裏と表
「父さま、あのね……」
全身が焼かれたように煤けて傷だらけのファダルを鉄格子の向こうに見つめるウィゼルは掠れた声でゆっくりと語りかけました。
「私、父さまを探すために家を出たの。母さまは一人で大丈夫だからって。それで、都へ来て、運よく魔術師様や騎士様に助けてもらえて、お城で仕事までもらえたの。でも、父さまは見つからなかった」
ファダルは床に座ってうなだれたまま、苦しそうな呼吸の音だけをさせています。冷たくザラザラした石の床に片手をついてしゃがみ込んだウィゼル。その後ろ姿をケイトスは神妙な面持ちで見守っていました。
「父さまは一体どこにいたの?ある日突然帰ってこなくなって、どこへ連れて行かれていたの?」
「う……ウィゼル……」
ファダルはウィゼルの足元を見つめるようにわずかに顔を上げ、しゃがれて消え入りそうな声を絞り出しました。
「ファダル、喋ってくれ。事実が明らかにならなければ、君もウィゼルも疑いが晴れないままになってしまう」
「ああ……懐かしいな……これも運命か」
ファダルは広げた自分の手のひらを見つめると、苦しそうな呼吸を挟みながら小さな声でゆっくりと話し始めます。
「革命者を、知っているか」
「ああ、カドゥミナから立ち上がった反政府組織……まさかファダル、君がそこにいたと言うのか」
「そうだ。カドゥミナの窮状に何も手を打たない宮廷の連中に、私一人では何もできなかった。このままでは将来、カドゥミナで暮らしていくことはできない。ウィーネとウィゼルのために、私が選んだことだ」
ウィゼルは口元に手を当てて、父親がいなくなった当時の様子を真剣に思い出そうとしていました。
「でも、あのとき父さまは家を建てる仕事に行くって……」
「その仕事が革命者のことなんだ。はじめはカドゥミナの未来のために文書を作り、陳情に行って、まっとうな活動をしていた」
「それじゃあどうして」
「何かあった時にお前たちを巻き込まないためだ。陳情を繰り返しても結局、宮廷が動くことはなかった。やがて、革命者は存在感を示すため、騎士団への妨害活動を始めていった」
「そんな……」
「そうなるともう、志や矜持なんてものは消え去って、残ったのは大義名分だけだ。果てにはそれを掲げて略奪行為を行う奴らまで現れて、私はもうついて行けなくなっていた」
「ファダルは略奪には加担していないんだな?」
「ああ。だが、止めることはできなかった……同じことだ」
「では何故洗礼式団の襲撃を」
「迷走しはじめた組織をどう抜け出そうか考えていた頃、上層メンバーに外部から接触があった。素性の知れないそいつらは、霊泉信仰を否定し、宮廷の貴族達を糾弾すると言っていた」
「そのような存在、私は聞いた事がないな……」
「ある意味で目的の一致している我々に対し、奴らは力を与えると持ちかけてきた。それは多額の資金と資質なくとも魔術を扱える力。その代わりに課した任務を遂行せよと」
「それでは革命者が手駒に下るようなものではないか」
「ああ、わかっていたさ。だが、行き詰まっていた我々にとって、その対価はあまりに魅力的だった。もちろん最初は皆懐疑的だったが、証拠を見せられたリーダー達はそれを受け入れた」
「それがあの魔術……一体どうやってあのような力を」
「奴らの用意した奇妙な薬、我々の血の中に眠る太古の力を呼び覚ます、とか言っていた。それを飲むと変化はすぐに現れた。全身に力が漲り、意識を集中すれば掌に熱が集まり岩をも溶かした。降り注ぐ雨を凍てつく氷の矢に変えることだってできた」
「信じられん。魔術具なしにそのような事が……」
「この力があれば、宮廷を転覆させることすらできると、リーダー達は思っただろうな……だが、そんなに上手くいくはずがなかった。奴らに指示されて魔物相手に魔術を行使するたび、皮膚は剥がれ、骨は軋んだ。力を使い過ぎて絞りかすみたいになった奴を何人も見た。今の私のようにな」
「父さま……」
「結局、組織を抜けることができなかった私は任務遂行のための駒になるしかなかった。まったく、笑えないほど愚かな話だ……その任務のために娘を、守りたかった存在を手にかけてしまうところだった」
闇が澱む地下の暗い箱。その中にしばしの沈黙が満ちます。吐息だけが沈殿した空気をわずかに揺らし、ランプの灯りが悲しい再会を果たした親子の姿を照らし出していました。
「私、ほとんど諦めてた。もう会えないんだろうって。でも、それを認めたら、私がここにいる理由がなくなってしまう。だから私は父さまがどこかで苦しんでいることも知らずに、曖昧なままにしていた。今の暮らしが続くのも悪くないって。でもそれは父さまを見捨てているのと同じことだった……だから、ごめんなさい」
「何が正しかったのだろうな……結局、私は何をしたかったのか」
それまでずっと項垂れたままだったファダルはついにゆっくりと顔を上げ、ケイトスの方を見上げました。
「ケイトス、もうウィゼルを疑う必要はない。ウィゼルは何も知らなかった。すべて、革命者として我々が行ったことだ。それを聞くために来たのだろう」
「ファダル……」
「違う!私は、父さまを助けようと――」
「私のために動けば、お前はまた余計なものを背負うことになる。ウィゼル、お前は強い。私のことは忘れて、自分の幸せのために生きなさい」
「そんな……母さまは?母さまはどうするの?」
「ケイトス、愚かな私の身勝手な願いを聞いてくれないか。お前に、ウィーネのことを頼みたい」
「ファダル、それは……彼女はお前を選んだのだ。今さら私には」
「叶えてほしいとは思っていない、どうするかはお前次第だ。だがせめて、すまなかった、とだけでも伝えてほしい」
ケイトスは何かを思い返すように目を閉じて俯きました。
「わかった」
「ウィゼルもたまにはウィーネの顔を見に行ってやってくれ」
「父さま、私――」
その時、数人の慌ただしい足音が近づいてきました。金属製の装備が触れるがちゃがちゃした音が暗い地下に騒がしく響き、ウィゼルとケイトスは何事かと振り返りました。
「聴取はそこまでです。先生」
声の主はヴィンヤードでした。
「何事だ」
ヴィンヤードは深くゆっくりと息を吐いてから答えます。
「マクアの霊泉が力を失いはじめました」
「何だと?一体どういうことだ」
「霊泉の輝きが消えたのです」
「そのようなこと……信じられん」
「私もです。先生、魔術院まで来ていただけますか」
「もちろんだ」
ケイトスは去り際にファダルの方へ振り返りました。
「ファダル、また会おう」
ファダルは何も答えず、また力無く石の床を見つめていて、その表情は誰からも見えませんでした。
「今日はもう戻りなさい」
ウィゼルの肩に手を置いてヴィンヤードが囁きますが、ウィゼルは父親を見つめたまま、何も言えずにいました。ヴィンヤードは息をついて、聴取を監視していた看守を呼ぶとウィゼルの腕を掴んで立たせます。
「すまないが、これ以上はだめなんだ」
「父さま……父さま!」
ウィゼルはこれ以上父親に何を伝えたらよいかわからずに、看守に腕を引かれながらただ父親のことを呼びました。
「もう行きますから、離してください」
しばらく引かれるがままに歩いていたウィゼルがそう言うと看守の手が離れました。不安定な足取りで廊下を歩き地上へと上がる階段の元までやってくると、そこで待っていたヴィンヤードがウィゼルを呼び止めます。
「君の父親のこと、私の力が足らずにすまなかった。ああなってしまったことは私もとても残念だ」
「ヴィンヤード様……私がご助力に甘えてしまったのがいけないのです。これまで父親を探していただいたこと、感謝します」
「彼から何か話を聞けたのか」
「はい。父は自分の意思で革命者へ入ったと。でも事件のことは誰かに利用されたとしか、私には思えません」
「そうか……」
薄明かりの中でヴィンヤードの目は、悲しさの中に決意と使命感を帯びていました。
「その……ようやく再会を果たした家族に向かって言うべきことではないかもしれないが、君が来るまで彼はまともに話もできなかったんだ。だから、その話をすべてそのまま真実と捉えるには慎重になった方がいいだろうね」
ウィゼルはこの時のヴィンヤードに、初めて会った時とは違う人物であるかのような冷たい印象を受けました。ぎこちなく取り繕うような言い様から、彼の言葉もまた本意ではないのかも知れません。しかしウィゼルにはそれ以上のことを感じ取ることはできませんでした。
「父さまは、おかしくなってなどいません!嘘であのように話せるはずないですから……」
「もちろん君が信じるのは自由だよ。だが、今は立て続けに異変が起きすぎている。君の父親の事もどうなるか……」
「助けることはできないと?」
「その可能性はある、という事を心に留めておいてほしい。襲撃に加担した事実を議会がどう捉え、どう裁くのか、私にも読めないんだ」
「それでも、ケイトス様は信じてくださっていますから、正しく裁かれることを願っています。それでは失礼します」
ウィゼルは一段ずつゆっくりと地上の明るみへ向かって登って行きます。もしかしたら、父親がこの光を見ることはもうないのかもしれないと思うと、またひどくやりきれない後悔の念がウィゼルを苛みました。
魔物の領域と人里を分かつ聖域の森の奥、マクアの霊泉の枯れない水と神秘の光は訪れた者を魅了し、また同時に畏怖の念を抱かせます。人々は聖域の力の源がマクアの霊泉であると信じていました。もし聖域が無ければ人々はとっくに魔物達に蹂躙されていたことでしょう。
古より多くの信仰を集め、民の心に浸透していたマクアの霊泉。その光が消えたという事実が人心に及ぼす影響は計り知れません。本当に聖域がその力を失い始めれば人と魔物のバランスはたちまち崩れ、人々は今の安寧な暮らしを脅かされることになります。
当然、このことは城内の機密とされましたが、理由も告げられずに突如参詣道への立ち入りを制限された人々の間から様々な憶測や噂が広まり始めます。洗礼式で何かの事故があったとか、魔術師たちが霊泉を実験場にしているとか、そのどれもが真実よりは楽観的で根拠のないものでした。
それから数日経って、訪れた報せはさらにウィゼルを追い詰めることになります。
「残念だが、ファダルは――」
訪れたケイトスの表情からウィゼルはおおよそ察しがついていました。だから、その報せを聞いてウィゼルは大きく動揺することはありませんでした。
結局最後まで諦めていた。何をすればいいかもわからなかった。運命に抗う力のない自分をウィゼルは冷ややかに見つめます。しかし、一つだけ納得のできない事がありました。
「マクアの霊泉のこと、父は話していませんでした。本当なんでしょうか、父が霊泉の光を失わせたというのは」
「私もそこが腑に落ちない。原因も未だ解明されていない、革命者の背後で糸を引く者たちが存在する可能性が示されているにも関わらず、議会はそれを無視した」
「それではまるで、父にすべての罪を負わせているようです」
ウィゼルは悔しさのにじんだ顔を両の手の平へ埋めて首を振ります。
「ああ、ファダルを処断した事で一連の異変に幕を引こうとしているようだ。宮廷にも何者かの意思が働いているとしか思えない」
「父さまは関係のない罪に殺されたんでしょうか……だとしたら、私、どうすれば……」
ウィゼルは生まれて初めて、怒りという感情の本当の感触を知ったようでした。父親に罪を着せた誰かも、ただ流されていただけの自分も腹立たしくて、今思えばすでに覚悟をしていたであろう父親の言葉が棘となって心の中に散らばりました。
「私もこれ以上表立っては動けないが、真相はいつか必ず突き止める。それよりも――」
狭い部屋の中、ケイトスはウィゼルへ目線を合わせるように屈むと急に声を潜めます。
「今や公にはファダルは大罪人とされてしまった。その娘である君がここに留まり続けるのはもはや危険だ。口封じのために、命を狙われてもおかしくない」
ウィゼルはハッと息を飲みます。状況の変化に理解の追いつかないウィゼルは目を閉じて頭を振りました。
「私が……私も、父さまみたいに……」
「ファダルは君が生きることを望んだ。私はそれに応えたい」
ケイトスは真剣な眼差しでウィゼルとその中に生きる友のことを見つめました。
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