第18話
※
『すべては、自らに導かれた結果なのです』
何か大切なことを忘れているような、そんなもやもやとした気分で町を歩いているとマザーの広告が耳に聞こえた。
マザーとは、この町全体、国、地下世界すべてを管理している行政機関だった。
この機関は、長く争いの絶えない地上世界から人々がその生きる世界を地下に移したときに産み出した、英知でもある。
人々は上に立つ者の意思によって生き、生活、生活を支えるインフラ、社会も、その仕組みも法も執行も、管理はすべて一つの者が行いすべてを支え彼らを支えている。
その人の上に立つ者というのが、機械だった。
旧世紀には議会や独裁者が立ったこの不安定な立場も、機械が取り仕切れば完璧であるとの考えだった。そして人々は生活からなにから、夢も、希望も、果ては未来までも、この自ら考え自らを律する完璧なる機械の下部としてこの地下世界に生き続けることになる。
ハヤミもその一人だ。もっともハヤミの場合は、自分の親すらもマザーであるというくらいは、マザーに人生そのものを依存している。
人々は人生に疑問を持たなかった。そしてこの地下世界に忍び寄る漠然とした不安に対しても、寛容であった。
それがこの世界の意思ならば。
法と秩序のほころび。
自由と生命の終わり。やがて訪れる終焉の足跡が、世界の下層からやってくる。
『理想が現実となる、再現される日は間近と言えるでしょう』
旧時代末期に作られた人工知能マザーの、ノイズとバグが走るホログラムが自らに語りかけていた。
その目はたしかにこちらを見ていたが、ハヤミとしては、なんとなく薄ら寒くて、何か現実味がなさそうに思えた。
ぽつんと、ハヤミは自分が思っていることを口にしてみた。
軍の占有エリア、ゾーンスリーのミリタリ区画片隅にある自分の住み処。基地はいつも通り静かで、フェンス越しに隣接したハーレム区の様子が目に見えた。
フェンスには近隣住民の誰かが貼り付けていった昨日付の新聞が捨てられており、ゾーンを流れる風に紙片をはためかせている。
無事帰還したヒーローだとか、何度目の撃墜王とか、新聞はいちいちどうでもいいことを大げさに書いていた。しかしハヤミは誰かの取材を受けたわけではないし、新聞社に何かを問われたわけでもない。軍の公式発表がそうなのだ。
ハヤミは、自分がタバコを切らしていることを後悔した。
玄関脇でいつもの当番に帰還の報告を告げ、廊下を進んで自分の部屋の前に立つ。
軽く日焼けした自分の名前の描かれたプレートには、うっすらと埃がついていた。それを指先で軽くなぞって落とし、勤怠スライドを「事故」から「在室」にする。
なにか気恥ずかしいような、ちょっとだけ足りないような気分のまま、自室のドアを開けた。するといつものルームメイトが、二段ベッドの上段に寝転んで珍しそうな顔でハヤミを出迎えた。
「おかえり、撃墜王」
「ただいま、クソ野郎」
気の抜けたような顔と電子眼球でハヤミをまじまじと見つめる万年ヘルメットかぶってる野郎が、頭だけ枕からあげて退屈そうにあくびをした。
「書類貯まってるぞ」
カズマはふたたび枕に顔を落とすと、ぷこぴこと何かのポータブルゲーム機で遊びはじめた。
小さな机には、大量の書類が乱雑に積み上げられている。
ハヤミはため息をつき書類をかるくそろえて机の脇にどかすと、やはり何か心に引っかかる者を感じて二度目のため息をついた。
「なんだよ、帰って早々辛気くさいな」
「疲れてるんだよ」
ハヤミはそのまま制服のネクタイを緩めると、二段ベッドの下の段に腰掛ける。
高さはハヤミの頭より少し上。腰を掛けると、部屋と二段ベッドの底を見上げる形になる。そこへカズマの顔がにゅっと飛び出し、下段に座り込むハヤミを見下ろした。
「娑婆の様子はどんなだった?」
「シャバぁ?」
「外の様子だよ。地上なんて、滅多に出られるもんじゃねぇだろ」
「お前がいつも見ていたとおりだよ」
ハヤミは記憶がないとは、カズマには言わなかった。
「ふぅん? てっきり、何かあるかなと思ってたんだがな」
「はっ、何かってなんだよ」
二段ベッドの上段に寝ていたカズマが変な声を上げ、雑誌を横に投げ出し上体を起こす。目の部分に突き出て目立つ電子義眼のピントを大きく動かし、カズマはベッドの柵に腕をかけて身を乗り出した。
「地上でいろいろ見てきたんだろ?」
「だから、そんな見てねーよ」
「そうなのか? おまえ、だって前までよく地上のこと言ってたじゃん」
「そうだったかな」
「俺はこのために空飛んでるんだーって」
「そんなことは言ってない」
「言ってた」
「言ってねーよ」
少し大げさに段上のカズマを睨み、自分のベッドの枕を掴んで投げつけようとしたとき、唐突に廊下の先が慌ただしくなって誰かがこちらに走ってくる音が聞こえてきた。
この官舎にはカズマと、そこに押し入って勝手に荷物を持ち込み住みついているハヤミしかいない。
走る足音がドアの前に止まると、ドアノブが動いて、ドアは勢いよく開け放たれた。
「いた! 本当に戻ってきてる!」
部屋に入ってきたのは、パイロットスーツを着込んだ身長の低い女性隊員。ネームタグには、ミラ・クロサキ、中尉と刺繍がされている。
「おう」
ハヤミは敬礼すらせず、馴れ馴れしい感じでその女性隊員に手を振った。
「おうじゃないでしょ! バカ! ずっと心配したんだから!」
ミラはそういうと走って部屋の中に入り、ハヤミの胸に飛び込んだ。
そして半泣きの顔をハヤミの服で勝手にぬぐう。
「ずっと心配してたんだから! ハヤミのバカ! アホ!」
「お、おう」
泣きながらしゃっくりと嗚咽を繰り返すミラ中尉を、ハヤミとカズマは気まずい感じで見て黙った。特に上段のカズマはなんか微妙な顔をしてハヤミを睨んでいる。
ハヤミはどう反応すればいいのか分からなくて、とりあえずミラの肩を片手でぽんぽんと叩いた。
「まあ、そうだな、ミラ落ち着こう」
「あっ!」
ミラ中尉は肩を叩かれ、はっとしたようにして飛び退いた。
「べ、べつにお帰りって言いにきただけじゃない。変な意味なんてないし」
「そうだな。ただいま」
「まだ言ってないっ!」
ハヤミとミラの妙な様子をベッドから覗いていたカズマは、さらに変な顔をして眉間にしわを寄せる。
「ずっとオレを探してくれてたのか」
「あたりまえじゃない! だって墜落だよ?! 敵がまだいるかもしれない地上に、ハヤミが一人でいるなんて考えられないじゃない!」
ベッドの前で腕を組みそっぽを向いてそういうミラの顔を、ハヤミは下から見上げて何か引っかかる感じた。
「うーん。やっぱオレ、墜ちてたんだな」
「はあ?」
「いや、実は、記憶がないんだ。それでお前らは、ずっとオレを捜してたのか?」
ハヤミの言葉にミラとカズマは互いに目を合わせ、二人で一緒にハヤミを見た。
「覚えてない? なにも?」
「墜落したときのショックが、まだ強いのね」
にやあと気持ち悪く笑うカズマと、心底同情する顔のミラが隣り合わせになってハヤミをなぐさめる。
「でも大丈夫よ。すぐに思い出すから」
「そうそうハヤミ。お前、オレにちょっと多めに借金してるんだ。あとで返してくれよな」
「オマエに借りてる借金の額は覚えてる」
「あ、そうなの」
「教官も、あれから一緒になってハヤミを探してくれてたのよ。地上に墜落して、きっと大変な目に遭ってるだろうって。でも見つからなかったのよ。あなたも、アークエンジェルも」
「みんなで探してたのか」
「いくら撃墜王だからって、誰もおまえのことを見捨てやしないさ。おまえがロストしてから、部隊みんなでずっと探してたんだぜ?」
カズマが二段ベッドの上側から、頭だけ逆さまにしてハヤミをのぞき込む。その姿を見て、ミラは「兄さんなんて格好してるの」とたしなめていた。
「いや。待ってくれよ、それおかしいだろ。いやちょっと話しを整理させてくれ」
ハヤミは言うと、頭を掻きわずかに思い出されるそのときの記憶をよく思い出そうとした。
「ちょっと待ってくれ。オレは確か……墜ちたんだよな? それも、新聞には結構前に墜ちたって書いてあった」
「ああそうだな」
「オレは、救助信号とか打たなかったのか?」
「お前が知らないことを俺が知るはずないだろ」
カズマは当たり前だろといった感じでハヤミを変な目で見た。
「まあ、墜落したショックなんて、もう一度落ちればまた思い出すだろ」
「兄さんまたそういうことを」
「なあミラ。さっきから気になってたんだけど、お前もしかして今勤務中なんじゃないのか?」
「ん? あ!」
カズマに言われてミラは、慌てて自分の胸元や肩周りを触りだし自分が今着ている服の格好を確認し出す。
「私、仕事中だった!?」
「はやく職場に戻らないと無断欠勤になるんじゃないか?」
「ならないよー、どうせまじめに仕事してるのなんてほとんどいないんだし」
カズマの言葉に投げやりに返事をしながら、ミラ中尉は廊下に向かって小走りに出て行く。居室のドアを開け放すと、ミラは振り返りハヤミを見た。
「おかえり」
ぽつりと小さくいうと、またいつもツンとした顔になってミラは廊下の向こうに駆けていった。
ハヤミは黙って立っていたが、しばらくしてカズマの方を振り向きおまえの妹はどうしたんだと聞いてみた。
カズマは、妹は思春期なんだとぶっきらぼうに答える。
「知るかい、あんな落ち着きのないやつ。なあそれよりも、生還祝いに、ちとどっか飲みに行かないか」
そういってカズマは二段ベッドから身を乗り出し、にたにたと笑いながら窓の外を親指でさした。
「静観祝いね。もう二度と行きたくないけど」
「そうか? また落ちたら、何度でも祝ってやるよ。ところでお前」
カズマの言葉を無視して、ハヤミは立ち上がり窓辺から外を眺めた。
景色はいつも通り、青い空に白い雲、温かい日差しが空から照っている。どれも屋外にある天板についた人工灯の光だが、気分だけは、とりあえず外を眺めている気分にはなれた。
「その頭の後ろの傷、どうした?」
「あ?」
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