【Phase.10-5】巡る殺意の形、日常が赤に染まるとき

「あ、出ます出ます! ボチボチ出ます!

 んじゃ華音ちゃんさ。次回のランチをゴチしてくれる、っつーコトで手を打たない?」


 女給の出現を『これ幸い!』と、リゼは僅かな譲歩とともに華音を丸め込みにいく。

 華音も第三者の介入があっては止む無しと思ったものの、ただ言われっ放しで引っ込む性格では無い。


「もう……では次回と次々回、二回分なら妥協します」

「うひぃ!? もー、押しが強いなぁ」

「私は勇ましくて頑固です、ってゲームでお伝えしていたじゃないですか?」

「やー、ソレは憶えてんだけどさ……」


 自身の持つ『完全記憶』という特性上、リゼとしては忘れようもない言葉だ。しかしながら、その特性については未だ華音に語っていないため、つい間延びした返答だけが漏れる。

 そこへ今度は華音側が、先程の反撃とばかりに畳み掛けてきた。


「ハイ、ならご理解いただけてるという事で。

 早速ですが、次回予定は本日の夜にでもメッセージを送らせていただきますね」

「はっや!」

「いいえ。建物の屋上からいきなりダイブするリゼさんには、これでも遅い位ですよ?」

「うっ……」


 華音はピシャリと(ゲーム内の前科含め)言い放って立ち上がると、テーブルを回ってリゼに手を差し出した。無言の『話し合いは終わったので、チェックアウトしましょうか』という意味だ。

 女給も二人の会話に勝負アリと断じたのだろう。リゼたちに意識を向けさせることなく、かつ接遇の態度を崩すこともなく一礼からこの場を離れていった。


 リゼが椅子から背の高い華音を見上げると、水面を反射した昼下がりの柔らかい日差しが幻想的に、揺るがぬ彼女を照らしていた。

 その姿に二の句は継げず。ハーフアップにした金色のクセ髪を横に振りながら根負けの溜息を浅く漏らす。


「あー……もー解りましたよっ!

 こーなりゃ逆に連絡を楽しみにさせて貰うわ」

「ええ。美味しいお店を探しておきますので、期待してくださいね」

「おうよ!」


 観念とともに差し伸べられた手を取るリゼ。

 ここでようやく頬を緩ませた華音。彼女の瞳は初夏の空よりも澄み渡り、その内側には観念したリゼ自身の姿が反射像として映っていた。



『……ま、落としどころとしては正解か』


 正論は華音にあり、口八丁を得意とするリゼでも「ガリウムの代金」という隠し事を抱えたままでは、彼女の意志は曲げられず。

 この辺りが折衷としてのベターなのだと悟った。


「そうだ。リゼさん、無理なお日にちが有れば教えてくださいね?」

「今月ならNGな日はないよーん」

「了解しました」


 落着したためだろうか。普段は切れ長な華音の涼しげな瞳が、僅かに三日月を象っている。

 『これで機嫌が良くなったんなら、万歳バンザイってコトかねぇ』と、リゼも同じ形の瞳で彼女を見つめていた。



 ≫ ≫ ≫



 昼下がりの月が顔を覗かせ、薄暮はくぼにも満たぬ時分過ぎ。

 春から夏へと変わる節目に、鼻腔を心地よく抜ける新緑の香りが彼女たちを彩ってゆく。


「リゼさん、本日はご馳走さまでした。

 お店を手配いただいたのは嬉しかったですが、次回は何も言わずにお支払しては駄目ですからね?」

「悪かったって……んまぁお粗末様ってコトで」


 神田川のせせらぎと女給に見送られ、店外へ出た二人。

 主たる予定も済んだため、そぞろに足は最寄りの飯田橋駅へと向かっていた。



「華音ちゃんは帰宅したらゲーム繋ぐー?」

「そうですね。

 折角頂いた……≪フラベルム≫、でしたっけ? あの服とナイフのクセにもう少し慣れておきたいので、軽く自主トレーニングをしてからVRに入ろうかと思います」


 渡されて直ぐの武器であったため、華音にはまだ≪フラベルム≫の固有名称がシックリと来ていないらしいが、それよりもリゼは夕方からトレーニングをすると言った彼女へ驚きと感心を送る。

 ここで想起したのは、リゼの母親が舞台の出演に合わせて行っていたハードなトレーニングメニューと、それに付き合って一週間ほど筋肉痛に悩まされた自身の過去。

 そんな苦味ある思い出とともに、目の前の彼女にメニューの内訳を尋ねた。


「うっわー、夕方から自主トレなんてストイック! ってか、軽くってどんくらいよ?」

「間もなく暗くなりますし、今日は近所を5キロほど走ったら、デッドリフトと柔軟を合わせて……全部で1時間くらいですかね」

「うげっ!? デッドまで……さすが現役だねぇ。軽くと言いつつ下半身みっちりコースやん」


 デッドリフトとは特にバレエダンサーが重要視する脚部・臀部・下背部を鍛えるためのウエイトトレーニングだ。(まさにリゼが筋肉痛となった原因のトレーニング法でもあった)

 華音の柔軟にして強靭なフィジカルを支えるためには欠かせない練習法であったのだが、一般層にはバレエダンサーがウエイトトレーニングをするというイメージは薄い。それを一言のみで理解したリゼへ、華音は歩きながらも予てからの疑問をぶつけてみた。


「……やっぱりリゼさんってバレエ経験者ですよね? VR内でも思いましたが、随分と詳しいですし」

「いんや。アタシ自身はほんとに一週間しかやってないよ? 前屈なんて床上30センチ超えのガッチガチだし」

「嘘でしょう!?」


 ここで今日一番の驚きを見せた華音。

 経験者か否かよりも、一般層と比べても余りに固いリゼの柔軟性に『またいつもの冗談かな?』と勘繰る。が、直後の「やっぱメチャ固い……よねぇ……?」と気恥ずかしそうに洩らした小さな彼女の言葉で、それが真実なのだと理解した。


「やー……アタシが詳しいのって、ママンがバレエダンサーだったからなんだよねー」


 継いで開示された理由。華音は驚嘆より一転、今度は関心を一気に高めた。

 先程の食事時にリゼの母親がフランス人である事を聞いていたため、15世紀にメディチ家より伝わった本場フランスのバレエダンサーなのかと想像を広げたからだ。(なお華音は、リゼの「ママン」という呼称を聞いて、『呼び方が可愛らしいなぁ』と僅かに口角を上げていた)


「そうだったのですね。……今は現役ではないのですか?」

「うん。流石にもう45歳だからね」

「あ、そうか。リゼさんのお歳を忘れてました……」

「うぉいっ!? アタシお姉さんよ、お・ね・え・さ・ん!」


 自身よりも幼く見えるリゼが、実は29歳であることを思い出した華音。双方間にジェネレーションギャップも殆んど感じられないため、つい失念していたらしい。


「ま、童顔な自覚はしてるけどさー。

 ……んで、25年前に弟が生まれた頃、ママンは一回引退したんだよねぇ。

 そっから暫くして、知人の誘いでコンテンポラリー(近代の創作バレエ)を一時復帰してやってたよ。

 今も業界に携わってて衣装デザインやら舞台で振付コレオグラフィーのプロデュースとか、色々やってるみたい」

「そんなに長くから幅広くご活躍を……しかも弟さんが居たのですね」

「ま、ほぼ海外に居るから詳しくは聞けてないケド。んでも毎年正月とかには帰国してくるよ。

 ちなみに弟もバレエ歴は無し。関東圏に居るから、たまーに家へ帰って来るねぇ」


 中身を華音へ渡して軽くなったキャリーを牽いて、母親のバレエ遍歴を(プラス、弟の存在をサラリと)語るリゼ。

 それを聞いている華音は驚きながらも興味津々。最近では王道であるクラシックバレエよりも、コンテンポラリーダンスに嵌まりつつあった彼女は、加速度的にリゼの母親への関心を傾倒していた。


「そーいやぁさっきの≪フラベルム≫用コス。あれもママンが衣装縫製で使ってたライクラファブリック(ポリウレタン弾性繊維)の端切れを利用したんだよ」

「ライクラ! 言われてみると確かに。手触りやフィット感は殆んど何時ものバレエウェア感覚でしたね」

「だしょー? アタシの仕事に手抜かりはないじぇ!」


 得意満面で華音にピースサインを送るリゼ。

 華音はVRや食事のみならず、自身の趣向に寄った会話もできる笑顔の少女 (実際は華音より一回りほど年上なのだが)を見つめながら『もう少し話をしたいなぁ』と思った――ところで、彼女たちはいま、飯田橋駅の改札前へと到着した。


「あ……駅、着いちゃいましたね」

「だねぇ。ならお話の続きは次回……つーか、オンラインで話せば良いじゃん!」

「ふふ、そうですね。リゼさんのお母様のお話、もっと聞きたいですし」



 二人は語らいながらも改札を通ってプラットホームへ。

 双方とも乗る列車は違えど、乗り場までは一緒のため、エスカレーターのステップへと乗った。

 此処で先行くリゼは、段差を活かして華音との目線の高さを合わせて言葉を継ぐ。


「それならいつでも良いよん……ってか、もしかしたら華音ちゃんはウチのママンの事を知ってるかも? 日本でも公演はソコソコやってたし」

「そうなのですか?」

「メイビー。んと、ママンの名前ってのがねぇ――」

「――あっ、リゼさん!」


 世界的バレエダンサーとして知られる母親と同じ世界に身を置く華音に対し、『特に隠す必要も無かろう』と口を開きかけたリゼ。

 だが、それには華音が自らの口元へ人差し指を添えて「続きはストップで!」のゼスチャーを送った。


「ええと、済みません。

 私からの話題でしたが……ご家族といっても個人情報ですし、お母様の名前は許可をいただいてから聞かせてくださいますか?

 もちろん、聞く私の身元はお母様にお伝えして構いませんので」

「ありゃ? んな事しなくても……」


 リゼは家族の個人情報に関しては存外に緩いらしい。なにせ弟の写真を無断で使ってゲームアバターのベースにした位だ。

 それに対して華音は、自身が国を越えて人前に立つことを前提とした「演者」の側面があるためか、個人情報の扱いに於いてはかなり保護意識が高いようだ。


「いえ。本音は聞きたいのですが……私が知ってそうな著名な方なら尚更と思います。都合のよろしいタイミングで良いのでお願いします」

「んー……了解。ココが天下の往来っつーのもあるか」


 リゼも華音の言葉をワンクッションに、この場所が駅の雑踏だという事を再認識 (加えて、同性からでも見目麗しい華音が隣に居るため、今も遠巻きな衆目を集めている)。不特定多数へオープンに母の話をしたい訳でもないため、華音の意思を尊重する事とした。


「ええ。お話を聞ける日を楽しみにする、という見方もありますし」

「ソレも確かに。じゃー美味しいモノは取っておく的なヤツだと思おっか!」

「はいっ」



 少し長めのエスカレーターもホーム階へ到着し、またも凸凹でこぼことアンバランスに肩を並べた彼女たち。

 ニコリと笑っている華音を見上げ、『やっぱアルマとおんなじ顔してるから、今もオンライン中みたいな錯覚をしちゃうなぁ』とリゼが所感を抱いた。それと同時に思い出した事のひとつが思わず口を吐く。


「あー!

 そーいや何で華音ちゃんがナイフを使い慣れてるのか、今日聞こーと思ってたんだった!」

「うっ……それも次回以降……ですね」

了解りょーっ。ソイツも楽しみに含めとくよ」

「ええ……」


 やはりオンラインで以前に尋ねた時と同様、華音は僅かに口ごもりながらも断るまではしない。

 若干困り気味な彼女の顔を見て『うーむ……こんな綺麗な子の困り顔なんて、なかなか見れないもんねぇ』と、妙な愉悦ゆえつのサディズムが働くリゼの内心。


『……アタシって結構、悪趣味な人間だな』


 直後の自戒とともに更なる言及・追及はせず。

 そろそろ電車が来るだろうと、リゼの網膜だけが可視性を持つ専用の仮想ディスプレイを端末より展開し、視界端で表示された電車の到着時刻 (イコール二人が会話できる残時間)を一瞥した。



 ――その瞬間だった。



『……!!』


 リゼが捉えたのは半透明に表示された時計――ではなく、その向こう側。

 華音の左すぐ後方の人物・・だ。


 その者は薄手のシャツに備わったフードを目深に、リゼの着ている革ジャンによく似た黒のレザージャケットを脱いで、グルグルと腕に巻き付けた、印象の薄い男・・・・・・であった。

 しかし、忘れる事の出来ぬリゼの完全記憶が告げてくる。「この男は今日、自分の荷を強奪した窃盗男」だと。



「見つけたぜぇ……」



 聞こえぬ程に小さく、けれども明らかな害意をもって吐き出された男の声。

 よくよく見れば、腕に巻いたジャケットの奥からは鈍色にびいろに光る鋭利な切っ先が覗けた。


 男の殺意は筆舌にも尽くし難く、けれども華音は気付いていない。

 雑踏の人々も、件の男に視線を向けてなどいない。

 偶然に見つけたリゼでさえ、得も言えずの完全なる不意打ちだった。



 冷やかなる先端は華音の腹部へと真っすぐ迫っており、既に瞬きも許さぬ程の間断。


 直後には刃物が皮膚を貫通し、緋色の鮮血が飛散。

 一瞬のうちに華音のチュニックは深色へ染め上げられ、刺すような叫び声がプラットホーム中に響いた。

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