第13話
※
崩落した天井から注ぐ小さな滝のしぶきと砂浜と、地下湖の湖畔でとった不思議な食事。
少女が黙って先を進み、無言のまま壁の一画まで歩いていく。振り向くと、何も言わずに上を指した。
「?」
少女はハヤミを振り向き、壁を見て、何度か同じことを繰り返すと腕を伸ばして、壁にある小さな引っかかりを掴んでよじ登っていった。
かなしいかな、ハヤミは少女の言葉が分からない。少女もそれを知っていてできるだけ何かを伝えようとはしているようだが、どうしても互いに言いたいこと、伝えたいことが伝えられない。
「……言葉が欲しいな」
心底そう思った。少女は壁の小さな段差や出っ張りを器用に使い、ゆっくりと壁にそって天井に向かっていく。
よく見ると、壁だと思っていたのは墜落したスターシップの残骸だった。
外から差し込む光の筋に、かつて星と星の間を行き来していたと思われる強化セラミック装甲のスターシップは鈍い緑色の輝きを反射させていた。
少女が登ると、装甲に生えた苔の隙間から羽虫が湧いて宙を飛び交う。近くの出っ張りに止まっている鳥が、長い首をもたげて興味深そうに少女を見つめる。
植物のツタ。水中から伸びているたくさんの花と茎と、巨大な葉。澄んだ水。とめどなく流れ続ける地下水は、地下に残る遺物の中に大きな湖を作って、生き物をながらえ、生きるものをはぐくみ、長く悠久の時を営んでいた。
「ピコォッテ ラノ! ナマハヨゥチ ブチ ヴェセロ ィ ラゾ!」
「んー?」
いつの間にか高い所まで登り切っていた正体不明の少女、生き物、ユーマが、手をぶんぶんと振ってハヤミを見下ろしていた。
「オレに登って来いって言ってんのか?」
「ヤ リタァユ ヅヴィチ!」
そういうと、少女は大きく腕を広げて羽ばたくフリをした。
それを見て鳥たちも羽ばたく真似をしてばたばたと羽を振り、鳥たちの羽ばたきで光の筋と地下洞の中に羽毛が舞う。影と光のコントラストで、その風景は幻想的にも思えた。
ハヤミは冷静に、オマエが飛ぶ時に使うのは背中の羽の方だろと思った。
「わーかったよ、ユーマちゃん。どこまでもついていくよ」
両手を広げ、まずは目の前の足場に脚をかける。壁は高く、洞窟の上にぽっかりと開いた穴は遠かった。
登っているうちにだんだんコツがつかめてきて、少女が立っていた踊り場のような場所にはすぐ着けた。だが少女を見るともうだいぶ上にいて余裕の顔でハヤミを見下ろしている。
「シュヴジィエ ディータ!」
ぶんぶんと手を振っている彼女の顔は、まさにただの元気な小娘だった。
「ジオにもあんなのがいたな。いやいなかったかな?」
小憎らしくも、なんとなく憎めない元気な少女の姿にハヤミは知らず知らず彼女の跡を追った。
かつて人々が戦争から逃げて、地下に造った巨大なシェルターに籠もって数世紀。地上は荒れ果て人々は滅び、動植物もまともに育たず不毛の大地になりつつある今。
この地下湖は地球に残る最後の楽園なのかもしれない。
だが、少女と一緒に天井の崩落した穴から地上を覗くと、僅かではあったが緑が大地に戻りつつあるのがわかった。
「これは……」
なんちゅう絶景だと、言おうと思った。しかし言葉は出なかった。 地上にはガラス化した砂が広がっていたが、その隙間に落ちた植物の種は目を吹いて葉を広げ、りんと咲く小さな白い花を開かせている。
動物もいた。空には鳥。今は見えないが、砂地には生き物の足跡。
擱座し動かなくなった二足歩行戦車の残骸が膝をつき、二度と撃つことはないだろう長距離重火砲を地平線の彼方に向けて機能を停止している。先端には、誰がつけたのか分からないが、小さなリボンがくくられていた。
雲に照らされる真っ赤な太陽。小さな林。何かの建造物の跡地。跡地は一目見て軍用地だと分かったが、その姿形はすでに荒野の一部に飲まれてしまっている。
砂と、赤く照らされた荒野。跡地を囲むように、まだ若木の林が植林されていた。
数多くの墓石。黒い影は、太陽に照らされて長く伸びている。
まるで物語の中の景色そのものだった。
振り返れば洞窟には地下湖に沈むかつての町並みがそのまま閉じ込められており、水面はゆっくりと波打って静かに流れている。
「ブロヴ クラァスィビ ペイジ?」
「ん」
「オズ モィェウェユベネ ミスティエ」
上から洞窟をのぞき込むと、太陽の光に小さな羽虫たちが飛び交っていて、それらはまるで雪景色のようにも見えた。
「死と再生だな」
感慨深く、ふといつもの癖でなんてことのない言葉を呟くと、ふっと隣に立っていたはずの少女の気配が消えた。
振り向くと少女がいない。代わりに眼下から、水に何かが落ちた音が聞こえてきた。
のぞき込むと、地下湖に大きな波紋が広がっていた。流れる水面の下で、白い何かがゆうゆうと泳いでいて、しばらくすると水面に上がってきて手を振ってくる。
何羽か鳥が、さも迷惑そうにギャーギャーと鳴いて翼を羽ばたかせた。
「オレにも飛べって言ってるのか?」
洞窟のはるか下、水面にぷかぷか浮いている少女の言葉はほとんど聞こえなかった。
少女は水中を悠然と泳ぎ、大きな白い翼を広げてまるで空を飛んでいるようにすいすいと泳いでいた。
そうして振り返って、また手を振る。おまえもこっちに来いと。
それは表層だけをなぞったような、分かる言葉以上によく分かる少女の意思だった。おまえもそこから飛んでみろと。
「ようし、わかったよ。このオレ様の落ちっぷり、よく見てろよコノヤロウ」
ハヤミは不敵に笑うとパイロットスーツの腕をまくし上げ、何歩か足を引いて助走をつける格好をした。
ただ、やっぱり高すぎる。
「いいや、前に落ちた方がよっぽど高かった」
目をつぶり自分に暗示を掛けて、軽くステップを踏んで勢いよく走り出す。崖が目の前に広がり、すぐ目の前に空が広がる。青い水。水面に映る雲。光り輝く太陽の光。ハヤミは超訳すると、一気に空の中に飛びだした。
「……ッ!」
体が軽くなり、風の音が耳元で大きく唸る。目を開き足下を見ると、少女と、水面にうつる空が見えた。ぐるりと体を上下逆にすると、まるで自分が青い空に向かって飛んでいるような印象を覚えた。
目をつぶり、衝撃と着水の準備をする。すぐに体は水の中に飛び込んで、ハヤミはごぼりと息を吐いた。
目の前には、暗い街のなれの果て。地下にこもり、一切の外界との接触を拒んで説滅した名前も知らないもう一つのジオ。
地下都市。人類が敗北した世界。崩落した天井。青い空。魚たちがゆうゆうと水の中を泳ぎ、水流に乗ってハヤミの周りをかこう。
この広い世界の、ほんのちいさな水たまりに、ハヤミはジオと自分たちの未来を見た気がした。そうしてなんとなく寂しさを覚え、胸が苦しくなるのを覚えると、ふたたび目の前を少女が泳いでいく。
白い翼を背中に広げる少女の姿は、まるで現実にそぐわないほど浮いていて、とても綺麗で、幻想的で、でも彼女はなぜか儚げで、彼女のあとについていってもその先には何もなさそうで。
綺麗ではあった。廃墟の中で、たった一人待っている翼の少女の姿を見るのは、とても幻想的だった。
少女がハヤミに寄り添い手をさしのべて、上へ行こうとハヤミをさそう。
ハヤミも頷き少女とともに水の上へと泳いでいった。
「……プハァッ!」
苦しかった水の中も、外に出てしまうととても楽しく思えてしまう。そして、こんなことを言うと少女には悪いかもしれないが、水の中で見ていた彼女と、淡い色の髪の毛が顔に張り付き目の前でバカみたいに笑っている少女は、まるで違っているようにも見えた。
ハヤミも少女と一緒に笑った。胸に抱いた言葉は、そのまま言葉にしなかった。
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