Chapter 14. 真実の影を追え

 神奈川県警と直接の関わりを持ったことはない。それでも、唯の名前と顔は実にあっさりと通用した。


 幼少の頃から嗜んできた武道でインハイとインカレを制したことは、唯にしてみれば過去の栄光でしかない。良いことばかりではなかった。世間からの注目はわずらわしかったし、知人の数は自分の意思を離れて増えていった。そうした日々が今になって黄門様の印籠に化けるのだから、世の中何がどう転ぶか分からないものだ。


 奥の席に座っていた中年の男は小椋おぐらと名乗った。小田原署の地域課に勤める警部補で、この合同調査委の警察側の責任者だという。小椋もまた、唯の名前に聞き覚えがあるという一人であった。


 小椋はパーテーションで区切られた隅のスペースに唯を案内した。会議机が二つ向かい合わせに並んでいる。外部の人間との打ち合わせはそこで行っているらしかった。


「正直なところ――」


 唯が調査の進展について問うと、小椋はいかにも難しそうに唇を曲げた。


「我々がやっているのは湖まわりの警備とか、町民やマスコミへの対応が主でしてな。お話しできることはあまりない。作業そのものは保健所から来てる人たちの方が手馴れているんです」


「では、調査の主導権は自治体にあると?」


「なにしろ事件性がありません。一次報告書はご覧に?」


「酸素不足が原因とのことでしたね」


 表向きは、と内心で付け加える。


 実際、あのレポートには唯も違和感を覚えていた。初めに結論が決まっており、それと辻褄の合う数値だけを選んで記載することで、読む者が深刻な印象を抱かないように作られたもの、という気がするのだ。


「現状、他の要因が見当たらないんですよ。これがもし塩素の濃度が高いとか、毒物が混入していたとかであったのなら、何者かによる犯行という線も出てくるとこなんでしょうが……」


 死骸のえらや消化管から有害物質は検出されず、感染症の疑いもなし。大半が口を開けて死んでいたことからも酸欠の可能性が高いんだそうです、と小椋は語る。


「隅々まで調べ終わっているんですか?」


「いやいや、まさか。湖尻方面は手つかずです。この通りでかい湖ですから、来週いっぱいまで時間をかけます」


 死骸を片づけながらの作業だ。そんなところだろうと思ってはいた。


「つまり、未調査の水域から何か見つかる可能性も?」


「否定できませんな。だいたい、どうして酸素が減ったのやら……ひょっとするとあなた方の領分なのかもしれません」


 唯は言葉を交わしながら慎重に相手を観察する。山吹や和泉の言うように情報を秘匿しているのなら、動揺の片鱗くらいは見え隠れするかもしれない――そう期待してのことだったが、小椋は顔つきを変えもしなければ声に緊張を含ませもしなかった。


 ――どっちだ?


 本当に後ろ暗いものがないのか、はたまた表に出さないだけなのか。唯の勘は前者だと告げる。だがそれでは、一次報告書の不自然さという謎が残る。


 警察は実作業に携わっていない、と小椋は言った。


 その言葉が真実だとすれば、疑うべきは――


「……なるほど。参考になりました」


 唯は一礼して席を立った。ここには警官しかいない。これ以上話を聞いても時間を無駄にするだけだろう。


「もう行かれるんですか? あと一時間もすれば保健所の人たちもこっちに顔を見せますよ。なんなら連絡して急がせますが」


 小椋の視線が追ってくる。唯は迷わなかった。


「それには及びません」


 たとえば風評への懸念。町民の混乱や噂の拡散を防ぐためにひとまずのオチをつけようとした、といった意図での隠蔽ならまだ可愛げもある。


 しかし、仮にも合同で調査チームを組んでいるはずの警察にまで情報を明かしていないとなれば、そこには相応の理由があるはずだった。会って問い詰めたところで保健所――要するに県の職員は「おっしゃるとおりです、実のところ我々も異常に気づいてはいますが、公にしたくない都合があるのですよ」とは白状すまい。


「よろしいんですか?」


「仕事の邪魔をしてはいけませんし、連れを待たせていますから」


 水質についての正確なデータなら和泉が採取しているところだ。わざわざこの場に留まることはない。


「ご協力ありがとうございました。わたしたちで力になれることがありましたら、こちらの番号までご連絡ください」


 唯は連絡先を小椋に伝え、部屋を後にした。




 ホテルの自動ドアを通ったとき、見計らったかのようなタイミングでECHOPADエコーパッドに着信があった。こちらの位置はコマンドルームからでもGPSでモニターできる。唯が外に出たことを知って連絡してきたのだろう。


 回線を開くと、唯が応答を返すより早くサクラ・ノードリーの声が飛び込んできた。


『唯サン唯サン、いま通信だいじょうぶ?』


 およそ勤務中とは思えない砕けた口調。彼女が配属されてきたときには軽く衝撃を受けたものだが、慣れてしまえばこれも一種の人当たりの良さだと思えてくる。藤代隊長もこういったことを口うるさく咎めるタイプではなかったし、周防副長に至っては本人があれだ。山吹隊員がそれとなく苦言を呈したことはあったようだが、結局諦めてしまったのか、最近ではすっかり黙認していた。


「構わないぞ。ちょうど調査委への挨拶も済んだ」


『どんな様子だったの?』


「まだ警察関係者しかいなくてな。あまり有力な情報は聞けなかった。どうも、警察と県との連携がうまくいってない……というか、県側が腹に一物抱えているのかもしれない」


『県が?』


「確証はない。何となくそう感じただけだ」


『――ふうん。だったら当たりかな。アタシ、唯サンの何となくが外れたの見たことないし』


 それから数秒の間、ほのかは沈黙した。


 胃にくる沈黙だった。


 間違いない。賭けたっていい。「SOUNDサウンド ONLYオンリー」の文字列が表示された省電力モードのECHOPADの画面の向こうで、サクラの少女のような顔には、まさに悪魔のような笑みが貼りついているはずだ。


『じゃ、別の角度から攻めてみますか』


 県庁のサーバーに侵入して怪しいファイルを引っこ抜いてみる、とでも言い出すのではないかと思った。


 違法な捜査は控えろといつも言われているだろう――唯がそう釘を刺すと、サクラは「人聞き悪いなあ」と笑って、


『隊長の指示ですってば』


「どんな?」


『芦ノ湖のまわりで他に変わったことがなかったかどうか、ここ一ヶ月以内に絞って調べろって。口コミのほうがダイレクトに情報拾えるってことで、SNSとか掲示板の書き込みとか漁ってたら――あったの』


 元箱根の外れにバラ園がある、とサクラは言った。


 バラ園といっても観光スポットとしてはさほど有名ではなく、研究目的での栽培や保存、品種改良などを行う、どちらかといえば学術的な性格の強い施設であるらしい。


 そこが盗難に遭った。


「盗難って……何が盗まれたんだ?」


『サンショウバラの木だって』


 唯は眉をひそめた。


「花や枝ではなく、木を丸ごと?」


『らしいよ』


 サンショウバラといえば木立性の自生種だ。通報される危険を冒してまで私有地から盗む奴などいるだろうか。


 百歩譲ってそこに目をつぶるとしても、育っていれば五メートルの高さにはなる木をどうやって持ち去ったというのか。


「いつ盗まれたかは書かれていたか?」


『十日前だね。話を総合するに、ひと晩で魔法みたいに消えたみたいなんだよねぇ。不審なトラックを見たって人もいないし……』


 唯は「SOUND ONLY」を見つめたまま考える。


 任務は湖で発生した大量死の調査だ。盗難の犯人捜しではない。


 しかし、遠く離れた点と点が信じがたいような線で結ばれるのは、自分が身を置く世界では決して珍しいことではない。


「――わかった。地図をくれ」


『送ったよ。これでなにか出てきたら、隠してた連中、芋づる式に捕まえられるんじゃないかな。そうなったら唯サンお手柄だね』


 おどけた調子で大ごとを口にするサクラと反対に、唯の心は重くなった。人間による犯罪が裏に潜んでいるというのは、到底愉快な想定とは言えない。


 しかし、サクラは正しかった。


 不可解な盗難。不可解な大量死。のどかな町で立て続けに騒動が起こったなら、関連を疑うのがECHOエコーにおける定石だ。




 バラ園の管理人は三十代半ばと思しき女性で、名を茅野かやのといった。色白で鼻すじの通った美しい顔立ちだが、今は疲れからか目元に隈が浮いており、病的な印象を与える風貌となっている。


 盗難について話を聞かせてほしいと唯が頼むと、茅野はどこかほっとしたような表情を見せた。


「警察には届け出たんですが、捜査していただくことは難しいようで……今度の湖の騒ぎで町全体がそれどころではなくなってしまいましたし、いよいよ諦めかけていたんです」


 茅野の証言はサクラの持ってきた情報とほぼ一致していた。もちろん異なるところも無いではなかった。サンショウバラ一本が被害に遭ったのではなく、同じ区画で栽培していた蔓バラ数本も同時に消えていたと茅野は語った。


「こちらがバラの植えてあった温室です」


 唯は現場を見るなり、人の手による犯行の難しさを悟った。


 温室のつくりはごく一般的なガラス張りだ。通路の両脇に大小のプランターが並び、色とりどりのバラが花を咲かせている。サンショウバラは四方を取り囲むようにして植えられており、温室の壁を緑色に染めていた。


 その列が、ある一角で途切れている。


 すぐ後ろのガラスが派手に割れていて、いかにも応急処置といったようにアクリル板で補強されている。透明なアクリル板越しにコンクリート製のブロック塀が見え、やはり穴が開いているとわかる。


 そして、穴を潜った先に道はない。


 塀の向こうは急な斜面になっていて、斜面を下りればあとはもう、芦ノ湖のあおい水面に転がり落ちるのみだった。


「……念のため伺います。監視カメラなどは?」


 茅野は天井を指さした。


「あそこに設置してありました」


「してあった?」


「バラがなくなった夜に壊されてしまって……ええと、たしかそこの隅に片してあったと思います」


 唯は視線を移して、


「なんだ、これは……」


 思わずうめき、近寄って破片を拾い上げた。


 機械の残骸であることは辛うじて見て取れる。しかし、異様なありさまであった。原型を留めないほどに叩き壊されているのみならず、強酸でも浴びせられたかのように溶解しているのだ。


 ふたたびバラの植わっていたあたりの土に目をやって、何かが埋まっていることに気づいた。


 地面に挿して使うタイプの肥料だろう。底が膨らんだ容器を振ってみると、液体の跳ねる音がした。遮光のためか容器自体が黒く塗り潰されていて、中身の色はわからない。


「珍しい形のアンプルですね」


「ああ、その液肥ですか。製造元の西湘せいしょうアグリさんとは付き合いが長くて、開発に協力したりもするんです。それは発売前に回してもらった試供品ですが、今は普通にお店で買えますよ。入れ物の色と形は変更になったみたいですけど」


「ふむ……頂いてもいいですか?」


「ええ、もうそこに挿していても仕方ないですし」


 唯はアンプルを制服のポケットにしまい込んだ。


 頭の中ではすでに、これまでに得られた情報が一本の線に繋がりつつある。愉快な想像ではなかった。


 正午が近づいていた。


 ECHOPADに警報が走り、第一種警戒態勢が発令されたことを伝えてきた。自分はまだ報告をあげていない。とすれば、和泉が何かを掴んだのだ。


 ――和泉は湖水を調べていた。


 そのことに考えが及んだ瞬間、唯は血相を変えて通信機能を起動させた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る