマナーを注意されたタツミとしてはしたり顔だったが、
「君もだよ。タツミ君」
レイラに注意されて罰が悪そうに眼をそらして席に着いた。
しかし、驚くのも無理はない。
「僕はまだまともに出歩けないんですよ。ほとぼりも冷めてないのに、巡回なんて」
巡回とは、簡単に言えば各征服団体の見回りだ。規則を守って征服活動をしているか目を配るのも実行委員会の仕事になる。
多くの征服者が主要征服団の抗争を待ち望み、当日はテレビにかじりついていたことだろう。確実にタツミの姿が脳裡にこびりついているはずだ。今、征服団の前にタツミが出るということは、餌に飢えたライオンの前に野ウサギを差し出すのと同じことなのだ。
間違いなくただでは済まない。
「まあまあ、人の噂も七十五日っていうじゃん」
まだ三十日しかたってない。
なぜここまでレイラは楽観視できるのか、タツミの中の呆れは疑問に変わってしまう。
「この男に巡回が務まるとは到底思えません」
シェリーが疑問を呈するけれど、そこは疑わないでほしい。
次こそは、油断しない。
「シェリーちゃん」
レイラは糸目を曲げたまま、わざとらしく人差し指を口につけて笑う。
「委・員・長・命・令、だよ?」
「……っ! 失礼します!」
一際大きく返事をしてシェリーは部屋を後にしてしまった。
もちろん食器は置きっぱなし。下げるのはタツミの仕事だからいいのだが。
(カレーって乾いたら落ちづらいのになー)
「シェリーちゃんの事、よろしくね」
彼女の食器を水につけておこうと立ち上がったタツミに、レイラはいつもの調子に乗った声ではなく真面目な声色で呟いた。
あのシェリーですら渋々従うのだ、タツミが逆らうわけにはいかない。だけど、よろしくとはどういう事だろう。シェリーは紛れもない実力者だ。おそらく戦闘力のランクは、上位のBクラス。そこらの征服者には遅れは取らないはずだ。
「まあ、タツミ君なら何の問題もないだろうけれどねー」
真意を聞く前に牽制された。
(おちゃらけているけど、レイラさんも侮れないんだよな)
藺草レイラは秘密を知っている可能性がある。
タツミは、この秘密を奥の手にしたいのだ。
度を越した追及は墓穴を掘る。そう脅された気分だった。
だけどこれは、一ノ瀬シェリーにも何かしらの弱みがあるということだ。
(どの秘密を先に握ることができれば、或いは)
と、ここで思いを巡らせても、今はやれるだけのことをやるしかない。
今できることは仕事に行く前の腹ごしらえだ。タツミはおかわりをよそうため鍋を覗く。
「空になってる」
少し多めに作ったはずだけれども。不思議に思って振り返る。
やはり、グミと食事は別腹らしい。
三杯目のカレーを見事に平らげる同僚の姿に、タツミは満たされなかったお腹を擦った。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
征服者の巡回に必ずしも腕っぷしの強さが求められているわけではない。
日々の征服活動は俗に言ってしまえば点数稼ぎだ。常に人々の視界に晒される征服者たちは、犯罪はおろか少しのルール違反も犯そうとはしない。
彼らは決められた範囲内で自由に征服活動をしている。
目立つものは「善意の押し付け」くらいだろう。
そしてルールから逸脱した者も、世界征服実行委員会の制服と腕章を見れば言葉だけでその場から離れていく。
犯罪行為と出くわさない限り武力行使の出番はないのだ。
だから戦闘における強さは必須ではなく、巡回を二人で行う必要もない。
(私一人で十分だというのに)
委員会の借りるビルの前で、一ノ瀬シェリーは赤い手甲を付けた両手首を軽く回した。
愛用の武具に今日も変わりはない。彼女自身に不調もない。
今日も問題なく一人で仕事をこなせる確信がある。
(空閑タツミの力なんて必要ない)
赤髪の少年の笑みを思い浮かべると、シェリーは苛立ちで指先が震えてしまう。
あのきな臭い笑顔には思慮が見られない。笑い声で浅薄だと想像がつく。
でなければ、圧倒的弱者の自分が、日本を代表する征服者同士の抗争に乱入しようとは露も思わないはずだ。
浅薄と言えばレイラもそう。彼女の楽天的な言動もシェリーを悩ませる頭痛の種になっている。
世間から白い目を向けられようと、公営機関の最高権力者だ。最初は、何か思うことがあってこその行動だろうと黙って従っていたが、最近は目に余る。
違反者の肩を持つなんて。呆気にとられず、すぐ反対すべきだったと、シェリーは自分の至らなさを今更ながら後悔する。
いや、悔い改めるならばもっと前からか。
一連の空閑タツミの件は、シェリーの失態だ。
征服抗争の中断を進言したのは彼女だった。戦場で翻弄されるタツミに、彼女は戦場に割って入らずにはいられなかった。そうすることで発生する損害について、考えなかったわけではない。
でも、じっとしてはいられなかった理由を、言い訳を、彼女は口にできずにいる。
こんな言い訳、恥ずかしくて誰ができるだろう。
(憧れた過去を思い出してしまった、なんて)
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
「すみません。遅くなりました」
「遅い! 準備に時間をかけるな……!?」
昼食の後片付けを済ませてから、急いで巡回の準備をして外に出たタツミだったが、案の定シェリーには文句を言われてしまった。
しかし、思いの外、厳しい追及はされなかった。その前に、彼の姿を見て固まったからだ。
でも、シェリーの怪訝な顔は全く不思議ではない。
こんな格好で本当に上手くいくのかと、タツミは蒸れるしチクチクして痒い頭を掻いた。
「タツミ君の赤髪と瞳って目立つからそこ隠しちゃえば何とかなると思うんだよねー」
レイラがそう言ってノリノリで持ってきたのは銀髪のウィッグと黒いサングラスだった。
「これでシェリーちゃんとお揃いだし、兄弟に間違われる! はず!」
「そんなはずないでしょ!」
抵抗むなしくレイラとコトノの二人がかりでタツミの変装は強硬された。
銀髪のオールバックとサングラス。仕事で外に出ることがなかったので初めて袖を通した黒い委員会の制服。
みかじめ料を貰うんじゃないんだから。
それに兄弟にも見えない。よくて、どこぞの御令嬢の護衛だろう。
シェリーが嫌がりそうな間違われ方だ。
「私を馬鹿にしているのですか?」
「違いますよ! 委員長命令です!」
実際、今のタツミを一か月前の無謀な若者と同一人物だと思う人はいないだろう。
容姿のチョイスには悪意を感じるが。
シェリーは数秒黙ってタツミを睨みつけると、無言のまま踵を返して歩き出した。
ひとまずは納得、というか、諦めたらしい。
「あの、まずはどこへ向かうんでしょうか?」
タツミが訪ねても、シェリーは振り向くどころか返事をすることもなかった。
仕事を教えるつもりはないということだろう。そしてそれは見て覚えろという職人気質の指導方法でもない。
彼女はタツミがすくに逃げ出すと思っている。
当たり前だ。彼が目指しているのは征服王。表舞台に立つ主役だ。裏方の仕事なんて、望んで手を挙げはしない。それが分かっているから、シェリーもタツミに仕事を教えるつもりはない。
噂が消え薄れ借金を返すまでの仮の住処。
ただ、借金はタツミが真面目に働いて返すしかないのも事実だ。
教われずとも、突き放されても、くらいついて仕事をしていくしかない。
征服団は都内だけでも無数に存在する。エーゴスのような大手征服団ばかりではなく、少人数の征服団も巡回の対象だ。中には、大学生がサークルで作ってしまう趣味みたいな征服団もある。その全てを最低でも月に一回は巡回し、目を光らせているというのだから骨が折れる。
征服団の中には、委員の腕章を見て露骨に顔を歪ませる者もいた。
まあ、しつこい訪問販売みたいなものだし、気持ちはわからなくない。いくら不正を取り締まる為とはいえ、過度の規制は軋轢を生む。
これではいつか、反発して違反に手を染める集団が現れてもおかしくない。
とは、午後の時間、ずっとシェリーの後を追いかけて四苦八苦していた素人のタツミの意見だ。規則としてこの仕事が存在するからには、何かしらの理由があるのだろう。
だからタツミからシェリーに対して物言うことはない。
シェリーの仕事ぶりも見事だった。
征服者たちからいくら悪態をつかれても淡々と不正を取り締まっていた。
征服者として登録していない者への指導や、事前報告のない征服抗争の取り締まり。
盛り上がっていた観衆や征服者たちからは冷たい言葉を浴びせられたが、銀髪の美少女は臆することなく毅然と巡回作業を執行していた。
鋼の精神を持った人だ。
今回の巡回では、武力行使が必要な小競り合いはなかった。
全て世界征服実行委員会の腕章で事足りた。覚悟はしていたタツミだが、大事なく帰路につける安堵で全身が弛緩する。
「まだ気を抜くには早いですよ」
そんな様子にシェリーは出かけた時と変わらない鋭い視線を送る。
「すみませんね」
疲れからか、タツミは細やかにも反抗的な受け答えをしてしまう。
「何ですか、その返事は?」
もちろんそんな態度をシェリーが快く受け入れるわけがない。
「真面目になさい。委員の風格が問われます」
「分かってますよー」
「ですから、そのだらけた喋り方を止めなさいと……!」
路地裏から音がした。微かな物音だ。しかし、征服王の残滓で強化された二人の耳には確かに届いた。
積まれていた木材が崩れる音。ぶつかって生まれた金属音。そして、
「悲鳴……!」
いの一番に動いたのはシェリーだった。赤い拳を強く握りしめ、突風よりも早く疾走する。
その後をタツミが続く。しかし、追いつけない。征服者としての自力は、やはりシェリーのほうが一枚上手だった。
「そこまでです! 今すぐ武器を捨てなさい!」
いち早く辿り着いたシェリーは拳を構えて、牽制する。
悲鳴を上げたであろう男は、地面に転がっていた。その周りにはフードを被った不審者が五人。その手にはナイフが握られている。十中八九、彼らが暴漢で間違いないだろう。
暴漢連中は武器を捨てず、シェリーの顔を見てすぐさま切り掛った。
「委員会権限を実行。対象を捕縛します」
冷静だった。刃物に対する恐怖感は、彼女の体どこからも表れていない。
シェリーは鋭く光るナイフに怯むことなく駆け出す。
地面すれすれを滑空する燕は、あっと言う間も与えずに相手の懐へと飛び込む。
赤い手甲が易々と相手の顎を打ち抜く。正しく弾丸。赤い銃弾が寸分の狂い無く敵の急所を砕く。
シェリーは倒れた敵からナイフを奪い取り真っ二つに折ってしまった。
「空閑タツミ。そこでじっとしていなさい。彼らは『はぐれ』です」
遅れて辿り着いたタツミは、すぐさま二本の短刀を抜き警戒態勢をとる。
征服王への道を諦め、得た力を悪事に利用する悪漢の総称。それが「はぐれ」だ。
まっとうな征服者の征服活動の一つには、ぐれの取り締まりがある。同様に委員会の巡回にもはぐれの処罰が含まれていた。
常人ならば残滓の影響を受けているシェリーが劣ることはない。しかし、同じく身体を強化されているはぐれ相手ならば油断は禁物だ。
それなのに共闘せず大人しくしていろとは、どういうことか。
「怪我をされては経費の無駄遣いです」
信頼があればツンデレとして受け取っていたけれど、今のシェリーには「ツ」の字もない。
タツミは思わず強く柄を握ってしまった手を緩めて、あえて彼女の指示を受け入れることにした。
実力を知る必要がある。
シェリーが突出した実力の持ち主であることは既にその身で理解している。
しかし、彼が確かめたいのは征服王の残滓の真髄。
実行委員長レイラでいう念動力。人智を超越した征服王からの至上の賜りもの。
備わっていない可能性もあるが、全征服者を統括する委員に属するには強力な何かがいる。不可思議な力を秘めているはずだ。
動く気のないタツミを確認して、シェリーは戦闘を続行した。
敵は残り四人。数では勝るが、連携が取れていなかった。手当たり次第にシェリーに突っ込んでは真紅の鉄拳に伸されていく。
シェリーの戦い方は、己の拳一つで戦う超近接戦法。身の毛もよだつ苛烈さとは真逆に、繊細な戦い方でもあった。その拳、その足、その体捌き。すべてが清流のように乱れなく動く。しかし、油断して少しでも触れたなら瀑布のごとき痛打をくらう事になる。
口だけではない。
これが一ノ瀬シェリーの実力だ。
彼女は秒針が一周もしない間に三人を気絶させた。
残りはあと一人だが、当てが外れたタツミは短刀を鞘にしまう。
敵が弱すぎて実力の半分も分からなかった。次の機会までお預けか。
「まだ戦闘中ですよ」
「僕は戦わなくてもいいんですよね」
彼女の宣言通りとは不服だ。タツミせめてもの反抗に腕を組んで憎まれ口を言うしかない。
だが、この不用心をすぐに後悔することになる。
「ただでやられるかよ!」
残りの一人が懐から拳銃を取り出す。
いや、普通の拳銃ではない。
常人が扱う普通の武器は、征服王の残滓を受け取ったものからすれば積み木の武器と何ら変わりはない。たとえ銃弾が頭部に命中してもと、征服者たちは身じろぎもしないだろう。
タツミは、再度、警戒心を身に纏う。
男が持つ奇妙な武器に背中の筋肉が強張る。外見が銃の形を模しているだけで、中身はおそらく別のものだ。
「手伝いましょうか、シェリーさん」
彼女への苛立ちを忘れさせるほどの悪寒。タツミは短刀をすぐに抜けるよう汗ばんだ手を柄にかける。
しかし、敵と一番近いシェリーはただ一言。
「当たらないでね」
「くらえぇぇぇぇ!!」
呟きを遮って敵が大声をあげて引き金を引く。
放たれたのは銃弾ではなかった。目を焼くほど眩く光る黄色い光弾だ。
大きさは西瓜玉ほど。だけど、どれほどの力を秘めているのかは計り知れない。
タツミはシェリーの身を案じて思わず飛び出した。
しかし、構えた短刀は彼女の前に立つ前に鞘から抜かれることになる。
銃口は確かにシェリーに向いていた。
銃は初心者が使えば的の外へ飛んでいくと言う。だが、明らかに光弾は想定外の射線に描いて放たれた。
偶然にも。いや、不運にもその射線の先には、タツミがいた。
「どぅうぇああああ!?」
思わず間抜けな叫び声をあげる。アホウドリだってもっとまともに鳴くだろう。
踵を擦って急停止。体を後ろに反りながら、光弾を上に弾こうと短刀を振り上げる。これで、弾けるのかは知らないが、未知な攻撃を正直に受けるよりましだ。
短刀と光弾が交わる。想定以上の衝撃に柄を握る手が緩みかける。
衝撃だけではない。
「熱ぅ!?」
直接火に覆われたと勘違いしてしまうほどの高熱。手の皮膚が焼けていくのが分かる。
「んなくそぉ!!」
じっくり焦げ目がつくのを待っているタツミではない。もう一本の短刀を引き抜き、切り上げた。
丸い光弾がひしゃげながら軌道を変える。建物の非常階段にぶつかると、鉄柵を現代アートのように歪めてしまった。
よく往なせたものだと、タツミは満身創痍で寝転がりながら安堵して眉を下ろす。
力が入らず情けなく笑う膝に苦笑してしまう。
「だから油断するなと言ったんです」
シェリーは残りの一人をすでに拘束していた。
倒した五人を一か所にまとめ、携帯でどこかに連絡を取っている。違反者を連行するためだろう。
まったく、とんだ一日だ。こうも災難続きでは神様に見放されたのかと勘ぐってしまう。
全身が弛緩して動けないタツミに、手早く連絡を済ませたシェリーは無言で手を差し出す。
もしかして、気を遣われている?
先とは違う理由で冷や汗をかきそうなタツミは、まじまじと彼女の手を掴み返せずにいた。
「すみませんでした」
シェリーからの謝罪に、タツミの汗腺が暴走しそうだ。
なぜ謝られているのだろう? 彼が負った火傷は敵の武器によるものだ。それも、故障による事故だと推測できる。彼女が弾いた流れ弾が原因ならば、堂々と文句を言うが、見当違いの謝罪には困惑してしまう。
タツミは戸惑いながら手を掴む。申し訳なさそうに影の落ちた顔の前では、目を背けて配慮を受け取るしかない。
「……危ない!」
タツミは彼女の手を乱暴に引き寄せた。
シェリーは沈んでいた顔を驚きに変え、転びそうになった体を脚で支える。
こんな時に仕返しか。心配りを素直に受け取れないほど礼を欠いているのか。
大声で叱責しようとして、間抜けに開かれた口のままシェリーは固まった。
目の前には、駆け出した赤髪の少年。
その先には、襲われていた被害者。
その上には、落下してくる大量の鉄骨。
タツミの弾いた光弾がぶつかった真下には気を失ったままの被害者。
彼女は間違えた。まず先に被害者の保護をすべきだった。
目の前でいけ好かない赤髪の同僚が鉄骨の中に消えていく。
こんな時に動けない自分はまだ弱い。
そう呪って、シェリーはしばらく立ち尽くしてしまった。
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