第30話

「了解オッドボールワン、これより離陸する」

 操縦桿や補助翼の利きを確認し、ハヤミはお祈りをするように、胸の上で眠っている少女の頭をなでた。

 覚悟を決めて、ゆっくりとスロットルを押し出しブレーキを解く。機体を止めていたディスクブレーキが解かれ、重力とともに機体はするすると前に滑り出ていった。

 みるみる内に戦場は後方に流れていき、速度計の針がゆっくりと数値を上昇させていく。

 滑走路の脇で土嚢に倒れる、名前も知らない友軍兵。刀を持って兵士たちに飛びかかる、白い翼を持った兵士。

 打ち上げられる対空ミサイル。戦車砲。爆撃。それらをかいくぐり、ハヤミの戦闘機は速度を上げていった。

「もう、たくさんだ!」

 頭上を覆う、空飛ぶ巨大な船。発射された対空ミサイルのいくつかが蛇行を繰り返し、何かを追いかけて自爆した。

 そのミサイルの爆発を避けたいくつかの人型起動歩兵たちが、ジオの予備飛行場に次々と舞い降りてくる。

 ハヤミは少女を抱きしめ、必死に速度計を睨んだ。

「ヴイワン」

 今乗っている機体の離陸距離がいくつだったのか、覚えていない。それでも針は刻々と、刻まれた数字を駆けていく。まさに祈るようだった。

 戦車砲に吹き飛ばされた敵の起動歩兵が、頭部だけでハヤミの戦闘機の脇を覗く。

 破片だけになって、ハヤミを見つめ、消える。

 そして破片は見えなくなると、今度は滑走路の終わりが覗いた。

「……飛べッ」

 消え入るような声、ハヤミは操縦桿を引いた。

 機体は不思議な浮遊感をハヤミに感じさせながら、空に浮いた。


 頭上には、白煙を上げる空中空母。

 眼下すれすれに、機動戦闘車両の車列を飛び越えながら。

 ハヤミはレバーを押し上げ、脚を格納した。

 高度をとってまず目に入ったのは、上空に停滞している飛行空母の船底。それから、船底の下を蛇行するように飛んでいる有翼獣たちだった。

 かつて地上にいたときに見た彼らが、あの飛行空母を守っている。

 戦闘はすでに始まっており、別々のゲートやカタパルトゲートから飛び出た友軍機たちが、有翼獣と奇妙なドッグファイトを繰り返していた。

 横に円を描くようにして互いの尾を追い掛ける戦闘機と翼竜。あるいは縦に。

 なぎ払われ吹き飛ぶ機体と翼。遠距離から撃たれて、血しぶきだけを残して墜ちていく影。

 気づくと目の前に、影がいた。

「クッ……フゥゥゥゥ!!!!!!」

 操縦桿を握りしめ横になぎ倒す。機体が傾き重力が横にかかる。

 ハヤミの眼前に蛇のように長い翼竜が現れ、口蓋を開きながらすぐ真横をすり抜けていった。

 ハヤミは少女を抱きしめ、少女と己の無事をかみしめた。どこにも居場所はない。この空にも、この果てにも。

 意識のない少女はハヤミの胸の中で眠り続けており、その安らかな寝息は、ここが戦場であることをまるで無視していた。

 だがそれよりも気になるのは、少女の胸についている赤いクリスタル状のもの。

 ログだか何かが刻まれているだろうが、そのクリスタル状の物が強く発光して、アクリルガラスの向こう側、空の彼方のある一点に向けて光の線を向けていた。

「なんだ、これは」

 光線は太陽の反射光ではなく、ハヤミがどれだけ機体の姿勢を変えてもある一点を示し続けた。それに伴い、周りで格闘戦をしていた翼竜の一部が方向を変え、ハヤミに向けて首を曲げる。

「これは……」

 オヤジの言葉を思い出した。少女は何かを、ハヤミに伝えたがっていると。

 ハヤミにはその指し示す光の意味が分からなかった。それにこの先には何があるのか、または何もないのかそれすらも分からない。だがハヤミは覚悟を決め、操縦桿を傾け光の示す方へと機体を向けた。

 ふと上を見ると、反射ミラーに機体後方の様子が覗く。そこにはこちらを捉えて離さない翼竜と、コクピットを割られて誰かが乗り込んだらしい味方の戦闘機が数機映っていた。


 ハヤミは操縦桿を握りしめスロットルを倒した。

 大気速度計が加速を始め、目に映る雲がぐんぐんと下に落ちていきそれに合わせて、対地高度計の針が何周も回ってメモリが積算される。

 操縦桿脇のコーションパネルが赤く点滅し、武装が積まれていないこと、燃料が足りないこと、どこかのパネルが開いていること、電気系や油圧計の異常を伝えていた。だがそんな異常よりも、後ろについて離れない敵機がそこにいる。

「逃がしてくれないのか!」

 周りにいたはずの味方機はその影を潜め、三角形をした頭上の飛行空母は長い噴煙を空に漂わせている。

 巨大すぎて今まで分からなかったが、もしかしたらあの艦は衛星軌道上にいるのかもしれない。

 ハヤミは操縦桿を握り直すと、ゆっくりと手元に引いて機体を上昇させた。

 二つのエンジンの微妙な出力差を肌で感じながら、ハヤミの左手はスロットルレバーを細かく調整する。

 後方から迫る敵の翼竜、口が開き牙が覗く、青白い焔が吐かれて翼をかする。それでもなお、ハヤミは上を目指した。

 空が薄い灰色から濃い青色、それから紺色へと変わりだし、コクピットを与圧する空気がハヤミをアクリルガラスの外の希薄さから身を守ってくれる。

 独特の孤独感と緊張の狭間、刹那の興奮。ハヤミは胸に抱く少女を抱きしめた。

 胸の光は永遠と前を示している。その先に、何があるのか。

 ハヤミには分からない。

 気づけば後ろに迫っていた翼竜たちはハヤミを追うのをやめていて、代わりに衛星軌道近くで待っていた無人機たちの群れがハヤミたちを出迎える。

 薄いフォルムに鋭利な翼、黒塗りの小型無人機が、飛んで逃げるハヤミたちの後に続く。

 見上げれば、太陽。薄い高層の雲。あとに続いて、上空の飛行空母もゆっくりとハヤミ達を追いかけている。

 無人機の一機が群れから外れてハヤミの機体を追い越し、しばらくすると速度を落とさず急反転しハヤミに向かって突っ込んできた。

「うお?!」

 ハヤミは操縦桿を横に倒しペダルを踏み込んだ。

 無人機はハヤミの翼のすぐ脇を通り過ぎ後ろに消えたが、その様子を見ていた他の無人機たちが一斉に真似をし出し、加速しハヤミを追い抜くと、あらゆる方向からハヤミに向かって突っ込んでくる。

 ハヤミは、それら突っ込んできた無人機を目で見て肌で感じ、直感と集中力、震える操縦桿を僅か左右に揺らしつつ、加速を繰り返しそれらを避けた。

 なおも反転し迫ってくる無人機たちに、ガトリングがんを撃ちはなった。

「……ッ!」

 砕け散った敵の残骸がまき散らされハヤミの機体に破片となってぶつかる。それでも機体は衝撃に耐えて、一路光の示す方へ。

 無人機の猛攻を避け続けつつ、ハヤミは自分が笑っているのに気がついた。

 翼が音速を超え機体は風を切り、ふたつの白い雲を引きつれて、ハヤミの翼は空を飛ぶ。照準が目の前に迫る無人機を捉え、ハヤミは引き金に指を当てた。

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