第37話

 壊れた格納庫を出て闇の中に飛び出し、最初に目に付いたのは渦を巻く暗い雲と、どこまでも続く荒野だった。

 遠くには高い山脈も見えはするものの、あれが今し方自分たちが飛び越えてきた山脈なのかどうかは分からない。

 ただ目の前には小さな丘状の物があって、その一面には、半分地面に埋もれる形でなにかの大きな建物があった。

 ガラスで覆われた大地を踏みしめ、折れた鉄塔や溶けた煉瓦片などの間を駆け抜けていく。建物に近づくと、大きなシャッターと壊れた鍵が目に入った。

 さらに近づくと、シャッターは半分開いていた。いや、人が一人分だけ入れそうな隙間ができていた。

「…………」

 嫌でも緊張感が走る。なぜなら今までハヤミは少女と、荒れ地のある一角でしばらく生活してきたからだ。

 そしてそのずっと前から、少女は独力で生き続けてきている。つまりこの施設にも、誰かが生きていても不思議ではない。

 もちろん生体兵器の何かがいる可能性はあるだろうがそれよりやっかいなのは、確固たる政治的な意志を持って生きている知的生物の存在だ。

 ハヤミは銃を手に握り、ゆっくりとシャッターの隙間から内側を覗いた。

「……クリアだ、誰もいない」

 自分に言い聞かせるようにして声を出し、ゆっくりと半身を隙間に入れてシャッターの影を確認する。そして、すばやく身を中に入れた。

「オーケークリアだ、ヨシ」

 シャッターの内側は、大きなエレベーター待機所だった。

 エレベーターの作りは至ってシンプル。モーターと電源施設と帯、レール、むき出しの車輪、大型車両が載せられる程度の幅と奥行きを持った足場だけ。

 まるで昔の核シェルターの入り口だなとハヤミは思ったが、すぐに思い直してその場で固まった。

 そういえば、自分が出てきたジオの入り口にも似たような物があった気がする。

 廃止されているし動かないから使わないで昇ってきたが、作りも外見もまるでそっくり。もしかしてと思って外壁を見ると、そこには確かに見覚えのあるスイッチがあった。

 スイッチには電源が通っていた。おぼろげな輝きを帯びて、主が己のスイッチを入れるのを待っているようにも見える。

 スイッチに近寄るとその作りもスイッチの場所もすべてがジオのそれと一緒だった。

 メーカーロゴはさすがに剥げ墜ちていて読めないが、所々の小さな差異はあれどほとんど一緒だ。まるでコピー品のようにも見える。

「ジオ?」

 いや、そうではない。たぶん、この世界とジオは競合していたんだろう。そうして、たまたま、とても似ているような物ができあがりそれぞれが別々に使用していた。

「……」

 もしそうだとしたらこの大深度シェルターは元々ジオと同じかそれ以上のテクノロジーを有していたことになる。

 自動警備システムとか。シェルターの維持管理とか。もしかしたら、兵器テクノロジーも。

 足下に積もった埃にハヤミの足跡だけがついていた。そっと足を引いても、ハヤミ以外の足跡は見つからない。

 スイッチに触るとうっすらと砂が付着していて、ハヤミの指先を薄汚くよごした。力を入れてスイッチを入れると部屋中に警報音が鳴り、回転灯が点いてエレベーターのシャッターが動く。

 ハヤミは軽く首を振るとエレベーターに乗り込み、静かに柵が閉じられるのを待った。

 このシェルターは生きている。

 何かの意図をもった誰かがいる。

 赤い回転灯に見送られ地下に響く警報音を聞きながら、ハヤミは口を堅く閉じ覚悟を決めた。


 果てしなく続く思いで長い地下道を下っていくと、ついにエレベーターの台座は終着地点に着いて動きを止めた。

 柵が解放され明かりが灯る。人はいない。

 エレベーターステーションの前には解放された区画ゲートがあって、その向こう側には街があった。

 電灯が灯り、ネオンがひかり、空調も効いていて、天には巨大な空調設備がついていてモーターが回っている。

 ゴミもある。ビラのようなものが地面にはばらまかれており、無人タクシーのようなものが乗客を待って路上駐車をしている。

 だが人がいなかった。

「……」

 高層ビルの上階に掲げられた巨大な液晶画面には見たこともない商品の広告が流され、そこかしこに掲げられている掲示板には、営業中、ウェルカム、そのような雰囲気と文字が並んでいるが人が誰もいなかった。

 近くでは無人の清掃車両が路上を綺麗に磨き上げており、その清掃車両が道路をこするブラシの音がどこまでも響く。

 しばらく呆気にとられてから、ハヤミは自分の目的を思い出しどこかで水が手に入らないかとあたりを見回した。

 道路の隅に見覚えのある箱の機械を見つけた。

「自動販売機!」

 ウィンドウにはまるで見たこともないような、珍しい清涼飲料水っぽいものが並んでいる。

 金? そんなものは持っていない。だが硬貨や紙幣を入れる場所がないので、さすがにハヤミは不思議に思いよくその機械を観察してみた。

 そうして、まさかなと思いながら試しに自動販売機のボタンを押してみる。すると、大きな音とともに下の受け皿に液体の満たされた容器が落ちてきた。

 とってみると容器は冷たかった。中身も入っている。ふたを開けて臭いを嗅いでも、口に含んでみても何も異常はない。

 完全無料の飲料水販売所、みたいなものなのだろうか。ジオにも似たようなのはあった気がする。

 するとあのパン屋みたいなのも、肉屋も、魚屋も、あの雑貨屋も商店も。目の前でドアを開くこのタクシーも。

 無料?

「ウソだろ?」

 なのにこの街には、人が誰もいない。

 ハヤミの腕時計が小さなデジタル音を発して夕方六時を示す。

 屋根の色彩が一斉に変わりはじめ、地下世界は濃い夕方の色から、夜の世界になった。

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