第4話:美しき悪魔 姫神リゼル

 ──姫神リゼル。

 その人は俺に向かって微かに微笑むと、再びゲルトの方を向いた。


「あなたこそ。カードの分際で、主人に無断で他の魔王候補に手を出すなんて。後でお仕置きされるわよ?」


「ぐ……」


 一瞬ひるむが、バカにされたことに対する怒りが勝ったのだろう。ゲルトは顔を真っ赤にして、つばを飛ばしながら怒鳴る。


「ざっけんな! てめぇこそ、アスピーテ様の召喚を無視しやがって! せっかく『世界ワールド』のクイーンにしてやろうってのによ!!」


「興味がないのよ」


「アスピーテ様は『世界ワールド』のアルカナを持ってんだぞ!? 魔王のアルカナの中でも、次期魔王に最も近いと言われてんのを知らねーのか!?」


「本人が好きじゃないの」


 ゲルトは呆れたように口を開いた。


「ば……バカじゃねーのか!? ライン家の跡取りじゃねーか! イケメンで、何でも出来る。やったもんは必ず世界一位になる男だぞ!? 女なら誰だってなびくだろーが! アスピーテ様に抱かれたい女なんざ、掃いて捨てるほどいんのによ!」


 後ろ姿だが、姫神リゼルが険しい顔をした気がした。


「あなたとこれ以上話をする気はないわ。私が用があるのは、盛岡雄斗……ユートだけよ」


 ちらりと俺を振り返り、片目をつぶった。


 それはどんな男でも恋に落としそうなウインクだった。


「俺もてめーに用はねえ! その人間と勝負をさせろや!!」


 ゲルトの周りに、再び炎が渦巻いた。


「見りゃ分かる! そいつからは何の魔力も、魔術式も感じねえ! マジでただの人間だ! 魔王のアルカナが舞い込んだのも、何かの間違いに決まってる! だが、殺せば魔王候補を倒したことに変わりはねえ。そいつを踏み台にして、のし上がってやるぜ!」


 下品な笑いを浮かべ、ゲルトが手の平を俺に向ける。その手の先に、魔法陣が浮かび上がった。


「……仕方ないわね」


 頼りになる姫神リゼルの背中がどいた――って、え!?

 踊るようにくるりと回ると、俺の後ろに回る。両肩に手を添え、体を寄せてきた。


「『恋人ラバーズ』のアルカナは持っているわね?」

「え? あ、ああ」


 俺の耳元に息がかかり、ぞくっと首筋が震える。

 ふわりと、とても良い香りがした。

 そして、背中に当たる柔らかい感触。


 そんな感覚にドギマギしながらも、俺はシャツの下から『恋人ラバーズ』のアルカナを出した。カードケースに入れ、チェーンで首から提げている。

 母さんが用意してくれたものだ。


「心配しないで。必要な魔法は、そのアルカナが教えてくれる……きっとね」

「って言われても!?」


「大丈夫。深呼吸をして、落ち着いて」


 こんな状況で落ち着くのは至難の業だが、やるしかない。俺はとりあえず、大きく深呼吸をした。


「よく出来ました。次は望むの。身を守る盾が欲しい、って」


 言われたとおりにすると――、


『防御魔法「魔障壁バリカーデ」を覚えました』


 ――という声が、頭の中で響いた。


「どう? アルカナの声が聞こえたかしら?」


 ――アルカナの、声?


 今のは確かに、『恋人ラバーズ』のアルカナがやって来て以来、朝、俺を起こす声。やはり、『恋人ラバーズ』の声だったのか。


 次の瞬間、俺の頭の中に複雑な文字列と図形が浮かんだ。


 何だこれは!?


 見たこともない文字と図形――いや、

 これは、姫神リゼルがゲルトの炎を防いだ魔法陣だ。


 そして、わけが分からなかった魔法陣のその意味が、


 ――分かる。


 不思議と今では、その仕組みと意味が分かった。

 一つ一つの文字の意味が、幾何学模様の図形の意味が。


 初めて見たときは意味のないデザインかと思ったが、とんでもない。全てに意味があり、その形は必然であった。


「ふふ、聞こえたみたいね」


 嬉しそうに耳元で囁かれる。その声も耳にくすぐったいが、それ以上に背中に当たるふにゃっとした弾力がヤバイ。


「聞こえました、けど……その……背中に当たって……」


 ふっと息を漏らすと、姫神リゼルは俺の耳元で色っぽく囁いた。


「当ててるの♥」


 下半身から頭までぞくぞくした痺れが走り抜ける。そして背中に感じる、今まで経験したことのない柔らかさ。そこから、温かく、不思議な感覚が体に広がってゆく。体中の神経や血管を伝って、体の隅々にまで行き渡る。


 何だ、これは?


 表現が難しいが……恐ろしく濃度を高めた、体力と精神力の原液とでも言おうか。とんでもない爆発力を秘めたエネルギーが体の中へ流れ込んでくる。


 それが全身に行き渡るにつれ、力が湧き、気持ちが明るくなり、希望があふれる。頭の回転までどんどん速くなって行くような気がする。


 今まで見えなかったものが見え、聞こえなかった音が聞こえてくる。


 不可能だと思えることも、今なら出来る――そんな気がした。


「ユート。頭に浮かんだ魔法陣に、この魔力を流し込むイメージをして」


 魔力?


 姫神リゼルのおっぱいから流れ込んでくる、この不思議な感覚のことか?


 正面を見ると、ゲルトが先程の何倍もの炎を練り上げている。


「戦いの最中にイチャコラしやがってクソが! 今度はさっきのとは違うぜ! 骨も残さずに燃やし尽くしてやる!!」


 まずい! このままじゃ焼き殺される!!


 俺は必死で、姫神リゼルのおっぱいから伝わってくる温かさを、魔法陣に流し込むことをイメージする。


 だがその時、


「死ねやぁあああああああああああああああっ!!」


 ゲルトの手から爆発的な炎が襲いかかってきた。


 ――もうダメか!?


 やけくそ気味に左手を前に出し、俺はその呪文を叫ぶ。


「『魔障壁バリカーデ』!!」


 左手の先で魔法陣が展開した。


 驚く俺の目の前で、濁流のような炎が、魔法陣によって全て弾き返される。


「なにぃいい!?」


 ゲルトの顔が驚愕に歪んだ。


 時間と魔力を注ぎ込み、渾身の力で練り上げた炎の魔法を弾き返されたのだ。


 素人のこの俺に。


 そりゃ驚くだろう。他ならぬ、この俺が一番びっくりしている。


 この隙に逃げよう――と思ったが、背後の姫神リゼルはしっかり俺の肩を押さえている。


「次は攻撃魔法よ」


 マジかよ。

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