Chapter 50. 過去から吹く風
「――山吹遼、ただいま帰投しました」
「ご苦労。災難だったな。整備班には私からもチェックを密にするよう要望しておこう」
「お願いします」
ブリーフィングスペースの椅子にどっかりと腰を落とした山吹は、それきり神妙な顔つきで二つの眼だけをぎらつかせ、デスクの白い天板を見つめてしばらく黙りこくっていた。
そして、報告を求められた瞬間、固く結んでいた口をおもむろに開き、
「隊長、敵はコルドラーです」
たった一言で、部屋じゅうに静寂を呼び込んだ。
「確かか?」
「この目で確認しました。映像も撮ってますから、解析に回してもらえればハッキリするでしょう」
山吹は制服のポケットからUSBを取り出すと、腕を伸ばしてデスクの中央に置いた。彼の言葉のとおりなら、レーベンのカメラで撮影した映像データが収められているのだろう。
「ふむ……ノードリー隊員、頼めるか?」
「夜更かしは乙女の敵なんですけど~……まあ、一大事かもしんないですからね」
藤代の面持ちに峻厳な色が差し、サクラ・ノードリーが身を乗り出してUSBを手繰り寄せる。二人だけではない。
コルドラー。
山吹が口にしたコードネームは、それだけの重みを有しているのだ。
「改めて説明するまでもないとは思うが――」
藤代が一同を見回す。
「四年前、
日本支部の隊員なら誰でも知っている話だった。和泉もアカデミーの教本で読んだことがある。それでなくとも当時はテレビや新聞でも大々的に取り上げられていたから、覚えている者が数多くいるに違いなかった。
「奴が現れたというなら今度こそ我々は勝たねばならん。私はこの件について司令と協議する。ノードリー隊員は映像の解析、他の者は別命あるまで待機するように。――周防、もし私が戻るまでに事態が動いたら知らせてくれ」
「了解!」
ほどなくして、基地は緊急警戒態勢に入った。
和泉は制服の上からタクティカルベストを着込み、ヘルメットを引っ掴んで格納庫に向かおうとする。山吹の機体がメンテナンス中である今、敵が再び現れたら出撃するのは自分だ。
コルドラーについて尋ねようと山吹を捜した和泉の目が、自動扉の向こうに去ろうとする背中を捉えた。
「……?」
様子がおかしかった。
かつて討てなかった怪獣が今度の相手であることの意味は、自分も含めて全員が重く受け止めている。しかし、山吹から漂う物々しい空気は、他のメンバーの緊張とはどこか性格を異にするものだ。
「山吹隊員!」
漠然とした違和感に突き動かされて、和泉は後を追おうとした。
だが、和泉が扉を潜ったときにはすでに遅く、山吹の姿は通路の曲がり角の先へと消えていた。
「――山吹隊員、ここにいたんですか」
食堂と仮眠室と資料室を遍路して
整備士が三人がかりで点検を行っている漆黒の機体。山吹はそのコクピットに収まって、先のフライトで不調をきたしたというレーダーを弄り回している。
「手伝いましょうか?」
「いらねえよ。直ったからな」
ぶっきらぼうな物言いはいつものことだ。手元を覗き込んでみると、たしかにレーダーは正常に動いていた。
「修理できるんですね」
「なわけあるか。もともと故障したわけじゃなく、磁場で一時的に麻痺してただけなんだとよ」
電装系の防護を強化せにゃならん、と山吹はぼやく。
「コルドラーを倒すために、ですよね?」
「そうだ」
「どんな相手なのか教えてくれませんか。もし今コルドラーが来たら、迎撃に出るのは俺でしょう」
和泉がそう口にした途端、山吹の表情が変わった。初めて和泉を向いた眼光は険しく、底冷えするほどの威圧感を放っている。
「話を聞いてなかったのか? コルドラーが発生させる磁場を無効化するには、防護を強化する必要があるんだ。おまえの二号機をこれから整備するより、もう作業を進めてる俺の一号機のほうが早く済む」
「いや、でも、山吹隊員はスクランブルから戻ったばかりじゃないですか。少し休んだほうが……」
「このくらいで参るほどヤワじゃねえよ。だいたい、おまえこそ訓練に復帰したばかりだろうが。勘が鈍ったまま出たってまた墜とされるのがオチだ」
――やっぱり、どこか様子がおかしい。
ブリーフィングルームでいやに物静かなふるまいを見せたかと思えば、今度はこれだ。山吹の態度と言葉には、まるで「この仕事は他の奴には渡さない」と心に決めているかのような頑固さがある。
和泉の疑惑が確信に変わる。
山吹は、コルドラーについて何かを知っている。
「どうしてそこまでこだわるんです?」
無言、
「四年前にコルドラーが現れたとき、何かあったんじゃないですか?」
「……話すことはねえよ」
言ったきり山吹は機材へと目を戻し、再び調整に取りかかった。黙って手を動かし続ける山吹の横顔は、はっきりとした拒絶の色に染まっている。
今はとても聞き出せそうにない。
和泉はそれ以上の会話を諦めてタラップを下りると、自分の機体のコクピットへ向かった。
操縦席に腰を落ち着けて
「一応、出現記録だけでもチェックしておかないとな……」
一件のヒット。
タップしてみると、立川駅前の高架線を蹴散らさんとする巨鳥の画像がクローズアップされた。やはり日付は四年前の八月で、写真には「推定体長は三十五メートルほどで、翼開長は百メートルに達する」という旨の注釈が添えられている。
この写真が撮影される前に、コルドラーは自衛隊のイーグルと交戦し、その火砲をものともせずに防衛線を突破したのだ。
「ひょっとしてあの人、このときの編隊にいたのか?」
山吹は空自の出身だという。SSS-Uがこの事件以後に作られた部隊である以上、当時の彼はまだ自衛官だったはずだ。
パイロットが死んだという情報はない。しかし、もしも山吹が戦いに参加していたのなら、リベンジに燃えていてもそう不思議ではないだろう。
「――なんだ、敵の研究か?」
すぐ近くから声がした。
和泉はECHOPADから顔を上げる。振り返ると、桐島
「ええ、そんなところです」
和泉が答えると、唯は「いい心がけだ」と薄く微笑む。
「その意気だぞ。空で勝てるように頑張れ」
「……ほんとすみません、いつも」
そこを突かれると和泉には返す言葉がない。三ヶ月前の長野でも先月の沖縄でも、一度も被弾しなかった山吹とは対照的に、自分は唯を同乗させたまま撃ち落とされてしまっている。
唯はこちらを責めようとはしない。その心遣いが自分にはもったいないと思う。沖縄のときは入院することになってひどく心配をかけてしまったが、自分が脱出しそこねたのは変身するための演技だったし、負傷したのは墜落のせいではなくキリエスのダメージのフィードバックをもらったためだ。
同じ機体に乗っていても、被る危険の度合いが自分と唯では釣り合わない。わざと当たりにいっているわけでないとはいえ、彼女の命ばかりを危機に晒しているような気が、どうしても――
「あ痛っ」
突然、後ろ髪を引っ張られた。
「謝るなよ。それとも君、わたしがつまらん嫌味を言いに来たとでも思うのか?」
「そういうわけじゃありませんが……」
「わたしは今回、情報のファクトチェックに回る」
にわかに信じられなかった。
「――ええ?」
パイロットとガンナーを和泉がひとりで担当するということである。
それは構わない。万一のときに唯を巻き添えにしなくて済むぶん気が楽だし、場合によってはレーベンをオートパイロットで飛行させたままキリエスになることだってできるかもしれない。
しかし、あれほど自分を目の届くところに置きたがってきた唯がそんなことを言うとは、いったいどういう風の吹き回しなのか。
「ついさっき副長から話があってな。わたしか君のどちらかをコマンドルームに残したいそうだ」
「あぁ、そういうことですか」
納得。
「だったら桐島隊員のほうがいいですね」
さほど難しい話ではなかった。
そもそも四年前にECHOが対応を誤ったのは、目撃情報に対する判断ミスが原因だとされている。司令部の人員を厚くしておきたいと考えるのは自然だ。
その点、唯は和泉と比べて調査慣れしているし、勘も鋭く、そして戦闘機の操縦が不得手だった。
唯の右手がようやく和泉の髪を手放す、
「だろう? だから、戦いになったら山吹隊員と君が頼りだ。うまく二人で協力してくれ」
和泉はうなじの上のあたりをさすりながら、
「そうしたいのは山々なんですけどね」
「なんだ、何かあったのか?」
唯が柳眉をひそめる。またかと言わんばかりの表情。
「あったというか、ありそうというか……山吹隊員って、いつ頃ECHOに来たんです?」
「わたしより一年先と聞いているから、四年前だが……なるほど、例の事件と関わりがあるんじゃないかって話か」
「ええ、いつにもましてピリピリしてる気がして」
「それには同感だ。しかし、あの人はあまり自分のことを話さないからな」
その言葉を聞いて、和泉は己の想像が当たっているという確信を深める。観察力に優れる唯までが山吹の変化を感じているのだ。間違いあるまい。
「まあ、無事に仕事が終わってからなら話してくれるんじゃないか?」
「ですかねえ……」
と、ECHOPADが震えた。
二人が同時にそれぞれのデバイスを覗く。通信ウィンドウが開き、藤代の顔が映し出される。
『各員、そのまま聞いてくれ』
SSSU-2からSSSU-6までの全員が回線を開いたことを確認すると、藤代は粛々と切り出した。
『参謀本部との協議の結果、対コルドラーを前提に動くことに決まった』
若干の間、
『自衛隊や気象庁と連携しつつ、しばらくの間は基地全体をあげて第三種警戒態勢を維持する。敵の居所がわからん現状では、我々SSS-Uが単独で監視を続けることは困難だからな』
『要するに、ローテーションを組むわけですね?』
質問したのは周防だ。藤代は身振りで肯定し、当面の警戒を気科――気象科学局の略称である――と空戦隊とで行うことを告げた。
『周防副長、それと山吹、桐島、和泉の各隊員は明日……いや、とっくに今日だな、一日休んでコンディションを調整するように。ノードリー隊員もデータ解析が終わりしだい上がってくれ』
きわめて妥当な指示だと和泉は思った。コルドラーを捕捉できるタイミングがわからない以上、基地に留まる意味は小さい。
了解。返事をしようとした。
「――隊長」
低い声が二重に聞こえた。片方はECHOPADのスピーカーから響いたもの、もう片方は直接耳に入ってきたものであり、どちらも同じ人間の声であった。
『山吹隊員、どうした?』
「その一日のうちにコルドラーが出現した場合は、どうなりますか」
サブウィンドウに映る目が据わっていた。
『無論、空戦隊で抑えることになるな。可能ならば撃破するが……』
「不可能だったら?」
ぴくり、と藤代の眉が動く。
『……人口密集地への飛来を防ぎつつ、発信機を撃ち込む』
「奴は攻撃の際、強力な磁場を作ります。発信機じゃトレースできなくなるかも」
藤代は一瞬考えるそぶりを見せた。そういえば、レーダーを麻痺させたのがコルドラーの生んだ磁場であったことは、藤代にとっては初めて耳にする情報だ。
しかし、これについては和泉にも見解がある。
「攻撃の際なら問題ないんじゃないですか? トレースできなくなるってことは、こっちと交戦してる最中ってことですよね」
『――そのとおりだな』
藤代があっさりと頷く。
『いずれにせよ我々の出番は明日以降だ。万全な状態で臨めるよう英気を養っておいてくれ。いいな?』
つまるところ休めという命令なのだ。今度はさすがの山吹も異論を唱えず、通信は終わった。
ECHOPADをホルダーに戻そうとした和泉の視界の隅に、自機のコクピットから飛び下りる山吹の姿が映った。山吹は勢いよくタラップを下り、大股で格納庫を横切って、そのまま出入口へと向かってゆく。
「山吹隊員! どこへ行くんです?」
「帰ろうにも、こんな時間じゃ電車も動いてねえだろ。仮眠室だよ」
こちらを一切顧みずに答えて、またしても山吹は去っていく。もはやどんな言葉も無駄だった。呼び止めたのが仮に和泉でなく唯であっても、山吹はそれ以上喋ってはくれなかったろう。
通路の薄闇に溶ける背中の残像が、いつまでも網膜にこびりついていた。
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