第21話

 酒を飲み、しばらく黙って飲み、とにかく飲み明かし、カード残高がなくなったとカズマが騒ぎ始めたのを頃合いに、ハヤミとカズマは隊舎に帰ることにした。

 店の外は、相変わらず小雨だった。

「オレは、夢でも見ていたのか?」

「夢じゃないと思うぞ」

「オレは」

 なんだろう。何かが引っかかるような。心のどこかに、穴があって、その穴に何かが引っかかって離れないような。

「なにと、出会っていたんだろう」

 強烈な臭気が鼻を刺す。妙な頭痛がハヤミを襲い、ハヤミは何か、大切なものを思い出しかけていた。

「何を忘れているんだろう」

「生きる希望」

 ぽん、と肩をカズマが叩いた。

「約束は守ったぞ。オレは確かに、お前に酒をおごった」

「何でお前がオヤジを知ってるんだ?」

「それは、おいおいな」

 コートを外に出てきた着たカズマはハヤミのコートを手に持って、片手で押しつけてそのまま通路を歩いていく。

「ちょっと寄ってくとこがある。おまえにも行くところがあるだろう?」

「ねえよ、んなもん」

「たまには帰ってやったらどうだ?」

 そう言ってカズマは歩き続け、暗い町の奥に消えていった。

「ねえよ。帰るところなんて」

 一人残されたハヤミはカズマの消えた先を見ながら、手に持つコートを見て小さく呟く。

 幼い頃のハヤミはこの地下世界に生きていた。それで、この町になじめずいろいろな目にあったが。

 あの頃は、記憶の中の遠い思い出。ハヤミの昔の記憶は、この町のように汚れていた。

 あのときと変わらない。何も変わらない。あるいは、すべて変わってしまった。

 跡形もなくなってしまったような。かつて生きていた頃の思い出。

 気づくとハヤミは歩きだしていて、気づけばコートを着て暗い道を進んでおり、そして気がつけばいつの間にか大きな屋敷の門の前に立っていた。

 そこはかつてハヤミがいたことのある、屋敷跡だった。

 窓に明かりはついている。だが中から聞こえるのは、知らない男と女ののバカ騒ぎする声だけ。

 ここは立ち入り禁止区域。いつからこの周辺はスラムに飲まれたのか。

 暗くて濃い闇が一帯を占める。ハヤミは再び歩き出すと、こみ上げる何かをぐっとこらえてさらに歩き続けた。

 闇が一段と濃くなり周囲一帯に転々と並んでいた街灯も消え、薄暗い空の明かりがうっすらと地面を照らしている。

 ここの空はすべて疑似天井だ。日の光を擬似的に再現できる電光パネルが空を映し出し朝日や夕日を産み出していた。かつてここは、美しい場所だった。

 何も見えない闇の中。たった一本の細い道が、今は残るだけだ。空は何もうつさず、また己も、いったいどこに向かっているのか分からない。

 行く先も当てもなく。

 雨が止んでいた。よく見れば濃い霧もなくなっている。

 周りを取り囲んでいた闇はかなり濃くなっていたが、進んでいた細い道の先をみるとなぜか、周りの闇よりわずかに明るい場所があった。

 それと空気だ。今いるこの場所は、先ほどいた場所より空気が綺麗だ。

 地下の誰も入り込まないような場所の空気が、なぜ浄化されている? マスクの中で何かの違和感を感じたが、それよりさらに嫌な視線を背中に感じて身震いした。

 そうここは地下のスラム深部だ。人間の中でも、人間としてスラムで生きることすらやめた奴らがしのぎを削る場所。

 強盗とか詐欺師のなれの果てどころではない、野生を取り戻した人間のような何かがうろつく場所だ。ハヤミは彼らの足音がすぐ近くに来ているのを、野生の勘のようなもので察知して早足でその場を歩き続けた。

 野生の感は便利だ。空戦の時に役に立てば、何かを知るとき、調べるときにも役に立つ。もっともこの六感に近い感覚は、ハヤミが小さい頃にここで身につけたものだが。

 それで道をさらに歩き続けると光は確かにあることが分かって、道の先に行けば行くほど誰かがいるという、確信にちかいものを感じ得るようになってきた。

 背後に忍び寄る獣の殺意はすでに消え、ここから先は人間の何かが蠢いている場所だ。ハヤミは慎重に歩みを進めると、物陰と物陰の間を縫うようにしてさらに先を急いだ。


「なんでこんな所に人が?」

 ハヤミは足を止め、闇の向こうに目を向けた。

 何も見えないながらわずかに何かが見える。真っ暗や闇の中でも、わずかに闇の色が違う。色の違う部分をゆっくりと目で見ていくと、何か大きな建物の表口のように見えた。

 瓦礫か何かか? 最初はそう思った。けどかすかに聞こえる音があるから、何かあるんだろうなと思った。

 スラムの深部にはなんでもあるという。かつてあったこの世界の文明的な物のなれの果てとか。いやそれよりも、妙にとげとげしい何か。

 ハヤミは息を飲み込み、ゆっくりと近づいていった。

「!!」

 唐突に何かがフラッシュバックした。

 誰かが激しく声をあげ、自分に向かって助けを求めるような。

「なんだ、今の」

 頭の中が割れるように痛くなる。さっきと違って割れるような痛さだ。

 しばらく我慢してその場でうずくまっていると、次第に頭痛は弱まりふたたび周囲は真っ暗な闇に戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る