過去

「何あの人たち。ちょっと気味が悪いね」

「こら、賓客の方々だよ」

 呟いた使用人をラエアはたしなめました。城門をくぐって来たのは真っ黒な外套に身を包み奇妙な仮面で顔を隠した三人の人物。その異様な雰囲気に使用人は思わずそう口にしたのでした。三人の仮面にはいずれも、闇夜のように薄く紫がかった黒地に白く細い線で顔のような模様が刻まれています。全身を黒で覆ったその姿は、まるで夕暮れに落ちた人影が地面から剥がれ上がって歩いているかのようでした。

 黒い仮面の賓客達を出迎えた騎士団の将アズバールが数名の魔術師を伴って城の奥へと入って行くのをラエア達は足を止め、祈るような姿勢の礼をしながら見送りました。



 その日、使用人たちは変わった賓客の対応に慌ただしく城内を動き回っており、ウィゼルとミュリもまた例外ではありませんでした。

「え、客室で食事をとりたいって?アズバール様との会食はどうされるの」

 大食堂で使用人達に指示を出して会食の準備を進めていたラエアは寝耳に水といった様子で伝達に来た兵士へ聞き返しました。

「会食はキャンセルだそうだ。料理はそれぞれの客室へ運んでくれ」

「ふぅ、参ったね。客室で食事をする準備はしてなかったんだよ。部屋はどちらだったかしら」

「神樹、孤石、藍水の間だ」

「随分離れた部屋ね。皆様お仲間じゃないのかしら」

「さあな。では頼んだぞ」

「はいはい。あなたも大変ね」

 ふたりで床の掃除をしていたウィゼルとミュリの目が小走りで食堂を出て行く兵士を追いました。

 やれやれと言わんばかりの困り顔も一瞬で切り替えたラエアは、ウィゼルたちの元へやってきて声をかけます。

「聞こえていたかしら。今日の会食は中止だって」

「ああ、そうなんですね」

「その代わりお部屋で食事を召し上がることになったそうよ。悪いんだけど二人で神樹の間と孤石の間、それから藍水の間でお食事の支度をしてきてもらえるかしら。まだお客様は部屋に入られてないみたいだから、今のうちにね」

「わかった。ウィゼル、手分けしよう」

「うん。じゃあ私が神樹の間をやるから、ミュリは孤石の間をお願い」

「後から、藍水の間をいっしょに」

 ウィゼルとミュリは互いの言葉に頷き合います。部屋の配置から考えられる最適な順序を二人とももう分かっていました。

「それじゃあお願いね。それが終わったら今日はもういいから」

「はい」

 重なった二人の返事は広い食堂によく響きました。二人はそれぞれ手際よくテーブルクロスや食器を台車へまとめ、それを押して食堂を出ると二手に別れました。

「また後でね」

「うん」

 ミュリの背中を一瞬だけ見送ってウィゼルは神樹の間へ向かいます。ランプの灯りが点々と浮かぶ廊下はさっきまでの食堂の慌ただしさが嘘のように静まり返っていました。


 神樹の間の鍵は開いており、ウィゼルがそっと扉を開けて確かめると中には誰もいませんでした。天蓋付きの大きなベッド、色鮮やかな刺繍のカーテン。日も落ちてランプの薄明かりが浮かぶだけの部屋の空気は昼間と違って少し寒気を覚えさせました。

 ウィゼルは部屋の隅に寄せられていた食事用のテーブルを引っ張り出し、天面を拭ってからテーブルクロスをかけます。皿、フォークにスプーンなどいくつかの食器を配置し予備のクロスをたたみ直して棚へ備えます。

 ベッドなどは昼の内に整えられているはずですが、念のため最後に部屋全体をもう一度確認して気になった箇所をいくつか清掃しました。

 手早く神樹の間の準備を終えたウィゼルは廊下の一番奥、藍水の間へと向かいます。カラカラと台車を押す音がしんとした廊下にうるさいほど響き、ウィゼルは妙な不安感に鼓動が少し速まりました。


 目的の客室前に到着すると、台車は無く扉は閉まっていました。まだミュリは来ていないようです。

 ミュリが来る前に始めておこうと、ウィゼルは客室の壁へ台車をつけて、水面に広がる波紋のような模様が描かれた両開きの扉の片側だけを静かに開けました。

 ウィゼルがためらいなく部屋へ一歩入ると、ベッドの支柱へ寄り添うように背の高い黒い人影がありました。それは黒い外套に仮面を被った賓客の一人でした。部屋には誰もいないと思っていたウィゼルは驚いて息をのみ、その姿を見つめたまま押すことも引くこともできずに固まってしまいます。

「えっと……突然入ってしまい、申し訳ありません。お食事の支度をさせていただきますので、少し失礼します」

 このまま立ち去るわけにもいかず、ウィゼルはなんとか言葉を絞り出します。しかしその賓客は何も答えず、一歩も動かないまま、仮面の顔だけをウィゼルに向けて黙っていました。

 ウィゼルは急いでテーブルの支度を始めますが、見られていると思うと手つきがおぼつかなくなって段取りもうまくいきません。クロスを掛け食器を並べる間にも仮面の目はウィゼルをじっと見つめていました。そのうち、廊下から台車を押す音が聞こえてきました。

「ごめんお待たせ。遅くなって」

 そう言いながらミュリが開け放された扉から姿を見せた時、ミュリは佇む人影に気づいて小さく短い悲鳴を上げました。ウィゼルはミュリもさっきの自分と同じように驚いただけ、そう思いながら賓客の前でくだけた返事もできず、手を動かしながら一瞬だけ様子をうかがうと、ミュリは立ち尽くしたまま少し震えているようでした。様子のおかしいミュリに気づいたウィゼルは急いで残りの支度を終え、入り口で動けなくなっているミュリの前に立ち、未だに動く気配のない賓客へ向かって礼をしました。

「大変失礼いたしました。お食事までもう少しお待ちください」

 懸命に落ち着き払った声を出したウィゼルは背中でミュリの体を押し、後ずさりしながら扉をそっと締めました。

「なんで……」

 ミュリは震える声でつぶやきます。ミュリがこれほどまでに動揺しているのを初めて目にしたウィゼルは、一刻も早くこの場を離れようとミュリの手を強く握ります。

「行こう」

 ウィゼルに手を引かれてミュリはようやく我にかえります。

「あ……うん」

 二人は急ぎ台車を押し、時折藍水の間の方を振り返りながら食堂へ戻っていきます。その途中、ウィゼルはミュリの背中に手を当てながら小声でミュリに話しかけました。

「ミュリ、どうしたの?」

「すこし……おかしい……どうして」

 ミュリの表情はフードに隠れていましたが、呼吸は荒く、平静ではないことはウィゼルにも伝わりました。

「とにかく部屋に戻ろう」

 二人は台車を食堂に片付けると足早に使用人宿舎へ戻っていきました。


 自分たちの部屋に戻ってベッドへ腰掛けるとミュリは震える息で足元を見つめ、何かに怯えるように、隠れて息を潜めるように自分の両腕を抱えました。

「一体どうしたの?」

 ウィゼルも物言わぬ仮面の賓客を不気味に感じていましたが、ミュリにとってはそれだけではない因縁があるようです。ウィゼルがミュリのすぐ隣に座って手を握ると、ミュリは自分自身で確認するように少しずつ喋りはじめました。

「あの仮面……」

「さっきのお客様のことだよね」

「私たちの里を、焼いた」

 えっ、とウィゼルは言葉に詰まります。

「大人を殺して、子供を奴隷船に乗せた」

「そんな……じゃあミュリの家族も……それに、どれいって……」

「人が人を道具のように使う。そのために、抗う大人たちが殺された」

 その言葉、その行為、その事実は今のウィゼルには想像もつかない世界。それを理解するのは、まったく知らない言葉で綴られた歴史を読み解くより難しいとさえ思われました。

「ミュリはその船に……?」

「暗くて狭い部屋、みんな押し込まれて、どこかに運ばれてた」

 逃げ出したくなるような現実の話にウィゼルはもうただ俯いて聞くしかありませんでした。

「でも、突然ぐちゃぐちゃに揺れて、辺りはみんな叫んで、船はバラバラになった……私は破片に掴まって、気がついたらこの島。わたし……わたしだけ……あとはもう、誰も……どうして!」

 心の奥に押し込められていた惨たらしい記憶がミュリの中に散らばりました。頭を抱えて取り乱すミュリの背中をウィゼルは無言でさすります。ミュリの吐息は波打ち、震えがウィゼルの手に伝わりました。


「ごめん……私……」

 ウィゼルが今まであえて聞いてこなかったミュリの素性。ミュリ自身も封じ込めていたその過去はあまりに壮絶で、外界とこの島の有り様の違いを強くウィゼルに印象づけました。あるいはこの島にもウィゼルの知らない非道があるのかもしれません。それでも、自分の知るこの空の下でそのような事が起きていると理解するのは容易ではありませんでした。

「本当に、そんな人達がここに?」

「匂い、覚えてた。少なくともこの島の人間じゃない」

「まさかミュリを追ってきたわけじゃないよね。なんでこの城に……ううん、そもそもどうやってここに来たんだろう」

「わからない……ただ、あれは……あれが……」

 ウィゼルがミュリの肩を抱き寄せると少し震えが治まりました。小さな部屋で小さな身体を寄せ合うふたりはただお互いを支えるのに懸命でした。

「大丈夫。私が一緒にいるから」

「うん……ありがとう」

 ウィゼルは本当に何かあったとき、ミュリのことを守ってあげられるのか自信がありませんでした。でも、ミュリを安心させたい思いが言葉になりました。今は自分の非力さを憂うより、ミュリの安らぎを少しでも取り戻す方が大事でした。



 仮面の客たちはそれから四日間滞在し、宮廷議会の主幹となる人物や普段城内には姿を見せない魔術師たちと毎日何らかの会談を行っていました。関わる使用人たちには賓客について一切の口外を禁ずる厳命がなされました。

 ミュリはウィゼルが一緒にいないと宿舎の周りの庭にも出られないほど怯えきっていました。ウィゼルはそれをラエアへ相談して、城内へ行かずに済む仕事をミュリに割り振ってもらいました。そうしてミュリはしばらくの間、宿舎から出ることなく洗濯や使用人向けの食事の支度ばかりをこなしていました。

 結局、城内での仕事を続けていたウィゼルも再び仮面の賓客達に出くわすことはなく、恐れていたような事態も起こりませんでした。しかし、ミュリが平静を取り戻すには賓客が城を去ってから更に十日ほどの時間を要しました。

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