第19話:最強の敵『世界(ワールド)』の魔王候補

 なんだ? これは。


 人間である俺にも分かる。


 何か、とてつもない巨大な存在が近付いてくる。


 恐ろしく強大で、


 とんでもなく危険な、


「これは驚いたな」


 体育館の壁に突然穴が開いた。


 壊したのではない。まるで壁の素材が、突然柔らかいゴムになってしまったように変形して、入り口を作っていた。


 その男が入ってくるための、入り口を。


 灰色の髪に険呑な目つき。

 只者ではない魔力を放つ男子生徒には、見覚えがあった。


 ――アスピーテ。


世界ワールド』のアルカナを持つ魔王候補。


 アスピーテは俺に気付かず、リゼル先輩を一瞥してから、キルガの元へ向かった。


「ア、アスピーテ様……」


 キルガは傷だらけの体で、何とか体を起こし、ひざまずく。


「貴様がゲルトに罰を与えていると聞いて来てみたのだが……話が違うようだな」


「は……これは」


「リゼル」


 アスピーテは首だけを傾け、リゼル先輩の方を見つめた。


「どういうつもりだ? 俺の召喚を断るだけでなく、俺のカードにまで手を出すとは」


 リゼル先輩の頬に冷や汗が流れる。


 このアスピーテという男は、それほどの悪魔だということなのか。


「……私じゃないわ。やったのは、そこにいるユートよ」


「なに?」


 アスピーテは今初めて、俺に気付いたように視線を向けた。


 そして怪訝そうな顔をすると、キルガに訊いた。


「キルガ、本当か?」


「……は」


 そう答えた瞬間、アスピーテを取り囲むように、球体の魔法陣が一瞬だけ現れた。


 ……何だ、今のは?


 複雑なだけじゃない。恐ろしいほどの、凄味を感じさせる魔術式だった。たとえるなら、人知の及ばぬ世界の真理を魔術式で表したような。


「立て、キルガ」

「はっ!」


 苦痛に脂汗を流しながらも、キルガは立ち上がった。


「キルガよ、貴様は『世界ワールド』の騎士ナイトという自覚はあるのか?」


「ほ……誇りに、思っております」


「俺はいずれ魔王となる男だ。人間も悪魔も、全ての存在は俺の意に沿わねばならん。そのためには、絶対的な力で相手を踏みにじる必要がある」


「……は」


「――なのに、俺の騎士ナイトである貴様が、この体たらく。どうしてくれるのだ?」


「ま、まだ戦いは終わってはおりません! 必ず勝ちます! この剣にかけて!!」


「ほう。しかし人間に後れを取るような剣に何を誓う? むしろ、そんなもの持っていても必要あるまい」


「恐れながら……この剣は我が家の家宝でして……」


 アスピーテは軽く足を上げると、キルガの持つ剣を軽く蹴飛ばした。

 たったそれだけで、鋼鉄の剣が砕け散った。


「な……」


 俺は思わず声を漏らした。


 何だ、今の?


 キルガも信じられないものを見るように、粉々になった剣の破片を見つめた。


「わ、我が剣が……絶対に折れないはずの、家宝の剣が……」


「キルガよ、貴様に俺のカードでいる資格は無い。消えろ」


「お、お待ちくださいっ! 今一度、チャンスを――」


 アスピーテはゆっくりと手を伸ばし、キルガの胸板を押した。


 次の瞬間、キルガの体が消え、爆発したような激しい音が轟いた。


「な……っ!?」


 体育館の壁が砕け、外の校庭が見える。校庭の真ん中に、倒れているキルガの姿があった。


 ぞくり、と背筋が寒くなった。


 あれがアスピーテの力なのか? どれだけの破壊力を持つ打撃なんだ。軽く触れただけで、剣を砕き、あの巨体を吹き飛ばす。


 だが、本当にそうなのか?


 何か打撃とか、物理的な攻撃とか、そういったものとは違う次元の何か――そんな気がした。


 アスピーテはリゼル先輩を睨むように見つめた。


「リゼル。もう一度言う。俺のもとへ来い」


「残念だけど、もう仕える先が決まったの」


「何だと……」


「あなたは他人を力尽くで押さえ付け、服従させることに喜びを見いだす人。私とは相容れないわ」


 じろり、とアスピーテは黒目だけを動かして、俺を見た。


「……俺は常に世界一位、すなわち支配者だ。今までも、これからも。そして俺以外の存在は全て下僕。俺に逆らったところで、いずれは下僕となる未来が待っている。それが分からんのか?」


 リゼル先輩はアスピーテを警戒しながら答える。


「私は、私たちの望む未来を期待しているわ」


「……後悔するぞ」


 アスピーテは俺たちに背中を向けると、壁に向かって歩き出した。そして壁が自ら歪んだかのように穴を開け、アスピーテの道を造った。


 まただ。


 アスピーテが外へ出ると、壁は元に戻った。


「あれが……『世界ワールド』のカードを持つ、アスピーテか……」


「ええ……強敵よ」


 れいなも、はーっと大きく息を吐いた。


「とにかくとにかく、何ごともなく済んで良かったです……」


「リゼル先輩、それにれいなも……迷惑かけて、すまな……か――」


 今まで緊張感で何とか意識を保っていたが、それも限界のようだった。魔力を使いすぎたせいで、意識が遠くなる。


 目の前が真っ暗になった。

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