第1話:魔王候補? いや、俺人間だし、高校生だし

『目覚めなさい』

「ん……」


『目覚めるのです。我が主よ』


 俺はベッドの中で、もぞもぞと体を動かした。


 何だ、この声は? 聞き慣れたアラームの音じゃない。スマホのデフォルトで設定されている電子音でもなければ、母さんの声でもない。


 どこか機械的な女の声……それに口調がヘンだ。何だ、主って。


「……寝ぼけて、ヘンなサウンドを設定しちゃったかな?」


 目をこすりながら起き上がる。


「……何だこれ?」


 枕元に一枚のカードが置いてあった。


 キラキラ光るキレイなカード。裸の男女が向かい合い、その奥に祝福するような天使の姿が描かれていた。


『魔王のアルカナ――『恋人ラバーズ』のアルカナです』


 頭の中で先程の声が響く。俺は枕元のカードを拾い上げた。

 このカードが喋っている……のか?


 そんなバカな、と思いつつも、そうとしか思えない。そもそも、何でこんなものがここにあるんだ? 父さんか母さんの?


 寝間着のまま俺は階段を降り、一階のリビングへ。台所には朝食の準備をする母さん。リビングのソファには、タブレットでネットニュースを見ている父さんがいる。


 二人ともアラフォーのはずだが、見た目が妙に若い。そんな二人のどちらに声をかけようかと迷ってから、暇そうな父親にカードを見せた。


「ねえ、俺の枕元にこれを置いたのって、父さん?」

「ん? 何だ、おはようの挨拶もなしに――」


 俺が手にしたカードを見つめ、父さんは絶句した。手から滑り落ちたタブレットが足の甲に直撃しても、微動だにしない。


「ちょっと、今の痛くなかっ――」

「かっ! 母さんっ!! たいへん、たいへんだぁあああああああっ!!」


 突然の父さんの絶叫に、母さんが慌ててやって来る。


「どうしたの!? あなた!!」


「ゆ、雄斗が……雄斗が、次期魔王候補に選ばれたぞおおおおおおおおおおおお!!」


「えっ!?」


 母さんもカードを見た瞬間に固まった。みるみるその目に涙が溜まってゆく。


「ちょ……ど、どうしたの? かあさ――」

「ゆうくぅううううううううううううううううううううううううううううううん!!」


 いきなりハグされた。


「ちょ!? ちょっと!?」


 何コレ!? 母さんに抱きしめられたのなんて、小学生の時以来だよ! つか、二人とも、一体どうしちゃったんだよ!?

 助けを求めるように父さんを見るが、こちらも目に涙を浮かべている。


「い、い、いいか雄斗。お、おおおお落ち着いて、よよよよく聞くんだ」


「あ、ああ……まず父さんが落ち着いて」


「お前が持っているのは『魔王のアルカナ』だ」


 ――まおうのあるかな?


「雄斗はタロットカードを知っているか?」


「まあ一応……占いとかで使うやつだよね?」


「そうだ。タロットカードには大アルカナと小アルカナという二種類のカードがある。これはその大アルカナの一枚……恋人のアルカナ、『恋人ラバーズ』だ。父さんも初めて見るが」


 俺は改めて、『THE LOVERS』と書かれたカードを眺める。

「へえ……あれ? じゃあ、これを枕元に置いたのは父さんでも母さんでもない? それじゃ、どうして――」


 母さんは俺の二の腕をつかみ、ガクガクと力一杯前後に揺らした。


「ゆーくんが、次期魔王候補に選ばれたからよっ!!」


 ――じきまおうこうほ?


 俺は両親の正気を疑った。

 まさかこの歳になっても、中二病まっただ中とは。我が両親ながら、あなどれん。


「実はな……父さんたちは、魔族――つまり、悪魔のために働いているんだ……」


 思わず気が遠くなりかけた。


「どういうこと? 何か怪しげな宗教にハマってるってこと?」

「そうじゃない。悪魔と契約したってことだ」


 かなり重症だ。だめだこの両親。すぐに何とかしないと。


「父さん就職に失敗してな……そんなとき、悪魔に誘われたんだ。条件も普通の会社に就職するより全然良かったし……まあ、そんなわけで、悪魔が経営する会社に入って、悪魔が人間世界で活動しやすいようにサポートする仕事をしている」


「へ、へえ……その、悪魔って、嫌な上司の比喩とかじゃなく?」


「いきなり言われても信じられないだろうが……例えばだな」


 父さんが手の平を広げると、そこから小さな炎が上がった。


「え!?」

 何コレ? 手品?


「言っておくが、手品ではないぞ」


 俺は父さんの手の平をさんざん確かめたが、種も仕掛けも見つからない。父さんはニヤリと笑って、左手の薬指にはまっている指輪を見せつけた。


「悪魔から授かった指輪の力だ。勤続十年目の報賞でもらったんだぞ」


 妙に嬉しそうに見せびらかした。って、それ結婚指輪じゃなかったのか。


「お母さんも見せてやりなさい」

「そうね……あ!」


 台所で火にかけっぱなしのフライパンに気付くと、母さんはガスコンロに向かって手を伸ばす。するとガスの調整ダイヤルが回転し、火が止まった。


「……マジで?」


 母さんが急にルーク・スカイウォーカーに見えてきた。


「こんなことしか出来ないけれど……あ、でもこの指輪アンチエイジングの効果があるのよ! それだけは最高ね!」


 母さんも、左手の薬指にはめた指輪を見せびらかした。それにしても、この二人の話を聞いていると、悪魔という存在が妙に軽く思えてくるな……。


「お母さんたちは、いっそ人間よりも悪魔として生きたいな……なんて思ったこともあったの。でも――」


「人間は悪魔になることは出来ないんだ。人間が頑張っても、名誉魔族という称号をもらう程度。それも相当な貢献をしない限り無理だ」


「この指輪だってアンチエイジング効果は凄いけど……それを除けば、お料理するときに役に立つくらい。お父さんなんか、キャンプの火起こしくらいの役にしか立たないわ」


 そこまで言わなくても。さりげなく酷いな、母さん。


 父さんは少し傷付いたような顔をしたが、すぐに立ち直ると俺に向かって言った。


「魔族の世界には厳格な身分制度がある。だからあきらめていたのに……それが、まさかお前が……」


 父さんは涙ぐんだ目を手でこすった。


「と、とにかくだ。こうなったら、すぐに転校手続きをしなければ」

「え? 転校?」


 そう訊くと、母さんが再び俺の体を、がくんがくんと揺らした。


「そうよ! そうなのよ! ああっ! ゆーくんが、あの銀星ぎんせい学園の生徒だなんて! お母さん嬉しいわ!!」


「ちょ、ちょっと待って! 急に転校だなんて!?」


 母さんは嬉し涙を指先で拭き、息を詰まらせながら答える。


「次期魔王候補は、銀星学園に通うのが決まりなのよ」


「何なんだよ……その銀星学園って」


 俺は問いかけるような目を父さんに向ける。すると、父さんは涙目で、うなずく。


「銀星学園――通称『魔王学園』。貴族や上流階級の魔族が通う学園だ」


 ――魔王学園。


 実は悪魔のために働いているだとか、魔王候補だとか、悪魔が通う学園に転校だとか、衝撃の展開の大安売りで、意識が飛びそうだ。


 それに、その魔王学園とやらに転校することは不可避らしい。やたら喜ぶ両親の顔を見ていると、拒否するのが申し訳なく思えてくる。


 それに正直言えば、少しワクワクもしていた。平凡な毎日に不満があるわけじゃない。 でも、不思議も奇跡もないと思っていた世の中に、まさか特別な世界があるだなんて知ってときめかない男なんていない。


 しかも、そこに踏み入る資格がもらえるというのだ。


 だったら――、


「行くよ。魔王学園に」

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