第29話 無謀な賭け

「母さん! 父さん!!」


 階段を駆け下りる。リビングに飛びこむと、床に倒れた母さんと父さんを前に、夕食の唐揚げを食っている男がいた。


「いい歳して、かーちゃん、とーちゃんとか言ってんじゃねーよ。クソ人間」


「てめえ……」


 魔王学園の制服にフード付きのパーカー。

 フードを深く被っていて、顔が良く分からない。


 しかしどこか病的で、三日月のようにつり上がった笑みが不気味な男だった。


「一体何の用だ!! 俺に用があるなら、直接来い! 家族を巻き込むな!」


 その男は、食いかけの唐揚げを、ペッと吐き出し、おかずの載った皿を壁に投げつける。

 皿が割れる音が響き、破片と唐揚げが飛び散った。


「イキってんじゃねーよ、クズが。ここ数日てめーのことを見てたけどな、魔王候補だなんてウソだろ? ただの人間にしか見えねーぜ」


「ただの人間を何日も監視かよ。ずいぶんと警戒するじゃないか」


「あ? てめーなんぞどーでもいいぜ。ったく、ゲルトもキルガもクソの役にもたたねークソ野郎どもだ。何でこんなクズに……」


 ――とすると、


「お前はアスピーテの手下か」


 そいつはテーブルの端に手をかけると、思いっきりひっくり返した。

 母さんが作ってくれた夕食が床にぶちまけられた。


「口の利き方がなってねーな! 『様』をつけろやぁああ!」


 フードの下から狂気に歪んだ瞳が覗く。


「俺様は『世界ワールド』のエース、廃田クルザ」


 エースだと!? ってことは、『世界ワールド』のナンバー2ってことか!


 恐怖と焦りが俺の中で沸き上がり、冷や汗が滲む。


「……そんな実力者が、何日もご苦労なことだな」


「あー? 利いた風な口きいてんじゃねぇぞ。リゼルたちに気付かれないように、この家に術式を仕込める奴なんて、そういねーんだよ」


 家に術式?


「外が真っ暗なのも、窓が開かないのもそのせいか」


「ったりめーだ。この家はいわば別空間よ。外からは入れるが、中からは出られねー」


 そうか……れいなが感じていた妙な気配は、こいつだったのか。


「この家は罠。てめーはエサだ。クソみてーなエサだけどな、あのメスどもを呼び寄せるには十分だろうぜ」


「な……」


 こいつの狙いは俺じゃない。リゼル先輩たちか!!

 その時、勢いよく玄関の扉が開く音がした。


「ユート!! 大丈夫!?」

「ユートっ!」


「来ちゃダメだ! 先輩!! 雅っ!!」


 そう叫んで廊下に飛び出したときには、リゼル先輩と雅はもう家に上がっていた。


「はぁ~い、二名様ごあんなーい」


 廃田の声に反応し、金庫の扉が閉まるような重厚な音を響かせて、玄関の扉が閉まった。


「先輩! 雅!」

 駆け寄る俺を見て、リゼル先輩は安心したように笑みを浮かべた。


「ユート、よかった……無事だったのね」


「ここにいちゃマズいです! 敵の魔術式で、家全体が罠に――」


 突然、全身の力が抜けたように、リゼル先輩と雅が膝をついた。


「ど、どうしたんですか!?」


「わ、分からないわ……魔力が、吸い取られているみたい……」


「ア、アタシも……体に、力が入らないよ……早く、脱出しないと……」


 そう言う間にも、二人の声から力が失われてゆく。


「ひゃははははっは! この魔術式はなぁ、その二人の魔力を吸い取るように出来てるんだよぉ」


 廃田が廊下に姿を見せた。


 今や完全に床に倒れたリゼル先輩が、険しい顔で廃田を見上げる。


「廃田……やはりアスピーテの差し金ね」


「ひひひひひひ、お前はアスピーテ様に献上するがな……みやびぃ、おめーは俺のものだ」


「ひぅっ!?」


 倒れた雅の顔が、一瞬恐怖に歪む。


「クソエロい体で誘惑しやがってよぉ。望み通り、徹底的に調教してやっからな」


「な……そ、そんなの望んでるわけないでしょ! バカじゃないの!?」


 くそ……っ!? どうすればいい!?


 今動けるのは俺だけだ。俺が何とかしなければ!

 あんな野郎に二人を奪われてたまるか!!

 考えるんだ! 二人を助けるために!!


「ユート……」


 弱々しい声で、リゼル先輩が俺の名を呼んだ。


「先輩!?」


「この魔法は、外からなら脆いわ……脱出して、外から家の一部を破壊するの……そうすれば、みんな助かるわ」


「でも、完全に閉じ込められてるんですよ!」


「ひゃははははは! そのクソの言うとおりだぜ。空間が一方通行になってんだ。転移でもしねー限り、無理無理」


 ――転移?


 そういえば、雅が俺のベッドにもぐり込んだときに言っていた。


『そんなの転移魔法に決まってるじゃん』


 確か、超高度な魔法で雅にも無理だって……そんなの、俺に出来るはずが……。


 ――だが、やらなければならない!


 俺は胸のアルカナに手を触れた。


「教えてくれ! 『恋人ラバーズ』のアルカナよ! 俺に、転移魔法を!!」


 廃田がバカにしたような表情を浮かべた。


「はぁ? そんなもんアルカナが教えてくれるワケねーだろぉ」


 俺の耳に、アルカナの声が響く。


『「空間転移トランザート」を覚えました』


 だがその声は廃田には聞こえていない。


「そもそもてめーに使いこなせるわけねー。膨大な魔力もいるしなぁ。ひははははは!」


「……ユート」


 リゼル先輩と雅は必死に体を起こすと、俺の右足と左足にすがり付いてきた。

 太ももに二人の胸の感触。

 その柔らかさを通して、温かい力が流れ込んでくる。

 吸い取られ、わずかに残った魔力。その全てを俺に送り込んでくる。


「あなたを……信じてるわ」


「できるよ……ユートならっ!」


 二人の体から力が抜けた。

 俺から腕を放し、意識を失ったように廊下に倒れる。

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